アンドロイドは人間になれるのか?
社会の中で受け継がれる、アイデンティティの可能性

Me, myself and my android #1/2

日本におけるロボット工学、アンドロイド研究の第一人者である石黒浩は科学技術の進化によって「人」と「アンドロイド」の壁がくずれ、人間そのものの定義が変化する可能性を示唆。社会における「人間とは何か?」そのアイデンティティの源泉を問い直します。(TEDxSeeds2012 より)

アンドロイドの石黒氏に来て欲しいといわれた

石黒浩氏(以下、石黒):(舞台上のアンドロイドに向かって)今日は、またアンタが講演?

石黒氏のアンドロイド(以下、アンドロイド):ああ、もう何度おんなじ話をすればいいかわかんないな。もう飽きちゃった……。僕も前みたいに“僕”に喋らせたいなぁ。

石黒:まぁ、たまには代わるさ。

アンドロイド:いや、ダメだよ。お前、僕みたいに、僕らしく喋れないじゃん。(観客の)期待を裏切るわけにもいかんしね。

石黒:最近は僕もだいぶさ、“僕”らしくなってきた。大丈夫。

アンドロイド:いや、ダメダメ。お前は僕じゃないんだ。

石黒:ギャラはあんたの口座に振り込むって。ね?

アンドロイド:いや、そうじゃないよ。僕でなければダメなんだ。お前は人間だからね。お前はアンドロイドになりたいのか?

石黒:まぁね。そうかもな。

(舞台が暗転する)

石黒:じゃあ、今日は私が話をさせていただきます。

先週まで2週間ヨーロッパにいたんですよね。その間、4回講演みたいなものを引き受けて4回とも(アンドロイドの)彼が頑張ってくれました。

私はその間、イタリアのパレルモという街でおいしいものを食べたり、デンマークのオーデンセというアンデルセンの故郷(の街)で、別のアンドロイドとアンドロイド演劇をしておりまして。その間、彼が頑張ってくれた。

全部はちょっとまだできないんです。今まで空気で動かしていたものを、少し新しい技術を用いて電気で動かしているので、まだ改良が必要なんです。また年明けには講演を全部できるかと思います。

今は、5分か10分くらいの講演と、女性のアンドロイドが助けて2人(体制)で(長い講演を)頑張ってるっていう感じでやっています。講演を代わりにやってくれるっていうこともそうなんですが。

この後、私は12月に日本にいるんですけど、国際会議の講演をダブルブッキングしちゃったんですよね。しょうがないから、両方の主催者に「申し訳ないけれども、どっちかアンドロイド送らないといけないんですけど、どうしましょう?」って言ったら、2人が「ぜひ、アンドロイドをお願いします!」(と返事をしてきました)。僕はもう要らないっていうことですね。

(会場笑、拍手)

アイデンティティが後世に受け継がれていく可能性

石黒:「アイデンティティとは何か」ってことなんですけども。もちろん、人間にとって「見かけ」っていうのは非常に重要なアイデンティティですね。映画スターもそうです。

初対面であんまり話をしない時に、アイデンティティって言ったって(相手の)中身は見えないわけですからね。それに加えて、研究者として何がアイデンティティとして大事かっていうと、研究成果なわけです。私の問題は両方が一緒なんですよね。

例えば、数学ですごい発明された先生は数式見ても、その数式を説明するその先生とセットで他人に認識されるわけですが、私の場合は(アンドロイドを指して)コイツだけでいいわけですよ。

コイツが研究成果もアイデンティティも両方兼ねちゃってますから。私はもう要らないと。アイデンティティが一人歩きしてしまうという、非常に複雑な人生になってきてます。そういう複雑な人は徐々に増えてきておりまして。

(後ろのスクリーンを指して)ちょっと後ろに現在の姿が見えておりますけど、最近(桂)米朝師匠も落語がだんだん難しくなってきて。

でも、人間国宝である師匠の芸は守らなくてはいけないということで、後ろのほうに(師匠と一緒に)見えております米團治っていう息子とスポンサーの私が相談して「ぜひ、それをアンドロイドでアーカイブ化しよう」と。

そうやって、人の存在感っていうか、アイデンティティっていうのが後世に受け継がれていく可能性っていうのが実際に出てきたということですね。

アンドロイドと人は経験を共有できる

石黒:こういうアンドロイドを作って一緒にいろんな活動をしているといろんなことを思うわけです。まずひとつ、最近思ったのは「経験っていうのは共有できるんだろうか?」ってわけです。

「先生のアンドロイドをあそこで見ましたよ」とか「ここで見ましたよ」とか言われるんですよね。もちろん、私ではなく、アンドロイドが講演したにもかかわらず、先々週の僕の講演見ましたと(よそから)言われるわけです。

じゃあ、自分の経験っていうのはどこにあるんだと。もちろん私の記憶の中にもあります。でも、皆さんの記憶の中にもあるわけですね。問いは「どっちが正しいか」ってことなんです。私の脳の記憶能力ってのは限られてます。

でも、例えば、テレビに出た場合、ものすごく多くの人に覚えてもらえるわけですよね。そういった社会における記憶の正確さと、私の個人の脳の中にある正確さを比べれば、当然社会の方が正確なわけです。

そういう意味では、私の経験は私の中にあるというよりも、社会の中にあるわけです。だから、社会の中で「先生見ましたよ、あんなことしてましたよ」と言われたら、「あ、そうかな」って思っちゃうわけですよね。わかります?

アンドロイドによって人間はさらに進化する

石黒:要は、言いたいことは、きっとアンドロイドと僕は経験を共有できるんだというわけです。じゃあ、その経験を共有できるとするならば、“私”って一体何だと。いつも(自分のことを)私、私って言うわけです。

私っていうのは多分、いろんなところにいるんじゃないかと思うわけです。皆さんの記憶の中にですね。もし私が世界でたった1人で、他に誰も人間がいなければ、もちろん私って言う必要はないんですが、(実際は)いろんな人が「先生はああだった、こうだった」って、僕の知らない私、僕が忘れてしまった私を見てたりするわけです。

私は世の中に分散し、いろんなところで皆さんと少しずつ違う形で関わりつつ存在するんです。そう思えば、十分(アンドロイドの)彼も私の一人なわけですね。多分、(米朝)師匠にとって米朝アンドロイドは自身の一人になるんではないかと思います。

もちろん周りの人にとってもそうですね。家族にとっても。私ということについて考え出すと、さらに「人間の定義」ということに何となく思いを馳せていくわけですね。

人間の定義において技術開発はどういう意味を持つのか。もちろん、私は技術開発をする研究者ですから、人間の能力を機械化するというのが技術開発の意味で「機会と人体の融合」というのをどんどん推し進めていってるのだと考えます。

これはどういうことかといえば、今まで人間がどうやって進化するかというと、皆さんは遺伝子によって進化するというふうにご存じというか、そう思っているわけです。

実際には、(人間は)機械やいろんなメディアと融合してどんどん進化しているわけです。携帯電話持っているような生物というのは(人間の他に)おらず、ほとんどテレパシーを持っているのと一緒ですよね。ですから、アンドロイドという新しい技術によって人間がさらに進化する可能性ももちろんあると(言えます)。

人間そのものやその定義が変わっていくって可能性があるわけです。物理的な身体、肉体にそれほど意味があるわけじゃないです。手足がなくても、もちろん人間ですね。さらにいうと、全ての身体をアンドロイドにしても人間だという時代。

というか、ほぼそう言っていいんじゃないかなと思います。一方で、何が一番人間らしいことかって考えてみると、おそらく僕は「信じること」だと思うわけです。

例えば、心がどこにあるのかって考えれば、人の身振り手振りを見ることで「あ、あの人は心がある」って感じるんです。じゃあ、自分に心があるかって自らに問いただしたところで、どこに何があるかさっぱり分からないわけです。ま思わず心臓見るわけですけども、もちろん心臓に心なんてあるわけありません。

(実は)脳にあるんだけど、脳に心があるなんて(普通は)やんないわけですよね。だから、心っていうのは他の人のしぐさを見て感じられるようなもので、(これはもう)互いにそうであるため、自分に心がないと(とたんに)つじつまが合わなくなるわけです。

人間そのものもそうだと思います。お互いに人間だと信じるから人間なわけです。隣の人が人間かアンドロイドかなんて本当のところ、確かめようないわけです。(アンドロイドを指して)座ってうなずくだけだったら、コイツもやってます。

(会場笑)

お互い人間と信じ合えれば人間でいられる。アンドロイドである皆さんも心配なくお互いに信じているわけですから、十分人間として今も存在できてるんだと思います。

日常では中身は関係ない

石黒:「人として存在するアンドロイド」。多分、アンドロイドというのは、人として十分存在できるんだろうと思うわけです。その一つの根拠は、隣の人の脳みそが(本当に)入ってるっていつ確かめましたとか、胃ってホントに入ってますかって(確かめられるかってことです)。

でも、自分でもわかんないんですよね。時々、脳を(自分で)掴んでみないと。CTとかMRIはダメですよ。あれコンピューターから出てくるから、(画像を)合成してる可能性があります。

(会場笑)

時々頭蓋骨開いて「ちゃんと中入ってるな」とか確かめとかないと。でも、そんなこと、日常で絶対しないんです。「こんにちは」って(言って)会う人の中身が何であるか、関係ないわけです。

ロボットとは言わない、火星人かもしれない、中身なんか問わないというのが大事なんです。日常では中身なんか関係ないです。だから、隣の人がアンドロイドであってもいたしかたないということですね。

でも、そうやって、僕らは技術を受け入れて、人間の定義を広げて、身体的な縛りからどんどん解放されていく。それが技術開発の意味でもあるし、それが本当の自由なのではないかと思うわけです。そういったアンドロイドはもちろん技術の塊ですから、どんどん人間を超えていく可能性があるわけですね。

もう多分超えると思います。クイズだって、コンピューターのほうが人間よりはるかに優れた回答者になったりしてます。じゃあ、人間にしかできないことってあるのかとよく問われますけど、逆に言いたいのは、アンドロイドより、ロボットよりも人間は優れてないとダメなんですか?

「オケラだってミミズだってみんなみんな生きているんだ」って歌あるじゃないですか。人間もそうやって生きていればいいんです。なんで人間は機械より優れてないとダメなんですか?

もうそろそろ、そういう考え方は止めたほうがいいかも知れないですね。それでも人間として生まれてきたからには、まだまだいろいろ感動してロボットと比べることなくいろんな思いを持つことができるわけです。

これはアンドロイド演劇の1シーンですけども、ここではアンドロイドは人間よりはるかに綺麗で(キリストの母)マリア様のようだって言われています。もうとっくに人間を超えてるかもしれないです。どっちが人間かアンドロイドかわからない人はいいですけども。

ちょっと怪しいですけどね。どっちがどっちかわからないです。(2人のうち)どっちかがアンドロイドで、どっちかが人間です。

最も大事なのは「社会の中で認められること」

石黒:「人間とは何か」って話をしてきたんですけども、最も大事なのは「社会の中で認められる」ってことなんです。社会の中で人間は初めて人間になる、社会が認めればそれでいいっていうことなんですよね。故に、アンドロイドも人間になれる可能性があります。国によっては、チンパンジーだって人間並みの権利を持ってるところもあります。

だから、アンドロイドでも、社会の中で認められれば十分人間になる可能性があって。よく(平田)オリザさんがこういう話をするんですけども、例えば、お子さんを持っているお母さん。その子が交通事故で死んだとします。

私がアンドロイドを作って(お母さんに)あげて。お母さんや周りの人はその子どものアンドロイドを本物の人間のように大事に育てる。その一家に明らかに悪い泥棒が入ってきてアンドロイドを壊しそうになるので、お母さんは泥棒を殺してアンドロイドを守った。

果たしてこれ、どっちが悪いですか? 正当防衛は適用できますか? 今の陪審制度(では)、皆さんがそれを裁かないといけないわけですよね。どうみても人間として育てられて、周りのみんなが隣人のように大事にしているアンドロイド。

それを守るために泥棒を殺したと。非常に難しい問題だと思います。そういうふうにアンドロイドも人間になるわけですけど、もう一歩、社会って視点で問題を考えてみるとアンドロイド以外に人間を社会の中でつないでくれる技術を考えることができます。

社会の中でつながるということ。アンドロイドが人間として受け入れられるってことも含めて社会の中でつながる。そういう技術をどんどん使っていくことの意味って何かって考えると、他者とか社会と自分が融合していくことは、(すなわち)「個」の境界を消失させていくことだと思うんです。

大阪大学の前総長の鷲田(清一)先生が言われた言葉でもあるんですけど、それを「エクスタシー」と呼ぶと。自分を超えて、他人と完全に一体となるということです。その反対が「アイデンティティ」ですね。社会から自分を確立して、自分のカラーを見つける。

この「エクスタシー」と「アイデンティティ」の状態が揺らいでいるのが人間で、社会の中に融け出していろんなものを吸収して、また自分の境界を見つける。それが人間の生き方なんだということなんです。

だから、(人間は)社会の中でも認められるし、一方でもう一回自分の視点でもって自分が他の人とどう違うのかを考えることを繰り返す。アンドロイドそのものも、そういった「エクスタシー」の状態を持てる可能性があるかも知れないですね。

ハグできるテレノイドで人と機械の間の壁が崩れる

石黒:人と人をつなぐデバイス、もちろんアンドロイドもそうなんですけど。アンドロイドは多少高価で今すぐ皆さんに届けるということはできないんですけど、1つの例というか、アンドロイドの兄弟みたいなロボットを今回持ってきています。

人と人の間の壁を崩す「エクスタシーメディア」とかいっていますけど、距離感のないコミュニケーション。

前回のTEDで「テレノイド」というのを持ってきたんです。これはお年寄りに非常に喜ばれます。要するに、(スクリーンに映る「テレノイド」を指して)こっから声がしてくると、本当に声の主を腕の中に抱きかかえて喋っているような感覚になります。

今、これすごく評判で、デンマークで本当に実用化しようと実証実験を走らせていますが、(「テレノイド」で)大事なのは抱きながら喋るということなんですね。

それで「ハグビー」というもっと簡単なやつを造りました。スマホを「ハグビー」の頭に入れて、抱きしめながら喋ると、本当に(人と機械の間の)壁が崩れ落ちます。世の中にも何組か壁が崩れ落ちた人がいるわけで、ぜひ試してください。すごくいい感じになります。

(会場笑)

そのすごくいい感じっていうのは大事だと思っています。「すごくいい感じ」っていう、非常に強烈な主観を持っているわけです。人と人がつながる時ってのは、そういう強烈な主観、クオリアみたいなもの同士が共鳴するというところがあるんだと思います。

そういうところを科学したい。アンドロイドの研究の果てに何を研究したいかといえばそういうところなんです。主観を説明する科学っていうか、客観っていうか、そういうものに踏み込めないかというふうに思うわけです。

痛みを共有できるロボットを製作中

石黒:我々非常に大きな脳を持っていますが、その脳が果たす役割はそうした強烈な主観を感じるということ。それと、その感じたことを説明するための非常に豊かな思考を持っていること。それが人間の大きな脳の意味だと僕は思います。

強烈な主観、「クオリア」を感じながら、それを感じる理由をずっと考えていく。自分の存在意味を考えるというのが、(人間に)こんな大きな脳がある唯一の理由で、ゴキブリであればこんな大きな脳は必要ないわけですよね。もちろん、ゴキブリも何か考えているかもしれないですけども。そういったのが、人の生きる意味だと思います。

昨年の「TED×Seeds」では、そういう主観の科学へ挑戦しました。残念ながら、その結果は完成度がまだ高まっていないんで今すぐお見せすることはできないんですけども。

例えば痛みを共有できるロボットであるとか、魂を感じるロボット、そういったものを今一生懸命作っています。またいつの日かそういうものを紹介できればと思います。じゃ、以上で私の話を終わります。ありがとうございます。

(会場拍手)

アンドロイド:……今日の聴衆は全員アンドロイドだったよなぁ。アンドロイドの前で喋るのイヤじゃないの?

石黒:まぁ、そうでもないよ。ま、言われなきゃ気付かないしね。

アンドロイド:でも、人間の前で喋る方がいいだろ?

石黒:言われなきゃ気付かないよね。アンドロイドでも人間でも言いたいことが伝わればそれで十分かなと思うよ。

アンドロイド:そりゃまぁ、わかるな。

石黒:そうだね、はい、じゃお願いします。

アンドロイド:(宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を口ずさみ始める)雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ……。

<続きは近日公開>

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