なぜ我々の声は政府に届かないのか?
自分と日本を見つめ直す“越境者”としての生き方

Koji Yamamoto at TEDxTokyoyz 2011 #1/2

国境を越え、自分を越え、更に大きな何かを越えようとしていく「越境者」として生きる歴史学博士の山本浩司氏。歌や絵で政治参加ができた1640年代のイギリスを例に、現代においても意見を吸い上げる仕組みの創出が必要であると語りました。(TEDxTokyo yz より/この動画は2011年に公開されたものです)

「越境者」になったきっかけ

山本浩司氏:ちょっとお聞きしたいんですけれども、今日、お越しになったみなさんの中で「最近歴史学者とばったり会って話したことがあるぞ」っていう方がいましたら手を挙げてみてください。

じゃあ「会ったことはないけれども、歴史とか過去に関してのことを聞いたことあるぞ」という人は手を挙げてみてください。……まぁ、どういうふうに歴史とか過去を考えるか次第ですね。

今日は研究者としての専門的な分野の話は少し横に置いておいて、むしろ自分がどのような形で「越境者」になったのか、その自分の歴史に関して振り返ってみたい、言わばパーソナルヒストリーを見てみたいと思います。そこで今日一緒に見て行きたいポイントは3つあります。

“Histories about Transborder.”

まず国境を超え、イギリスに身を置くことになったということ。また、狭い意味での私、自分といったものを越えて、もっと大きな何かに越境していくということ。

そして3つ目が、時代を遡り時を超えて過去に身を置くことによって、今自分たちがいる立ち位置といったものが、ひょっとしたら新しい見方で見えてくるかもしれない。

そういった3つの意味での「越境」というのを、僕のパーソナルヒストリーを遡りながら一緒に考えてみたいと思います。

1つ目は「イギリスへ」です。イギリスに行くきっかけとなったのは偶然なんですけれども、2001年頃、偶然大学の時にイギリスに1ヶ月間留学する機会がありました。

その時にいろんな学生に会ったんですけれども、なんか未来について結構自由に考えてる人たちがいるんだなぁ、こういったところに自分も身を置いてみたいなぁ、そういったかなり素朴なところから自分の留学への思いが始まりました。

けれども、いざ実行に移していこうといった時に、とても大きな問題にぶち当たった。それは何かというと、「一体なんで今留学しなきゃいけないの? 1年後じゃいけないの? 2年後じゃいけないの? 5年後じゃいけないの?」「なんでイギリスなの? なんで日本の大学院じゃいけないの?」「留学をしたい目的は一体何なの? それを誰にでも説明できるような簡単な言葉で説明できないの?」といったことを自問自答してしまいました。

その時にうまく答えることができない自分がいたんです。それに気付いてしまって、僕はすごく悩みました。両親とも話しましたし、友人はもちろん、大学の先生、はたはカウンセリングにも行って自分の気持ちをまとめる、そういったことを2~3ヶ月はずっとやっていたと思います。

親身に思ってくれる人々に耳を傾ける

その中で、得られたことが1つあります。それは、不安や恐怖によって突き動かされて人生の決断をするのではなく、むしろ愛、もしくは慈しみや、自分のことを親身に思ってくれる人々のことに耳を傾ける。

そういった中で何かの決断・選択をしていきたいなぁということなんです。もちろん、もし僕たちが今考えていることが「あいさつ」や「マナー」についてであれば、この場所では他の人たちはどうやっているか、普通はこういったものである、といったことを考えるのはとても役に立つことかもしれません。

しかし、僕たちの人生は一度きり、ましてや10代、20代、30代といった中では、そういった人生の転機はマナーやあいさつの連続ではありません。ですから、一般的に言う「人」といった漠然としたものではなくて、「自分を大切に思ってくれる人」がどのように考えているんだろうか。

またそれだけではなくて、自分自身というのも実際は自分自身のことをいちばん愛し、また慈しんであげられているはずです。ですから自分がどのように自分自身のことを考えているのか、そういったことに耳を傾けてあげたらいいんではないのかなと思ったわけなんです。

僕の場合はこうでした。「そっか、これだけいろんな人に説明しようとして、目的意識は何かを説明したい、正当化したい、考えてみたけれどもできなかった。苦しい。にも関わらず、なんかそれでも行きたいって思っている自分がいるんだなぁ」って思ったんです。

じゃあ、そういう自分を尊重してあげればいいかなぁと思った時に、何かストンと腑に落ちた感じがしたんですね。それはつまり愛に基づいた選択。“Love-driven decision”というものを、周りの人、そして最後には自分自身との対話をしていくことによってした。そういったことだったんではないかと思います。

そうした中からイギリスへ行く、言わば国境を超える、ひとつの意味での「越境者」としての自分が始まったわけです。

不安、チャレンジ、成果を親しい人と共有する

2つ目は、「『私』を超えて」。これは結論から言ってしまうと「コミュニティプロジェクトとしての私」という話になるんじゃないかと思います。

話は留学をし始めてから、初めの数年間のことです。偶然私の場合は、日本の大学では政治学をやっておりました。その後に何かのきっかけで歴史学になった関係で、修士号を2つやりました。論文も2つ書きました。これはなかなかお勧めできません。

なんですけれども、それをやっていく中で、僕は一生懸命自分で全力を尽くした。ただ、自分がやっていることに納得がいかない。

「自分を100%出してないんじゃないか?」、そういう風に思ってしまったので、それをいろいろな人に見せるのが怖かったんです。だから何が起こったかというと、修士論文の締め切りギリギリまで自分の仕事を全部自分で抱え込んでしまって、誰かに見せることがなかなかできなかった。

その結果として、自分がやったものは自分の中ではやったけれども、それが他の人の目から見てどうなるのかっていうことにはなかなか気が回らなかった。それでやっと出すということが2度連続続いてしまって、本当に悔しかったんです。

2度とも悔しくて、涙が出ました。そういう経験を2度してしまった。にも関わらず、本当に運が良かったと思うんですけれども、博士課程をやらせてもらえる環境に身を置くことができました。

自分の中では起死回生、何とかして3回目の博士課程は違ったようにするんだっていう気持ちがありましたが、焦りと恐怖もあったと思います。

「コミュニティプロジェクトとしての自分」を伸ばしたい

その中で転機になったのが、2008年に偶然初めて日本で学会発表をした時の話です。その時私は、今までお世話になった両親や日本での友人、もちろん歴史家ではないんですけれども、そういった人に自分の研究の話を聞いてみてほしいなぁってなんとなく思ったんです。

なので彼らに一度学会に来てもらおうと思って、一緒に乗り合いのバスで松江まで行ったんです。そこで温泉宿に泊まって、みんなと一緒になってこんな予行演習をやってみたんです。

自分で発表して、それにワイワイガヤガヤ言ってもらう。そういった中で、自分が発表がうまくできたということもあったんですけれども、彼らがコメントや赤入れをしてくれたおかげで、内容が良かった・結果が良かっただけではなく、根本的に考えが1つ変わったような気がしたんです。

どういうことか。それは、自分自身が内容を「不安だ、不安だ」と思って抱え込むのではなくて、自分の不安やチャレンジ、または成果というのを周りの人、親しい人と共有することによって、その成果や達成感、それだけではなくて、その先の発展までも一緒に共有していける。

自分だけの1人、自分だけの自分ではなくて「コミュニティプロジェクトとしての自分」として、自分の将来やそのポテンシャルを考えていくことができるんじゃないかなぁ、そういう風にやってみてもいいんだなぁ、と思ったんです。それは僕にとっての大きな転機になりました。

それ以降、パーソナルなことでもプロフェッショナルなことでも、いろいろな仕方で、友人、また歴史家の同僚、またこういったところで会うかもしれないプロフェッショナルな方々に、少しでも自分の考えや現在地点での自分を共有していき、その中で何らかの形で発展していく。

そういう「コミュニティプロジェクトとしての自分」というのを伸ばしていこうと思いました。

私の今の研究分野というのは、CSR・企業の社会的責任というのが実は歴史を見てみると400年ぐらい前からあるよという話をしているんですけれども、そういった考えというのも、実はこういった形で自分自身、もしくは歴史家としてのバウンダリーというものを越える中で初めて出てきたような研究の視点、もしくは手法なのではないかなぁと思っています。

今日このように集まっているTEDも全く同じことだろうと思います。コミュニティプロジェクトとしての私や、こちらに来ているみなさん一人ひとりがどのように自分を自分自身から解放して大きくなっていくか、どのようなインタラクションの中から新しい自分が立ち上がっていくか。

今日の場はそんなことが起こるかもしれないとってもエキサイティングな場だなぁと、そんな風に思っています。

被災者の意見を吸い上げる仕組みはあったのか

これまでの話は、自分のパーソナルヒストリーに重きを置いてみました。最後は、こうして成り立っている歴史家としての私から見た3.11の震災以降の日本がどのように映ったかという個人的な回想をしてみたいと思います。

イギリスにいて、もしくは日本に帰ってきていろいろな方々と震災の話をする、また実際に宮城や福島に足を運んでボランティアをしていった中で、私が感じたことはいろいろあるんですけれども、その中のうちの1つ、とても自分の中に繰り返し繰り返し感じられたのは、次のようなことです。

「原子力の災害」と「津波による自然災害」という2つのものが一緒になってやってきたという点において世界史的にも初めてのものである今回の災害なんですけれども、それに直面した日本にいる方々が、一体どのように生活者として感情を表現しているのか。そこには怒りや悲しみや憤り、不安、フラストレーション、いろんなものがあると思うんです。

一体どれだけの人がそれをオープンにして語っていったのか、またそういった感情もしくは見方、意見の表出というのが、一体どのような形で社会の仕組み、政府といったものだけでなく「ガバナンス」といった言葉で最近は語られますけど、そういったガバナンスの仕組みに吸い上げられていったのか。

その吸い上げの仕組みが、ひょっとしたらまだまだこれから育っていくのではないのかなぁという風に思ったんです。ひょっとしたらそういう感想を感じた私の見方は、イギリスの歴史を学んでいたという個人的な背景から来るものなのかもしれません。

例えばチャールズ1世の絶対王政期、いわゆるピューリタン革命と言われる市民戦争が勃発する直前の絶対王政期の話です。この当時、イギリスは財政難でした。

その中で何とかして絶対王政の財政を再建したいということでいろいろな金融政策や税政策が打ち出されて、中でも特に多くの産業独占、通商の独占といったものが特許制度を通じて行われていきました。

しかしそこにはさまざまな腐敗があった関係で、そこにいた市民の人々、またはメディアが政府に対していろいろな発言をしていくといったことが起こります。例えを見てみましょう。

文字が読めなくても「歌」で政治参加できる

これは1640年代、ピューリタン革命が起こる直前のイギリスにおいて起こったワイン専売特許に対する名指しの批判です。これは1640年代のパンフレットの1ページ目なんですけれども、この重税を課していたワイン専売特許の特許者を名指しで批判しています。

もう1個、名指しで批判しただけじゃなくて、実はそういった専売や独占をしたことによって、政府にある種の腐敗を伴った肩入れをしていた人間が実はパロディにされています。

この赤枠の中にいるのはキツネさんなんですけれども、キツネみたいな奴が威を借りて金づるを持ってお金を集めているっていう風にパロディにされちゃいました。

しかもこの下にあるのが歌なんですね。だから文字が読めない人がたくさんいるんだけども、それを歌うことによって政治に参加することができる、自分もしくは周りにある意見に何らかの形で参加できる、といったことがあったわけです。

さらに先ほどのキツネさんなんですが、あれは実はパクリでして、同じような銅版画というのが右側にあって、それも実は似たような感じの絶対王政に対する批判だったんですけど、そういった銅版画を二次創作で木版画にすることによってやっている。

言わばビジュアルメディア、またリテレートメディア、またそれだけじゃなくオーラルメディア・歌うことによって、マルチメディアによって政治的な問題へ参加していったということがありました。

しかもそれだけではなくて、実際に議会で何が言われていたかというと、こういった市井での政治的な発言や絶対王政に対する様々な批判や建設的なコメントを、議会の人間もある程度までは吸い上げていたということが自分や同僚の研究から明らかになっています。

もちろんこれがいきなり日本の状態にトランスポートするというわけにはいかないと思います。にも関わらず、もし何か今の日本の状態に関して言えるとすれば、当事者・生活者としての感情表現や対話をしていくためのプロセスを育成する必要がひょっとしたらあるんじゃないだろうか。

また、意見を吸い上げていくような仕組みを何らかの形で創出できないだろうか。もちろん仕組みと言うと、何らかの形のデザインがあって、それは誰かが作ってインプルメントするものという気がするかもしれないけれども、それはひょっとしたらシンプルなトップダウンでもないし、放っておけばそこから湧き出てくるようなものでもないはずです。

であるとしたらどうするか。ヒントはおそらく「越境者」にあるはずなんです。

枠組みを取り払うことが必要

それは今日こちらに来ている人のことを考えればわかると思うんですけれども、これまでの「行政」や「民間」や「学問」や「ノマド」といったある種の枠組みの内側で会話をしていくのではなくて、そういった枠組みを取り払って実際に会話を実践し、その中から何ができるのか考えていく、そんなことが必要なんじゃないだろうかと思うわけです。

そうした大きな流れの中で考えてみれば、このTEDというイベントも、もちろん今回は1回のイベントですけれども、こういった中からどのようにして越境者、またさまざまな分野に身を置く人々が会話を積み上げていくのか。

そういったことがひょっとしたら今日本が直面するさまざまな課題を考え、生活者の意見をガバナンスに吸い上げていくプロセスを作っていく際のモデルになるのかもしれない。そんなことも僕は考えています。

ですから、私の最後のメッセージは“So let’s keep our dialogue going without fear or favour!”ということです。

この後も3時間の素晴らしい時間があると聞いています。また、多くのクリエイティブな方がここで発表をされることでしょう。

そういった中で多くの出会い、またコミュニティプロジェクトとしての私たちが大きく発展することを願って、私のスピーチとさせていただきます。

<続きは近日公開>

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