僕にできるのは、話をすることと親指を1センチ動かすことだけ

司会:ただ今よりサイボウズ式勉強会「障がい×起業・雇用──『寝たきり社長』佐藤仙務氏と『働く』を考える」を開催いたします。

本日ご講演いただくのは、株式会社仙拓の代表取締役社長 佐藤仙務さんです。愛知県の東海市から、はるばるお越しいただきました。これより佐藤さんの講演、その後、弊社の青野との対談、続いて、質疑応答の時間とさせていただきます。では、佐藤さんよろしくお願いします。

佐藤仙務氏(以下、佐藤):皆さん、こんにちは。株式会社仙拓の代表をしております佐藤仙務と申します。今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。

本日は、今、画面に出ております「働くということ。19歳で社長になった、重度障がい者の物語」ということで、働くことという、ちょっと抽象的なテーマではあるんですけど、何で僕が会社を立ち上げたか、佐藤仙務にとっての働くというのは何なのかなというお話をさせていただき、皆さんにとって、障がい者にとって働くって何だろうなということを考えていただく会となればと思いますので、よろしくお願いします。

では、私の簡単な自己紹介をさせていただきます。今ご紹介いただいたとおり、愛知県の東海市というところから本日はやってまいりました。年齢は23歳です。そして株式会社仙拓の代表取締役社長をしております。

そして、ちょっとここはインパクトがあると思うんですけれど、僕は生まれながらにして体に障がいを持っていて、どんな障がいかは、また後ほどご説明させていただきたいなと思うんですけれども。

要は、僕ができることは、こうやってお話をさせていただくということと、あと両手の親指を1センチ動かすことです。この親指を駆使して、普段パソコンを動かし仕事をしております。

生まれてはじめて仲良くなった男の子が、のちの共同経営者に

では簡単に私の生い立ちからご説明させていただきます。1991年に、男3人兄弟の3番目の末っ子で生まれました。上の兄2人は特に体に障がいを患ってはいません。僕が生まれてちょっとしたあたりから、母が、「あれ、ちょっと何かこの子の成長のスピードがおかしいんじゃないか」ということに気が付いて。

だいたい10カ月とか1歳ぐらいになったときに、病院で診てもらって病気がわかりました。僕の病気は脊髄性筋萎縮症という、10万人に1人が発症するといわれる難病です。

どんな症状か簡単にいうと全身の筋肉がどんどん痩せていってしまう難病です。ALSという難病があると思うんですけど、あの難病に近いところがあって、どんどん自分の体を動かせなくなっちゃう難病です。

今の写真に写っている、真ん中のオーバーオールの人が僕です。後ろが母で、隣に車いすに乗った男の子がいると思うんですけど、彼は僕が生まれて初めて関わったというか、つながった障がいをお持ちの人で、今の共同経営者の松元という者です。

彼もまた同じ脊髄性筋萎縮症という難病を抱えています。偶然にも最初に出会った障がい者が自分と同じ難病を持った男の子でした。同じ会社を運営する仲間になるとは僕も当時、まったく思っていなかったです。

障がいの子っていうことで、普通の子どもと同じように小学校とか中学校とか、そういった学校に通うことは珍しかったので、特別支援学校に通っていました。

小・中・高とずっと通っていて、やっぱり同じような障がいを持った仲間というか、友達がいるので、自分が変わっているとか、不便だなと思ったことは、そんなにはなかったんですけど。

会社で働き、お給料をもらうという当たり前のことがしたかった

自分が高校3年生、今から学校の外に出て社会に飛び立とうというときに、僕もこんな状態ですけど、会社に行って働いて、お給料を得て、そういう当たり前のことがしたいなと思っていたんです。

でも今の世の中、僕のような障がいを持った人というのを雇ってくれる会社はなかなかなくて。いろんな会社に声をかけたり、障がいを持った人が働く、作業所にも声をかけたんですけど、普段ほとんど寝たきりの生活をしている僕を雇ってくれるというところはなくて。

でもどうしても僕も働いて世の中の役に立ちたいし、働くという当たり前のことがしたいなと思っていたときに、ちょうど自分のモヤモヤというか、悩みというか、そういったものを松元に話していて。

松元もやっぱり同じ障がいを持っていて、同じような状態でした。彼も働く場所がなくて、ただ家で過ごしている。そんな生活を送っていたので、僕は本当にもったいないと思っていました。

松元はデザインとか、そういう知識に長けている人間だったので、本当にもったいないなと思って、じゃあ僕ら2人で組んで会社を起こそうということで、2人で仙拓というホームページと名刺を作成する会社を立ち上げました。

障がい者が会社を興せば、勝手に仕事の依頼が来ると思っていた

面白いのは、その時から自分で自分のことを「寝たきり社長」と呼ぶようになりました。会社を立ち上げたのはいいんですけど、やっぱり僕らみたいにほとんど身動きの取れない障がい者というのは、外回りの営業とか、そういったことはほとんどできない。

僕は障がいを持っていたら、会社を起こせばどんどんみんなが仕事をくれるんじゃないかという甘い考え方を持っていたんですけど、そんなことは全然なくて、会社を起こして待っていても仕事は来ない。

最初は身内とか親戚から仕事をもらっていたんですけど、だんだんそれにも限界が出てくる。本当に仕事がまったくない状態になって、どうしようとなったときに、もっと自分のことを周りのみんなに知ってもらえれば、もしかしたら応援しようと思ってくれる人がでてくるかもしれないと思いました。

自分で考えて、新聞とかテレビとか、そういったマスメディアに自分たちのことを発信して、セルフコーディネートをして、何とかいろんな人に仙拓という会社の存在を知ってもらおうとマスメディアに声をかけました。

そうしたら、いろんな人に知ってもらえるようになりました。今では本当に北海道から九州まで、いろんな人から仕事の依頼を頂きます。仙拓の主な業務内容なんですが、今、名刺の作成、あとホームページの作成をさせてもらっています。

仙拓の名刺の一番の特徴は、渡したときにインパクトのあるデザインです。これは僕の名刺なんですけど、ポップと言いますか、ああいう感じのデザインになっています。渡すときにちょっと目を引きます。

あと仙拓の名刺は材質にもこだわりがあって、こちらの材質はカメレオンといって、光の当たる角度によって色合いが変わります。普通の名刺じゃない、ワンランク上の名刺を目指して制作しています。

あとホームページも、制作しています。もともと松元はWebデザイナーになるのが夢ということだったので、彼のオリジナルデザインでやっています。障がいを持っているので、普段インターネットをやる機会が彼も多くて、いろんなサイトを見ては、もっとこうしたら見やすいのになとか、もっとこうしたら操作性が上がるのになと考えています。

そういった僕らならではの経験を生かしたWebサイトを作っています。

子どもの頃からの夢は本を出版すること

もう一歩先に行きたいなと考えたときに、僕は子供の頃から自分の本を将来出したなという夢を持っていました。子供の頃、乙武さんの『五体不満足』という本がはやっていて、その本にすごい刺激されたのです。

『五体不満足』

彼は21歳で本を出したみたいで、僕も同じ21歳で出しました。最初の本は『働く、ということ』。本日のテーマと同じなんですけど、僕がなんで会社を立ち上げて、立ち上げてからどんなことがあって、これからこんな会社にしていきたいということをまとめた本を2012年に出しました。

『働く、ということ』

その後、カラーのほうの『寝たきりだけど社長やってます』という本は去年の6月に出版させていただきました。『働く、ということ』のリニューアルなんです。会社2年目までをまとめた『働く、ということ』とに、4年目までを追記し『寝たきりだけど社長やってます』という本にしました。

『寝たきりだけど社長やってます』

やっぱり本を出させていただくと、いろんな人に読んでもらいたいとか、本当にいろんな出会いとかつながりというのが増えます。サイボウズさんともご縁の最初は、僕が社長の青野さんに自分の書いた本をどうしても読んでもらいたいなと思って、自分でFacebookで声を掛けさせていだき、本をご一読いただいたことです。

本日のこういった場を提供していただくこともできました。本当に僕の人生にとって、本を出すということが大きなものとなりました。

いろんな出会いがあったんですけど、その出会いの中で一番、僕にとってインパクトがあったのは、やっぱり安倍総理とお会いしてお話させていただいたことです。こちらの写真は、先日新宿御苑で行われた「桜を見る会」の写真です。総理も僕の『寝たきりだけど社長やってます』をご一読いただきご招待いただけました。

もし自分が会社を起こさずに、家でただ何もしてなくて行動を起こさなかったら、こういったところの出会いもありませんでした。やっぱり働くことで出会いがどんどん広がっていって、自分が今まで見えなかった世界が見えたかなと思っています。

最後に、普段どうやって実際に仕事をしているかを映像で、見ていただいて、僕の講演は終わりたいと思います。