多彩な経歴をもつコメディアン、エレン・デジェネレス

スコット・コーウェン氏(以下、総長):皆さんに、そのファーストネームが世界中で知られている、とある女性を紹介したいと思います。その人が式典に来たというだけで、誰のことを指しているのかすぐにわかるであろう有名人です。

「エミー賞を20回受賞」「アカデミー賞授賞式の司会者」と彼女を紹介する人もいるでしょう。スタンダップ・コメディアンとして、テレビ番組『エレン・デジェネレス・ショー』の司会者として、そして何より、彼女はそのダンスで有名です。最近では、雑誌『カバーガール』のモデルも務めました。

ただ私はここで、2006年のことを振り返りたいと思います。ハリケーン・カトリーナの被害に見舞われた後の式典で、スピーカーは当時の大統領ジョージ・H・W・ブッシュとビル・クリントンでした。講堂は興奮の渦に包まれていました。誰が最後にスピーチを締めくくるのだろう? たった3分間で、すべてをかっさらっていった人がいました。

それ以降、どの年の卒業生も口を揃えて言いました、「エレンに帰って来て欲しい」と。今日ここで皆さんにお伝えします。皆さんのご期待通り、エレンが帰って来ました。ご紹介します、エレン・デジェネレス氏。

(会場拍手)

エレン・デジェネレス氏(以下、エレン):どうもありがとうございます。コーウェン総長、本当にどうもありがとうございます。コーウェン総長の奥様、著名なゲストの方々、そうでないゲストの方々、変なスペイン語の先生も。どうもありがとうございます。

(会場笑)

そして、2009年度卒業生の皆さん、おめでとうございます。皆さんが二日酔いで頭が割れそうで、火曜日からずっと寝てないのは承知していますが、私のスピーチを聞くまでは卒業できませんからね。

(会場笑)

卒業式でスピーチをするよう頼まれた時、即座にイエスと答えました。その後で「卒業式」という言葉の意味を調べたのですが。辞書があれば簡単だったのでしょうが、あいにく家にある本はほとんど私のパートナーのもので、オーストラリア英語で書かれたものばかりなのです。

ですから自分で言葉を分解して「卒業式」という言葉の意味を想像するしかありませんでした。「Commencement(卒業式)」とは、「common(共通の)」と「cement(セメント)」を合わせたものだとわかりました。

一緒に舗道のセメントを眺める、ということだと思います。舗道の欠けた部分につまずくと、お母さんの背中に激突する。そんな感じの意味なのかと思います。

(会場笑)

とにかく、こうして皆さんに「共通セメント」のスピーチをさせていただけることを光栄に思います。

ニューオーリンズが好きだから

エレン:皆さんは、素晴らしい功績を残された過去の卒業生たちをご存知だと思います。私はこの大学の卒業生ではありません。総長がご存知かわかりませんが、私はどこの大学も卒業していません。皆さんが時間とお金を無駄にしたと言うつもりはありませんが、大学に行かなかった私はこの通りかなりのセレブです。

(会場笑)

私の出身はグレイス・キング高校です。私はこの土地で育ち、長い時間を過ごしました。私の母はニューコム大学で働いており、彼女の財布からお金を拝借する必要があると、私はいつも母のところを訪ねたものです。

では、今日私はどうしてここにいるのでしょう? 前置きが長くなって申し訳ありません。私がここにいるのは、あなたがたのためです。皆さんほど、ねばり強く勇敢な卒業生を他に知りません。

自分の姿を見てごらんなさい。ローブを着て座っている。普通、朝の集会にローブを着て来るということは、基本的に諦めているということを意味します。

(会場笑)

私がここにいる理由は、ニューオーリンズが好きだからです。私はここで生まれ育ちました。皆さんとは違い、ここに住んでいた間6回しか洗濯しませんでしたが。

(会場笑)

人生の目標を見失っていた10代

エレン:私が学校を卒業した時、何をしていいかまったくわかりませんでした。「学校」というのは中学校のことです。私は高校も卒業していません。私には野心や夢というものがまったくありませんでした。自分がやりたいことがわからず、さまざまなことをやりました。

牡蠣の採集、バーテンダーやウエイトレス、塗装工に掃除機の販売などなど。何をしていいかまったくわかりませんでした。そのうちに何かちゃんとした仕事をみつけて、家賃とケーブルテレビ代くらいは払えるようになるといいなとは思っていましたが、計画らしいものは全然ありませんでした。

当時の私は、皆さんくらいの年になるまでには自分がどう生きていきたいのかわかるだろうと思っていたのですが、さっぱりわからなかったのです。たとえば、私が皆さんくらいの年齢の時は、男性とつきあっていました。

(会場笑)

というわけで私が言いたいのは、皆さんが私くらいの年齢になった時には、ほとんどの方は同性愛者になっているだろうということです。

(会場笑)

どなたか、メモをとっていらっしゃる方はいますか? ご両親の方?(笑) ともかく、私は人生で何をしたいのかわかりませんでした。私が今のようなキャリアを選んだのは、とても悲しい出来事がきっかけでした。

夢のはじまりは「神様との会話」から

エレン:私は19歳くらいで、当時つきあっていた彼女を交通事故で亡くしたのです。私は事故現場を車で通り過ぎましたが、その被害者が彼女だとは気付かず、しばらくしてからそのことを知りました。

私が住んでいたアパートは地下室でした。お金がぜんぜんなかったのです。冷房も暖房もなく、フロアにマットレスを直に置いただけのものでした。彼女がいなくなった部屋の中はとても寒く、私は深く反省をしていました。

「彼女はどうして、突然私を置いて行ってしまったんだろう?」「なぜこんなに心が凍てついてしまったのだろう?」「意味がわからない、きっと何か目的があるはずだ」「電話をして神様に尋ねることができればどんなに助かるだろう……」

私は台本を書き始め、その時まるで神様と会話をしているように、言葉が自分の中から湧き出して来るのを感じました。もちろん、一方通行でしたが。

台本を書き終わり、読み返してみて1人こう思いました。ちなみに私はそれまでスタンダップ・コメディなどやったことがありませんでしたし、町にはコメディ・クラブもありませんでした。それでもこう思ったのです。

「いつかこの漫談を『トゥナイト・ウィズ・ジョニー・カールソン』で上演できるようになろう」

彼は当時非常に有名なスターでした。「そして、番組史上初の女性コメディアンとして、彼と対談できるようになろう」と心に決めました。

数年後、私は番組史上初の、そしてただ1人の女性コメディアンとしてその番組に出演しました。神様と会話したあの夜に書いた台本のおかげです。

秘密を抱え、重圧に耐える日々

エレン:そして私はスタンダップ・コメディアンとしての道を歩き始めました。それは成功し、素晴らしい道のりでしたが、同時にとてもつらいものでもありました。なぜなら、私は人を喜ばせようとするかたわら、自分が同性愛者であるという秘密を隠して生きていたからです。

「もし同性愛者であることがばれたら、人気がなくなるんじゃないだろうか」「もう笑ってもらえなくなるんじゃないだろうか」と常に不安に思っていました。

やがて私は自分のコメディ番組を持つようになり、大きな成功をおさめました。それまでよりも1回り上の成功でした。私は、「もし同性愛者だとばれたら、誰も番組を見なくなってしまうんじゃないだろうか」ととても心配になりました。

ちなみにこれはかなり昔の話です。大統領が白人だった頃の話、何年も前のことです。

(会場笑)

そして私はとうとう、「これ以上、羞恥心や恐怖心の中で生きて行くことはできない」と思いました。同性愛者であることをカミングアウトすることにしたのです。それは政治的なメッセージなどではなく、それまで自分が背負って来た重圧から、自分自身を自由にするためでした。私はただ正直でいたかったのです。

カミングアウトによって起こる、最悪の結果は何だろうと思いました。仕事を失う恐れがありました。そして実際、私は仕事を失いました。6年間続いた番組は打ち切られ、私は新聞を通してその事実を知りました。