私たちは色眼鏡をかけたまま生活している

ダン・アリエリー氏:人生において、客観的になるのはいいことです。しかし問題なのは、私達の色眼鏡はいつもかかったままだということです。

例えばビールのテイスティングをしたとしましょう。何種類かを味わい、味の濃さと苦みを元にそれらをレートしてもらうと、このような分類になります。

今度は目隠しをして「利きビール」をしてもらいました。客観的になると、ビールの場合の結果は変化し、ほとんどのビールが似たような分類になったのです。

とりあえず分類はできなくなります。ただし、ギネスを除いてね。

(会場笑)

似たような方法で生理学についても考えることができます。生理学に何かを期待した場合どうなるでしょうか? 例えば薬を売るとします。高いと言えば安いという人もいる中で、期待が生理機能に影響を与え、高い薬のほうがよく効くと感じてしまいます。

スポーツでもよくありますが、特定のチームを応援していた場合には、そのチーム目線からのゲーム展開しか考えられなくなります。

これらのことは、自分であらかじめ予想した気づきや期待によって色付けされた世界があるがゆえに起こることなのです。

予想と事実の大きなギャップ

しかしこれらが、より入り組んだ問題についてだとどうでしょうか? 社会正義に関する問題などです。そこで私達は、不平等というテーマについてのブラインド・テイスティングをしたらどうなるのか? アメリカや他の国で大規模調査を実施しました。

私達がした質問は2つです。「どのくらいのレベルの不平等が存在するのか?」と「どのくらいのレベルの不平等があってほしいか?」というものです。まず最初の質問を見てみましょう。

全てのアメリカ国民だと想像してみてください。右の最貧層から左の最裕層へ、20パーセントごとに5つのグループに分けました。

ここで皆さんも考えてみてください。それぞれ5つのグループにどれくらいの資産が集結しているでしょうか?

シンプルに言うと、最も貧乏な2グループです。考えてみてください。できましたか?

多くのアメリカ人の予想はこうです。最も貧しい20パーセントが全体の2.9パーセントの資産、次が6.4パーセント。この2つを合わせても9パーセント程度です。

次のグループが12パーセント、その次が20パーセント、そして最も裕福な層は58パーセントという結果でした。あなたの予想と比べてみてください。

実際の統計は予想とは少し違います。最貧層が0.1パーセント、次が0.2パーセント、これらを合わせても0.3パーセントです。

次のグループは3.9パーセント、次が11.3パーセント、そして最も裕福なグループは84、85パーセントの資産を持っています。

つまり、予想と事実にはかなりの隔たりがあるのです。

誰も資産に平等を求めていない?

では欲求はどのようにして導きだすのでしょうか? 私達が本当に求めているものです。そこで哲学者のジョン・ロールズについて考えてみましょう。彼には公正な社会について「知識がある場合に人は場所を選ばない」という考えがあります。

わかりやすいですよね? 自分が裕福なら、富裕層と貧困層にはそれぞれ多く/少なく資産をもたらすことを求め、逆に自分が貧乏なら公正を求める。でも自分があらゆる層になりえると考えた場合は、全てをいちいち考慮しなければならない。

ブラインド・テイスティングのようなもので、判断の瞬間には結果がわからない。ロールズでいう「無知のヴェール」です。

また別の大勢のアメリカ人のグループに「無知のヴェール」の状態で答えてもらいました。

「自分自身が5つの内どのグループにもなり得るとしたら、どんな国に参加したいすか?」   結果はこうでした。最も貧乏なグループには10パーセント、次に14パーセント、21パーセント、22パーセント、最も裕福なグループには32パーセントというものでした。

別に誰も平等を求めてはいないのです。社会主義がすばらしいという発想にはまったくならない。でもそれはどうしてなのでしょうか?

それは実際に持っているものと、持っていると思っているものの間に「知識のギャップ」があるからです。しかし正しいと思っていることと、持っていると思っているものの間には大きなギャップがあるのです。

ちなみにこれらの質問は他の事象についても有効です。これについて世界各国の人々に質問してみました。リベラルや保守についても同じ答えが返ってきました。裕福と貧困も同じでした。

男性と女性『ナショナル・パブリック・ラジオ』のリスナーと『フォーブス』の読者、イギリス、オーストラリア、アメリカでも似たような解答でした。大学の各学部にも質問しました。ハーバード大学のほぼ全ての学部にです。

ハーバードのビジネススクールでは、多くの資産を求める人は少なく、裕福層に少ない資産を与えるという考えも少数でした。この類似は驚くべきものでした。ここにも何人かハーバード・ビジネススクール出身者がおられると思いますが。

他のことについても質問しました。非熟練者に対して「社長の給料の比率はどのくらいか?」比率に対しての考えを知るためです。それからまた質問しました。「その比率はどうあるべきか?」それから最後に「実際はどうか?」という質問をします。この図は悪くはなく見えますが……。

スケールを統一すればこうなります。黄色(予想)と青(理想)が赤(現実)の中に入ってしまっていますね。

(会場笑)

結果としての資産はどうでしょうか? 資産は単純にそれ単体の話ではありません。では健康はどうでしょうか? 薬の処方が受けられるのでしょうか? 寿命に関してはどうでしょう。乳幼児の寿命は? どのように分配してほしいのか? 若者の教育はどうでしょう? それより年上の世代の教育は?

これら全てに関して言えるのは、人々は資産に平等を求めてはいないということです。

誰もが抱えている3つのギャップ

しかしそれ以外に人々が嫌い、資産の結果として発生する不平等があります。例えば健康や教育です。子どもや赤ちゃんといった、自分自身に不平等を被ることに責任がない存在に対しては、特に平等が受け入れられる傾向にあります。

これらに関して、何がわかるのでしょうか? 私達には2つのギャップがあります。「知識のギャップ」と「願望のギャップ」です。ここでいう「知識のギャップ」とは私達が頭で考えることで「人々をどう教育するか?」「不平等や、不平等の結果生じる健康、教育、嫉妬、犯罪などについて、どう違う考え方をさせるか?」ということです。

そしてもう1つ「願望のギャップ」についてです。「実際の要求についてどうやって違った考え方をさせられるか?」ロールズの定義では、ブラインド・テイスティングによって自己中心的なモチベーションが現れるという物でした。さらに大きなスケールで、その発想をどう適応させるのかということです。

最後に「行動のギャップ」があります。実際にどう行動を起こすのか? これに関しては、自分自身に純粋な選択力の少ない子どもについて考えるのが有効だと考えます。なぜならそのほうがやりやすいからです。

今度、皆さんがビールやワインを飲まれる際には、実際の体験と期待による感覚についても考えてみてください。そしてそれが人生での他の出来事に、どんな影響をもたらすかについても考えていただきたいのです。

願わくば、私達全てに影響する政策についてもそうやって考えていただけたらと思います。ありがとうございました。