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第1期派遣留学生壮行会(全1記事)

孫正義氏、高校を中退して家族を支えた兄に「恩返しがしたい」 学生時代の留学体験を語る

官民協働海外留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」の第1期派遣留学生壮行会にソフトバンク代表の孫正義氏が登壇し、留学生達を激励しました。アイデンティティへの苦悩や留学時に兄と交わした約束など、自身の半生を振り返る16分間のスピーチです。

孫正義氏「番地のない住所に生まれ育った」

孫正義氏:皆さん、自分の戸籍の住所っていうもの、そこに生まれた由来みたいなものを気に留めたことがありますでしょうか? 僕は馬鹿なことに、若い時に自分の戸籍の住所というもの、その意味をよくわかっていませんでした。

大人になって20歳を過ぎてから、戸籍というものを区役所に取りに行く時に、その住所をふと見て、「何で無番地って書いてあるんだろう?」って思ったんですね。僕の戸籍には「佐賀県鳥栖市五軒道路無番地」って書いてあったんです。

普通、番地っていうと23番地とかいろいろ書いてあるんですけど、そこを漢字で「無」って書いてあるんですよ。「無し」という字ですね。

その後でいろいろ考えて「なるほどそういうことか」って思ったのは、佐賀県の鳥栖市の五軒、一軒、二軒、三軒というのは、道の広さ、道の道路の広さを表しているんですけれども、そこの無番地というところで私は生まれ育ったということが、その1行の戸籍の住所に物語られてたということなんです。

つまり日本に、私のおじいさん、おばあさんがどういう形で移民してきたのか、よくわかりません。何か聞くところによると、漁船の底の裏に潜り込んで、日本に来たということのようです。

嵐の中で沈没しそうな中で、やっとたどり着いた日本。当然、住むところはないですよね。ですから、一緒に漁船の底に潜り込んで入ってきた何人かの家族が住み着いたところというのが、今でいうJR国鉄ですね。鳥栖市の駅から200mくらい離れたところの、本来住所として存在しないところに、トタン屋根で無理くり住む。

雨風をしのぐ板を貼って、そこに住んでいたと。つまり本来許されていない土地に、許されていない形で勝手に住み着いたということになります。そこから地を這うようにして生きて、何とか生き延びてきたというようなことなんですけれども。

区役所としては住所を与えなきゃいけないんだけど、正式に認めるわけにはいかない。したがって番地のない駅の脇の、本来国鉄が所有している所に勝手に住み着いている人だけど、戸籍謄本を作らなきゃいけないので、番地を与えるわけにはいかないから「無」という形で、番地のない住所に生まれ育った。

これが私の最初の戸籍であります。そういう地を這うような生活の中から這い上がっておりますので、親父がしていた仕事もロクな仕事じゃないですね。日銭を稼がなくてはいけないから、焼酎を作って売るとか、豚を育てて売るとか、おじいさんが少し空き地を耕して野菜を作るとか、そんな状況でした。

父が倒れ、兄が生活を支える中でも留学を決意した理由

私の父と母がそれから結婚し、私と兄弟が生まれたわけですが、本当にそういうなけなしの状況で育って、何とか一般の人並みの生活ができるようなレベルまで収入が立つようになって、働き盛りの親父は僕が中学生の時に血を吐いて倒れました。

病院に入院しました。私は入院している親父がいて、中学を過ぎた頃に家庭は暗くなりましたよね。働き盛りの親父が倒れて、お袋は毎日泣いているという状況で、兄は高校の1年生でしたけど、高校を中退して、家計を支えるようになりました。

そういう中で、私は突然アメリカに留学すると言い出したわけですね。もちろん親戚のおじさん、おばさんは「お前は何ちゅうことを言うんだ」と。父が血を吐いて倒れ、母は毎日泣いて暮らして、兄は家族を支えるために高校を中退して頑張っている。

お前は贅沢にただ普通に学校に行っているという状況の中で、ましてや家族の家計も苦しいのに、1人で楽しそうにアメリカに留学とはどういうことだ? 親戚のおじさん、おばさんにこっぴどく言われました。

「お前は冷たいやっちゃな。何のために行くんだ?」

「それはいろんな夢がある」

「それはお前の個人の夢だろう? 家族を支えなきゃいけない、今1番苦しい時に、何でそんな勝手な夢を持つんだ?」

僕は、実は兄貴に「兄貴ありがとう。家族を支えてくれてありがとう。俺はアメリカに行ってくる」と言ったんですね。兄貴は「そうか、なんでや?」と聞くわけです。

僕が兄にその時言ったのは「兄貴悪いけど、今家族を支えてほしい」と。「我が家の、うちの家族の近い将来の問題。それを支えるのは、俺は今兄貴に頼りたい。けれど遠い将来の家族、遠い将来のもっと多くの苦しんでいる人達を支えるために、俺はアメリカに行く」ということで、行きました。

日本国籍が泣きたいくらい欲しかった

皆さん、ここにいる人はほとんど日本国籍、全員そうだと思いますが、僕は十数年前にやっと、泣きたいほど望んで日本国籍をいただくことができました。今でも自分が何人かよくわかりません。23代前は中国に先祖がいて、そして韓国に渡って、3代前から日本に。

名前は孫正義ですね。韓国でも珍しい苗字なんですよ。日本ではもちろんあり得ない苗字です。ですから、日本で在日韓国人ということで、何十万人かが心で苦しんでいる。いろんな意味合いで苦しんでいる人達がいる。僕も子どもの時は、ふと自分で自殺したいと思えたこともありました。それは国籍問題で悩んだからです。

泣きたいほど望んで得た、生まれながらにして自動的に得た国籍ではなくて、泣きたいほどに、何で自分だけは日本国籍じゃないんだ。友達がクラスにいる中で、何で自分だけ変わった状況なんだろう? 恥ずかしい、隠したい、そういう状況の中で苦しんだわけですけれども。それほど、泣きたいほど望んで得た日本国籍です。

孫正義氏が「孫」を名乗る理由

でも多くの同じような境遇の子どもたち、若い在日韓国人の人たちが悩んでいる。僕は彼ら、彼女らに伝えたい。

「そんなことはないんだ。本当は国籍なんちゅうのはただの紙きれだ。本当はどんなバックグラウンドであれ、みんな同じ人間だ。みんな1つの人間として尊いんだ。みんな同じ可能性、夢を実現できる可能性を持っているんだ」

「誰々が優れていて、何々国籍だと劣っていると。そんなことはないんだということを、俺は絶対に証明してみせる。自分の人生をかけて証明をしてみせる」と。

だからあえて「孫」という先祖代々の、当時家族親戚はみんな「やすもと」という日本名を名乗っていましたけども「僕は留学して帰って来たら、先祖代々の『孫』という名前を名乗って、自分の国籍の過去も堂々とカミングアウトする」。

「その上で、立派に同じレベルの人間として仕事をしてみせる。多くの人々に貢献してみせるんだ」ということを心に誓って兄貴に「俺は自分自身の幸せ、自分の家族を支えるということに加えて、もっと多くの苦しんでいる若い子ども達に、背中で夢を示したい」ということを言って、アメリカに発ちました。

1分1秒を惜しんで勉強した留学時代

ですからアメリカに留学して、毎日勉強の鬼になりました。勉強の虫じゃないですよ。そんな生易しいもんじゃない。もう道を歩く時も風呂の中でも、食事をする時でも、寝てる時の数時間以外は全て勉強すると。もちろん英語で、アメリカですので。

家族が泣いている中で、同じ1つ違いの兄貴に中退してもらってまで支えてもらって、血を吐いている親父に何とか喜んでもらいたい、お袋にも喜んでもらいたいということで発ったわけなんで、1日1日のアメリカでの生活というのは、遊びほうけるというわけにはいかない。

本当に今の自分が恥ずかしくなるぐらい、その当時は1分1秒を惜しんで勉強をしました。多くの学問で、アメリカで学んだことはたくさんありますけれども、でもそれ以上に学んだことは、そこではいろんな肌の色の人達が、皆明るく、夢にあふれ、希望にあふれ、アメリカンドリームを掴もうとして一生懸命に仕事をしている。

そして世界で最も進んだ文明や、社会システムを持っている。僕はそのことに感動し、いつか日本に帰ったら、必ず世界に誇れるような企業を日本に作りたい。そして、いずれその会社がそれなりの規模になったら、世界中の人々に我々の貢献する仕事で幸せを提供したい。そういうことを誓って勉強しました。

あのとき支えてくれた家族に、少しでも恩返しがしたい

ですから今振り返ってみて、あの時もし、あの16歳の僕がアメリカに、外の国を知らなかったら、それを体験しなかったらと思うと、今の僕の人生は全然違ったものになってしまう。結果的には、父は無事体の健康を取り戻し、お袋も今は笑って過ごしていますし、兄貴も幸せにしております。

あのとき支えてくれた、高校を中退して支えてくれた兄貴がいた。そのお礼を何らかの形でしたい。

僕が皆さんの支えとなる、ささやかな支援という形でしようと思っているのは、皆さんの家族だとか兄弟が高校を中退してだとか、会社を辞めてまで、あるいは何か特別なことをして皆さんの留学を支援するという、そういう境遇の時は、それはそれでいいんですけども。

先ほど大臣も、アルバイトに明け暮れてやっと1カ月留学ができたということですが、皆さんが少しでも夢と希望にあふれ、多くの人々に貢献できる、そういう道を提供できるのであれば、それが兄貴に対する恩返しであり、親父やお袋に対する恩返しだと。少しでもそういう形で恩返しがしたいと。

少しでも皆さんがこの素晴らしい、美しい、本当に愛しき日本に、皆さんがこれから大人になって高い志で、皆さんの後に続く多くの若者に、そしてお年寄りに貢献できたら、そのことに僕が少しでも間接的に皆さんを応援できたら、そういう思いで今回支援することにいたしました。

ぜひ、ぜひこの機会を。人生でこの今の皆さんの若い時というのは、二度とやってきません。1日1秒を大切にしていただいて、このきっかけを大切なものにしていただきたい。有意義なものにしていただきたい。心からそう思います。頑張ってください。

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