孫正義氏「番地のない住所に生まれ育った」
孫正義氏:皆さん、自分の戸籍の住所っていうもの、そこに生まれた由来みたいなものを気に留めたことがありますでしょうか? 僕は馬鹿なことに、若い時に自分の戸籍の住所というもの、その意味をよくわかっていませんでした。
大人になって20歳を過ぎてから、戸籍というものを区役所に取りに行く時に、その住所をふと見て、「何で無番地って書いてあるんだろう?」って思ったんですね。僕の戸籍には「佐賀県鳥栖市五軒道路無番地」って書いてあったんです。
普通、番地っていうと23番地とかいろいろ書いてあるんですけど、そこを漢字で「無」って書いてあるんですよ。「無し」という字ですね。
その後でいろいろ考えて「なるほどそういうことか」って思ったのは、佐賀県の鳥栖市の五軒、一軒、二軒、三軒というのは、道の広さ、道の道路の広さを表しているんですけれども、そこの無番地というところで私は生まれ育ったということが、その1行の戸籍の住所に物語られてたということなんです。
つまり日本に、私のおじいさん、おばあさんがどういう形で移民してきたのか、よくわかりません。何か聞くところによると、漁船の底の裏に潜り込んで、日本に来たということのようです。
嵐の中で沈没しそうな中で、やっとたどり着いた日本。当然、住むところはないですよね。ですから、一緒に漁船の底に潜り込んで入ってきた何人かの家族が住み着いたところというのが、今でいうJR国鉄ですね。鳥栖市の駅から200mくらい離れたところの、本来住所として存在しないところに、トタン屋根で無理くり住む。
雨風をしのぐ板を貼って、そこに住んでいたと。つまり本来許されていない土地に、許されていない形で勝手に住み着いたということになります。そこから地を這うようにして生きて、何とか生き延びてきたというようなことなんですけれども。
区役所としては住所を与えなきゃいけないんだけど、正式に認めるわけにはいかない。したがって番地のない駅の脇の、本来国鉄が所有している所に勝手に住み着いている人だけど、戸籍謄本を作らなきゃいけないので、番地を与えるわけにはいかないから「無」という形で、番地のない住所に生まれ育った。
これが私の最初の戸籍であります。そういう地を這うような生活の中から這い上がっておりますので、親父がしていた仕事もロクな仕事じゃないですね。日銭を稼がなくてはいけないから、焼酎を作って売るとか、豚を育てて売るとか、おじいさんが少し空き地を耕して野菜を作るとか、そんな状況でした。
父が倒れ、兄が生活を支える中でも留学を決意した理由
私の父と母がそれから結婚し、私と兄弟が生まれたわけですが、本当にそういうなけなしの状況で育って、何とか一般の人並みの生活ができるようなレベルまで収入が立つようになって、働き盛りの親父は僕が中学生の時に血を吐いて倒れました。
病院に入院しました。私は入院している親父がいて、中学を過ぎた頃に家庭は暗くなりましたよね。働き盛りの親父が倒れて、お袋は毎日泣いているという状況で、兄は高校の1年生でしたけど、高校を中退して、家計を支えるようになりました。
そういう中で、私は突然アメリカに留学すると言い出したわけですね。もちろん親戚のおじさん、おばさんは「お前は何ちゅうことを言うんだ」と。父が血を吐いて倒れ、母は毎日泣いて暮らして、兄は家族を支えるために高校を中退して頑張っている。
お前は贅沢にただ普通に学校に行っているという状況の中で、ましてや家族の家計も苦しいのに、1人で楽しそうにアメリカに留学とはどういうことだ? 親戚のおじさん、おばさんにこっぴどく言われました。
「お前は冷たいやっちゃな。何のために行くんだ?」
「それはいろんな夢がある」
「それはお前の個人の夢だろう? 家族を支えなきゃいけない、今1番苦しい時に、何でそんな勝手な夢を持つんだ?」
僕は、実は兄貴に「兄貴ありがとう。家族を支えてくれてありがとう。俺はアメリカに行ってくる」と言ったんですね。兄貴は「そうか、なんでや?」と聞くわけです。
僕が兄にその時言ったのは「兄貴悪いけど、今家族を支えてほしい」と。「我が家の、うちの家族の近い将来の問題。それを支えるのは、俺は今兄貴に頼りたい。けれど遠い将来の家族、遠い将来のもっと多くの苦しんでいる人達を支えるために、俺はアメリカに行く」ということで、行きました。
日本国籍が泣きたいくらい欲しかった
皆さん、ここにいる人はほとんど日本国籍、全員そうだと思いますが、僕は十数年前にやっと、泣きたいほど望んで日本国籍をいただくことができました。今でも自分が何人かよくわかりません。23代前は中国に先祖がいて、そして韓国に渡って、3代前から日本に。
名前は孫正義ですね。韓国でも珍しい苗字なんですよ。日本ではもちろんあり得ない苗字です。ですから、日本で在日韓国人ということで、何十万人かが心で苦しんでいる。いろんな意味合いで苦しんでいる人達がいる。僕も子どもの時は、ふと自分で自殺したいと思えたこともありました。それは国籍問題で悩んだからです。