転機と小さな決断が人生を変える

堀義人氏(以下、堀):皆さんが今後の日本と世界を引っ張っていくリーダーとなるために何が必要か、登壇者のお話を聞きながら考えていこう。僕からは3点質問をしたい。まずは学生時代にどんな転機があったか。で、2つ目は学生時代にやっていた良かったと思うこと。そして3つ目に皆さんへのメッセージをいただき、あとは可能な限り多くの時間をQ&Aに使いたい。

小泉進次郎氏(以下、小泉):1つの転機が人生を変えるという人とか、のちに「あれが転機だった」と思うような、いくつかの転機を積み重ねる人とか、いろいろいると思う。僕にとって1つの転機は、間違いなく初出馬したときだ。

民主党政権が生まれ、自民党で当選した新人は4人しかいなかったという、あのとき。ただ、それ以前の転機を考えてみると1つじゃない。たぶん、そのときはそれが転機だなんて分からない。ギャンブルみたいな感覚ですべてを注ぎ込んで、「勝てば総取り、負ければすべて没収」という瞬間はなかなかないんじゃないか。むしろ、そのとき転機と気付かなかった小さな決断が、のちのち大きな方向性に変わるんだと思う。

たとえば僕には兄がいる。兄弟がいる人はよく分かると思う。小さな弟がやりたいことって、自分自身がやりたいことというより兄の真似だ。ぜんぶ兄のあとを追う。習い事もすべて。野球もピアノもそう。公文にも行った。お兄ちゃんにくっついて行きたいんだよね。で、先に辞めるのはお兄ちゃん。どんどん辞めて、それで謝りに行く家族を見ていた僕はなんとなく、「辞めずに最後までやらなきゃ」とか思ったりしていた。

人生で大切なのは「やりきった」の積み重ね

で、中学3年のとき、なぜか分からないけど、「働くってどういうことだろう」という疑問が生まれた。それで父親に「働いてみたいんだけど」と言ったら、「新聞配達だったらいいぞ」と言う。たぶん、そう言えば諦めると考えたんだろう。

でも僕は、「あ、新聞配達だったらいいんだ」と思った。それで中学3年の夏休み…、当時は野球部員だったんですよ? 野球部の部活をしながら1ヶ月半、毎日朝刊を配達していた。夜12時半に起きて1時過ぎに新聞配達所へ出勤して、朝6~7時に仕事を終えてから部活へ行って夕方まで野球をして、ご飯を食べて寝て、また12時半に起きる1ヶ月半。1日だけ休刊日で休み。それをやりきって、野球のほうは高校3年まで続けた。また、大学を出たあとはコロンビア大学の大学院に留学して、そこも卒業した。

結局、今思うと1番大切だったのは「やりきった」ということの積み重ねだ。やっているときは「こんなに辛いと思わなかった」と思ってる。でも、始めちゃったからやりきることが、胸を張って言えることになっていた。

そうすれば周りも認めてくれることだと。諦めると、そのときはラクかもしれないけど、あとで絶対後悔するじゃない? 茂木さんは先ほど、「できると思うことができてもドーパミンが出ない」とおっしゃっていた。

僕も、ドーパミンが出ていたかどうかは知らないけど、そのときはできると思ってやっていない。ただ、結果としてできた。言葉を変えると限界への挑戦だ。本当の限界値は自分が思っているよりも必ず高いから。それを超えられるから。

それを積み重ねると、辛いときも、「あのとき頑張ったんだからなんとかなる」って思える。初めての選挙で世間から世襲の批判を受けたりしてぶっ叩かれたとき、支えてくれたのはその思いだ。

自分から勝手にインターンに応募していた大学時代

スプツニ子!氏(以下、スプツニ子!):小泉さんの格好いい転機のあとに何を話そうかなと思いながら(笑)。転機だらけの人生だけど、2つ。最初の印象的な転機は大学1年生の頃。2003~2004年かな? 日本でまだインターンシップという言葉が浸透していなかった時代になる。

当時、イギリスの大学に通っていた私はその言葉を聞いて、「やってみたいな」って。で、日本の会社はどこもインターンを募集していなかったんだけど、「自分から応募しちゃえ」って。それで20社ぐらい、働いてみたい会社にメールを送った。

当時はプログラマーだったんだけど、クリエイティブなプログラミングをしたいと思って、「インターンをやりたいんですけどお願いします」って。で、ほとんどの会社が「インターンってなんですか?」みたいな感じで門前払いだったんだけど(笑)、1社だけOKをくれて働くことができた。だから、仕事がなければ自分でつくっちゃえばいいというスタンスだった。

で、2つ目の転機は24歳ぐらいの頃かな。大学院で卒業制作展向けの作品をつくっていたとき。当時はつくりたいビジョンばかり大きくなっちゃっていた。でも、自分1人でつくれるものは有限じゃないですか。時間もお金も有限だし。

それをちゃんとつくるのなら、自分の能力だけじゃ足りないと気が付いた。ただ、「あ、1人じゃできないな」と思ったとき、私は諦めずにツイッターとフェイスブックで発信をした。「つくりたい作品はこれです。こういうビジョンがあります。手伝ってくれる人を募集します」って。

それで制作に20人ぐらいのヘルパーをリクルートした。当時は学生だった私のデスクに20人ぐらいが出入りして皆にびっくりされたけど、おかげでつくりたいものがつくれた。能力に自信を持つことはいいこと。ただ、当時は自分にできないことを把握して、それでどの部分を人に頼むのかということにきちんと気付けた。その転機になった。

社会人の最初のほうは学生時代より楽

牧野正幸氏(以下、牧野):小泉さんが言われた通り、どこで転機があったというわけじゃないけど、挙げるとしたら二つ。まず、働き始めたときにすごい衝撃を受けたことがある。僕は学生時代から人生が、なんていうか、「あんまり面白くねーな」って思っててね。

勉強もそんなに…、やったらできるし、やらなかったらできないし、当たり前でしかなくて意味を感じなかった。皆もそうだと思うけど、「この勉強や努力って将来本当に役立つの?」と、大きな疑問を持っていた。で、そのまま仕事を始めた。

で、一生懸命頑張って親が喜ぶような会社に入って、それで働き始めたときに思ったのは、「学校で勉強したことがぜんぜん役に立ってないじゃん」みたいな(笑)。のちのち考えてみるとそうじゃないんだけど、そのときは子どもだったからさ。

しかも勉強と比べてどっちが難しいかって聞かれたら、正直言って仕事のほうが簡単なんだよね。どんなに大きな会社でも、若い人は責任のある仕事をばんばん任されて、それで「自分で考えろ」なんて言われることはそんなにないから。

学生時代と同じだ。ある程度までは必ず教えてくれて、それをキャッチアップして、「同じようにやってみろ」と。それを繰り返していくうちに1~2年が経っていく。学生時代の勉強より簡単だったし、「これ、永遠に続くならやってられないんだけど」っていう思いになった。

それであるとき、「こうじゃない」と。「自分で考えるようにしなきゃ。俺、一生こんなことをやり続けられない」って思った。人から見れば仕事内容は面白かったかもしれないし、難しかったかもしれない。でも、僕にはそう思えなかった。だから自分で何かを考えようという風に変わった。それが第一の転機だ。

あと、働き始めてからもう1つ、転機があった。僕は1年でその大手企業を辞めて、そのあとまた懲りずに大きなコンピュータメーカーに入ったんだけど(笑)。当時はベンチャーなんていう言葉は頭にまったくなかったから。

ただ、その会社が外資系だったこともあって、キャッチアップさせてくれる暇がなかった。ぜんぶ自分で考えるのが当然で、それで成果が出なければ、「はい、クビ」みたいな。そんな状況で入社した。

シリコンバレーで学んだ仕事の価値観

ただ、そのときに偶然シリコンバレーに2年間で9ヶ月間、実際には3ヶ月が3回だけど、常駐していた時期があって、それであちらの社員たちとよく話していたことがある。その会社は社員数50名ぐらいですごく小さかったんだけど、それこそMITやスタンフォードの優秀な卒業生がたくさん集まっていた。

それで、「なんでこんなチンケな会社にこんなに優秀なやつがいっぱいいるんだろう」と。そう思って彼らに入社した理由を何度も聞いた。「もっと大きな会社に入れるじゃん。なんだったらお前はIBMの研究所に行ったって通用するでしょ」みたいなことを聞いた。

すると、「いや、なんでIBM研究所みたいなレベルの低いところに行かなきゃいけないの?」と言う。それで、「じゃあ、君たちは何を望んでるの? この会社が上場して大きくなって金持ちになること?」、「そんなの望んでいない。将来は望むけど、今は創業したやつに入ってくるだけで俺らに金は入ってこないし」、「じゃあ、なんのためにここで働いてるんだ?」、「この会社が1番成長できるからに決まってるじゃん」と。

当時、シリコンバレーで会った人のほとんどが、「20代は成長するフィールドで働くべき」と言っていた。「30歳を超えたらもっといい道を探せばいい」。報酬も高く、もっとラクで、もっと自分の将来を見据えるような道に行くのが当たり前なんだと。

「逆に20代に大会社で下積みなんかやってたら一生浮かばれないよ」と彼らは言う。優秀な人たちのそんな話を聞いた僕は、「日本に同様の環境ってあるのかな? ないよな」と思いながら日本に帰った。そのときから、「やっぱり自分で考えて、会社のためじゃなく自分の成長だけにフォーカスして働こう」と思った。それも転機になったと思う。

自分の専門性で暴走する経験が大事

茂木健一郎氏(以下、茂木):僕の転機は自分の狭さに気付かされたときかもしれない。僕は理学部物理学科にいたとき、慶應法学部の女の子のいろいろありまして。

(会場笑)

僕は科学オタクだったんだけど、彼女は法律とか、そういう間逆の価値観を持っていた。で、結局僕は法学部に学士入学したんだけど、なんていうか、世の中にはあることの専門性に特化したオタクが必要だ。どうしても必要。

でも、一方で広さも必要だ。格好をつけて言うと、いわゆるT字型人材。1つ深く掘っていて、そして横にもウイングが広いという。そのバランスを僕は人生のなかでずっと追い求めてきたような気がする。

で、実は今、自分のバランスとしてオタクのほうに回帰している。地上派テレビ的なものにはずいぶん付き合ったし、「もういいかな」と思って、元々のオタクスピリットに戻っている。ただ、とにかく、そういうオタク性と広がりとのバランスを考えるきっかけが、君たちにあったらいいなと思う。

僕の友人であるTehuというSFCの学生は、昨日、その転機を迎えた。

(会場笑)

小学4年生のふりをして、「どうして解散するんですか?」というサイトをつくってしまった。まあ、Tehuはオタクだ。だから彼がそのプロジェクトに関わってしまった雰囲気はよく分かる。「ああ、やっちゃったな」って感じだ。彼は世間の反応を見て自分に常識がなかったんだと気付いたと思う。

それぐらい…、Tehuみたいなことをやれって言ってるんじゃないよ? それぐらい、自分の専門性で突っ込んで暴走する経験って、いいんだよ。そうしたら初めて「あ、自分が狭い」って分かるから。僕はそういう人がすごく魅力的だと感じるし、僕もそういう人であり続けたい。

:僕に関しては商社時代に留学したことが大きかった。それと、自分でベンチャーを起こしたこと。この2つが自分の転機だったように思う。

まったく勉強しなかった大学時代も、人生の糧になった

:では、2つ目の質問に進もう。大学時代にやって良かったことを教えて欲しい。

小泉:まったく勉強しなかった時期と、脳みそから汗が出るほど勉強した時期、両方あったこと。日本の大学にいたとき、1番やったことは友達と遊んで飲むことだった。これも、のちのち考えると「良かったな」と思う。

そのときは分からなかったけれど。とにかく、皆さんみたいな意欲的な大学生とまったく逆だ。今回のような、僕以外の素晴らしい方々が集まるイベントを知ったって、当時の僕なら来なかった。そういう、日本のダメなタイプの大学生が目覚めて、コロンビア大学の大学院へ行った。

まず、その前にコロンビア大学の「American Language Program(ALP)」という集中英語コースに参加した。ALPには「あなたの英語レベルはこれぐらいです」という1~10までのグレードがあって、それを入学した頃に初めて受けたときはたしか4.5ぐらいだった。

でも、10を取らなければ大学院の受験はできない。10を取るのに必死だった。で、そのときはそのときなりに頑張って、本当に10が取れちゃった。ただ、さらに大変なのは大学院に入ってから。「日本の大学の勉強って勉強じゃなかったんだ」と気付かされた。

1つの科目について翌週の授業までに本を何冊も、もちろん英語で読まなきゃいけない。で、それを読み切っても翌週の授業で使わないんだから。

(会場笑)

「読んできたでしょ?」っていう前提だから。そういう前提で、その次の授業が組み立てられる。もうね、毎日が限界だった。

でも、あるとき僕の能力では付いていけない授業があった。「これ、本当に自分の限界かもな」と。自分が持っていた知識の底の浅さを見た。そのとき、教授には「もし無理なら今が履修から外すチャンスだよ? そうすれば傷つかないから」と言われた。

あのときも転機だったかもしれない。外したほうがラクだったんだ。だけど、僕は「ダメだったらダメで“F”をつけてもらって構わないから、最後まで受けさせてください」と言った。それで最後まで受けて、すれすれのところでなんとか単位が取れた。

だから、僕にとって大学院の卒業というのは胸を張るようなものじゃない。崖から落ちそうなとき、最後に1本だけ引っかかっていた指が僕を落とさないでいてくれた、ぎりぎりの卒業だと思う。今でも、脳みそから汗が出るほど勉強したあの時期があったからこそやっていけるんだと思う。そんな、ある意味で修行のような人生の一時期が、政治の世界で厭なことや大変なことに出くわしたときに僕を支えてくれる。

大学時代は先生をナメていた

スプツニ子!:大学時代にやって良かったことは、いい感じに先生たちを「舐めてた」ことだと思う(笑)。学問でもビジネスでもアートでもそうだけれど、常に更新されていく。だから、「先生たちは長く生きているからいろいろなことを知ってるけど、今を1番分かっているのは私たちだ」っていう自認みたいなものがあったから。

情報感度にしてもそう。Tehu君のことは皆の8割ぐらいが知ってると思うけど、世間の大人はそんなに知らないと思う。皆のほうがフェイスブック感度も高いというか。だから、「先生にはできることがあるけど、私たちは私たちで先生より“今”を分かってる」みたいな気持ちがあって、先生が言うことも、「本当かな? ちょっと古臭いんじゃないか?」って。

それで自分なりのアップデートができていたと思うし、いい感じに舐めるって必要だと思う(笑)。先生の言うことと同じことやっていたら永遠にフィールドが変わらないから。がんがん舐めたほうがいいんじゃないかなって。舐めましょう。

学生時代にやるべきことなんてない

牧野:ぜんぜん参考にならないと思うけど、僕は学生時代に戻りたいと思ったことがない。いつも思うんだけど、僕は今52で、それで40代にも30代にも、あるいは20代にも10代にも、戻りたいと思ったことは1回もない。いつも今が1番楽しい。

僕は小学生の頃から本当に変わった子どもで、普通は親がすごく心配するものだと思うんだけど、僕の親は能天気だった。僕は小学生のとき、1度も宿題もやったことがない。

(会場笑)

夏休みの宿題もやらなかったから毎回ものすごく怒られてた。ヒステリックな先生のときは、「帰ってやって来い」と。で、また次の日に学校へ行って「できた?」と聞かれて、「やってません」。「なんでやんないの?」「やる意味がないからです」って。まあ、すごく、むかっ腹が立つ子どもだったんだよね。

で、そのまま大人になった。大学生の頃はもう自分のなかで達観していて、「もうこの人たちと一緒に人生を歩むことはない」って勝手に思い込んでた。

(会場笑)

自分の人生が将来どうなるのか分からないって思ってたこともあって。だからすごく変わっていて、そしてその流れのまま働き始めたから余計に周りと折り合いがつかなかった。

今の質問と逆行しちゃけど、学生時代に何をやって良かったという話を皆さんにしても、たぶん意味がないと思う。たとえば、社会に出てから堀さんのところのMBAスクールで、しかも自分の金でわざわざ学ぼうなんて発想をする人間には意味がある。充実した学生時間になる。

でも、皆と同じように上がってきて、大学で皆と同じようにするっていう流れなら、学生時代にそれほど意味はないんだよね。「学生時代に遊んでおいたほうがいいよ」と言う子もいるし、「学生時代にしかできないことってなんですか?」って、僕は年間100回以上聞かれるけど、別にないよ、なんも。やるべきことが決まってなさ過ぎて悶々としてるんで、それなら悶々としとくしかないんだよね。

勉強したかったら勉強したらいいし、遊びたかったら遊べばいい。けど、大人になってからだって学生時代の何十倍も遊べるよ? 僕は堀さんともこの15~20年で知り合ったけど、彼みたいな友達のほうが面白いわけ。

彼もほら、変わってるじゃん? 変わった人たちと遊ぶほうが100倍楽しい。学生時代、登っていく流れのなかで、皆ほぼ同じような能力のやつらが集まってくる環境は、自分で選択してきてるやつが少ないから面白くないんだ。

だから俺、今も学生時代の友達から連絡をたくさんもらうけど、あんまり会うときないですもん。それよりも若い起業家なんかと遊んでるほうが100倍ぐらいインスパイアされて楽しい。だから早く働いたほうがいいと思う。

茂木:「ロマンティック・アイロニー」という言葉がある。今、朝日新聞でまた夏目漱石の「三四郎」が連載されているけど、作中に与次郎という馬鹿がいる。三四郎が向こうからぼうっと歩いてくるのを見て、与次郎は、「おいお前、まるでロマンティック・アイロニーだな」と言った。それで三四郎が帰ってどういう意味か調べると、「天才というのは何もしないでぶらぶらしなくちゃいけない」というドイツ・ロマン派の概念だった。

僕はロマンティック・アイロニーが学生の特権だと思うわけ。僕が学生時代に過ごした最高の夕べは、隅田川のほとりで塩谷賢という親友とマグロになって缶ビールを飲みながら、当時付き合っていた女の子について「あーでもないこーでもない」と喋ったことだ。

僕たちは当時、偶然にも同じ名前の女の子と付き合ってて…、同一人物じゃない。

(会場笑)

すると、浮浪者だと思われたらしい。川辺を歩くカップルたちが俺たちを10mぐらい避けて歩いていた。そんな夕べが学生時代の頂点さ。何かの機能や目的に貢献するための時間じゃない。牧野さんの話と少し関係するけど、ぶらぶらしているというか、鬱々としているというか、そんな時間をどれほど持てるかが人生の深みに影響をおよぼすと思う。

脳のなかにはデフォルトモードネットワークという、アイドリングをしているときに活動するネットワークがある。これは脳のなかを整理整頓するというか、いろいろリンクを貼ったりしている。常にオンタイムだと整理がつかないのよ。

だから我々の立場から言うと、常にオンタイムの人はバランスを崩すリスクがある。だからぜひロマンティック・アイロニーの時間をね、隅田川のほとりで缶ビールを飲んで道行くカップルに避けられるような時間を持って欲しいと思う。

:本セッションのパネリストはなるべく異なるジャンルから集めたほうがいいと思っていた。それで政治家、アーティスト、起業家、そして学者の4名をおよびしたのだけれど、お話を聞いてみると大学時代にやって良かったという話は学校の勉強とあまり関係がなかった感じがする。学校の勉強をしっかりやった方はいるだろうか。

スプツニ子!:学部は数学で、「数学を超やるぞ」って。学年2位で卒業しました。超頑張りました。

(会場拍手)

「勉強するときはするぞ!」というタイプだったので。

:一方で、ほかの人たちは大学の勉強以外のところに大きな学びがあったということだと思う。成功のパターンが皆違うから参考にならないかもしれないし、僕もいろいろ考えたけれど、やっぱり勉強以外の話になってしまうからあまり言わないほうがいい気がした(笑)。