公開ブレスト「攻殻機動隊の世界はどこまで実現できるのか」

モデレーター:今回の公開ブレストでは、ドクター VS ミスター。ストーリーが先か、技術が先か、というところを注目のポイントとして見ていただきたいと思います。

1つ目のテーマは、こちらです!

「義体・ロボット」でございます。

最初に「S.A.C.」からVTRがございますので、そちらを見ていただきたいと思います。よろしくお願いします。

(VTRが流れる)

「攻殻S.A.C.シリーズ」が描いた義体とロボット

モデレーター:では、まず神山監督からこちらの義体・ロボットについてご説明いただけますでしょうか。

神山健治氏(以下、神山):「攻殻S.A.C.」は、もう10年以上前に作られましたが、2030年の来たるべき未来という、まだネットワークというものがどういうものなのか一般の方々が詳しく知り得る前に想定されていた世界観を、いかにわかりやすく説明するかということで作っていました。

当時の2000年初頭と30年後の未来でどういう差異が生まれるのか。現実と未来のテクノロジーをなるべく接近させて描いたというか、当時は地続き感のあるように描いたと言っていたんですけれども。

今あるテクノロジーと無いテクノロジーとはどういう差異があるかということを表現するために、舞台は現実に近くて、でも出てくるテクノロジーに関してはすごく進んでいるというふうに描くことを意識していました。

攻殻機動隊の根幹にある「義体とロボット」ですよね、それをどういうふうに描いたかというと、義体というのは自分の身体に直接、物理的につながった状態で自分の身体拡張を機械によって起こすものというような考え方をしていました。   対してロボットは、自分の身体から離れた遠隔操作をする義体というか、自分の分身みたいな。自分そっくりのロボットを作ってそれを遠隔操作するのもロボットですし、もしくはAIが搭載されていることによって自律的に動くものをロボットという、そういう定義付けで表現していたと思います。

モデレーター:ありがとうございます。研究する立場からすると「義体とロボット」どちらのほうが研究が難しいか、などご意見いただけますでしょうか。もしくは、稲見教授が「ここに惚れた!」みたいなところがありましたら教えていただきたいんですけれども。

身体拡張と身体代理、それぞれの難しさ

稲見雅彦氏(以下、稲見):まさに今の分類の仕方が非常に明確で、設計するときにも普段考えているとおりの分け方で、わかりやすかったです。

身体拡張という方法と、自分の身体の代理を作っていく方法というところで、我々研究者も開発しておりまして、どちらが難しいかというと、難しさがそれぞれ違うという感じです。

身体拡張は、いかに自分の身体に合わせていくかという直感的に操作していくかが難しさとしてあります。身体の代理になりますと、たとえばダーパチャレンジとかありましたけれど、人と同じような形で同じ機能でというと、まだまだ人と同じように動くものというのは難しいかと思います。研究は進みつつありますけれども。また違った難しさがあるという感じです。

モデレーター:なるほど。南澤教授はTELESAR V(アバターロボット)とかやってらっしゃいますけど。

身体と精神を分離させる「テレイグジスタンス体験」

南澤考太氏(以下、南澤):はい。ここでいうとロボットのほうに入ると思うんですけど、遠隔地に身体を置いて、そこにネットワーク経由で自分の意識をログインさせて、実際にロボットを動かすということを「テレイグジスタンス」という名前でやったりしています。この前、西村さんにも体験していただいたんですけど。

モデレーター:そうですね。私も体験させていただきました。後ほど「REALIZEプロジェクト」のWebでも出させていただきます。

南澤:どうでした?

モデレーター:稲見教授と南澤教授の実験のもと、テレイグジスタンスを体験しまして、自分はここにいるんですけど、あたかも幽体離脱したかのような感じで、私がそこにいて、すごくびっくりしたのが、幽体離脱した私が触っているコップの感触がわかるんですよ!

そうすると、今まで精神と身体が一緒だと思っていたのが「分裂できるのかな」っていう体験をさせてもらって、ちょっと攻殻機動隊の世界っていうのが嘘じゃないというか、リアルに感じました。

神山:草薙素子の感覚をちょっと味わったわけですね。

モデレーター:ちょっとだけ!

南澤:まさにそのゴーストと身体って分離できるのかというのは、もうエンジニアリングとしても考えられるような時代に来ていて、そのときに、じゃあどこまでが自分の身体なのか、どこまで自分の身体として認識できるのだろうというのは、けっこうおもしろい研究課題というか取り組むべき課題で、本当に時代が追いついてきたのかなという印象があります。

フィクションと現実の境目がなくなる恐ろしさ

モデレーター:神山さんと冲方さんにお聞きしたいんですけど、もちろん小説家と脚本家ということで、フィクションを書いているつもりなのに、実はその現実が近くなっていることに対して、期待値なのかそれとも恐ろしさなのか、どういう感覚があるのかを教えていただけますか。

冲方丁氏(以下、冲方):期待値と恐ろしさ……。もちろん攻殻機動隊に登場するようなロボットないし義体が次から次に現れたら、まあそれは恐ろしいですよね(笑)。人を殺傷するためのものがズラッと出てくるわけですから。ただ、そうではない可能性もあるとは信じていますし。

神山:そうですね。たとえば、先ほどの映像にもあったんですが、第1話で芸者の格好をしたロボットが出てくるんですけど。

モデレーター:あれですね。びっくりしましたね、本当に。

神山:昔のSFだとアンドロイド、ロボットというのは、人間がやりたくない肉体労働や、人間に代わって物理的な労働をするために作られるというイメージが強かったと思うんですけれども。攻殻を書いているときに、恐らくそんな高価なものをブルドーザーの代わりに使うことはないなと思えてきたんですよね。

そうすると、労働のためにロボットが作られていくというよりは、エンターテインメントであるとか、もっと第三次産業より先になっていくと思うんですけど、コストがかかる分、人間ができないことをロボットたちにやらせていくようになっちゃうんじゃないかなと。

芸者さんというのは本来、修行もあって高いスキルが必要な職業なんですが、そういうものがプログラム化されて伝統的な仕事じゃなくなっていってしまうとか、もしロボットがサービス業などを独占していくようになると、昔のSFが想像していたのとは違うかたちで、人間は職業を奪われていく可能性があるなと。もしかしたら冲方さんも小説を書くテクニックとかをコピーしたロボが現れたら……。

冲方:あぁ。AIが現れたら!

神山:だから軍事兵器としての恐ろしさ以外にも、そういう恐ろしさもありますよね。

ロボットの恐ろしさは歳を取らないこと

冲方:ロボットのある種の恐ろしさって、姿かたちではなくて、歳を取らないことだと思うんですよ。本物の永遠のアイドルとかね、作られちゃうと、特定の職業の人はそれに圧迫されたり。工場で、労働用のロボットがズラッと並んだときに、疲れないっていう。

人間のように衰えたりしないというのが、ロボットの有用性であり、一部の人間が嫌悪や恐怖を抱くところだと思います。

神山:昔、ある大学で講演をしていたときに、学生から質問されたんですが、もし日本舞踊のお師匠さんが弟子を取るとしたら、ロボットがいいのか、人間がいいのかっていう。

冲方:(笑)。

神山:おそらく質問した彼もそんなに深い意味はなく質問したと思うんですが、実はその質問にすごく真理があるなと思ってですね。

冲方:いやー。真理を突いてますね。それは。

神山:はい。おそらく最初は、当然人間のお弟子さんを取りたいと思うんですけれども、人間のお弟子さんというのはオリジナリティを獲得していくので、師匠を超える可能性があるんですね。

モデレーター:たしかに!

神山:自分の技を完全にコピーしてもらいたいということでいけば、ロボットのお弟子さんのほうがもしかしたら都合がいいわけですよね。

冲方:(笑)。

神山:完全に自分の技のみを伝承してもらいたい。そうなったとき、我々が物語の中で考えたようなロボットができてきたときに、以前SFで想像していたこととは違う、人間対ロボットという現象が新たに起きてくるのではないかなと思います。

「ロボットと義体」ということを現代のテクノロジーでリアルに想像したときに、全く別のものが生まれてくるかもしれないなというのが、攻殻を書いたとき、すでにもう10年以上前に、そんな恐ろしさを感じたことがありますね。

モデレーター:すごいですねぇ。恐ろしさとワクワク感というところで、続きまして、同じテーマで『ARISE』のVTRを見てみたいと思います。

(VTRが流れる)

人間が義体化したときに失われるもの

モデレーター:先ほどの芸能の話ではないんですけれども、人間ならではの恋愛や妊娠などもこの「ARISE」では義体を行ってるというところで、冲方さん、どのような気持ちでこのような作品を作られたのが教えていただけますでしょうか。

冲方:やらなきゃいけないことが3つあって、戦争以外の動機でサイボーグが普及する理由を作らなきゃいけなかったんですよ。それで、老人たちが衰えた肉体を交換するということ。

もうひとつは、「不気味な谷」という言葉が一般化される前と後で、実はもう「不気味な谷」自体がなくなっていっている傾向にあるんですが、CGが発達したり、初音ミクがアイドルになったり、人間とロボットと全身義体の間における違和感の描き方が、すごく難しくて、いっその事違和感がない、違和感を持っている人間のほうが差別的みたいな雰囲気にしていきました。

もうひとつが、身体の拡張を体の外見だけではなくて、内側、臓器に目を向ける、永遠の若さを保ちつづけるための全身義体。

モデレーター:すごいですね。「不気味な谷」というのがキーワードとして、「おっ!」と思ったんですけど、稲見教授がかなりうなずかれてました。もともと生物学なども学ばれていたんですよね。

稲見:そうですね、生物学とかも専門にしていました。なかなか人工物で「不気味な谷」を越えるというのは、止まっているときはいいんですけど、動いた瞬間に不気味になってしまうというのはまだ、現時点では越えられないところではありますが。

一方で、内臓というのがすごくおもしろいなと思いました。今はまだ研究者としてはほとんどやっていなくて、メディア・アーティストで人間の消化の仕組みを真似したロボットという、食べて排泄するという作品を作っている方がいて、意外とそういうところがここにつながってくるのかもしれません。

冲方:ほぉ。

モデレーター:内臓を3Dプリンターで作るという方々や発表などもありますよね。そういうのもつながっていくのかなと思うと、まだまだ私は不気味の谷から抜けられないんですけど。南澤教授どうでしょうか。

義体化した人間にとって食事・恋愛・結婚とは

南澤:実際、物を食べたり飲んだりというのは、役に立つか立たないかというと、別になんの役にも立たないと思うんですよね。

だからなんで食べるかというと、それが社会や他の人間と溶け込むために必要だったり、あるいは自分自身が人間である、もしくは義体になっているんだけれども、生きがいを持って生きているという確証を得るために、食べたり結婚をしたり、恋愛をしたり。

義体化したときに人間はなんのために生きているのか。たぶん寿命も今の人間よりは長くなっていると思うのですが、たとえば際限がなかったとして、それだけ長く生きている意義をどうやって見出すのかと考えると、食べるとか恋愛するとか触れ合うとか、そういった要素というのがきっと必要になってくるんだろうなぁと強く感じました。

稲見:つながるための行為ですよね。人間だって食事行ったりするもんね。

南澤:そうそう。結局ある意味、脳というかゴーストだけ存在すれば、人としての存在はたぶん可能になっているんですが。

なぜ人が身体を持たなければいけないのかというと、身体が世界あるいは他の人とのインターフェースになっていて、そのインターフェースがいかに美しいか、そこにどういう情報をやり取りできるか、触れ合いだったり、あるいは食事だったりとか。インターフェースを通じて、楽しさとかを得ていくんでしょうね、たぶん。

モデレーター:でもそのコミュニケーションの必要性っていうのは、義体自体が発展していくためなんですか? なぜコミュニケーションをとる必要があるのかとか、私まだ人間で義体化してないんで(笑)。

そこがまだ理解できないので、どうしてコミュニケーションをとらなければいけないのかというのを、ドクター&ミスターからもうちょっと聞きたいなと思います。

神山:そうですね。僕がやっぱり作品の中で書いたときに、義体だから本来食べる必要はなくなってきちゃうわけですよね。義体用の食べ物というのを出して。

モデレーター:ありますよね。サイボーグ用みたいな。

神山:はい、サイボーク用。しかも受容体のある義体が、受容体の数が多ければ多いほど高価な義体になっていくんだと思うんですけど、それってさっきも言ったけれども、必要不可欠だから食べるというよりも、楽しみ、あえてエンターテイニングするためのものになっていくんだと思うんですよね。

攻殻機動隊の世界を突き詰めていったときに、おそらく最初は肉体を捨てていくというか、最小単位でどこまで生きられるかという、脳だけに特化していく時代があって、さらにそこからもう一歩踏み込んだときに「あ、やっぱり欲しいな」っていうかね。

もう一回肉体を手に入れ直して、先ほど冲方さんが言っていた、歳を取ったから若い体をもう一度手に入れたいっていうのとおそらく同じような意味として出てくる部分なんじゃないかなと思うんですよね。

たとえば車も最初は走ればいい、デザインとかっていうのはなかったですけど、自動車にデザインが生まれてきたように、おそらく義体やロボットが、当たり前のインフラの中に組み込まれたもう一歩先に、ロボット工学のその先に一歩進んだところに、そういったものがもう一個出てくるような気がするんですけどね。

稲見:工業製品というよりも工芸品に近くなるかもしれませんね。

モデレーター:なるほど。工芸品。

冲方:一般的な日常の風景の中にも、突き詰めて考えると実はいらないものだらけなんですよね。椅子だって、こんな回転する必要あるのかなんて。

モデレーター:(笑)。

神山:肉体を失った場合にはいらないものですよね。

冲方:いらないものです。でも、精神的にやっぱり必要なんですよね。

モデレーター:動きを補助してくれるとか、そういう?

冲方:まぁ気分の問題とか、人からどう見えるかとか。コミュニケーションの根本は、自分が相手にどう受け取られるか、自分が相手をどう受け取るかですから。

たぶん脳みそだけがズラッと並んでると、コミュニケーションじゃなくてただの並列だと思うんですよね。人間は実は並列を嫌うので、好む部分と嫌う部分があって、並列だけになると人間、生きがいがなくなるんじゃないかと。

南澤:「ARISE」で、素子が幼少期に義体化してから、義体を替えながら成長していっているというふうに描かれてましたけれども。それも必要か必要じゃないかというと、おそらく必要じゃなくて。

子供の脳のまま大人の身体を持つことだってもちろん可能なんですけど、子どもの身体で子どもの身体ならではの経験をして、それを積み上げていって成長して、またその成長した身体でティーンエイジャーならではの経験をしている。そこらへんがすごく身体と心っていうのは切り離せないものなのかなということですよね。