「日本の四季」はいつできた?
山伏の青年による季節の移り変わりを知る物語

Fleeting faces of nature and story-telling|Daizaburo Sakamoto|

日常生活で季節の移り変わりを感じる時はいつでしょうか? 春夏秋冬のように、日本には古くから「四季」という考え方が暮らしの中に定着しています。生まれ育った関東から東北に移り住み、山伏として生活している坂本さんは、これまで持っていた「四季」という概念が、日本全国全ての地域に当てはまるものではないということに気づきます。古くは『源氏物語』の作品から登場する「四季」の成り立ちと、自分自身で季節や時間の移ろいを感じることの大切さを語ります。

東北で感じる「日本の四季」

(ほら貝を吹きながら登場)

坂本大三郎氏:いきなり、ほら貝で始まりましたけれど、坂本大三郎と申します。イラストレーターと山伏をやっています。今日は東北の自然について、お話をさせていただきたいと思っています。

「東北には四季がある」そんなふうに言われます。

僕は生まれは千葉県なんですけど、僕自身も東北に来るまでは「日本には四季がある」という言葉を「そうだな」と受け止めていました。僕は7年前から東北の山形に足を運ぶようになりまして。それは、山伏の文化に関心を持ったからなんですが。昨年の秋からは山形県の肘折(ひじおり)という場所で生活をするようになりました。

この肘折という場所はとても雪深いところです。初めてそこで冬を越したとき、雪がとても印象に残りました。それまで、雪というのは僕にとっては綺麗なものでしかなかったんですけれど。そこは、ものすごい雪の量で「雪っていうのは恐ろしいものでもあるんだな」と感じました。

目の当たりにした不条理な雪の量に「ここは、あの世なんじゃないか」とも感じたんですが、それだけ雪景色というのは美しく幻想的なものでもありました。そういった雪を前にしたときに肘折の人とお話をしていたら、こんなことを言われたんですね。

「東北の季節ってのは、春夏秋冬冬冬冬だ」

まず冬の始まりがあって、その後に本格的な冬が訪れる。さらに大雪を降らせる冬。これは2月くらいだと思うんですけども。その後、3月4月には冬の終わりがある。それだけ東北の冬にはいろんな表情があります。

歴史は権力者によってつくられる

この話を聞いたときに、僕は思想家であり詩人でもある吉本隆明さんの言葉を思い出したんです。「日本には四季がある」というけれど、四季というのは中央を中心にした考え方なんだと。そういうことを、おっしゃっていました。

中央というのは、そこでは京都を意味するんですが、中央的な考え方が各地に広がったことで、もともと日本列島にあった季節感だとか古いものがなくなってしまった。「中央的なもの」というのは、ものすごく力があるんですけども。そのために失われたものもすごく多いんです。

中央というものは、いろんな方法を使って日本列島に暮らしている僕たちを把握しようとする傾向があります。「四季」という言葉も一見とても美しい言葉ですが、その背後には、そういった意図もあるんじゃないかと感じています。

吉本さんは「四季」という言葉が一番初めに文学作品に表現されたのは『源氏物語』だと言っています。「中央的なもの」そういった観点に立ったときに『源氏物語』の主人公である光源氏がこんなことを言っていました。

「日本書紀というものは信用できない」

歴史というものは信用できない。むしろ物語の中に本当のことは隠されていると言っているんですね。よく「歴史は権力者によってつくられる」と言いますけども、光源氏もそのことを言っているんです。

では、本当のことを宿した物語というのは何かと考えたとき、まず「物語」の一番古い形をたどってみようと考えました。物語には「物」という言葉があります。「物」という言葉は日本のとても古い時代、言葉の始まりにおいて「自然に宿っている霊的なもの」を表しました。自然に宿る恐ろしい側面を「物の怪」というふうに日本人は表現してきたんです。つまり、自然と向かい合って何かのインスピレーションを受けて語り出す。それが「物語」の純粋な姿。そういうふうに言うことができると思います。

山伏は時間と季節の移り変わりを知る存在

ここで物語から季節の話になるんですけども。時間の移ろい、季節の移ろい。それに深く関わっていたのが山伏という存在でした。山伏というのは、かつて聖(ひじり)とも呼ばれていました。ひじりと聞いて「聖」という言葉を思い浮かべると思うんですけども。実は「聖」というのは、そんなに古い言い方ではなくて。もっと古い時代は「日知り」といいました。

「日」というのは、太陽だけではなく、月のことであったり、星々のことであったり、そういった天体の運行を知っている人。そういう意味で「日知り」といいました。「日知り」がどんな人たちだったかというと、古代の共同体の中において農耕を行うときに「いつ種をまけばいいのか」ということや「いつ作物を収穫すればいいのか」そういう自然との交渉の中で計画を立てる人だったんですね。

古代の人たちにとっての自然というのは、神や精霊を表すものです。なので、計画を立てるときには、お祭りが行われていたんです。古代の日本列島は、農耕が発生して作物を備蓄することが可能になりました。その備蓄された富や豊かさというのは、集落の中で中心的な役割を担っていた人たち「日知り」であったり「王」といわれる人たちに集中するようになります。

そのことによって「権力」というものが生まれました。そして、日本列島には「国」というものが発生し、国々が富を奪い合うために戦争をするようになります。その結果、戦争を勝ち抜いた国というのが西日本を拠点にした「大和朝廷」だったわけですね。つまり、権力というのは「時間の管理」というものを背景にしている。そういった見方もできると思います。

自然と向き合い、自分自身の物語・時間を見つける

今日、僕が皆さんに伝えたいと思っていること、それは「誰かによってつくられた物語」「誰かによってつくられた時間」ではなくて「自分自身の物語」「自分自身の時間」を見つけてほしいということです。それらを一番純粋な形で見つけ出すためには、自然と向かい合わなければなりません。

誰かがつくったわけではない純粋な自然に向かい合ったとき、ここは「東北」と呼ばれてますけども、「東北」ではなくなると思います。「東北」というのは、中央があって、その中央の誰かによって名付けられた。そういった言葉だと思います。この土地の季節の移ろい。それを考えたとき、決してこの土地の季節の移ろいというのは「四季」という言葉だけでは、とらえきれないものです。自然と向き合うこと。それは、とても難しいことのようにも感じます。

僕自身は今、肘折というところに暮らしています。そこでは、山伏として山に入ったり、山菜や薬草を採ってきたり。狩猟も行ってるんですけども、動物を獲ってきて、そういったものもいただいています。また山で得た木々を使って食器をつくったり、器をつくったり、ものづくりをしたり。後は職業ということでイラストレーターとなっているんですけども、絵を描いたり作品をつくったりして暮らしています。

そうして自然と向かい合うことで、僕は「自分自身の物語」を見つけ出したい。そういうふうに考えています。「自分自身の物語」がそれで見つけられるのかというと、実はそんなに自信はありません。でも、僕は自分の人生を使って実験をしてみたいなと思っています。

震災以降、東北の復興ということをよく耳にするようになりました。東北の復興に尽くされてきた方々に、僕はすごく敬意を持っているんですけども。こうして何年か経つと、これからは復興だけではなくて東北というのは自立しなければいけないんじゃないかと感じます。

僕たち東北に暮らしている人が自立する。そういうときには、まず「自分自身を知ること」そして自分が暮らしている「自然を知ること」それが第一歩になるんじゃないかと考えています。

今日のお話はこれで終わってしまうんですけども。ここでお話をさせていただいたことで皆さんと自然の距離を少しでも縮めることができたら、うれしいなと思っています。

今日はありがとうございました。

(会場拍手)

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