本当に困っている人は助けを求められない--「おせっかい」が社会とのつながりを取り戻す

Invisible friends | Kei Kudo | TEDxMeieki

日本の若者の約20人に1人は学校にも行かず、仕事にも就いていないという状況になっています。工藤啓氏は「見えないような存在」になってしまった若者を支援するための「若者支援NPO」を立ち上げます。工藤氏は「おせっかい」や「つながり」をキーワードに、社会をよくするために重要なポイントについて語りました。(TEDxMeieki2013 より)

男性の育休取得率は約2%

工藤啓氏:みなさんこんにちは。工藤と言います。よろしくお願いします。

2ヵ月前にですね、2人目の子どもが生まれてまして、6週間育休を取っていました。1人目の時はですね、2ヵ月間、育休を取っていたんですけど、やることがないわけですね。

女性の方は授乳をしなきゃいけないんですけど、子どもが1ヵ月、外に出るとまだ免疫が低いので出れないと。妻は体を回復させないといけないので家から出れないと。

僕は食事を作ったりとかしてたんですけど、昼間は基本的にやることがないので、朝と夕方ですね、犬の散歩を2回ずつ、同じ公園に行って、座って、ちょっと休んで、また帰るってことをしていたんです。

2週間ぐらいですね、月曜から日曜まで、朝10時ぐらいと夕方5時ぐらい。おそらく働いている方は働いている。

学生の方は学校に行っている時間に公園にいつもいる人、ひとりいると。34歳の男がいるわけです。

なんかこう、しばらくしていると、その、公園にいつもいらっしゃる方々の目線がちょっと熱いなと。

(会場笑)

見られているなと。思いまして。あるときですね、たぶんその、専業主婦として家庭を支えられている女性のグループの人が僕のところに来まして。「何をしているの?」と言われて。

(会場笑)

僕は「犬の散歩です。見ての通りですよ」と。(婦人には)「そうじゃないんです。なぜ、ここに毎日いるんですか?」と言われまして。

「あ、そうかそうか」(と僕は思い)「僕は育休を取っているんですよ。今、妻のサポートをしているんです」と。

まだまだ、男性の育休取得率は2%ぐらいしかなくてですね、(僕は)特に経営者なので余計に少ないと。それを説明しているわけです。

育休中の男性は無職に見られる

「いや、僕は妻のことも大事だと思うし、男女は一緒になってですね、育休休暇を取っていくそういう時代にしたい、とやっているんです。僕はNPOを経営しています」と言ったんですね。

(そうすると)「NPOって何ですか?」と聞かれるわけです。そしたら「僕はNPOはこうなんですよ」と言って、なんとか理解をしてもらうわけです。

つまり、女性が知りたかったことは「何しているの?」の言葉の中に「あなたのお仕事、何ですか?」ってことが含有されていることなんですね。

するとまた違う方が来られて、年配の方で。ゲートボールを毎日練習されている方が来て「お兄ちゃん、何やってるんだ?」と「プー太郎か?」と言われて。

「いや、僕は育休を取っていて……」と。また同じ話ですね。

実はそこの公園がですね、あの、ホームレスの方がやっぱり泊まられているわけです。朝、ホームレスの方が来られてですね。「おい!」って言われて。「なんであいさつに来ないんだ!」って。

(会場笑)

「えっ……」って(思って)。「大変なのはわかるけれども、俺たちの世界には俺たちのルールがあって、やっぱりちゃんと、あいさつは大事だ」「いや違うんですよ。僕は犬の散歩を……」と、また同じ話をして。

で、まあ、そろそろ終わったかなと思ったらですね、どなたから言われたのかわかりませんけれども、あの…ポリスマンが来まして。

(会場笑)

「何してんの? 毎日?」「いや、こういうことをしています」と。非常に辛かったですね。今思えば。

何が辛かったかっていうと、たぶん、学生さんの年代を除いてですね、30前後とか、40、50ぐらいの、まだまだ特に、男性が平日の昼間に、社会にいることを許容されていない。

つまり、働いていることが当たり前で、働いていないことが当たり前でないので、その「当たり前でない人がいること」に対して、地域社会が許容することができず、聞いてくるわけですね、勇気を持って。

「お前何をしているんだ?」と。その「何してるんだ」の中には「ちゃんと働いているんですか?」ということが非常に強く影響を受けている。そんなことがあって、僕は働くということが、大きな意味を持ってます。

子どもが2人って言いましたけれど……。

わかってます。かわいいですね。

(会場笑)

でもこれ、僕(の写真)です。

実家では地域に居場所がない人たちを受け入れていた

あの、結構ですね、ユニークな家庭に生まれまして、私はあの、生まれたときからですね、30人ぐらいで暮らしていたんですね。

血のつながっている家族は5人です。残りの20人から30人というのは、血のつながっていない家族で、あるとき、両親がですね、地域の方からサリドマイド(抗多発性骨髄腫薬)の影響を受けた少女ですね。

(その少女)が、今から30年以上前の話ですけど、地域に居場所がないと。どこに行っても障害を持っている、病気を持たれているのでだめだと。

学校も受け入れてくれない。昼間の時間、ただただ家にいるだけで、誰ともつながりを持てないと。

うちの両親は最初、塾をやっていたので、塾って昼間、生徒がいないので、受け入れてほしいと言われて受け入れたんですね。

そしたらですね、その噂を聞きつけて、地域の、例えば居場所がない子どもたち……学校に行けないとか、障害を持っていて受け入れてもらえないとか、そういう方がわらわらうちに来はじめて、通ってくるわけです。

塾なのに、昼間なのにすごいいっぱい人がいる塾ができて。そのうちにですね、全国からいろんな人が来るわけですね。つまり、自分のエリアに、自分の家とか、自分の地域に居場所が無い人たちが、うちの両親のところに来て。

例えば「触法青年」と言われる、法に触ることをして、鑑別所から出られてちょっと居場所がなかったりとか、学校に全然行けなくて高校に進学できてないままに、地域の目に触れないようにひっそりと生きている人とかが、自分の地元を離れて、生活をもう1回やり直すところがないだろうか?

ということで、わらわらうちに集まって来て。うちの両親は考えたんですね。「どうしよう」と。で、決めたわけです。「そうだ、社会に家を開こう」と。僕がまだ0歳の時です。

つまり、社会に居場所が無いときに、社会に居場所を作らなければいけない。でも、まだそういう時代ではなかったので、自分の家を外に開いて、外から泊まりに来てですね、一緒に暮らすわけです。

朝起きたら30人で朝ご飯を食べて、夜は30人でご飯を食べると。で、やっぱり自立を応援していたので、高校や大学を卒業されてですね、仕事に就かれて、独立をすると。

その分、空きができるので、また新しく地域に居場所がない人たちっていうのが入ってくる。その入れ替わりがあるような家庭に生まれました。

人は資本が落ちると可能性が閉ざされる

小さい頃はですね、すごくみんないいお兄ちゃん、お姉ちゃんだと思ってたんですね。僕より背が高いし、僕よりも足が速いし、僕より勉強ができるし。ゲームをやったら勝てないし。

ただ、物心がついてくるとだんだん、だんだん、わかってくるんです。「なんでうちにこの人たちは来ているんだろう?」と。

……で、いろいろ話すようになって、親にも聞いてですね。社会に居場所がない(人たちだ)と。逆に言えば、社会からすると「見えない」人たちなんですね。見ようとしないと言ったほうがいいかもしれません。

で、社会のつながりみたいのがなくなると、まず最初に関係資本がダウンします。つまりネットワークである。ソーシャルキャピタルと言ってもいいと思います。

関係資本がなくなるとですね、文化資本が落ちるんです。つまり、人との情報交換がほとんどなくなってしまって、新たな情報がなかなか入ってこない。

あと、青年期になるとですね、人のつながりがなくなって社会との接続がなくなると、経済資本も落ちます。

先ほど申し上げた「働く」と「社会」というのは、今、日本は密接に非常につながっているので「働いていない」ということは収入が得られないだけではなくて、関係資本も断絶されてしまって、文化資本も下がっていくみたいな。

そうすると、人っていうのは資本が落ちると可能性が閉ざされるわけですね。つまり、助けてもらおうと思っても人がいない。

何か自分が助かる方法を探そうと思っても、文化資本が落ちてしまっていて、どうしていいかわからない。じゃあどっか行こうと思ってもお金がないわけです。

そうすると可能性がなくなってしまうと。

可能性がなくなると本来、人があてにするのは2つある。1つは「公助」、もう1つが「共助」です。

「所得の再分配」は若者には行われていない

私は若い世代の支援をしているんですけれども、日本社会を振り返ってみますと、いかに若い世代に対して「サポートをしよう」という文化がなかったんだなというのがよくわかります。

例えば多くの場合ですね、人を支えるときっていうのは一番大きな機能として「所得の再分配」というのがあります。

私たちは税金を払ってですね、それを行政や政治がいかに困っている人たちに再分配するってことをやるわけなんですけれども。

厚生労働省とか、文部科学省を見ても、愛知県庁とかですね、東京都庁とかを見ても、例えば名古屋市とかを見てもですね、部局名に「若者」ってないんですね。日本って。

2003年以降にちょっと出てきましたけれども。高齢福祉課がありますと。障害者のための課があると。子ども育成課があります。青少年課があります。でも「若者」ってない。

つまり、歴史的にですね、所得の再分配をつかさどる行政機関に「若者」という文字がないということは、所得の再分配の中で若者を支える文化が1つなかった。つまり「公助」がないですね。

もう1つ、私たちがあてにするものは「共助」です。助け合い。

地域活動や市民活動が衰退されて久しいと言われていますけれども、その、市民活動に源流を持つ「NPO」という法人格があります。

基本的には市民の問題であるとか、社会問題を解決するために立ち上がるわけですけれども、NPO法人を取ろうと思ったときに、活動項目の20の中から、複数で「私たちはこの問題を解決します」って選ばなきゃいけない。

でも、その20の項目の中にも「若者」ってないんですね。

なので「若者支援NPO」とか言っていても、実は法的に存在しない。つまり、共助も利かない。

つまり、若い世代が何かあったときに、公的な助けがない。それ以外にも共助の仕組みもない。じゃあ、何が残るかといえば「自助」です。いわば自己責任。

つまり「お前が悪いんでしょ」と。「お前が努力しなきゃいけないんでしょ」。でも自己責任だけで本当に片付けていいのかって問題が、一方である。

ご存知ないかもしれませんけど、日本の若者って年齢が決まってます。自分で勝手に決めていいってもんじゃないです。「私は若い」とか「私が歳だ」ってのを自分で決めるわけではない。

3年前まではですね、日本において若者は15歳から34歳までのことを指していた。それから法律ができまして、39歳までは今「若者」って言います。

だから、若者に返り咲いた方もいらっしゃると思いますし、残念ながらスルーして、やっぱり若くなかった方もいると思うんですけど。結構大きなボリュームで「若者」って言うんですね。

なので政治家や行政の方が「若者」って言ったときは「自分も入っている」と思ったほうがいいかもしれない。39までですから。

その15歳から39歳のいわゆる「若い人たち」っていうのを見たときにですね、今、20人に1人が働いていない。働けないんですね。これは学生は入りません。

20人に1人が働くことができていない。そんなのが、今の日本の状態です。

今、15歳から39歳って3700万人ぐらいいるんですけれども、仕事を探しているんだけれど見つからない、僕らと同じ世代の方々が150万人、日本にはいて。

本当に困っている人は助けを求められない人

失業の下に「無業」と書きましたけれども、働くことを諦めてしまった人が今、80万人ぐらいいると。

これ、合わせて、細かいのも入れるとですね、約20人に1人は、この国では15歳から39歳で学校にも通ってないし、働くことにも就けないし、職業訓練も受けてないと。そんなような状況が今の日本の実情になっています。

みなさんの中に、求職活動をしている友達はいるかもしれませんが「仕事をしたいな」と思っているんだけれど、働くことを諦めている人はいないかもしれない。

例えばあの「触法青年」って書きましたけれども、まあなんらかの理由があってですね、鑑別所とか少年院から出て来た友達って、もしかしたらみなさんの中にいないかもしれない。

つまり、実際存在していて「20人に1人いる」というふうにわかっていても、よくよく周りを見回してみると、いるはずの人が見えてないと。

「見えないような存在」になってしまっているっていうのが、私の課題の1つだったりします。

そんなときにですね、私たちっていうのは、つながりが断絶しないように、いつも、友達を大切にして、家庭を大切にして、同僚を大切にして、隣人を大切にしながら生きていくわけです。

こう、つながりのサークルを自分たちの中でしっかりと持ち、ともに思いやりながら、できれば、ある友達が、違うサークルのメンバーを紹介してくれて、自分たちの「関係資本」っていうのを高めていく。

自分たちのつながりをより大きなものに、より強固なものにしていこうと日々努力をしているわけですけれども、はじめからその「サークル」にいない人たちってのがいるわけですね。

例えば大学生であれば、なかなか「大学生じゃない人」に出会うことがない。確率的に。やはりいつも普段の生活の中で大学生って多いわけですし、社会人、例えば、普段の生活で社会人と会う可能性が高いと思うんですね。

私がその、育休のときに、公園にいたときに、周りから見たときの私っていうのは、彼らのサークルに入ってないんですね。想定外の人なんですよ。「想定外」。

さっきそういう人もいましたね、そういえば。想定外の人なんですね。

だとするならば、私たちが社会をよりつなげていくためには、包摂していくための取り組みが必要だと。そのときに「だったら頼ってくればいい」「頼ってくれよ」という人もいますと。

「だったら、困っていると言ってくれよ」という人もいるわけです。

「それを言わないのは自己責任なんじゃないの? 自分の問題でしょ?」って言いたくなるんですけれども、本当に困っている人は助けを求められない人なんです。

「おせっかい」が重要

助けを求められる人も困っていますけれども、人が本当に困窮をするとですね、経済資本も落ちてしまっている。文化資本も高まらない。

関係資本も断絶したときに、人は助けを求めることができない。しかも、我が国では「公助」と「共助」が崩壊しているので、若い世代に関しては、求めようがない。ここをもう一度、つながないといけないと思うんですね。

そのときに、何ができるのかな? と考えたときに、1つはですね、やっぱり「おせっかい」が重要だろうと。「Big Help」が重要だろうと。「おせっかい」って非常に難しいんですね。私たちも日々の生活で、おそらく、躊躇していることってあると思います。

例えば電車の中で、私たちが座っているわけですね。目の前に微妙な年齢の方が立っている。譲るか、譲らないか迷うわけですね。

で、少しだけ腰を上げてですね「よかったら座りませんか?」って言ったときに、一度や二度はあるわけですね。「私はそんなに高齢者に見えますか」って。

「いや、次の駅でどうせ降りるんでいいです」って言われたときに、その半分上げたお尻をどうしていいかわからず、もう1回座って携帯をのぞくふりをしたりとか。

せっかく駅に到着したので、とりあえず降りるふりをして、ちょっと先の両にまで歩いて行って、また戻ると…。

「Big Help」には2つの意味があるなと思っていまして、1つは「大いなる助けになる」と。でも、場合によってはですね「大きなお世話」になるんですね。

で「大きなお世話」、もしくは「小さなお世話」の経験をしてしまうと、人って考えちゃうんですね。これは譲らないほうがいいかもしれない、また怒られるかもしれない、逆に失礼に当たるかもしれない。

「じゃあ寝とこう」とかですね。そうやって電車をやり過ごしたりとかしながら、でもちょっと嫌な気持ちをしている。譲る気もあった。でも譲れなくて嫌な気持ちをしちゃう。だから「おせっかい」していかなきゃいけないと思うんですね。

じゃあ、どういう範囲の「おせっかい」が必要かっていうと、当然アフリカで困っている子どもを私たちが助けたい。みなさんも助けたい。日本で困っている人たちだって助けたい。

人じゃなく「環境を良くしたい」とか、いろんな考え方があると思いますけれども、やっぱりこう、人がですね、一番簡単にというか、無理なく頼ること、頼られることができる範囲って決まっているんだろうなと思うんですね。

「つながりのサークル」の中にある情報をいかに使うか

で「頼る」っていう語源を調べたらですね、1つのルーツとして「手」っていう漢字と「ご縁」の「縁」ですね「つながる」という言葉が1つの語源にあると。

そうすると本来、頼る、頼らせる、頼られるような枠内っていうのは、おそらく手の届く範囲だろうと思うんですね。これぐらいです。(手を広げる)だいたい身長ぐらいって言われますけれど。

仮にこれ(広げた手の範囲)を「半径」とした場合は、みなさんの「半径×半径×3.14」の円の中に入ったことが、私たちが、おそらく助けを比較的容易にできるような状況なんじゃないかと思います。

じゃあ、つながりを失った人たちに何ができるのか。非常に難しい問題がありますけれども、必ずしもその「自分のつながりサークル」の中っていうのは、物理的な接触がないといけないわけじゃない。

おそらく私たちはつながっている。携帯電話の中にすごくたくさん、友人たちの登録があると思います。私はこの前データが消えて、もうなくなっちゃいましたけれど。

その中にですね。本当は困っている人がいるかもしれない。3年も会ってないとか、1年間連絡も全然取っていないけれども、少なくとも私たちの携帯電話には、友人たちの連絡先があり、でもその友人たちがどうなっているかはわからない。

だったら、なんかの機会に「元気?」ってちょっと入れてみたら……? 本当は困って相談したかったけれどできなかった人たちが「いや、実は元気じゃないんだよね」ってことで、悩みをこう、打ち明けてくれるかもしれない。メールアドレスもまったく一緒です。

もう1つ、私たちには「年賀状」というのがあります。たぶん、小学校や中学校ぐらいまでは年賀状のやり取りをしていたけれども、途中でお互いが携帯を持って、しなくなったりとか、年賀状を出さなくなったりしますけれども、今年、もしかしたら、昔出してくれた友人たちに、これで年賀状を出すチャンスをもうちょっと作ってみて「あけましておめでとう。今年もよろしくね」と言ったときに「実は相談があるんだよ」ってことで、困っていることを相談してくれるかもしれない。

私たちの「つながりのサークル」の中にある情報をいかに使うかっていうのが、できることじゃないかなと思っているわけです。

つながりながら、行動していく

ただ、やっぱりちょっと怖いわけですね。たまにメールして「何だよ?」とかって言われるのも嫌ですし、年賀状を出しても返ってこないというリスクがあると。それでもやっぱり私たちはですね、自分が今、特に困っていないと思うんだったら、一歩踏み出さなきゃいけないと思います。

僕の大切なですね、まあお師匠さんみたいな方から、こういうふうに言われるわけですね。「工藤君、思い切って人生を謳歌(おうか)しなさい。チャレンジしなさい。やってみたいことはやってみようよ」って言われるわけです。

「そのときに大事なのは『思い切る』ことだ」と。

「いやそうですね。思い切ってやりますよ」と。

「いや、君は思い切っていない。『思い切る』という言葉をもう一度見なさい」と。

人は何かをやろうと思ったときにいろいろ考える。自分が行動したらこんないいことがあるんじゃないか。自分が行動することによってこんな嫌なことが想定されるんじゃないかって、いろいろいろいろ考えるんだけれども、本当に行動できる人間っていうは「思いを切る」ことができる。

つまり、ある段階で考えることをストップして、もうこれ以上考えない。あとはやってみるだけで動いてみる、一歩踏み出してみる。

つまり「思い切れない人間」の人っていうは勇気がないんではなくて「考えを切る」ことがきっとできない人なんだろうと。

「今日こうしたい」「明日からこうしたい」っていうことを今日1日考えて、明日の朝、もう考えることをやめて、決めたことをやる。

そういう「思い切り」っていうものが、いろんな情報を浴びる中で私たちはしづらくなっているんじゃないかと思います。

「見えない友人(Invisible friends)」というタイトルをつけましたけれども、特に別に人ではなくても、環境でも、みなさんがやりたいことって、世の中にたくさんあって。でもやらないことを、やれないことを自分たちの中でいろいろ考えて理由を作って、結局やれないわけですよね。

で「後でやっておけばよかった」……。

だとするなら、私たちがやることは何かといえば、もう考えることをやめて「やろう」と思ったことをこの後すぐやりに行くっていうことが、重要なマインドというか、気持ちの持ちようなんじゃないかなと思います。

一人ひとりが行動することで社会がつくられているんであれば、やはり私たち、ここにいるメンバーがですね、つながりながら、行動していく。

そうやって社会って良くなっていくんじゃないか、というふうに思います。

ありがとうございました。

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