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新進気鋭の起業家が創業ストーリーとこれからを語る(全5記事)

「もうやめろ」と言われて本気になった--WHILL杉江氏が語る、ものづくりから起業家への転換点

注目の若手起業家3名―ウォンテッドリー・仲暁子氏、WHILL・杉江理氏、freee・佐々木氏が一堂に会し、学生時代や創業当時について語ったセッション。杉江氏は次世代パーソナルモビリティ「WHILL」を欲しい人に届けるために起業という道を選んだエピソードについて語りました。(IVS 2014 Winter Workshop より)

本気でやり続けてると起業しなきゃいけない時が来る

田中章雄氏(以下、田中):ここから次の本題のほうに入りたいんですけど。そういうやりたいことも何もなかった杉江さんが起業することになったきっかけ、ピボットしたポイントは何だったんですか? 振り返ってみると。なぜ起業しちゃったんですか?

杉江理氏(以下、杉江):結構、何となくおもしろそうかなということをやり続けたっていうだけなんですよね。起業って別に何か明確に「この時だ!」みたいなので「よーいドン」って言って。

ファウンダー3人いるんですけど、3人で「よし!」みたいな時ってないんですよ。どうなったかって言うと、僕らなんか「付き合ってって言ってないけど、付き合ってるよね」みたいな。

(会場笑)

杉江:そういう人いますよね? そんな起業なんですよ、僕ら。

田中:できちゃった起業なんですか、それは?(笑)

杉江:そう、できちゃった起業です。それを延長していくと「結婚してるよね」みたいな。そういう感じの人っているんですよ。この世の中に。でもね、それってそうなんですよ。これ何でかって言うと、結局起業しなきゃいけない時が来るんですよ。本気でやり続けてると。

例えば何かって言うと、展示会に出すってなった時に「じゃあ会社名書け」とか言われるんですね。「会社ねえぞ」って(笑)。「じゃあちょっと判子貸してくれ。会社にしてくるわ」って言って。本当そうだったんですよ、最初僕ら。

それで、会社の判子押して「会社にしてきた」って。僕しか当時フリーの人いなかったので「じゃあ俺もうそろそろ辞めようかな」という感じでポロポロ辞めてきたみたいな。2人ぐらい。それで3人になったんですけど。

風を可視化する装置を作っていた

田中:3人で最初やることになったきっかけは何なんですか?

杉江:最初はあのアパートで、ただ週末に15人ぐらい作る人たちが集まってて。あらゆる意味不明な物とかを作りまくってたんですよね。

田中:必ずしも車いすを作ってたわけじゃないんだ、最初は。

杉江:そのうちの1個というだけで。もう意味不明な物を作りまくってたんですね。例えば、ここから本当意味わからないと思うんで恐縮ですが、草生えてるじゃないですか。草って上しか見えないじゃないですか。ね? 木しか見えないでしょ?

でもある時「根っこを見たい」って奴がいて、植物虐待みたいに逆にして、根っこのアートを作る奴とか。現在のCTOがそれやってました。もうここで意味わからないでしょ?

(会場笑)

それとか。あと風って見えないじゃないですか。風。「風見たいな」と思って。風ってどうやったら見れるかというのを考えた結果、こういう風船のようなものを、これも外注して必死に作ったんですけど。

その中に加速度センサーっていうのがあるんですけど、それが揺れたらふぁーって光る。バーってホバリングさせると、風がバーって来るとぼわぁって光るっていうのを真っ暗闇で……。

田中:風を可視化する装置ですか。

杉江:そう。風を可視化する装置を作ったりとか。そういうことをやってたんですよね。

田中:それは買ってくれる人がいたんですか? それを作って。

杉江:それは結局買ってくれる人はいなかったんですけど。ただ、これは何か使えないかなっていうので、例えば野外コンサートとかでこれ使えないかと思って。売り込みに行ったりしました。

野外コンサートの森林の中でぶわーってすごいたくさん入れて、風が吹けば「ぼわぁ」みたいな。風の可視化アートをやったんです。すごい幻想的な空気で。完全に利益度外視で。自分で感動してたんですけどね。

その中で、車いすの人に会うきっかけがあって。その車いすの人が「100メートルも行くの厳しいな。しんどいな」とか「かっこ悪いしな」って言うので「じゃあ作ります!」って言って作ってたのがきっかけなんですね。

「WHILL」を欲しい人に届けるために起業を決意

田中:じゃあ実際に問題提起として持ってたわけじゃなくて、ある日そういう問題を抱えてる人に会って気付いたと。

杉江:そういうことなんですよね。なので実際ああいうデバイス作り始めて、2010年に作り始めたんですけど、会社にしたのが2012年なんですよね。それまでは楽しいってだけでやったんですよね。

楽しいってだけでやってたんですけど、東京モーターショーっていうのに2011年に出して。その時にはやっぱり福祉機器とかじゃなくて、まあ新しいパーソナルモビリティですか? パーソナルモビリティっていう物のイメージを付けるために、パーソナルモビリティを出したんですよね。

じゃあ本当に世界各地から「こういうの欲しい」とか「こういうのダメだ」とか、物議を醸し出したんですよ、実は。その中で「ああこれは本当にやる意義あるな」っていうのがあって。明確に実は僕印象に残っているのがあって。

1人の人が来たんですね。その時に、いきなり「お前らもうやめろ、ふざけるな」って。何でかって聞くじゃないですか。そしたら「結局こういうプロトタイプってこの世の中に出ない」と。

いろいろ欲しいって言ってきてる人たちがいるんだけど、それの責任をお前らは取れないし、そんなんだったらもうさっさとやめろ、みたいな。

まあでも確かにそうだなって思ってて。何でかって言うと、僕は日産で開発本部にもいて、他ソニーとかオリンパスとかみんな勤めてましたけど。結局そういうのって知財だけとって世に出ないって結構たくさんあるんですよね。

確かにそうだなってすごい納得して。これは量産をして、しっかりと欲しいって言ってる人に届けたほうが良さそうだなっていうところで、たぶん僕スイッチがパッと変わったんですよ。単なる「楽しい、わーい」って作ってる人から、起業家みたいな視点に。

何でかって言うと、やっぱりこういうすごいヘビーなものなので、結局お金を集めなきゃいけないと。じゃあお金集めるためにどうするかっていうと、まあ資金調達するから事業計画書けってなるじゃないですか。そうすると、まあいわゆる起業家みたいな……。

田中:じゃあそれまでは事業計画なかったんですか?

杉江:ないですないです。もうただただ作ってただけですよ。なので、そこからかな。結局そう変わったけど、やっぱりそれに慣れるのに1年半ぐらいかかりましたよね、僕は。どちらかと言うと、プロダクトアウトな、ただ単の。作る人間だったので。そういう感じです。

田中:じゃあ逆にやろうと思ったのは、やめろって言われたから本気でやろうと思ったんですか?

杉江:まあ2つで。その人がそう言ってて確かにそうだなって納得したのと、あとはやっぱりいろいろ反響があったんですよ。世界中から。だから「これやる意味あるな」と思ったんですね。それで僕これやろうと思いました。全部辞めて。

FAXはまだ日本で年間200万台売れている

田中:じゃあ今度佐々木さん。起業するきっかけになったのは?

佐々木大輔氏(以下、佐々木):僕もさっきの「研究者になりたい」みたいなのとかあったんですけど、その後普通に就職するんですよね。最初インターンしてた会社がアンケート調査をやる会社で、一番大きいお客様は広告代理店だったんですよね。

だったので、広告代理店に入ろうって言って、博報堂に入ったんですけど。ただその後僕4回転職したんですよね。最後にいた会社がGoogleで。Googleには一番長くいられたんですけど。

その間何かやりたかったことあるかって言うと、別に一切なくて。場当たり的に「何か俺最近新しいことやってないな」と思ったらとりあえず転職してみる、みたいな。

何かそういう感じで転々としてきたりとか。だから自分が成長してないな、とかそういうことを感じたらすぐ他のことをやる、っていうのをやってたんですね。

Googleに5年いられた理由っていうのは、スピード感がある会社だったのと、あとは最初は日本の仕事やってたんですけど、その後アジア・パシフィック全体の地域を見る仕事をしていて。そんな感じでやることもどんどん変わっていったみたいなことが一番大きいです。

最後Googleでどういうことやっていたかと言うと、中小企業にGoogleの広告を載せる。こういうことを載せる中小企業の数を増やすっていうことをアジア全体でやってたんですね。まあ中小企業向けのマーケティングということで。

やってると、いろいろ国の特性というのを理解していかないといけないんですけど。日本の中小企業ってあまりにもテクノロジーの活用度が低すぎると。今でもFAXとか使っていると。今FAXって、日本だと年間200万台まだ売れているんですけど。

田中:本当ですか?

佐々木:そうなんですよ! これ本当ですか? って思うじゃないですか。こういう風に日本に住んでいない人には異常な事態で。アメリカだと今スミソニアン博物館に歴史的遺産として貯蔵されているんですよ(笑)。

(会場笑)

佐々木:そのくらい、やっぱり日本の中小企業の今のビジネスのやり方とか生産性の低さっていうのは大きな問題で。これをなんとかするようなことをしていきたいなと。

例えばソフトウェアを例に取ってみても、今までの会計ソフトって世界的に見てもすごい古臭いものが未だに使われているんですよね。こういったものって何とかしていかないと、このまま日本ってどんどんどんどん完全に遅れていっちゃうんじゃないかなっていうような危機意識を持って。

そのために何かできるかなと思った時に、たまたまGoogleの前のキャリアでベンチャー企業のCFOをやっていたことがあったので、その時「会計ソフトって使うの大変だな」っていうのを思ったことを思い出してですね。もっと良くできるんじゃないかっていうので考え始めたのが、会計ソフトをクラウド化するっていうビジネスで。

学生起業したが、チームが空中分解

田中:仲さん、起業したきっかけは何でしょう?

仲暁子氏(以下、仲):私の場合は、学生の頃にさっきちらっと起業チックなことをしたって話があったんですけど。当時すごい学生起業ブームだったんですね。2004年とか2005年だったので。

田中:その頃は美容師のブームは終わっていて起業ブームが来ていたんですね(笑)。

:そうですね(笑)。藤田さんとか堀江さんとか、そういうのがバンバンテレビをにぎわせてた時期で、本とかもすごい出てたので。周りでも結構起業してる方も多かったし。あとドリコムの内藤(裕紀)さんとか。

身近なところで起業されたりとか、そういうところで働いてる友達とかもいたりしたので、2年生ぐらいの時に「じゃあやってみようか」みたいな感じでやって。結果的に、まあ学生なので何の知識もなくて、受託とか。まあ安い労働力モデルですよね。

田中:何ビジネスだったんですか? 

:それはフリーペーパーの受託制作とか、ホームページの受託制作とか、そういうありがちな感じですね。

田中:クリエイティブじゃなくて労働集約型のビジネスで。

:労働集約型で。ビジネスモデルとかも考えてなかったし、やってること自体がすごい大人に近づいた気がして楽しい、みたいな。そんな感じでしたね。とは言え別にメンバーはみんな就職先とかも決まってたりとか、ずっとそこでやっていこうという感じでもなかったり。

あと「起業が目的になってもいいよね」みたいなそういう風潮があったので。起業って本当は手段だと思う……まあ人によって別に目的で、会社を大きくすることが目標とかでもいいと思うんですけど。

起業って辛いことがたくさんあるんですよ。心が折れそうになることが1日何回もあるみたいな。よく言うんですけど。小さいレベルで心が折れそうになるみたいなことがたくさんあって。

その時に踏ん張れる何かかが別になかったので、最終的にチームが空中分解して終わり「すごい起業って大変だな」みたいな感じの印象だけ残ったんですよね。最後は就職して普通にサラリーマンに……。

Facebookのスタッフに圧倒された

田中:何の会社に就職したんですか?

:その時はゴールドマン・サックスっていう会社に入って、機関投資家向けに日本株の営業をやってたんですけど。その時はあんまり特に何も考えずに就職していたりしていて。「起業は大変だ」っていうのだけ残っていたので「起業は一生やりたくない!」みたいな感じでした。

特にチームプレーとかがすごい苦手だなっていうのがわかったので。リーダーも向いてないし。さっきちらっとミスコンの実行委員会とかも立ち上げたって言ってたんですけど、それもなんか途中で崩壊したんですよ(笑)。ことごとくリーダー向いてないなって思ったので。

まあゴールドマンに入って、いろいろあって。結果的に……ものづくりがすごい好きだったので、絵を書くのもすごい好きで。チームでやるのは苦手だけど、誰かのために働くよりは自分でオーナーシップを持ってやりたいっていうのはすごく強くあって。

1人とかならすごい楽しそうだなって思って。フリーランスとかおもしろそうだなと思ってやってたんですよね。

その中でFacebookの方々に出会って「Webブロダクトってすごいな」みたいな。エンジニアが、同い年ぐらいの子たちがシリコンバレーとかから来ていて。超優秀で。まあすごいわけですよ、いろいろ(笑)。

田中:圧倒されたと。

:圧倒されたんですよね。そこでおもしろそうだなと思って。自分でもやってみたいなと思って、っていう感じですかね。

起業っていうか、プロダクト作るのがおもしろそうと思って、それは別に企業化しなくてもいいじゃないかというのはあったんですけど。

やってく流れの中で株式会社化したみたいな感じなので、杉江さんに近い感じはあるかもしれないですね。

田中:気がついたらWantedlyになってたんですか?(笑)

:Wantedlyになってたっていう感じですね(笑)。

初期のメンバーは中学校の友達

田中:ありがとうございます。昨日のIVSのセッションで、ちょうどYコンビネータのパートナーのケビン・ヘイルが来ていて。その時にスタートアップの一番大事な要因は何だろうみたいな話をしていて。

結局彼の結論は非常に明確で、チームだっていうんですね。ビジネスモデルもテクノロジーもいろいろあるんだけど、結局チームが良くないと良い会社は作れないっていうのが彼の結論で。

そこで今回3人に聞きたかったのが、起業はもちろん1人でする人もいますよね。でも彼が今まで数百社見てきた中で、やっぱりビリオンダラーを超えるような巨大なビジネスを作れている背景には、コー・ファウンダーたちがちゃんとある、チームの人たちのほうが成功する確率が高いっていうデータがあるらしいんですね。

そこで3人に聞きたいのが、実際に自分たちの経験の中で、初期のコアのチームって大事なんですか? って話と、大事だとしたら、どうやったらそういうチームに巡り会えるのか、作れるのかっていうのを聞いてみたいなと思います。

じゃあ最初に杉江さん。もう最初から何か気がついたらチームがいるような状況に……(笑)。

杉江:そうなんですよね。あんまり作ってないんですよね、だからね。

田中:そもそもその15人は何で集まって物を作ってるんですか? それ自体が不思議な行為にも見えるんですが。

杉江:それこそ中学校の友達とかですよ。中学校の友達の友達とか。

田中:普通の中学校の友達とかと「風の可視化装置」とか作らないですよね? どういう系の友達なんですか?

杉江:創業者の内藤と福岡が大学同じでその中心でメンバーが構成されていました。僕の中学校の友達もそのうちの1人で。それで一緒に住んでて。それで何か作るの楽しいし……。

田中:みんな工学系の友達なんですか?

杉江:そうですね結構。ひたすら作ってて。例えばWHILLの最初プロトタイプ作る時とかは、もちろんたくさんコンポーネントがあるんですね。電気とか、ファームウェアとか、メカとか、デザインとかいろいろあるんですけど。

じゃあ「これ作れない!」みたいな。「これ作れる奴いないか? 呼んでこい」みたいな。「よし、探そう」って言って。それが友達の友達とか。っていう感じなんですよ、僕ら。その中で、なんとなく辞めちゃったのが2人いた(笑)。2人でやろうって言ってやってきた。

でもおもしろいのが、ファウンダーとかってちょっと尖った、尖ってる奴もいないんですけど、抜けちゃう、抜けるというか最初3人でスタートするということがあるんですけど。

結構段階をおいて、2年とか1年をおいて、みんな戻ってくるんですよね。スピンアウトして来るんですよ。この15人の中から何人か。「俺今行く」みたいな。「俺来る」みたいな。元いた人たちがまた集まって来たみたいな。徐々に徐々に。

田中:最初の15人のうち今何人ぐらいが残ってるんですか?

杉江:6人ぐらいいますよ。

田中:すごいですね。

杉江:これまた徐々に徐々になっていったら、また何人か来たらおもしろいなって思ってるんですけど。

田中:じゃあ杉江さんの場合はチームを作ったというよりも、自然にチームの中にいたっていう感じなんですか?

杉江:いたし「作るために必要な人は誰だ?」とか言って、わーっと作ってたっていうのが最初だったんで。すごい自然な流れで良かったかなと思いますね。

結婚してない段階で起業したほうがいい

田中:freeeの場合はどうなんですか? コー・ファウンダーとかコアメンバー。

佐々木:最初に自分で作り始めて、コー・ファウンダーを探したんですよね。1人だけでこれ作るの大変だと思って。どうやって探したかと言うと、周りの人に「こういうこと一緒にやってくれる人いないかな?」みたいなことを言いまくって。

そしたら、僕の友達がそういうことFacebookに書いたら「結構興味ある人いっぱい来てるんだけど」みたいな。3人ぐらいに会って、中でこの人いいなっていう人を本気で口説いて一緒に始めようというようなのが始まりでしたね。

田中:こういうことやりたいなって周りに言いふらしてたらそういう人に会えたと。

佐々木:そうですね。ただ、実は最初に自分で勉強して作り始めた段階で結構相談してた周りの人間というのがいて。本当はその人たちに一緒にやって欲しかったんだけれども、僕の同い年で32歳とかになると、結婚してるとか子どもができたとか、結局一緒に起業してくれなかったんですよね。

田中:リスク取れないっていうことですか。

佐々木:リスク取れない。そう。やっぱりその時にもっと早くやっとけば良かったなと思ったのは、自分の信頼できるよく知ってる仲間たちっていうのが、まだ結婚してない段階で起業ってしたほうがいいんじゃないかなってその時思いました(笑)。

田中:やっぱり若いうちに起業したほうがいいと。

佐々木:若いうちに起業するか、女性の社会進出がもっと進むかどっちかですね。

田中:ありがとうございます。

【いま3記事目を読んでいます】1.Wantedly・仲氏「節約しすぎてブレーカーが何度も落ちた」 創業初期のエピソードを振り返る2.「キムタクのドラマで美容師ブームがきて…」freee・佐々木氏が語った、進路変更の意外な理由4.「使えないくらいのお金、生きる目的を失った」 Google出身の起業家が語る、お金ではない仕事のやりがい5.仕事は勉強やスポーツよりも成果が出やすい freee・佐々木氏が学生に語った新人時代のエピソードとは

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