2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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DJフクタケ(以下、フクタケ):こんばんは、DJフクタケです。よろしくお願いします。
アボカズヒロ(以下、アボ):アボカズヒロです。よろしくお願いします。
(会場拍手)
アボ:とんでもない企画ですよ、今日は。音頭をクラブミュージック解釈で語るというトークテーマをいただいたときに、僕は基本的にフクタケさんから「何かできない?」って言われたときに、とりあえず何も考えずに「できます!」って言うっていうルールにしているので。例によって僕は「はい、わかりました。やってみます」って二つ返事で言ったんですけれども。
いろいろ調べてみたんですよ。調べてみればみるほど、クラブミュージックと音頭に本当に歴史の裏付け、確固たるソースとかがあって、「これはここから繋がっているんです」という事実は、残念ながら見つけられなかったっていうことなんで(笑)。
音頭とクラブカルチャーをクラブカルチャー視点で、というところでこれからいろんな話をするんですけど、基本的に何ひとつソースがある話ではないという。
だから、クラブカルチャーにどっぷり浸かってきた人間が音頭を聴いたときに頭の中に広がった、夢想したうたかたの夢のような話なんだけども。けど意外と物事の核心みたいなものがそこに含まれているのではないか、みたいな。
ちなみにソースがしっかりしている話は、大石始さんの『ニッポン大音頭時代』っていう本に載っています。
フクタケ:ライターの大石始さんが7月27日に発売された、河出書房新社から出てる本なんですけれど、音頭の歴史的なことから現在に至るまでの流れっていうのを書いていて。
巻末のほうにインタビューが載っていて、その中に私DJフクタケも、クラブでDJをしながら音頭をかけてる人としてインタビュー受けています。こういう基礎的な文献っていうのもありつつ、今回のトークのほうは、ちょっと妄想率高めというか。
アボ:飛躍系で。
フクタケ:「実はこうなんじゃないか?」みたいな感じで進めさせてもらえればなと思います。
フクタケ:で、ちょっと大前提の話をさせてください。まず今回のトークは、私の歌謡曲のMIX CDで『ヤバ歌謡』というCDをユニバーサル・ミュージックからシリーズで3枚出しています。オフィシャルの、メジャーからのリリースで、7月に出た3枚目が音頭編だったんですね。世の中に存在する音頭のレコード、7インチシングルのみでMIXしたものが出ております。
今回このお店の方に「音頭のトークと、DJのほうも」ってお声がけいただいて。「トークの相手はどなたが良いですか?」って聞かれたときに、いろいろ誰が良いんだろうって思って、やっぱり「ディガーの聖地」でもある渋谷宇田川町、HMV record shopさんってなったときに、僕はやっぱりアボカズヒロくんにお願いしようと思ったんです。
というのは、僕がそもそもクラブで音頭DJをやろうって思ったというか、やる羽目になったきっかけを作ったのがこのアボカズヒロ氏なんですよね。その辺の経緯なんか話してもらえますか。
アボ:その辺からいろいろ話に入っていけそうですね。フクタケさんは「まんがジョッキー」的な感じで、アニメソングというよりかはテレビまんがの音楽をかけてる方で。昔の昭和のテレビマンガっていうのは、大体夏になるとテーマ曲が音頭になってたんですよ。そのノヴェルティ的な音頭とかを、あれは何だろう? 漫画歌謡?
フクタケ:レアグルーヴ解釈で昔のアニソンをかけるっていうDJをしていたんですね。
アボ:そういうDJをしてたときに音頭もちょこちょこかかってたんですけれども、そこでクラブのサウンドシステムで音頭を聴くという体験を、僕は初めてするんですね。
そのときは音頭だけではなかったんですけれども、そういうものもポロッとかかって。そのときに音頭の持ってるビートの帯域のサブベースのデカさというか、「えっ! 音頭ってこんなに下(低音)が入ってたんだ!?」という驚きを体験して。
そのころ僕は結構、ベースミュージック的な、ダブステップ以降のベースミュージックの流れにどっぷりだったりとかもして、とにかく低音のデカいところに寄ってく虫みたいな感じあったんですけれども。
アボ:その中で「音頭は相当下(低音)が気持ち良いし、これだけ1時間とか聴いたら、かなりグルーヴィーで良いのではないか」っていう直感があって。
たまたま夏、サマーシーズンにパーティをやることになったので、フクタケさんに、「すみません、音頭だけで1時間ってできますでしょうか?」っていうご相談をしたら「多分できると思うからやってみる」ということだったんで。
フクタケ:わりと見切り発車っていうか、半分無茶振りみたいなオファーで頼まれたっていうのが流れとしてはあって(笑)。僕もある程度、20分くらいとかはまとまって音頭をかけたことあったけど1時間はなくて。本当にこれでクラブミュージックマナーのDJで成立させられるのかなっていうのは、自分でもちょっと半信半疑のまんま、いざやったら……っていう。
アボ:いざやったら、音頭というものがリズムパターンとかグルーヴにある種の一定感があって、それをちゃんとグルーヴで繋いでMIXできる音楽だったっていうのがまず1つ明らかになって。
フクタケ:ダンスミュージックとしての機能性という部分で、ちゃんとDJ的にも使いやすい部分があった。
アボ:レコードコレクター系の方だと、DJとかやるときに1曲ずつかけるみたいな方がわりと多いんですけど、フクタケさんは本当にオンビート、オングルーヴというか、グルーヴにちゃんと乗っかってかけていくっていうスタイルで、そのフクタケさんのスタイルと音頭っていうものが、ものすごい相性が良かったっていうのもあるんですけど。
アボ:僕が音頭にバンッて引き込まれた、クラブのサウンドシステムで聴いた体験っていうのが、多分音頭っていうものをクラブミュージックの文脈で語る上で、非常に重要になってくるのではないかと思ったんですね。
それはなぜかっていうことをいろいろ考えていったときに、多分僕らって、きちんとした、音頭という音楽形態が「こういう形で受け止めて欲しい」と考えて作られた、「音頭の本当の姿」「本当の音頭の音響体験」というものを、あまりしてこなかった、結構不幸な世代なのではないかという仮説が、いろいろ調べていった結果僕の中にあって。
フクタケ:環境としての?
アボ:そうです。「音響体験としての音頭」ってやつですね。町の盆踊りとかで、音頭ってよく流れてるじゃないですか。でもあれって、だいたい町内会のラッパのスピーカーみたいなやつで鳴っていて、上(高音)と下(低音)がばっつり切られている。帯域が狭いし低音ももちろんばっさりカットされている状態で聴いていて、何となくそれが僕らのノスタルジックな音頭の音像だったりするじゃないですか。
フクタケ:レコードのアナログの溝にちゃんと刻まれてる音を、十分には再生しきれない状態で聴いていることが多いと。
アボ:しかも、そもそも大前提として、そのスピーカーとかいわゆるPAシステムが確立される前、つまり生の演奏しかなかった時代の盆踊り、そして音頭というものは、どういうふうな音像だったんだろうかっていうのを考えていって。
楽器とか調べていくと、まず規模がデカくなるにつれて、当時は電気で音を大きくすることはできないので、太鼓の経、丸がデカくなるか、もしくは量が増えるかなんです。大きさと力。腕力。強く叩けば音がデカくなるっていう。
フクタケ:強く叩くとアタックが強い音、みたいな(笑)。
アボ:もう本当に、楽器とサウンドシステムが全く同一だった時代っていうのがあるわけで。その時代に鳴ってた音っていうのは、やっぱり近くで聴いたら結構圧倒されるものがあったりするんです。
それでそういうのがちょっと残ってるのが、秋田のほうで、何ていう祭だったかな。とにかくデカい! 世界一の芋煮を作るみたいな、10人くらいの野郎が太鼓の上に乗っかって、超デカいバチで叩くレベルのやつがあるんです。
それってどんどんエクストリーム化していって、ジャマイカの(スカやレゲエの)サウンドシステムのウーファーの数が増えていったみたいな話ですよね。
フクタケ:それを同じ感覚で太鼓が大きくなっていってる。和のサウンドシステムなんですね。
アボ:盆踊りというのは、そういうサウンドシステムの中で祭の享楽性、いわゆるサマー・オブ・ラブ的なことが行われてた。
フクタケ:まあ、年に1度はっちゃけて良い場所。そこで色恋があってっていう、クラブでも夜な夜な同じようなことがあるわけで。
アボ:どちらかというと、戦前のそういうカルチャーを追っていくと、日本人って昔からヒップホップやってたなあ、みたいな感じがあって。盆踊りって元々のルーツが「歌垣」っていう文化なんですけど、唄掛ってご存知の方いらっしゃいます? ご存じない?
盆踊りのルーツの1つであろうと言われている歌垣っていうカルチャーは、即興で男女が詩を読み合うんです。それは夏祭りで行われているので、真ん中ではもうドンドコドンドコやっている。ビートが流れている、その横のほうにカメラが移っていくとカップルがいて、即興で「5・7・5」を言ったら「7・7」で即興で返す。それで口説くんですよ。
フクタケ:上の句、下の句なんだ。
アボ:そうそう。上の句下の句で、こっちが「君どこから来たの?」的な5・7・5でちょっと気の利いたのを投げる。そうすると、女の子が7・7で上手くかわす。でも5・7・5で食い下がる、みたいなのを即興でキャッチボールしていくっていう、唄掛っていうカルチャーがあって。
フクタケ:これは、ヒップホップで言うところの?
アボ:これは完全にヒップホップで言うところのサイファーですね!
フクタケ:なるほど(笑)。
アボ:そういうふうなところで、一方その頃、櫓のブースではビートがずっと流れているっていう。それでそこでカップルが成立すると、山の方にね。
フクタケ:消えていくわけですね。
アボ:まあ大体円山町的な話ですよ。そういうふうに考えると、結構日本人って昔から円山町あたり、AsiaやHARLEMあたりで遊んでる感覚が、わりとスタンダードとしてあったのではないかっていう。
フクタケ:なるほど。これはやっぱり音頭の開放性とか享楽性みたいなところですね。
フクタケ:日本の祭ってのべつあるわけじゃなくって、年に1回とか、収穫のタイミングとかで「よっしゃー!」みたいな感じで、より濃厚なわけですよ。
アボ:やっぱり農業とかって暦で動いていくから、そのタイミングじゃないと仕事がはねないみたいなことってあって、そこに大体祭ってあるじゃないですか。ワンチャンの。
だからすごい快楽主義的な、享楽を煽るような音楽なわけですよ、音頭っていうのは。だからしんみりした郷愁のものでもないし。ものすごく機能的で、あと反復でしょ?
フクタケ:繰り返しのね。
アボ:今って22時とかで終わっちゃう盆踊りがわりと多くて早く終わっちゃうんですけど、昔の盆踊りは夜通しとか全然やっていたっていうし、長いところだと鹿児島のほうで3日間ノンストップでやっていたっていう話もあったりして。
フクタケ:今でも夜通しやってるところはあるけど、まあそれは特殊というかそんなに大多数ではないもんね。やっぱり町内の盆踊りレベルだと、「子供は寝なさい」ぐらいの時間になると音が止まるみたいなね。
アボ:あとやっぱ短いんだと思うんですよね、今の盆踊りは。昔はもっと長かったっていうのが重要だと思うんですよ。皆の知ってる音頭みたいなのって、ある種、ずっと聴いてられるところが結構重要だったと思うんですよね。
盆踊りとかでも、ずっとメドレーとかでかかっていって、だけど「このビートもう飽きたよ」って言わせない何かが音頭にはあった。それはやっぱりレコードではないまでも繋ぎというか、ずっとグルーヴをキープすることは結構考えてたんじゃないかと思うんですよね。
フクタケ:なるほど。展開というか。
アボ:ずうっと続けられるし、いつでも始められるし、いつでも終われるみたいな。その反復性と繋がりみたいなものって、たぶんずっと重要だったっていうか。
ずっと繋がっていくってことが大事だったと思うので、繋がっていきやすいスタイルに必然的になっていった。だからかなりハウシーな作りになってるんじゃないかなと。
フクタケ:音頭はハウシー(笑)。
アボ:音頭はハウスなんじゃないかと(笑)。
アボ:音頭はヒップホップであり、ハウスであり。だから今のクラブに行って、20歳くらいの若いクラブオリエンテッドな男の子とかが音頭を聴くと、必ず自分が1番好きなジャンルだって言うんですよ。ダブステップ好きな子は「これダブステップじゃないですか!」って言うし、トラップ好きな子は「これトラップですよね!」って言う。
フクタケ:言ってた、言ってた(笑)。
アボ:「これハウスですよね!」とかね。だから結局、これって「ヤバ」っていうキーワード結構重要になってくるって思ってて。「ヤバい!」って思ったときに、自分が持ってるものとか属してるものもヤバいって言いたいから、ヤバいものを見たときに「それはアレだ」ってついつい言いたくなってしまうっていう。
フクタケ:自分の好きなものに無理くり引き寄せるというか、そことの類似性を見出しやすいんだね。確かに、言われますよ。『ヤバ歌謡』の音頭編が出て顕著なのは、和モノ周辺の人よりも、ベースミュージックとか今のクラブミュージックに関わっている人のほうがめちゃめちゃ反応してるのが実際に多くて。
あとJuke(ジューク)とかGorge(ゴルジェ)とかの新興クラブミュージック系の人がパーティ呼んでくれたり、おもしろがるっていうのは、確かに今言ってる流れとシンクロする話かなと。
アボ:ビートの打ち方がすごい自由度高いんですよね。このへんで、クラブミュージック側からの音頭的なグルーヴへのアプローチっていうものを、ちょっと実例交えつつ聴いてみようと思うんですけども。Waxmasterっていう人が『Make Em Juke』っていう曲を出したんですけど、これが音頭的なグルーヴが下敷きになってるっぽいジュークで。Waxmasterはシカゴの人ですね。
フクタケ:これは良いね。
アボ:これはクラブ側からの音頭っぽさ、グルーヴ感。今まで音頭的な、日本のオリエンタルなものをダンスミュージックに取り入れようっていう動きって何度かあったんですが、結構ビートの打ち方とかにある程度フォーマットが強い音楽やってる人は、なかなか音頭のリズムを取り入れるのが難しかったっていうのがけっこう見て取れて。
アボ:これは阿波踊りのやつなんですけど。
(曲再生)
アボ:これはですね、『ぞめき四 AWA GROOVES & REMIXES』に入っているDT Constructionの『awa dance』っていう曲です。これは四つ打ちなんですけど、四つ打ちが入ると、結構四つ打ちのほうに意識が引っ張られていくっていう。
アボ:それで結構上モノですね、どっちかっていうと四つ打ち系のは上のものを使うっていうほうが多くって。
音頭と民謡がおもしろいなって思うのは、大きく分けて2つにスパッてわけられて。上半身下半身みたいな話で、音頭のビートと節。お囃子とか節とかの上ものの部分も、明治以降のドレミファソラシドで平均律ではない調律感が、もちろん民謡とかでは非常に重要になってくるんです。こういうピッチの取り方が。
明治以降って、やっぱり「ドレミファソラシドにピチッと合わせなさいよ」っていう教育が多くて、久しく日本人はそういう音楽とか調律感を忘れていて。
我々日本人の心が日本的な郷愁を感じるピッチ感は何なのかっていうときに、ペンタトニックの五音に押し込められてしまったっていう。
サクラサクラじゃないですけど、「いわゆるペンタトニックが日本の音階だよね」っていう話も、本当は明治以降の話で。それまではドレミファソラシドでもない、いわゆるペンタトニックに近いんだけども、そのものずばりではなかったものっていうのがあって。
日本人が結構ピッチが揺れる節回しとかが好きですけど、だからアシッド・ハウスとか日本人的な節回しの生理にはすごいマッチしてたと思うんですよ。
そういうふうなところで、寺田創一さん、Omodakaとかやられてる、日本における本当のハウスレジェンドなんですけども。ラリー・レヴァンがリミックスした唯一の日本人の楽曲、島田奈美の『SUN SHOWER』を作った寺田創一さんとか金沢明子さんとかをフィーチャーしていろんなハウスのレコードを作られたりとか。
Omodaka名義になってからはハウスとかっていうようなところも超えて、打ち込みでの新しいジャパンオリエンテッドみたいな音楽を寺田さんがやってるっていうのも、1つ感慨深いものがあるなあと。パラダイス・ガラージまで行った人が、たぶん地球を2周ぐらいして戻ってきた。
フクタケ:いろんなものを取り入れつつ、また戻ってきたのが音頭、みたいな。
アボ:音頭みたいなものとか、そういったモチーフをずうっとやっているっていうのも、西洋的なフォーマットみたいなものからちょっと抜ける、距離を置くみたいなところっていうので、こういうふうな音楽がすごく良かったんだと思うですけども。
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