第二次エチオピア戦争の惨劇

おおたに君(以下、おおたに):イタリアは負けたんで、しばらくおとなしくしていたんですけど、やっぱり諦められないということで1935年に第二次エチオピア戦争を起こしたんですね。

やすやす君(以下、やすやす):またイタリアがエチオピアに戦争を仕掛けた。

おおたに:その時はエリトリアはイタリアのものだったから、そこからまたエチオピアに同じように攻めていくという感じですかね。

まきちゃん先生(以下、まき):1935年というと、第二次世界大戦はまだ始まってないですね。

やすやす:だいぶきな臭いね、この時は。

おおたに:だいぶ近代になってきたしね。1800年代と1900年代だとずいぶん違いますよね。この時には戦いもだいぶエグいことがあったらしくて、エチオピア軍がダムダム弾を使ったとかね。

やすやす:ダムダム弾ってなんですか? ダムダムの実みたいな感じですね。

おおたに:なにかそれゲームにありそうですね(笑)。あ、違うか、『ワンピース』か(笑)。普通は弾が、中は鉛で外が銅の合金で覆っているんですけど、その一部を剥がしておいて人間に当たった時に中で弾がバラバラになったりして、より被害を多くするような弾なんですよ。

やすやす:それはイタリアが使ったんですか?

おおたに:エチオピアが使ったんです。

まき:開発したのはエチオピアではない?

おおたに:開発したのは確かイギリスですね。反対にそれを言いがかりにして、イタリアは毒ガスを使ったらしいんですよ。もうこの頃は毒ガスがあったんですね。

まき:確か第一次世界大戦でドイツが使ったのが初めでしたっけ?

おおたに:そうですね。この時は、イタリア軍が飛行機から毒ガスを散布したりとかね。散布したところに大砲を打ち込んで爆発させると、下に落ちた毒ガスがまた霧になって舞い上がって被害が二度起こると。また、毒ガスですから戦闘員だけじゃなく、その辺に住んでいる市民も多数被害を受けたということらしいです。

イタリアの国際連盟脱退のきっかけに

まき:その戦争は何年まで続いたんですか?

おおたに:翌1936年の5月7日にイタリアはエチオピアを併合しちゃったんですよ。

やすやす:それはあっという間に片がついたということですね。本気出してきたということだもんね。

おおたに:そうですね。そういうエグい武器を使って近代戦になってくるとね。

やすやす:ということはエリトリアもエチオピアもイタリアの傘下に入ったと。

おおたに:ソマリランドも合わせて、「イタリア領東アフリカ帝国」というのを作ったんですね。

やすやす:ソマリアも合わせてイタリアが持っていたんですか? じゃあ領土としてもでかいですね。

おおたに:そうですね、海にも面してるし。皇帝にはイタリア国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が即位したそうです。ですがこの頃っていうのは国際社会の猛烈な反発がありますよね。日本もいろいろあったしね。結局イタリアは国際連盟を脱退することになったそうです。

やすやす:それでか! これを期に脱退するんだ。

おおたに:今回はエリトリアのことだけを調べたので、これだけの成果はちょっとわかんないですけど。そしてだんだん日独伊三国同盟に行くのかな。

やすやす:そういうことだね。

第二次大戦後、一度は独立が否決されてしまった

やすやす:エリトリアの歴史は第二次世界大戦に向けていく流れと同じ歩みですね。

おおたに:そうですね。新しい歴史ですからね。昔はエジプトに支配されていたのが、イタリアに支配されて、この次は1941年に第二次世界大戦が始まるとイギリス軍が侵攻してきて、東アフリカ帝国自体がイギリスに占領されてしまいます。1942年にはイギリスの保護領ということになったそうです。

そして戦後に、エリトリアは独立したかったんだけど、国連の決議で42対10とかの差で否決し、エリトリアはエチオピアと連邦制を敷きなさいということに決まったそうです。

やすやす:エチオピアとエリトリアって、例えば民族とか文化とか言語とか大きく違っているということ?

おおたに:ちょっと調べたんですけど大きくは違っていなさそうなんです。文化的、地理的に昔から同じ民族が住んでいたということだと思うんですよ。2つの国に住んでいる人の間で大きく違うというところはちょっと見つかりませんでした。

やすやす:そうなのか。エリトリアはエチオピアと何か違うから独立したいと思うのかなと思ったんですけどね。

おおたに:元々、それぞれが1つの国ではないですから。エチオピアの中も10個近い州になってんのかな。この後の動きで、エリトリアの隣の1つの州も独立したいというのが出てくるんですよ。

そういうことで、なぜかはわかりませんが国連が決めてエリトリアとエチオピアの連邦制になるのが1952年です。まだ私も生まれていませんね(笑)。

そして10年後の1962年にエチオピアは連邦だけじゃなくて併合しますと、エチオピア議会で決めちゃったんです。

連邦と併合はどう違う?

やすやす:連邦と併合って言葉の意味違うんですね。

おおたに:連邦は一応それぞれが独立した国で、だけど仲間だよねっていう形なんじゃないですか。連邦も多分いろんな場合によって違うんでしょうけどね。ソビエト連邦とかね。アメリカ合衆国も一応そうですよね。

やすやす:そうですね。国と言うか、州と言うのかの違いかな。

おおたに:ただアメリカの場合、合衆国全体として大きい形で繋がっているけど、エリトリアはそんな形ではなかったんじゃないですかね。

やすやす:イギリスとかどうなの? コモンウェルスというかね。あれイギリスって連邦だよね?

まき:そうですね、連邦ですよね。あれなんて言うんでしたっけ、国旗のマークで……ユニオンジャック! あそこのマークが付いてるところは……。

おおたに:イングランドとかの島の周りの連邦なんですよね。スコットランドとかウェールズとか、それぞれの国旗が合わさったんですよね。やすやす君が言ったのはオーストラリアとかニュージーランドとかも含む広い意味での連邦?

やすやす:そう。もっと大きい。だからコモンウェルスですね。連邦っていう日本語でまとめるには乱暴か。

おおたに:それは植民地から来てますからね。いろんなケースがありそうな気はしますね。

エリトリアとエチオピアの間の複雑な事情

おおたに:で、併合しちゃったんだけど、エリトリアもこのままでは黙ってなくて解放戦線とかあちこちで起きてくるんですね。

やすやす:併合はやめてくれと。むしろ独立したいんだけどということですね。

おおたに:そうですね。1960年にカイロでイスラム教徒を中心に結成されたELF(Eritrean Liberation Front:エリトリア解放戦線)というのが起きまして、それが61年にエチオピアの警察に発砲したことから始まって30年間ずっと戦争状態です。

やすやす:30年間!?

まき:すごい長いですね。

おおたに:独立するまで。その途中もいろいろあるんですけども、そこまで言っているととてもキリがないので……。

やすやす:だから60年代から独立戦争が始まったということだね。30年かけての独立戦争だ。

おおたに:ELFっていうのも、先ほどイスラム教徒が中心と言ったんですけども、それがだんだんイスラム寄りになっていくのを嫌った人たちが分裂してEPLF(Eritrean People's Liberation Front:エリトリア人民解放戦線)っていうのを作ったりとかね。

やすやす:独立したい側でも分派したんだ。

おおたに:そうですね。その2つの間で内戦が起きたり、片方をソ連が応援したりとか。

やすやす:内ゲバみたいな話になってるね。

まき:けっこう混乱した状態だったんですね。

おおたに:ややこしいです。とてもついていけません(笑)。でもその2つも1974年には和解して、共闘してエチオピアと戦ったりもしてるんですよ。

やすやす:30年後どうなったんですか?

おおたに:30年後は、またややこしいですが、エチオピア内部でも内戦状態になっていて、エチオピアの中で政府を倒したいというグループと共同でエチオピア全体を手に入れたというか。

やすやす:じゃあエリトリア側は独立戦争だったし、エチオピアとしては革命だったわけですね。

おおたに:それが一緒になって共闘したと。

エチオピアとエリトリアはまだ仲が悪い

やすやす:それは成功したんですか?

おおたに:そうですね。あとエリトリアの隣にもう一つ州があるって言いましたけど、それはティグレ州って言うんですけど、そこもエチオピアから独立したいとか言い出していて、この独立したいというグループを中心にできたのがエチオピア人民革命戦線(EPRDF:Ethiopian People's Revolutionary Democratic Front)っていうのがあって、そことEPLFが共闘して1991年5月に首都アディスアベバを制圧したんです。

ここまでくるともう覚えてらんないと思うんですけど(笑)、チラ見で言うと62年から30年間独立戦争ということでいいと思うんですけどね。それで、1993年には国連の監視下でエリトリア地域の分離独立を問う住民投票というのが行われたんですね。

それには海外に出ていた難民もいるので、約110万人が投票し、99.8%という圧倒的な多数で独立を支持するという結果が出たんだそうです。まあエリトリアに住んでいる人たちだから当たり前かなとは思うんですけど。そこはまだね。

その投票は4月に行われたんですけども、その結果をもって5月24日に独立宣言をしたんです。それがエリトリアの独立記念日。

まき:なるほど。今のエリトリアとエチオピアの関係はどのような感じなんですか?

おおたに:それがまだ悪いんですね。

やすやす:無理くり独立したわけだもんね。

おおたに:一緒になれ、俺のものだ、いや俺たちは別だっていうのがずっと続いてるわけですからね。

やすやす:エチオピアからしたら海を全部取られたわけでしょ? そりゃムカつくよね。それはいざこざいつまでも残るね。

おおたに:それでその4日後の5月28日には国連にも加盟して承認されたそうです。

ダイビングやるなら紅海がおすすめ!

やすやす:バックパッカーの間だと、エリトリア行くのは危ないだろうねっていう話はよくありましたよね。エチオピアは比較的、今は政治不安はない国なのね。だから、病気にかかるとかひったくりがいるとかいう犯罪はあるけど、旅行する分には政治的なリスクって少ないんだよね。エリトリアはやっぱり危ないぞっていうことをよく言われますね。僕はエリトリアには行かなかったんですよ。

おおたに:なんかダイビングにも最高だとか。

やすやす:紅海は半端ないもんね! きれいな海が。

まき:ダイビングいいですねー!

おおたに:紅海にも珊瑚礁あるんですよね。あの辺、砂漠なんで定常的に流れこむ川がないんだそうです。だから土砂が流れ込まないんで濁らないので、めちゃくちゃきれいらしいですよ。

やすやす:世界一水が変わらない海らしいですよ。紅海のきれいさは驚くよ。

おおたに:私はダイビングやらないんで。ダイビングライセンスを持っているやすやす君はどうですか?

やすやす:僕は紅海でライセンスを取りましたからね。

まき:えー! 私も取りたい!

おおたに:紅海でライセンス取るなんて、めちゃくちゃオシャレじゃないですか。

やすやす:エジプトの中で紅海に面してる町があるんですけど、そこでライセンスを取りましたね。

まき:私もそこでライセンス取ります。

やすやす:本当におすすめ。素晴らしい紅海。あとヨルダンからエジプトに行く時とか、船で紅海を渡るんですよ。ヨルダンとエジプトって、イスラエルを間に挟んでいるのでくっついてそうでくっついてないんですよ。船で渡っただけでも素晴らしい美しさですからね。

おおたに:湾の一番奥のほうで、一番汚れていそうなところでもきれいだったということですか? じゃあエリトリアなんかきっとすごいでしょうね。

やすやす:すごいでしょうねえ……。

まき:やすやすさん、エリトリアでダイビングどうですか?

やすやす:じゃあいつか遠足で行きましょう! エリトリア怖いけど(笑)

まき:遠足やったー! 行きたい!

言語と宗教の壁は厚い?

おおたに:それで話を戻しますと、一応独立はできたんですけどまだ紛争は終わらずに、5年後の1998年にエチオピア・エリトリア間で国境紛争が起きています。

やすやす:僕がアフリカのこの辺りに行ったのは2001年〜2003年辺りだったんですよ。だからまだそういった武力衝突があるので危ないぞって話だったんでしょうね。今もあるんでしょうけど。

おおたに:2000年4月に包括合意ができたんですけども、まだ国境でにらみ合いが続いている。

やすやす:そんなの信じられませんよね。和平交渉が成功しましたといっても、あの人たち1日経ったら忘れてるんだもん。

おおたに:2002年4月には国境委員会によって、エチオピアとの地図上の国境線が確定ということになっています。だけど、ある町がエチオピア側に入っているのが許せないということで、またにらみ合いが続いているそうです。武力衝突もあるし、観光客が紛争に巻き込まれて殺されたとか。というところなんで、ちょっと遠足には向いていないかもしれません。

やすやす:今、Googleの地図を見たんですけど、エリトリア側は全部アラビア語だね。エチオピア側はアムハラ語なんですよ。ということは、おそらくエリトリアは宗教的な違いがあって独立したかったんでしょうね。エチオピアはエチオピア正教という正教系の宗教なんですよ。エリトリアは多分イスラム圏なんでしょうね。

おおたに:宗教人口を見たら、イスラム教とキリスト教が半々くらいだって書いてありましたけどね。

やすやす:やっぱりそれがあって独立したかったんじゃないでしょうか。おそらくは。

おおたに:そうなんでしょうね。