元ひきこもりのエンジニアが、何もかも失った後に技術と探究心でやり遂げた社会貢献とは?

Dive in! Nothing ventured, nothing gained #1/1

30代で起業、数年のうちに上場を果たすなど順風満帆な人生を歩んでいた浅田一憲氏。しかし40代に入ると一転、自らの会社を失い、挫折からひきこもり状態になってしまったといいます。そんな同氏は近年、色覚異常者向けの補助アプリ「色のめがね」を開発。その過程で掴んだ、浅田氏流の社会貢献のあり方を語りました。(TEDxSapporo 2013より)

色覚異常者から見た、花畑の風景

浅田一憲氏(以下、浅田):みなさん、TEDxSapporoへようこそ。これはファーム富田っていうところの写真ですが、今(7月)ちょうどラベンダーが満開だそうです。

美瑛に行くと、最近有名な青い池もあります。

そしてこれはポピー。ピンクと赤の花ですね。今これもちょうど満開だと思います。

このような綺麗な景色ですが、同じように誰もが見えているわけではありません。こんなふうに見えてる人もいるんです。赤い花が良く見えないですよね。

ラベンダーは空の色と同じような色で見えます。そして青い池はほとんど変わりません。

このような色の見え方のことを医学用語で「色覚異常」と言います。「色弱」と呼ばれることも多いです。日本人男性なら約5%、20人に1人くらい存在すると言われてます。欧米人はもっと多くて、12人に1人が色覚異常です。

異常という言葉が使われてますが悪い意味ではありません。文字通り、常とは少し異なる見え方がする。そういう少数派という意味です。

色覚異常者向けのアプリ「色のめがね」とは?

でも世の中は多数派の人に便利に作られてることが多いですから、こういう色の見え方をする人は普段の生活で少し困ることがあります。そこで私は、色が見えやすく・色を見る補助をする、そんなスマートフォン用のアプリを作りました。「色のめがね」といいます。

たくさんの人に使っていただいていて、今は世界中に2万人くらいユーザーがいます。こんな感じで、ちょっと色がわかりやすくなりますよね。

近視の人が眼鏡かけると思うんですが、それと同じように色覚異常の人に使っていただければいいなと思っています。こういうソフトなんですが、「どうして『色のめがね』を作ったんですか?」、そういろんな人に聞かれます。色で困ってる人のことをどうしても助けたかったんです、本当はそういうふうに格好よく答えたいところなんですが、真実はそんな立派な理由ではありません。

実はこんな私でも、挫折して家に引きこもっていた時期がありました。信じられないかもしれませんが。

その頃は、世界中の人はみんな自分を嫌っているんじゃないかな、自分は世の中に必要とされてないんじゃないかな、そう思ってました。まあでも、もう一度、イチからやってみよう、世の中に必要とされるようなことを、出来るか出来ないかわからないけどもう一回やってみよう。そうしてようやく思い立って作ったのが、実はこのアプリなんです。

作るのはすごく怖かったです。そういう時期ですから。でも勇気を出して崖から飛び降りるような、そんな気持ちで作りました。

でも思えば、崖から飛び降りるようなことを私はずっとやってきてるんです。今まで何回も何回も。考えてみればそれらのひとつひとつが、みんなこのアプリに結びついてるんです。そういう話を今日はします。まずは30数年前の話からです。Z-80というマイコンがあるんですが、それの話です。

コンピュータにのめり込んだ大学時代

私が大学生の時、1981年。私はコンピュータのことが大好きで大好きで、朝から晩までずーっとコンピュータのことを考え、日本でただ一軒だけだったパソコンショップで店員のアルバイトをして、友達と話す話も実は全部コンピュータか数学の話でした。完全にオタクですね。

そのオタクの私が、パソコンショップの関係者から声をかけられたんです。「ソフトウェア開発の仕事があるからやらない? できるでしょ?」って。でもその頃私は初心者で、全然開発なんて出来なかったんですが、でも気がついたら言ってたんです。「出来ます! やります!」って。

で、本当は出来ないことがばれるとまずいので、その日のパソコンショップのアルバイトの帰り道に本屋さんに寄って、Z-80の本を買って帰りました。レジのソフトを開発する仕事だったんですが、そこにこれ(Z-80)が入ってたんです。この本を買って帰りました。

買った日に徹夜で読みました。読んだら「少しできるかなー」ていう気持ちにはなったんです。でも実際に始まってみると、そもそもがハッタリですから出来るわけもありません。納期が年末だったんですが、その日になっても出来上がらず「出来るなんて言わなきゃよかったな」って後悔しながら、半べそをかきながら頑張って頑張って開発して、ようやく出来上がったらもう年が明けてました。

みんなには迷惑をかけてしまったんですが、それをやりきった。そんなことで私は開発に少し自信がついたんです。それでそれが得意になりました。それから私は学生の身にも関わらず、大きなシステムの開発を次々とこなすようになったんです。たとえばデパートの基幹システムとか、電子のチケットの発券システムとか。

そうやってコンピュータ漬けの毎日でしたけど、おもしろいことがありました。そのときたまたま、読んでいた雑誌におもしろい記事を見つけたんです。

それはMITの3名の数学者が作ったRSA暗号という暗号の話でした。それがあると、デジタル社会になっても安全に情報のやり取りが出来て、買い物も出来て、もしかしたらお金までもデジタルに出来るかもしれない、そう書いてありました。

その本に書いてあったことは、その3人の数学者のうちのひとり、Adi Shamirさんは、今は故郷のイスラエルに戻ってDNAコンピューターの研究をしてるというのです。DNAコンピューターってみなさんわかりますか? 僕すごい不思議に思ったんです。DNAとコンピューターに何の関係があるんだって。モバゲー? とか思いましたけど。

(会場笑)

ウケて良かった(笑)。その頃モバゲーないですからね。

(会場笑)

まあそれでも、よく考えてみるともしかしたら関係あるかもしれない。なぜかというと、DNAの中には4種類の塩基というものが30億個連なった、ゲノムというデジタルデータが入ってます。その中には人間の設計図が全部入ってるはずなんです。

だからもしゲノムが解読できて、その役割と仕組みが全部わかれば生命の秘密が解き明かされるかもしれない。僕、生命の秘密解けるかもしれない、暗号を解読するみたいにゲノムを解読できたらすごい。そう思ったんですね。23歳のときです。で、暗号って面白いな、いつかはゲノムとか遺伝子のことやってみたいな、そう思いました。そのときは思っただけです。

若いでしょ?(笑)

(会場笑)

ヒトゲノムの魅力に取り憑かれ、医学部の博士課程へ

大学の卒業研究は、絵が好きな数学の先生がいてその先生のもとで画像処理について行いました。大学を卒業してからは、コンピューターの開発の会社に就職して、いろんな製品を開発しました。そういう会社員時代に同僚として知り合った人に、栗田正樹さんって人がいます。

彼はもともと建築家なんですけども、クリエーターでもあって、線をたくさん使った細かい絵や、色をたくさん使った神々しい絵を描く人なんですけども、「私は色覚異常です」、そう周りの人に公言していたんです。

「こんな色をたくさん使う人が色覚異常だなんて不思議だな」。すごくそのことが印象に残りました。多分彼と知り合ってなければ、私はのちに「色のめがね」を作ることはなかったと思います。それから時は流れて1997年、私は自分の会社を設立して、そこの社長になっていました。

何の会社かっていうと、暗号技術の会社です。私が起業した会社は3~4年の間に大きく成長して、とうとう上場企業になりました。15年くらいの間に、本当にデジタル社会がやってきて、暗号が必要とされる時代になってたんです。雑誌は読んだほうがいいですよ。

その頃バイオテクノロジーの分野もすごく花開いた時期です。アメリカのCeleraという、いち民間企業が全ヒトゲノムを解読して、遺伝子をターゲットとした薬が作れるかもしれない、そういう可能性が出てきたんです。

本当はこんな恰好はしてません、ヒトゲノムはね。ただのデータの列です。ちょうどその頃、ある大学の医学部の教授と知り合いになりました。その先生と話してるときに「実は昔から遺伝子のことやりたかったんですよね」そう言いました。するとその教授は「大学院に来れば思う存分出来ますよ。でも社長にはそんな時間ないでしょう?」と言いました。

そして私はまた気がついたら「時間あります! 行きます!」と言ってたんです。でも調べてみると、医学部を出てないから受験資格がなかったんです。で、受験資格審査を受けて何とかパスし、入試も何とかぎりぎりパスし、私は40歳にして会社社長をやりながら再び学生になりました。医学部の博士課程に行ったんです。

ところが大学院がすごい大変だったんです。入ったはいいけど、みんな6年間くらい勉強してきている人ですよね。私は全然素人で、周りで飛び交ってる言葉がわからないんです。全部専門用語なんです。言葉さえも通じないの俺? と思って、すごい落ち込みました。

このまま優秀な人たちの中にいて同じことをしても仕方がないな、そう思って私は自分の研究テーマを探すために思い切ってアメリカのシリコンバレーに飛ぶことにしたんです。どうしてシリコンバレーかというと、そこはバイオテックベイと言われていて、世界最先端のバイオベンチャーがたくさん集まってるんです。そこですごいおもしろい技術を見つけました。

RNAi(RNA干渉)という技術です。これはのちにノーベル賞を獲るんですけども、遺伝子が今どのくらい動いてるか、動くと動かないのオンとオフを制御する技術です。その会社に私は何度も何度も訪問してるうちに、だんだん仲良くなって「給料はいらないから仕事手伝わせてください」とお願いしてそこの会社で仕事を手伝わせてもらうことにしました。社長もやりながら、学生もやりながら。

これがアメリカ時代の写真ですけどちょっと暗い顔してますよね。なぜかというと、あんまり上手く行かなかったんです。全然違う業界だし、アメリカだから商習慣も違うし、何といっても一番問題なのは言葉が通じなかったんです。日本にいても通じないし、アメリカにいても通じないし、どうすればいいんだと。

まあでも、どうにかなりました。この会社が持っていた遺伝子発現のデータを提供してもらって、それを数学とコンピューターで解析して、私はRNAi(RNA干渉)の分野で成果を上げて、医学博士になりました。

自らの会社を失い、みたび大学へ

でも、ちょうどこの頃、日本では大変なことが起こってたんです。私の本業、暗号の開発の会社で大変なことが起こってて、細かくは省略しますが、とうとう私は自分の作った会社の社長を辞任することになりました。会社を失い、仲間もいなくなり、私は絶望のどん底にいました。誰にも会いたくなかった。

でもそんな私を誘ってくれた人がいて、私はまた大学に行くことにしたんです。今度はメディアデザイン学っていうのを学びにまた大学院に入りました。

よく「3回も大学に行くなんてよっぽど勉強が好きなんですね」って聞かれるんですけど、そうじゃないんです。他にやることがなかったんです(笑)。でもそこはすごくいい大学院でした。素晴らしい先生がたくさんいて、おもしろい技術がたくさんあって。

特におもしろいなと思ったのは拡張現実、Augmented Realityていう技術です。それは本物の現実の映像の上に、仮想の作り物の映像を重ね合わせて現実をもっと便利にする。そういう技術なんですが、何かに使えないかなと考えていたときに、ハッと思い出したのはかつての同僚、色覚異常の栗田さんのことです。

栗田さんはその頃『色弱の子を持つすべての人へ』という本をちょうど出版していました。

私はそれを読んで、ほとんどの先天色覚異常は遺伝子が原因で起きること、そしてその見え方は科学的に予測できることを知りました。「あ、遺伝子だったら俺、出来るかもしれない」そう思いました。じゃあこれをやろう、スマートフォンで拡張現実技術を動かして色覚異常の人が、色が見えやすくなるような技術をやろう。そう決めたんです。

偶然が道を作る

でも勢いはあったんですけど、何をどうやって作っていいか全然わかりません。そこで私はどうしたと思いますか? また飛び込みに行ったんです。その頃は本当に誰にも会いたくなかったんですけど、人と会わないことにはこれはできないなと思って、また勇気を出して飛び込むことにしました。

そうやって飛び込み人生をまた再開しました。まず手始めに、色覚異常の人たちのための活動を行っているNPO法人を訪ねて、そういう人たちがどういうときに、どんなことで困ってるのか、それを教えてもらいました。

まったくの素人の私が突然訪ねて行ってもきっと相手にしてくれないなと思ったので、「実は学生のときに画像処理の研究をしてたんですよ。僕、画像処理詳しいんです」そういう話をしました。すると、そこの人が言うんです。「ああ、その先生は色彩の学会の会長ですね」って。

驚きました。私の大学の時の恩師、絵が好きな数学の先生。あの先生が、私が卒業したあとに絵が好きすぎて色彩学の研究に進んで、いつの間にか学会の会長になってたんです。そんな偶然あるでしょうか。それで、私は早速恩師に会いに行って。

これ同じ人ですからね、右も左も。違うと思うかもしれないけど、同じですからね(笑)。

(会場笑)

で、色彩学について教えてもらいました。関係ありそうな研究をしてる日本全国の先生を何人も紹介してもらって、次々に会いに行ってアドバイスをもらいました。でもこれは難しかったです。アドバイスをもらっても「これだ」っていう方法が思い浮かびません。

そこで私は恩師のアトリエに入り浸りになって、恩師を質問攻めにしながら、どうすれば色が見えるようになるか必死で考え続けました。「こんなこともわかんないのか?」って、30年くらい前にそういうふうに怒られたような気がするなあって、また叱られながらですね。でも考えても考えても、いい方法が思い浮かばないんです。

これはもう出来ないかもしれないな、そう思ったときにパッとこの図が降ってきたんです。

暗号技術の開発で培ってきた数学の知識がここで役に立ったんですね。この図、何かわからないでしょうけど、これがわかったからどうやれば色が見えるようになるかヒントが得られたんです。これが基になって、色が見えやすくなる理論ができました。それを入れ込んで「色のめがね」が完成したんです。色覚異常の少年たちにこれを使ってもらったので、そのビデオを見てください。

アプリ「色のめがね」で広がる新しい景色

浅田:これ何描いてある?

少年:わかんない。

浅田:よしじゃあ見るぞ、ほら。

少年:パンダ?

浅田:そうだ、パンダ見えた?

少年:うん見えた。見える、すごい。

浅田:何色だと思う? この「カフェイン」て書いてるとこ。

少年:薄い赤。

浅田:これはね、濃い赤紫。

青年:赤紫?

青年:へー。

浅田:じゃあこれは?

青年:全然、何が描いてあるか私にはさっぱり。何も見えないっていうか、文字っぽいのが出てないんですけど。

青年:すごい。パンダが浮き出てきましたね。

浅田:(紙を示して)パンダ描いてあるよ。

青年:パンダ描いてあるんですか? そんなまさか(笑)。これは普通の人が見たら、パンダが見える?

浅田:うん、こんなはっきりは見えないけど、赤と緑でパンダが描いてある。

青年:えー?

不安になるのも素敵なこと

浅田:色覚異常の少年たちは喜んでくれました。そして、世界中のユーザーから「色が見えやすくなったよ、ありがとう」ていうメッセージが届きます。それを読んで私は「こんな私でも必要としてくれる人がいるのかもしれないな、こうやってここで生きてていいんだな」そう思えるようになったんです。だから私は色で困ってる人を助けたのではなくて、その人たちに助けられたのです。

いつも不安に思ってます。一生懸命やってもできなかったらどうしよう、できたとしても誰の役にも立たなかったらどうしようって。他の人がやったほうが、上手く行くんじゃないかなって。

まあでも失敗してもいいんです。そういうこともあるから仕方ない。世の中の役に立つことなら何でもいいのではなくて、自分がやりたくてやって、そしてやり遂げた。そのことを通じて世の中の役に立ちたい。そう考えているんですから。

かつては、何をやるにしてもすぐ不安になってしまう自分のことを情けないと思ってました。だからもっと実力をつけたかった。でも今は、そうやって不安になってしまうのもなかなか素敵じゃないかなってそう思うようになりました。

だって何度も飛び込んだり不安を乗り越えているうちに、私は信じることができるようになってきたんです。一生懸命やって、その前に勇気を出して飛び込んで諦めずにしつこくやれば、いつかはきっと出来るということ。そしてそのようにして成し遂げたことは、いつかはきっと誰かの役に立つということを。

ありがとうございました。

<続きは近日公開>

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