しりあがり寿と日比野克彦は宗達・光琳の生まれ変わり!?

司会者:本日は日経電子版日経アートプロジェクト「琳派はまわる!時空を超えるアートの力」を開催いたします。

しりあがり寿さんは、アートフェア東京の特別企画「琳派はポップ/ポップは琳派」というコーナーに作品を出品されております。そして、琳派(りんぱ)を意識した大型の墨絵作品を新たに日経新聞の会議室で制作してくださいまして。明日から大手町にございます本社2階のギャラリーで展示が始まりますので、みなさんぜひお越し頂ければと思います。

琳派は今年、発祥から400年を迎えますが、しりあがりさんは琳派の創始者のひとりである本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)さんの誕生から400年後の1958年にお生まれになり、ちょうど400歳違いでいらっしゃいます。

そしてなんと、もうひとりのゲストである日比野さんも1958年生まれという不思議なご縁のセミナーでございます。日比野さんは4月に開催されます「六本木アートナイト」でアーティスティックディレクターをつとめられます。

今日は同じ1958年生まれのアーティストである、お二方をゲストに迎えまして、現代アートの視点から見た琳派の意義や時空を超えたアートの力について語って頂きたいと思います。それでは、モデレーターはこのアイデアを発案していただきました小崎哲哉さんにお願いしたいと思います。

小崎哲哉氏(以下、小崎):こんにちは、小崎哲哉と申します。よろしくお願いします。私はそもそも現代アートが専門で、琳派というか日本美術は詳しいわけではないんですけれども。お二人をたまたま存じ上げていたので司会をつとめている次第です。

今、説明にありましたとおり、しりあがりさんと日比野さんのお二人は琳派に縁がある。1558年に本阿弥光悦が生まれて、創始者のもうひとり俵屋宗達(たわらやそうたつ)は生年不詳でわからないんですけども、さらに100年後の1658年、琳派という名前のもとになった尾形光琳(おがたこうりん)が生まれるんですよ。ピッタリ100年後。さらにそこからピッタリ300年を経て、このお二人が生まれたということで「これはもう、生まれ変わりに違いないだろう」と。

今日はそういう無理やりな企画ではあるんですけれでも。しりあがりさんは特別企画の「琳派はポップ/ポップは琳派」に参加されていますし、日比野さんも「六本木アートナイト」が琳派っぽい感じもするので。そのあたりも含めて、いろいろお話を伺っていきたいと思います。

日比野克彦、幻の処女作

しりあがり寿氏(以下、しりあがり):よろしくお願いします。400年前どうだったんですかね(笑)?

日比野克彦(以下、日比野):ねぇ?

しりあがり:びっくりですけど。日比野くんと僕は多摩美術大学に1年いてね。

日比野:はい同級生で。

しりあがり:今こんなところで一緒に座っているのは、ちょっと緊張しますね。

日比野:しりあがりの本名が望月っていうんですけど、僕は日比野なので、「あいうえお順」の席が近いところで同じ授業を受けていて。

ちょうど漫画研究会っていうのが立ち上がった頃で「タンマ」っていう漫画があって。それの創刊号に望月が描いた漫画が、すんげぇおもしろくて!

しりあがり:海パンに「おねしょ」する話でしょ?

(会場笑)

小崎:しょうもない(笑)。

日比野:もの悲しいけど、すごいおもしろくって。見てゲラゲラ笑ってて「何度読んでもおもしろい」みたいな。

しりあがり:うれしいです。

日比野:線はね、本当に今と同じですよ。サッと描いてラフな空間が物をいうようなね。それで「望月おもしろいな」っていうのが最初の印象でしたね。

小崎:そのとき日比野さんも漫画を描いてたんですか?

日比野:僕はサッカーやってた。

(会場笑)

小崎:変わってないね(笑)。

しりあがり:日比野くんの家に遊びに行ったときに、ダンボールアートを見た記憶があるんですよ。でも日比野くんに言うと「違う」って言うんだよね。

日比野:あれ棚だよ棚! 棚がなかったからオクラが入ってたダンボール箱を少し改造して棚にして。

小崎:もう取ってないでしょ、それ?

日比野:もうないと思う。1ヶ月くらいの出来事だったから。

小崎:うわぁ、幻の処女作だったんですね。それでは、そろそろ映像を見ましょうかね。

日経本社会議室での制作風景

しりあがり:これは日経本社さんの7階の会議室です。この部屋中に紙を貼ってもらって絵を描くんですね。最初、緊張すんだよなぁ。

しりあがり:あっ、空振り(笑)。

(会場笑)

日比野:これ掃除道具?

しりあがり:掃除道具にガムテープでハケを付けてるんですけども。

しりあがり:これは何をやっているかというと、みなさんのお手元にもDMがいってるかと思いますけど、この作品を描いているところです。今回、琳派ということで何か作れと言われまして。琳派(りんぱ)と言うとリンパマッサージくらいしか知らなかったので(笑)、どうしようかと思ったんですけども。

俵屋宗達ですか? 『風神雷神図』というのは昔から知っていて「これが琳派なんだな」ということで。「風神雷神の思い切った対称性の感じを活かせないかな?」と思って。それで考えたのが風神雷神に対して、崩れるということで「崩」。回るということで「回」。

まあ(風と雷から)「崩と回」というダジャレですね(笑)。そういう具合に風神雷神から何か発想を起こして「崩れる」と「回る」の対称性を描きこもうとしたのが、この作品ですね。

しりあがり:こんなふうに適当に描いて。いいんです適当に描いて。あとで崩しちゃうからね。崩れることを意識して描いているようなものなので。

今日の夜、日経のビルに行って、せっかく描いた絵をクシャクシャにして展示するというのをやります。

日比野:崩す前のやつは展示してある?

しりあがり:今ね、どっかにある(笑)。

スタッフ:保管してあります。

日比野:じゃあ崩して完成だ。

しりあがり:崩して完成ですね。うまくいくかどうかが今日の夜やってみないとわからない。

小崎:おっ! 緊張しますね。

しりあがり:緊張しますね。

小崎:見に来てくださいって言ったほうがいいんじゃない? 明日すごいことになってるかも(笑)。

しりあがり:そうなんですよ。明日キレイに貼ってあったりして。「崩すのもったいなくなっちゃった」みたいな(笑)。

頭より先に手を動かして描く理由

しりあがり:この絵の話をもうちょっとすると、いつも漫画を描いていてね、漫画って最初から最後までコマが決まっていて、しかも下書きして描いていくから。完成が決まっていてそれに向けた作業ばっかなのね。

日比野くんもすごい自由な絵を描くけど、僕もこれ何を描くか決めないで描きたくて。「丸く描いておしりに見えたから、おしりだ」とか「四角く描いて人の顔に見えたから、人にしちゃえ」とか、「頭より手を先行で描く」みたいな。そういうのを意識して描いている作品ですね。

日比野:これ自分で振り返って見てると、そのときのことってわりと思い出したりしない?

しりあがり:思い出したりする。さっき橋を描いてたじゃん? 橋を描いてみたら気に入っちゃって、いくつも描いたんだよね。

日比野:けっこう覚えてんだよね。

しりあがり:覚えてる覚えてる。

日比野:見なかったら全然忘れてるんだけど。今、ピッて描いたじゃん? このとき覚えてるでしょ?

しりあがり:覚えてる。あそこが足りなかったんだよ、何か。

日比野:「何も考えずに描いてる」って言ったけども、絶対理由があんだよね。

しりあがり:あるんだね! そう言われるとね。

日比野:「なぜ描くか」みたいなことが。

しりあがり:「なぜ描くか」だけじゃなくて「早く終わらせたい」っていうのも(笑)。

(会場笑)

日比野:いろんな! いろんなものがありますよ。「ノドかわいたな」とか「トイレ行きたくなったな」とか「これぐらいにしとこうかな」みたいな。

しりあがり:やっぱ手だけじゃないね。切り離せないね。

日比野:さっき同じ橋を何度も描いたって話をしたけど「ここ何か欲しいな」ってときに自分の中で使いやすい線とかキャラとかない? それ出してまとめる行為があるわけよ。

しりあがり:それね、あるんだよね!

日比野:そうなってくると、自分がつまんなくなって飽きてくる。そうなると終わりなんだよ。

しりあがり:だからね、そこで崩すんだよ。

日比野:自分を裏切るんだよ。だけど裏切るには体力がいるから。体力なくなってくると、そこで終わるんだよ。

絵は永遠に完成しない!?

しりあがり:このシリーズの理想は「まっ黒」。

日比野:まっ黒までいく?

小崎:全部塗りつぶす?

しりあがり:まっ黒までいくのが完成だと思うのね。何かどっか描くと「絶対、違う」と思って、右側にもうひとつ描きたくなる。

日比野:うん、ある。

しりあがり:その連続をやると最後は「まっ黒」になると思って。でも体力ないからね(笑)。

日比野:1手先は読めるけど2手先は読めないでしょ? 1手読めないと次の1手が出てこなくって。将棋とか碁みたいなもんで、誰と戦ってんのか知らないけど、ちょっと先の自分と戦ってるんだよね。

しりあがり:そうなんだよね。

小崎:読みすぎると、つまんなくなることはないんですか?

日比野:つまんなくなりますね。たとえば3手先まで考えて「ここにあれ描いて、ここにあれ描こう」と。

しりあがり:やるけど、絶対思った通りいかないんですよね。だから言い訳をするように別のものを描かなければいけないし。

日比野:自分の中で「ズル休みしよう」という自分も出てきたりするわけですよ。

しりあがり:(映像を見て)うん、今してますね。

(会場笑)

日比野:でも最終的に「まっ黒」になるはずだと、しりあがりが言ってたけど、僕なんかは「まっ黒の手前」のどっかを目指してるんですよ。でもね、やり過ぎるときがあって「あれ? さっきのだったのかな目指していたことろは」みたいな。

小崎:1歩先に行き過ぎちゃうところが。

日比野:行き過ぎないと、わからない。目指しているところが。

しりあがり:でもそれが「美」だと思うのね。絵を描いてると「決まった!」って思う瞬間があるじゃん? 色も形も合わせて決まったと思ったり。でもね、ちょっと経つと「決まってない」ってなっちゃうんだよね。

日比野:やっぱりね、厳密に言えば永遠に過不足があるんだろうね。

小崎:絵は「どこで最後のひと筆を置くか」っていうのは必ず話題になりますよね。ときどき画家の人にそういう話を聞くんですけど、みんなハッキリとは言えない。

しりあがり:でもまた、決まってるような決まってないような緊張感がないと絵ってつまんないですよね。

小崎:でも、ズル休みも必要?(笑)

しりあがり:ずる休みも必要ですね(笑)。

誰も覚えてない絵を描きたかった

小崎:この絵は左から描き始めていったんですか?

しりあがり:そうですね。途中で右から描いたりもしましたけど、基本は左から描きましたね。

小崎:それは何か理由があるんですか? そのほうが描きやすいから?

しりあがり:なぜですかね? いつも左から描いちゃいますね。

日比野:俺は右から描くな。

小崎:横文字っぽいですよね、左からって。

しりあがり:そうですよね。

小崎:理由はないんですか?

しりあがり:理由はないですね。今回は強いて言うと、左側が絵が残る場所なんですよね。だから左から描いたかもしれないですね。

小崎:『風神雷神図』は真ん中に余白があるから、そういうのもあるのかな。

しりあがり:じゃあ絵のほうは、これくらいにして。次に右側の「回る」のほうなんですけど、これは「とにかく何でも回してしまえ」ということで。今年の1月に「art space kimura ASK?」っていう京橋の小さな画廊でやった展覧会のものを、そのまま日経さんのほうに持ってこようと思ってるんですけど。

しりあがり:ちゃんとね、自分で描いたんだよ(笑)。

(会場笑)

小崎:そんな自慢気に言わなくてもいいよ(笑)。

日比野:回す前提でツボにしたの?

しりあがり:そうそう。何かさ、応接室とかに飾ってあって誰も覚えていない絵ってあるじゃん? そういうのを描きたかったのね。回した絵の「何を描いているか」ってのは問題にしたくなかったので。

日比野:サイズ違いで同じものをたくさん描いたの?

しりあがり:たくさん描いた。16、17枚描いたんですよ。何かバカだね(笑)。

しりあがり寿とデュシャンの共通点

小崎:そもそも、なんで回そうと思ったんですか?

しりあがり:そうなんですよ。2011年の秋の展覧会、広島でマネキンをグルグル回したんですけども。最初は回さないでマネキンを立たせていたら何かがもの足りなくて。空間に対して作品がもの足りないんですよ。それですごい考えて、最終的にビジネスホテルで「回せばいいんだ!」って思いついて。

小崎:ビジネスホテルで(笑)。

しりあがり:風呂に入ってたんですけど、ユリイカみたいな感じで(笑)。

日比野:それで回したの? マネキンをくるくる。

しりあがり:そうしたら空間がもったんだよね。それから回すのがすごい好きになって。何でもいいから回すと、もっちゃうんだよね。その万能さたるや「ただ者じゃないな」って感じがして。

今回でこれ5回目か6回目。箱根の「彫刻の森美術館」でもダルマを回したりね、鎌倉の円覚寺の倉庫で薬箱をくるくる回したり、すごい回すのが好きなの。

小崎:現代アートと結びつけると、現代アートの師であるマルセル・デュシャンという人も回転する作品をつくっていますから。

しりあがり:そうなんですか?

小崎:その正統な系譜に繋がっている、とも言えると思います。

しりあがり:やった!

小崎:すごいですね。琳派とデュシャンに繋がるって。

しりあがり:そうですね。

小崎:ちょっと言いすぎましたかね(笑)。