「目が見えない」と28歳で初めて打ち明けた--視覚障害をもつ女性が、弱さを認めたときから始まった成功物語

Caroline Casey:Looking past limits #1/2

盲目の活動家Caroline Casey(キャロライン・ケイシー)氏によるスピーチです。視覚障害があることを周囲に隠して生活してきた彼女ですが、28歳のある日、目が見えないことを周囲に打ち明けます。努力と挫折を繰り返しつつも自由を追い求めた彼女が見つけたのは「自分に正直でいること」。ありのままの自分を受け入れることの大切さを説く。(TEDWomen2010より)

17歳の誕生日に医師から打ち明けられたこと

キャロライン・ケイシー氏:17歳のとき、何になりたかったか覚えている方はいますか? 私はバイクに乗る女の人になりたかったんです。

(会場笑)

カーレーサーや女カウボーイ、ジャングルブックに登場する少年モーグリにもなりたかった。なぜなら彼らはみんな、自由だからです。風に髪をなびかせながら、彼らは自由です。17歳の誕生日、スピードが大好きな私に、両親が初めて車の運転のレッスンを受けさせてくれました。

金銭的に余裕があったわけではないけれど、両親は私の夢を叶えてくれたのです。その17歳の誕生日に、私は目に障害を持つ妹に付き添って、眼科医のもとへ行きました。姉が妹を助けるのは助けるのが当たり前ですから。妹はパイロットになりたかったんです。

なんてことでしょう。私はただの興味本位で目の検査を受けたものです。17歳の誕生日、偽の目の検査の後、眼科医はその日が誕生日だということを知って、何をしてお祝いするのかと訊ねてきました。

「車のレッスンを受けるの。運転の仕方を習うんだ」

そうして沈黙が流れました。何かかがおかしい、嫌な沈黙でした。そして眼科医は母のほうを向いて、「まだ伝えていないんですね」と言いました。17歳の誕生日、ジャニス・イアンの曲のように、私は真実を知ったのです。私は生まれながらにして、法律上失明に近い状態であったということを。

両親の勇気ある決断によって、自分を信じることができた

どうして17年間も、私は目が見えないことに気付かなかったのでしょう? カントリーミュージックにはすごい力があると言いますよね。私がお教えしましょう。なぜなら私の父はジョニー・キャッシュの大ファンで『スーという名の少年』という曲が大好きだったからです。

私は3人姉妹の長女として1971年に生まれ、生まれてすぐに両親は、私が眼球白子症ということを知りました。少し説明しますね。これの良いところは、私は時計が見えません。時間を測るこの機械も見えない。時間がわからないから、より時間を使えます(笑)。

もっと重要なことを言いましょう。この手が見えるでしょう? この手の向こう側にいる皆さんは、スティーブ、あなたでもジョージ・クルーニーに見えます。そしてこの会場にいる女性の皆さんは美女ばかりで、私だって鏡から90センチ離れれば美女です。

視界が暗いので、ずっと目を細めて物を見てきたことによってできた顔のしわも気にならなくなります。

一風変わっていたのは、私が3歳半になって学校に通う年齢になったときに両親は、とても稀で同時にとても勇気のある決断をしたことです。特別な学校には入学させないし、レッテルは貼らない。そして限界を決めない。自分の力と可能性を信じること。

そして、私には目が見えているということにしたのです。そう、ジョニー・キャッシュのスーのように。女の子の名前を付けられた男の子のように、私は守ってくれる人がいなくても、経験から学びタフに生き延びなければなりません。

もっと重要なことは、信じる力をくれたことです。私は普通と違っていると聞いたとき、私が打ちのめされただろうとみんな思うようです。初めてそれを聞いたとき、おかしいのは眼科医だと思ったけれど、心を激しく打つようなショックを受けました。

だけどすぐに自分を取り戻しました。そのとき最初に浮かんだのが泣いている母のことでした。そして私は神に誓いました。車を運転できるようになる。絶対に運転するんだと。

視覚障害を隠し続けた11年間

私は小さな子どもの頃から父に教え込まれた決意がありました。父はヨットの操縦を教えてくれました。進行方向も見えない、岸も帆も、目的地さえも見えない。しかし父は「自分を信じて、顔に当たる風を感じるんだ!」と言いました。そんな経験をしてきたから、運転ができたんです。

それから11年間、周りの人々は私の視覚障害に気付かなかったと断言できます。なぜなら落伍者になりたくなかったし、弱虫にもなりたくなかった。だから私はできると信じたのです。ケイシー家にしかできないような突き進み方をしました。

考古学者になったときは物を壊し、レストランで働いていたときは滑って転び、マッサージ師も庭師もしてビジネススクールにも入学しました。障害者はたくさん教育を受けています。そしてグローバル起業でコンサルタントになりました。彼らは障害に気付きませんでした。信じることによってこんなところまで来れたのです。

1999年、グローバル起業に勤めて2年半ほど経ったとき、問題は起こりました。予想外に、私の目は一時的でしたが見えなくなりました。職場では、負けず嫌いの人ばかりで、仕事も遊びも真剣にこなし、トップを目指していました。そうして2年経ったときに、私の目はほぼ見えなくなったのです。

そして自分自身を見つめ直し、ヘッジファンドのマネージャーの前に経ち、それまで想像もしなかったことを口にしていました。28歳のときのことです。それまで私は自らの能力をもとに人格を作り上げていました。だけど私は簡潔にこう言ったのです。

「すみません。私は目が見えないのです。私には助けが必要です」

助けを求めることはとても大変でした。障害がなくても自分の弱さや失敗を認めるのは大変なことですよね。健常者向けに作られたこの世界で視覚障害者が生活するのはとても大変です。空港なんて最悪です。

この中にデザイナーの方がいたら手を挙げてください。私は見えないけれど。私はいつも男性用トイレに入ってしまいます。嗅覚に問題がある訳ではありません。男性用と女性用を見分ける小さな表示は三角の向きが違うだけなんですから。

あの違いをぼんやりした視界で見ようとしたことがありますか? 本当に小さいですよね。完璧であることや、別人のように振る舞うことが、どれだけ疲弊することかわかりますか?

自らの信念を失い、進むべき道がわからなくなった

視覚障害を打ち明けた後、私は眼科へ送られました。この眼科医が私の人生を変えるだなんてまったく思いもしませんでした。彼に会う前まで私は途方に暮れていました。自分が誰なのかさえわからないような状態でした。先生は煩わしい検査などせず、それはセラピーのようでした。「なぜ?」とたくさんの質問をされました。

「なぜ君はそんなに必死になって戦っているの? 自分らしくあろうとせずに。自分が何をやっているかわかっているかい?」

グローバル起業の中でコンサルタントとして働くと、頭の中にこの会社、仕事が大好きという思考を埋め込まれるので、離職は負けを意味します。仕事は好きか尋ねられ、言葉につまってしまいました。どう答えたらいいかわからなかったのです。

先生は子どものときに憧れていた仕事を聞いてきました。レーシングカーやバイクの話はできませんでした。それはそのとき適切な答えだとは思えなかったから。部屋を出ようとしたとき、彼は私の名を呼んで言いました。

「これは時が来たんだと思うんだ。何か違う者になろうとして戦うのをやめる時が」

ドアが閉まって先生の部屋の外には沈黙が流れました。胸が痛みました。自分の進むべき方向がわからず、これで終わりだと思いました。

家に帰った私は、胸が痛かったのですがランニングをすることにしました。良い判断とは言えませんが、走ることにしたのです。十分知っているコースです。いつもは問題なく走ります。

視覚障碍者が遭遇する階段や街灯のような障害物を数えるようにしていていつも避けていた石がありました。一度もつまずいたことなんてなかったのに、石に強打した私は泣いていました。心が打ちのめされ、石に覆いかぶさるようにして転んでいました。

2010年の3月半ばの水曜日、典型的なアイルランドのどんよりとした天気で鼻水と涙だらけになった私は自分を哀れに感じました。私は倒れて、心も折れて、怒っていました。そしてどうしたら良いかわからなかった。しばらく座り込んで、そこから立ち上がる気力もなく、将来を悲観した思いが心の中を巡っていました。

私は父のことを思い出し、自分はスーではないとわかったのです。どうして自分は間違って、なぜ気付かなかったのかと自分に問い続けました。私は答えを見つけることができず、自分の信念も失っていました。ずっと拠り所だった信念はなくなり、目は見えなくなって私はくじけてしまったのです。

「決断の時と状況が適切なら、宇宙は味方してくれる」

そうして頭に浮かんできたのは眼科医の質問です。

「何がしたいのか? 小さい時は何になりたかったんだい? 何か違うことをしてみるときだ」

とてもゆっくりでしたが、変化が起こり始めました。痛みが消えていき、アイデアが頭の中で爆発して私の心を強く打ちました。ジャングルブックの少年モーグリはどうでしょう。その瞬間、私は叫びだしたい気分でした。

自分が信じるものが見つかった。それは誰にもできないとは言わせない。考古学者はむりだったけど、少年モーグリになれないなんて言わせない。男だとか女だとか関係ない。誰も挑戦したことがないことをやってみようと思いました。

私は石から立ち上がり、全速力で家へと帰りました。転ばなかったし、石にもぶつかりませんでした。家の階段を駆け上り、大好きなマーク・シャンドの『象と歩いたインド』という本をつかんでソファに座りました。

「やりたいことがわかったわ! どうすれば少年モーグリになれるのかがわかったわ! インドに行って象の背中に乗るの! 象使いになるのよ」

どうやって象使いになるかなんて見当もつきませんでした。グローバル企業のコンサルタントから象使いになるなんて。象を手に入れる方法もわからないし、ヒンディー語も話せません。インドに行ったこともなかった。

だけど私の決意は固まっていました。なぜならその決断の時と状況が適切ならば、宇宙は味方してくれるからです。だけど私はその方法は全くわかりません。しかしそれは単なる象に会いに行く旅ではなく、自分の自信を取り戻すために必要なことだったのです。

誰かになろうとせず自分を信じる

だけどもっと重要で、ずっと考えていたことがあります。自分や私の視力よりも重要なことってなんだと思いますか? 世界中の10億人の障害を持った人々のことです。でも、それは障害ではありません。なぜなら、みんな人間として生きていて、他の部分は正常に働きます。みんな同じ人間です。

ボノやネルソン・マンデラのような人は近くにはいません。皆さんのような素晴らしい女性も。私たちにはお手本がありません。だけどそれが必要なのです。皆さんが必要なのです。

こういった話は語られるべきなのです。障害についてみんなめったに語ろうとしないけれど、理解されるべきです。危険がたくさんあります。時にパソコンさえも私たちを心地悪くさせるのですから。ジェームズ・ボンドのような映画でさえも障害者は出てきます。ジョーズを考えてみてください。ダン・ブラウンの本の中にもアルビノの男性が出てきます。

ところで、私が決断したときにとても素晴らしい出来事が起きました。戦うのをやめて降参したときです。転んだ日から9カ月後に、私はブラインドデートをしました。

その相手は2.3メートルもあるカンチという象です。私たちは一緒に1000キロに及ぶインドの旅をしました。私たちだけで。いえ、6人のインド人もいましたが。私は自分の力でやり遂げたのです。

重要なことは、それまでやり遂げたものがなかったのではなく、信じるものが間違っていたということです。なぜなら自分を信じていなかったのですから。自分も他人も信じていなかったのでしょう。

他の誰かになろうとしている人がたくさんいますよね。だけど自分を信じてみると、驚くべきことが起こるのです。私はカンチと1000キロの旅をして6000人の白内障患者が手術できるだけの寄付金を集めることができました。

私が家に帰ってきて1番驚いたのは、自分が社会起業家になったことです。マーク・シャンドと一緒に、アジア象の保護活動をする団体「エレファント・ファミリー」を設立して、「カンチ」という団体も作りました。問題提起をするために団体名は自分の象の名前にしようと決めていました。

寄付や同情はいらないから、皆さんに肯定的に見て欲しい。私はビジネスやメディアがもつリーダーシップを活かし、障害の枠組みを作り直すための仕事を楽しみながらやりたかったのです。これは本当に素晴らしいことでした。これこそ私がやりたいことだったのです。

自分自身に正直でいることこそが自由

正直に言うと、この会場に来る道中、おじけづいていました。私は素晴らしい観衆の皆さんの前で話をしているけれど。ここに来るとき、視覚障害者用の白杖を使いましたので、空港の長い列に並ばずに済みました。ここに来る途中に親友が、私が怖がっているのを察してメールをくれました。彼は「自分らしくね」と言ってくれました。今ここにいるのはありのままの私です。私自身です。

私だけが特別だと言っているのではありません。皆さんお一人おひとりがわかっていると思います。障害のことを言っているのではないのです。何度も失敗したけれど、私は自分にとって正しいものを信じる力を学んだのです。それは驚くほどの潜在能力を秘めています。わかってます。あと少しだけ待って。

(会場笑)

赤いスカーフをしてるわね。見えますよ? すごいでしょう。だから皆さんに伝えたいのは、自分自身の力を受け入れるということです。皆さんはできるということを学ぶのです。絶対にできるんです。信じることを諦めなければそれはできるんです。こうやって皆さんの希望が集まって、それは起こるのです。

10年前、ビジネスを始めたとき、誰も相手にはしてくれませんでした。だけど昨日、世界で2番目に大きな通信会社が提案を受け入れてくれました。信じることとは、自分自身を信じることです。コメディアンのエディー・イザードも、「コメディアンになりたいのなら、信念をまず持つことだ」と言っています。

あなたが信じてくれたから、私はここにいるんです。たくさんの人たちが信じてくれたから私はここに立つことができているんです。モーターバイクや車や象が自由ということではないのです。自分自身でいること、自分に正直でいることこそ自由なのです。

心の底から信じています。そうすれば変化が訪れるのです。女性、男性、同性愛者、そうでない人、障害者、完璧な人、普通の人、全ての人が自分自身でいるべきです。誰にも透明人間になってほしくないのです。

だからレッテルを貼ったり、限界を定めるのはやめましょう。私たちはシールを貼られるジャムの瓶ではないからです。みんな素晴らしく、違っていて、最高の個々の人間なのです。ありがとうございました。

<続きは近日公開>

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TED(テッド)

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