性別にまつわる「心・身体・好き・らしさ」の4つの視点
豊かな社会に必要な、多様性の見つけ方

多様性と豊かさ | Haru | TEDxMatsumoto

「私の性別なんだと思いますか?」と聴衆に問いかける、Queer&Ally代表のはる氏。はる氏は性別を「ココロの性別」「スキの性別」「カラダの性別」「ラシサの性別」の4つの視点から分類し、自身の「性別」について語ります。はる氏が、インターネットを通じたLGBTの方々との出会い、そして両親へのカミングアウトを通じて気づいた、多様性と一人ひとりの価値観や幸せが尊重される理想の社会について語っています。(TEDxMatsumotoより)

私の性別、なんだと思いますか?

皆さん、こんにちは。私は「はる」と申します。早速ですが、いきなり質問をしたいと思います。私の性別、なんだと思いますか?

わかる方は、どれだけいることでしょうか? この状況の中で、皆さんは何を基準に、私の性別を考えましたでしょうか? おそらく今のこの状況で、判断できるものとしては、まずは私の体格、着ている服などの外見、次に話し方だったり、手の振る舞い方などを見て、判断されていると思います。また、「はる」という名前からも考えられることだと思います。

私は普段の生活の中では、基本的には「男性」として扱われています。そういう言い方をすると「あれ? 外見と違って実は男性じゃないの?」というふうに思う方もいらっしゃると思います。

「男女」の他に「多様な性」ということで、最近はLGBTなど、メディアで見ることもあると思います。そして、そのような多様な性を考えた方もいると思います。LGBTというワード、聞き慣れない方もいると思いますので、簡単に説明をすると……。

「L」がレズビアン。恋愛対象として、女性を好きになる女性。「G」がゲイ。恋愛対象として、男性を好きになる男性。「B」がバイセクシュアル。両性愛、男性も女性も好きになる方ですね。で、トランスジェンダー、戸籍上の性別に対して、違和感を持っている方を指します。

こういうふうに言うと、さらに、さっきまでの「男女」という2択ではなくて、さらにLGBTということも追加され、じゃあ、LGBTのどれか? とお考えの方もいると思います。でも実際のところは、私が本当のことを言わなければ「LGBTなのか、男女なのか」ということもわからないですよね? 

こういった質問をされて「何ていう質問なんだ!」って驚いた方もいるかと思いますが、少し混乱されている方もいると思いますので、性別について4つの視点から、整理しながらお話したいと思います。その後に、私の性別をお伝えしたいと思います。

性別にまつわる4つの視点

まずは「ココロの性別」ですね。自分のことを男性と思うか、女性と思うか。自分の感覚ですね。次に「カラダの性」。生殖器がどうなっているか、染色体がどのようになっているかっていう、生物学的な性です。

それで「スキの性」。恋愛対象が男性なのか、女性なのか。最後に「ラシサの性」。世の中には、男らしい仕草、女らしい仕草があると思いますが、自分がどんな性別として振る舞いたいかっていう性ですね。

では、ここまでをお伝えした上で、私の性別をこれに当てはめてお話したいと思います。

ココロの性別、自分のことは男性だと思っていますので、男性です。カラダの性も、産まれた時から男性です。スキの恋愛対象は、自分の場合は「男性」というふうになります。それで、ラシサの性は男性ですので、LGBTで言うなれば「男性同性愛者」ということになります。

「同性愛者の方を見るのは初めて」という方もいらっしゃるかも知れません。自分の場合は「恋愛対象が男性かもしれない」と思ったのは、中学2年生の頃でした。

LGBTのことや、多様な性のことについて話すようになったのは、2~3年前です。2~3年前は「私は同性愛者です」と、その一言を言うだけでも涙が流れてしまう、そんな状況でした。

小さい頃からテレビの中では「同性愛者は笑われるもの、からかわれるもの」、そして学校の中では「いじめられるもの」。そんなイメージがありました。十代の頃は「同性愛はいつか治る」という言葉を信じていました。高校に入っても、大学に入っても、二十歳になっても、その言葉を信じていました。

しかし、二十歳になっても女性を好きになることはできない。そんな自分は何者なのかという不安に襲われました。自分は何者なのか、それを確かめたいと思い、私がとった手段は、ネットを通じて同じような人と出会うことでした。

カミングアウトをしたときの感覚

世の中では「ネットを通じて出会う」、それはいわゆる出会い系だとか危険だとみなされる行為です。しかしそれ以外に、私には方法が思いつきませんでした。親にも言えない、友達にも言えない、自分の気持ちを素直に言えないことはとても寂しく、孤独でした。

そして、何者なのかわからない。その状態がいつわかるのか。ただただ、自分が何者なのか、怖かった。同じような同性愛者、両性愛者の方と会うなかで、「僕たちは同じだね。だから君は変じゃないよ」という思いはできました。

だけど、「僕たちは違うね。もちろん君は変じゃないよ」という思いは、なかなかできずにいました。「僕たちは違うね。だけど変じゃないよ。君は素敵だよ」そんな一言が聞きたくて十代を過ごしていました。

「僕たちは違うね。だけど変じゃないよ」というふうに至るまでには、まずは自分が違うということ、あなたが思っている自分とは、実際の自分は違うということを伝えなければいけません。それをLGBTであること、セクシャルマイノリティであることを伝えることを、カミングアウトと言います。

カミングアウトという言葉は、日常生活でもテレビでも見かけることがあると思いますが、自分のですね、カミングアウトする時の感覚をお伝えしたいと思います。

底の見えない暗闇の中で上から垂れ下がっているロープにしがみついている状態、これが、カミングアウトできていない状態です。とりあえずここのロープにさえしがみついていれば、落ちることもない、怪我をすることもない。とりあえず安全。

しかし、この手を放すとどうなるのか? 力を抜くこともできない。だけど自由に自分の人生を歩きたい。そう思った時にはそのロープから手を放し、飛び降りなければいけない。そう思いました。降りた先がどんなふうになっているかは見えません。

ゴツゴツした岩肌で、落ちてしまえば怪我をするかもしれない。死んでしまうかもしれない。降りなければ良かったと後悔するかもしれない。もしかしたら、ベットのようにふわふわで暖かく包みこんでくれる場所かもしれない。「かもしれない」ということだけで、確信を持つことはできません。なぜなら暗闇で何も見えないからです。

そんな中から「大丈夫だよ。降りておいで」と声が聞こえたら、どんなに楽でしょうか? 

一昨年の夏の、両親へのカミングアウト

人によってカミングアウトしやすい相手というのは、それぞれだと思います。自分の場合は長い付き合いのある人ほど、伝えることができませんでした。仙台の大学を休学し、東京に出て、そこで出会った人には言うことができました。

しかし、それまでの友達には言うことができませんでした。失ってしまうのではないかと考えると、怖くて言えませんでした。「それならば誤魔化して生きよう!」と、思っていました。ただ「両親には伝えよう!」そう考えていました。

「言えなかったから、あの時辛かったんだ!」と、あとから言いたくない、そう思いました。「同性愛者になるのは育て方が悪い!」と言う人や、カミングアウトされた親が「自分の育て方が悪かったのではないか?」と悩む、という話も聞きます。お父さんもお母さんも、何も悪くはない。

「ありがとう! 育ててくれてありがとう! その気持ちに変わりはない。他の兄弟と同じ家に、同じように暮らしていたはずなのに、なんでだろう? 結婚もできないし、孫も見せられない。ごめんね」と……。

カミングアウトしたあとのこと、された親のことも考えなければいけないと思った。受け止められるだろうか? 悩みはしないだろうか? それもとても不安だった。

LGBTのこと、自分のこと、このように人前で話すことはそれまでにもありました。「だから大丈夫だろう!」と、そう思って臨みました。

だけど大勢の中の誰かの心に響いてくれれば、というのではなくて「この世に他にいない両親には理解されたい」そんな思いがとてもありました。カミングアウトは一昨年の夏、「カミングアウトする!」ただそれだけのために実家へ帰りました。帰ったその日の夜に伝えました。

その日の内にはじっくり話ができず、モヤモヤした気持ちのまま眠りにつきました。次の日、父に海に連れて行かれ、砂浜で2時間、話をしました。海から家への帰り道、父が運転する車、ふと前を見ると父親がこんな仕草をしていました。

(腕で涙を拭うような仕草をする)

自分は何も声をかけることができませんでした。泣いているのかもしれない。そう思ったけど、ただ眺めているだけでした。やはり悩ませてしまったのかもしれない。ただそう思っていました。

家に帰ると、いつもと変わらない夕食がありました。まるで昨日のカミングアウトなんてなかったことのようで、たまらず自分は聞いてしまいました。

「もし自分に恋人ができたら、紹介してもいいの?」「うん、紹介していいに決まっているじゃん!」と、その返事にうまく答えられず、「うん、わかった。そうする」としか言えませんでした。見送りの最後、「ふたりの子供で良かったよ。ありがとう!」と言えました。

一人ひとり異なる価値観や幸せが尊重される社会を

当事者と非当事者、お互いにわかりあえないこともあります。それまでの人生、考え方、聞いてきたもの、同じ気持ちになると言っても、それは簡単なことではありません。

だけど、非当事者、当事者という言葉ではなくて、お互いにこうやって顔の見える関係として、感情のある人間だということを認識した上で、一緒にこれからを生きていこう。そんな気持ちには、なれるのではないでしょうか?

「いろんな人がいてもいい」という言葉は聞きますが、それは他の人が生きやすいという社会ではなく、ここにいる皆さん、あなたもよりいろんな生き方をしてもいい、いろんな在り方があってもいい、ということです。

普段の生活の中で、職業や年齢、出身、いろんな属性があると思います。そしてその中で、自分の役割であったり、責任であったり、抱えていることもあるでしょう。

そして、「このことは誰にも言えない!」と、思っている人もいるでしょう。こんな自分がこんなことをしてはいけない。他の人もそうしているし、ワガママだと思われるかもしれない。そうやって我慢して、やりたいことをやらなかったりしていませんか?

楽しく生きたい! 笑って生きたい! 好きな人と一緒に暮らしたい! ワクワクしたい! 思いっきり抱きたい! いろんな想いがあると思います。そんないろんな想いに、一人ひとりの想いに耳を傾ける社会。同じ価値観や幸せではなく、一人ひとりがそれぞれ違った価値観や幸せがあると思います。

そんな時に一人ひとりに合わせることは、手間のかかることかも知れません。一人ひとりの想いを聞くことも、こうやって伝えることも、きれいな形ではなく、こんなふうにぐちゃぐちゃになってしまうこともあると思います。

だけどそれを聞いてくれる人、伝えてもいいんだと思えるこの環境、そんなふうな社会こそ、多様性に溢れ、豊かな社会だと、私は思います。例えば、わがままかもしれない、こんなことをしてはいけない、と思った時に「気にしなくていいんだよ! 皆、そうやって生きているから……」と言ってもらえるような社会に。ありがとうございます。

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