すぐれた瞑想家の脳の動きを計ってみたら実際すごかった
フランス人僧侶が幸福とは何かを語る

Matthieu Ricard: The habits of happiness

分子生物学者から仏門を選んだフランス人僧侶のマチュー・リシャール氏が「幸せの習慣」をテーマに語ったスピーチ。幸せになるにはどうしたら良いのでしょうか。リシャール氏は、心の訓練によって幸福や満ち足りた状態へ導かれるのだと語ります。嫉妬に対して喜びを、執拗な欲望に対しては心の自由を、憎悪に対しては親切心を。否定的な感情をコントロールしてきた瞑想家を例に出しながら、幸せになるための習慣について語りました。(TED2004 より)

分子生物学者から僧侶に転身

エベレストの山頂にコカ・コーラの瓶があるのも、僧侶がモントリオールにいるというのも、グローバリゼーションのおかげなのかもしれないですね。

(会場笑)

招待状を頂いたので、ちょうど2日前にヒマラヤからやってきました。これから皆さんをしばらくの間、ヒマラヤに招待したいと思います。

では、私のような僧侶がいる場所に案内致しましょう。私についてですが、パスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。こちらは幸運にも巡りうことができた景色の写真達です。

これは東チベットのカイラシュ山です。

素晴らしい眺めですよね。マルボロの世界みたいです。

(会場笑)

これはターコイズ色の湖。

瞑想家。

これは東チベットで一番暑い日である8月1日の写真です。前日の夜に、キャンプをした時、チベット人の友人は「僕たちは外で眠るよ」と言い出しました。私は「なぜ? テントには十分なスペースがあるのに」と聞きました。すると「そうだね。だけどせっかくの夏だから」と。

喜びは繰り返されるうちに飽きてしまう

それでは、幸福についてお話していきましょう。私はフランス人ですが、フランスの知識人は幸福について全然興味がない人が多いです。

幸福に関するエッセイを書いたのですが、論争が起こりました。「幸福などというつまらないものを押し付けるな」という記事を書かれました。

(会場笑)

幸せなんて関係ない。情熱と共に生き、浮き沈みや、苦しみこそ良いものなのだ。抜け出した時とても良い気分になれるからね。

これはヒマラヤ山脈の私の家のバルコニーから見える景色です。

皆さんいつでも来てくれていいですよ。

では、幸せや幸福な状態についてのお話をしていきましょう。まず最初に、フランスの知識人がなんと言おうと、朝起きたときに「今日1日、苦しみながら生きるのだろうか」と考える人はいません。

つまりそれは、意識的でも無意識でも、直接的でも間接的でも、短期間でも長期間でも、我々がすること、望むこと、夢見ること、こういったことは全て心の奥底では幸せを求めることに繋がっているのです。

パスカルは「首を吊ってしまう人は、苦しみに対する他の方法を見つけられなかったのだ」と言っています。しかし東洋、西洋の書物を見てみると、驚くほど多様な幸せの定義があることに気付きます。

ある人は過去を見つめ、未来を想像し、現在は念頭に置かないと言い、ある人は幸せとは現在にあり、この瞬間の新鮮さの質によるのだと言います。それはアンリ・ベルクソンにこう言わせました。

「すべての偉大な思想家は、幸せを曖昧なまま残した。彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」幸福がそれほど人生において重要だと思わないのならば別に構わないでしょう。

しかし幸福は我々の生活のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたらどうでしょう。それがどんなものなのか、明確な考えを持っていた方が良いでしょう。

そしてきっと我々が知らない事実というのは、幸福を追い求めるのにそこから逃げてしまうことです。苦しみを避けたいのに、そこへ向かって走っていくかのようです。

それはある種の困惑によるものかもしれません。幸福と喜びです。しかしこの2つの特徴を見てみると、違いがわかります。喜びは時や目的、場所を条件とします。

その本質は移ろいます。美味しいチョコレートケーキの1切れはとても美味しいですよね。でも2切れ目はそれほどではないと感じ、それ以降は嫌気がさします。

(会場笑)

そうでしょう? 飽きてしまうのです。私はバッハが好きでよくギターで弾いていたものです。5回ほど聞いても飽きません。だけど、24時間休まずに聞けば、飽き飽きしてしまうでしょう。

もしとても寒いときに火があれば、心地よいと感じます。そうしてだんだん後ろに下がっていき、とても熱く感じるようになります。

喜びそのものは経験とともに消費されるかのようです。それから、自分自身から発せられるものではありません。あなたが大きな喜びを感じていても、他の誰かを苦しめているかもしれません。

幸福とは心の奥深くの平静と満足感

幸福とはなんでしょう。幸福というととても広い意味の言葉になってしまうので、満ち足りている状態と言いましょう。仏教徒の解釈から最も当てはまる定義は、満ち足りている状態とはただ楽しかったり嬉しい感覚のことではありません。

それは心の奥深くの平静と満足感です。人生における全ての心の働きや感情は、その根底に横たわっています。これは驚くべきことかもしれません。

我々は悲しみを感じていても、満ち足りていることができるということでしょうか。ある意味ではそれは可能です。なぜなら私たちは、別のレベルの話をしているからです。

岸に打ち寄せる波を見てみると、波の谷間にいれば、海底にぶつかります。硬い岩に当たります。波の上にのっていれば、意気揚々です。海面は上へ下へと揺れ動きます。

外洋を見てみてください。そこには穏やかで美しい鏡のような海があるかもしれないし、嵐の海かもしれません。しかし海の深さはそこにあり、変化しないのです。

それはどういうことでしょうか。それは一時の感情や感覚ではなく、そのものの状態なのです。喜びも幸福の源泉になりますが、誰かの苦しみを喜ぶというような喜びもあります。

ではどうやって幸福を探せばいいでしょうか。しばしば渡すたちは外側に幸福を求めます。幸せになるためにはすべての状況、条件を満たせば幸せになれると考えます。幸せになるにはすべてを得なければいけない。

こんな考え方の幸福には崩壊が待ち構えています。すべてを手に入れるということは、何かが欠ければ、崩れてしまいます。なにかうまくいかなくなると、外界を修復しようとします。しかし、私達が外界に及ぼす力は限られており、一時的で、錯覚であるとも言えるでしょう。

では、自分の内面の状況を見てみましょう。それはより強いものではありませんか。外の世界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないでしょうか。内面の影響の方が強くないですか。

小さな楽園のようなところに住んでいても、全く幸せを感じられないこともあることを、私達は経験から知っていますよね。

ダライ・ラマがポルトガルに行ったとき、至る所で建設工事が行われていました。ある晩彼は「たくさんの建物を建てているが、内面に何かを築き上げるのも良いと思いませんか。もし100階建ての、今風で居心地の良いハイテクマンションを手に入れたとしても、心の中ではとても不幸せであれば、飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」と言いました。

それぞれの感情には適した解毒剤が必要

では反対に、とても厳しい状況に置かれても、落ち着いていて自由で、強さと自信を失わない人々がいます。内面が強ければどうでしょう。

もちろん外側の状況は影響するでしょう、健康に長生きできたり、情報が手に入ったり、教育を受けられたり、旅行ができたり自由であることはとても望ましいことです。しかしこれらだけでは十分ではありません。

こういったものは補助的な条件でしかありません。すべてを解釈するのは心の内面にある体験です。ではどのようにして、内面の幸せの条件を育むかと自分自身に問いかけてみると、自分の心の中にそれを妨げる条件があることに気付くことがあります。

これには経験が必要になってきます。ある種の心の状態があることに気付かなければならないのです。そしてそれは幸福や満ち足りた状態へ我々を導いてくれるものです。ギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。

こういった満ち足りた状態と反対の働きをするものがあります。自身の経験から探しても、怒りや憎悪、嫉妬、傲慢、執拗な欲望、執着などの感情にとらわれた後はあまりよい状態とではありませんよね。

しかもそういった感情は他人の幸せにも有害です。それらが自分自身を侵食していくと、連鎖反応のようにますます惨めに感じるようになります。

反対に、誰もが知っていることですが、献身的で寛大な行為の奥底では、遠くからであっても他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い誰かを幸せにすることができます。

誰かに認められることも、感謝されることも必要ありません。ただそうすることが、心の奥底を十分満たしてくれるのです。それこそが我々がそうでありたいと願っている姿です。

では私たちの心の在り方を変えるために生き方を変えていくのは可能でしょうか。もともと心が持っていた否定的な感情や破壊的な感情を変えていくことが。心の性質とは何でしょう?

経験則から見れば、意識の主な性質というのは、単に事実を認識し、気付くことなのです。意識とはすべてのイメージを映し出す鏡のようなものです。醜い顔でも美しい顔でも、鏡はそれらのよって変容してしまうものではありません。

同じように、どんな思考でも背後には純粋な意識、認識があるのです。そういった性質なのです。憎悪や嫉妬によって損なわれるというようなことはありません。いつでもそこにあるのです。染料で染められても布は布であるように、常に意識はそこにあるのです。

我々は常に怒っていたり、嫉妬していたり、気前がよかったりするわけではありませんよね。なぜなら意識という生地は純粋に認識をするというその性質において、石とは違い変化の可能性があります。すべての感情は過ぎ去っていくのです。それが心の訓練の基盤です。

私が行っている心の訓練は2つの対立する精神要因は、同時には起こりえないという考えに基づいています。愛から憎しみに変わることはありますが、同じ瞬間に同じ人に対して良いことをしてあげることと傷つけることを同時にはできません。

握手をしながら殴ることはできません。我々の内面が満ち足りようとするのを妨げる感情に対して自然の特効薬があるということです。そこに選ぶべき道があります。

嫉妬に対して喜びを、執拗な欲望に対しては心の自由を、憎悪に対しては親切心を。もちろん、それぞれの感情には適した解毒剤が必要です。

瞑想家の中には感情をコントロールできる人がいる

もう1つの方法は全ての感情の性質を分析することによって、解決方法を見出そうとするものです。ふつう、我々が誰かに対して不快感や憎しみを感じたり、何かに執着すると、私達の心はその対象のことを繰り返し繰り返し考えます。

その対象のことを考えるたびに執着心や不快感が増します。その過程は終わることなく繰り返されていきます。我々が見るべきは、外側ではなく内面なのです。怒りそのものを見つめてみてください。

それは激しいモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、それはただの霧でしかないのです。

同様に、怒りを直視すると、それは朝日を浴びた霜のように消えてなくなります。それを何度も繰り返していくうちに、怒りはだんだん小さくなっていくのです。そしてしまいには、怒りを感じても、空を渡る鳥のように心をかすめるだけで痕跡も残さなくなります。

これが心の訓練の基本です。時間はかかります。なぜなら心の癖や欠点を積み重ねるのに時間を要したように、それを解きほぐすのにも時間がかかるのです。しかし他に方法はありません。

心の変容こそ、瞑想の意味するところです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟するところです。その方がより現実であり相互に支え合い、流れのように連続的な変化なのです。それが我々の存在であり意識です。

では、認知科学との接点についてこの話をしなければいけません。残された時間はわずかですね。脳の可能性についてです。脳の機能は不変のもので、20年ほど前まではすべての神経の接続の総数は成人した後にはほとんど変化しなくなるものと考えられていました。

しかし最近では、それは大きく変化するということが解ってきました。バイオリンの特訓を10,000時間したバイオリニストの話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大きく変化し、シナプス接続が強化されます。

人間の品位において、優しさや忍耐強さ、オープンマインドであることによっても同じことができるでしょうか。

これはそれらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシン州にあるマディソンやバークレーの研究室に来た達人の中には2万から4万時間も瞑想した人もいます。

彼らは約3年の隠遁生活を送り、その間毎日12時間、その後も3~4時間瞑想を行います。彼らは心の鍛錬のオリンピックの優勝者たちですね。

(会場笑)

ここで達人が瞑想しています。なにか神秘的なものを感じますね。

こちらは256本の電極をつけている様子です。

(会場笑)

ここから何が明らかになったのでしょうか。先程と同様です。研究の詳細はお話できないのですが、いずれネイチャーに掲載されることを期待します。

この研究は無条件の慈悲心について調べました。何年もかけて、心の中を慈しみに満ちた状態にすることができるようになった瞑想家に研究を手伝ってもらいました。

もちろん訓練の途中では対象として苦しんでいる人や愛する人のことを考えますが、やがて慈しみに溢れ、すべての覆い尽くすことができるのです。

こちらは初期の結果です。これは既に公開されているものですのでお見せします。釣鐘曲線は比較対象の150人を示します。今見ているのは左右の前頭葉の違いになります。

手短に言うと、前頭葉前部皮質の右側がより活動的な人は、落ち込みやすく、引っ込み思案であまり良い効果が見られません。それとは反対に左側は、利他的、幸福感、表現力、好奇心が強いなどの傾向にあります。

これは基本的な傾向です。変わりうるもので、コメディ映画を観れば左側に寄ります。幸せを感じても左側に寄ります。鬱病の発作が起きれば右側に寄ります。

この-0.45という数字は慈悲について瞑想した瞑想家のもので、この値は標準偏差の4倍です。これは正規分布から大きく外れています。科学的な結果を全てご紹介する時間はありません。またの機会に期待しましょう。

MRIの中から3時間半ぶりに出てきたところです。まるで宇宙船から出てきたようですね。バークレーのポールエクマンの研究室などでも同様なことが確認されています。瞑想家の中には感情の反応をコントロールできる人々がいます。

ある実験をしました。椅子に座らせた人に生理機能を測定するあらゆる機器を取り付けます。

それから爆弾のようなものを炸裂させます。これに対する反応は本能的なものなので、この20年間驚かない人はいませんでした。しかし瞑想家の中には、驚かないように努力せずとも完全に心を開いた状態になることで、爆発音を流れ星のような小さな出来事と捉えて全く動じない人がいます。

慈悲の気持ちは行動に移すべき

重要なのは、この実験ではサーカスのような特殊なことができる人々を見せようとするのではなく精神鍛錬の重要性を物語っていることです。それは贅沢や心のビタミン剤でもありません。我々の人生のすべての瞬間の質を決めるものなのです。

私たちは教育には約15年を費やし、ジョギングやフィットネスに通い、美を維持するためにあらゆることを行います。しかし驚くことに、心の在り方という重要なことには無関心でほとんど時間をかけません。

それは私たちの経験の質を決定する基盤になるものです。我々の慈悲を行動に移すべきです。そういうわけで、我々はそれを色々な場所でやろうとしています。

この骨結核の女性はテントの中に1人娘と取り残されて瀕死の状態でした。

1年後の彼女です。

我々がチベットで開いている学校や病院です。最後に、私の言葉よりもこれらの美しい表情を残していきたいと思います。

そして跳ぶチベット僧侶です。

(会場笑)

ありがとうございました。

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