容姿に見るアイデンティティ

サナ・アマナット氏:ではこれから、皆さんにあることをしてもらおうと思います。皆さんに今ここで、私を見て「ある判断」をして欲しいんです。私をよく見て、それから皆さんの頭の中で私の姿を想像してみてください。……では、今皆さんが思い描いた私の姿をもとに私を「あるカテゴリーに分類する」としたら、どのように分類しますか? 

私の身長? 皮膚の色? それとも髪? ……このような描写がその人のキャラクターを決定づけます。もしかすると私のTシャツも私のキャラクターを決める要素の1つになるかも知れませんね。……実はこのTシャツはギブアウェイ(配布用製品)なんですけれども。しかしおそらく、「南アジアの女性だ」という分類をされたのではないでしょうか? 

実際、私はこの会場の中で唯一の南アジア系の女性だと思うのですが、皆さんの中で南アジアの女性に興味のある方、いらっしゃいますか? これはいい講演ですよ。是非おすすめします。もしもしそこのお嬢さん方? ……嫌? ……わかりました。

まぁそれはさておき。私がキャラクターの構想を立ち上げたとき、クリエーターの方々と一緒に打合せをする中で彼らによく言っていたのは、外見も中身もごく普通の1人の人間が、ある日突然超人的なアイデンティティーを持つという、センセーショナルなストーリーでした。私たちは彼らをこう呼びます、「スーパーヒーロー」と。

身近なスーパーヒロイン

これからお話しするのは、この今までにないヒーローの構想がどのように生まれたか? についてです。本来の予定では、公式発表した後にこの場でお話するはずだったのですが……。『ミス・マーベル(MS. MARVEL)』はアメリカの漫画史上初の、そして唯一のムスリム・アメリカンのスーパーヒロインです。

おそらく既に世界的に知られていることと思いますが、このミス・マーべルというムスリム・アメリカンのヒロインは、同じくムスリム・アメリカンである私自身が、幼少期に実際に自分のアイデンティティーに関して悩んでいたことから生まれたキャラクターです。この漫画の出版は、ムスリム・アメリカンのリアルな視点が反映されているという点で、とても大きな可能性を秘めたものだと思っています。

親御さんには「やっと娘に見せてあげたい本ができた」と、ファンの皆さんには「やっと自分と同じ境遇の、共感できるキャラクターが登場した」と思って頂けていることでしょう。私たちはこの新しいスーパーヒロイン漫画を生み出したことによって、(世界に対して)何か強い影響を与えることのできるEnterキーを叩けたと感じています。

多くの人がかなり長い間、待ち望んでいたものです。でもアイディア自体はとてもシンプルで「1番おかしなヤツ」という仮面を被ってしまうことだけなのです。

何かが違う女の子

では、ミス・マーべル誕生の背景が分かったところで、ここからちょっと旅に出ましょう。遠ーい遠ーいところまで……。

(会場笑)

昔々、ニュージャージー州に、1人のある少女が住んでいました。(注:このときスクリーンには「実際はそんなに昔々ではなくて、私が小さい頃の話!」と注意書きが出ている)そのまだ少女は、ムスリムの衣装を着せられていましたが、彼女は自分がその衣装を着ていることにいつも違和感を感じていました。

彼女は他の女の子たちとは違っていました。他の女の子たちにとってはおいしいBLT。でも、彼女はそれを食べることができませんでした。彼女は「ビーガン」に惹かれるようになっていました。「美味しいお肉って何?」彼女がお肉に魅力を感じることはありませんでした。

彼女の家庭の事情で、彼女はクリスマスプレゼントももらえませんでした。それに、実は彼女、水泳のときはいつも水着の上にTシャツを着なければならなかったのです。

このようにこの女の子は他の子どもたちとはひどく違っていました。彼女の両親も娘のことを理解できていませんでしたし、彼女の3人の兄弟はみんな自分のことに忙しくて、彼女のことを構っている暇がありませんでした。彼女の家族でさえ、皆それぞれ違っていたのです。これが……、そう! 『X−MEN』です。

個性が認められるのはもっとも素晴らしいこと

『X−MEN』では、ミュータントとして特殊能力を持って生まれたキャラクターたちに1人1人異なる超人的な能力が与えられることによって、1人1人の個性を認めています。個性が認められるということは、世界で最も素晴らしいことです。

例えば、この茶色い肌に白い髪の女性(ストーム)は、天気を自在に操ることができます。青い男性(ビースト)は猛獣のような怪力の持ち主です。恥ずかしがり屋の彼女(バイパー)は、体の表面が有毒物質で覆われているために、誰にも触れることができません。

これらのキャラクターたちは彼女を安心させるものであり、彼女は彼らをよく理解していました。なぜなら彼女自身も身の回りの人々と何かが違っていたからです。それに、その漫画のキャラクターたちがちょっとまぬけな外見であったことも彼女の救いになりました。

(会場笑)

この写真、私の母は私が何のコスプレをやっているのか理解していたのでしょうか? わかりません。……こんな格好でごめんなさいね(笑)。X−MENに登場するキャラクターたちは、自分のありのままの姿を受け入れています。

天候を操る能力、ミュータントであること……。どうして生まれつきそんな能力が備わっているのか、理由はともかく、彼らは自分が何者なのか(自分に課せられた役割)を理解しています。

そういうわけで、毎週土曜日の朝になると、その少女はテレビの前に釘付けになってX−MENを観ていました。X−MENを観ているときだけ、彼女はちょっとだけ孤独を紛らわすができました。なぜなら、彼女は自分自身を外から見る、客観的な視点が必要だったからです。では、ここで初めの質問の話に戻りましょう。

期待と現実との大きなギャップ

私はこの講演のはじめに、皆さんに私を何か「カテゴリーに分類」するようにお願いしました。それでは、今から私が自分自身をカテゴライズしてみます。

私は……、

1.ムスリム。 2.女性。 3.アメリカ人。 4.漫画の編集者。 5.背が低い。 6.怠けもの。 7.漫画オタク。

実際は言うほど漫画オタクではないですよ(笑)。

このように自分自身をカテゴリー分けしてみると、不思議なことに、「自分はどんな人間なのか?」という問いに対して、シンプルな答えが見えてきます。これらありのままの私の外見上・内面上の性質を全て含めた上で、私を「憎むべき敵」だと思いますか? 

カテゴリー分けの根拠は、外見的、内面的な特徴や、生まれた場所、職業など、見る人によって様々です。けれどもその大半が、事実と無関係で、見る側による根拠のない憶測や期待によって構成されています。ですから、もし私がムスリムの女性だと言ったら、人々は私に対してこんなイメージを思い描くでしょう。

  1. 頭を布(「ヒジャブ」)で覆っている。
  2. 親族以外の男性に触れたり、肌を見せてはいけない。
  3. アルコールを飲まない。

でも人によっては、「ムスリム=テロリスト」だ考える人もいます。もちろん私はテロリストなんかじゃありません。でもアメリカ人は嫌いです。いえ、私自身もアメリカ人ですから自分自身を嫌うことはありませんが(笑)、時にはね。

私は女性であることに失望してます。なにより、女性であることに対する葛藤があります。それは(女性の社会的地位が制限されている)イスラム教を毎日崇拝している、私の貧しい両親に尋ねたら分かるでしょう。

このように、人々は私たちムスリムに対していろいろなイメージを持っていますが、実際のムスリムがその通りであるとは限りません。人々が無意識にそう判断したのか否かに関わらず、相手に対する「期待や予測」と「現実」の間にはギャップがあるのです。

テロリストの仲間と呼ばれた日

私たちは常日頃から、他人から見た自分に対するイメージについて意識していると思います。私たちはメディアや両親、友人など、他者から見たイメージを通して、自分自身がどんな人間であるかを知るのです。

やがて、その他者から見たイメージをそのまま自分に当てはめ、規格化してしまいます。自分で選んだイメージではないのに。こうして私たちは、自分の本来理想とする姿から分離してしまうのです。

私が中学生のとき……ちょうど9.11テロでワールドトレードセンターが爆破された時のことです。当時の私はいろいろと思春期の悩みを抱えていたのですが、まさにその時期に、初めて自分の宗教が公的に侵害される、という体験をしました。

サナ:私がテロの翌朝、学校に向かって歩いているときのことでした。今まで一度も話したことすらないクラスメイトが、いきなり背後から私の肩をトントン! と叩き、こう言ったのです。

「ねぇ! 『あなたの仲間』に伝えといてよ。『私たち』を攻撃するのはやめて! って」

私は彼女の言葉に困惑し、驚いて言葉も出ませんでした。「私たち!?」、私はそれまで、自分は彼女の言うところの「私たち」、つまりアメリカ人側のグループに属していると認識していたのです。(彼女が言うところの)「あなたの仲間」、テロリスト側ではありません。

「私は絶対、テロリストなんかじゃない。……なんで私が!?」おそらくそれが、私という人間が世間からどのように見られているかを認識した、最初の経験だったと思います。「モハメド」「アハメド」「シャリーフ」……幼い頃から私の身近な存在だった、こんな名前さえ、ムスリムらしい名前だからという理由だけで、他者から「テロリストの仲間」と認識されるのです。

それと同時に、メディアの大々的かつ戦略的なプロパカンダが、ステレオタイプなイメージを作り出していました。

私はプライドと羞恥心の間で、また自己防衛と懐疑心との間で、自問自答を繰り返しました。一体私はどんな人間なのか? 私の居場所はどこにあるのか? ……自分で自分が分からなくなりました。私はそれまでにも長い間、常に「自分らしくない」イメージと戦ってきました。

それがある日突然、私の顔が身の回りのいたる所、テレビ、学校、雑誌などに貼り出されて、しかもその顔には赤色のペンで大きなバツ印が描かれているのです。どうして私が自分のアイデンティティーを喪失し、不安定な状態に晒されなければならなかったのでしょう? 

※後編はこちら! 素顔の自分と英雄の顔… “葛藤するヒーロー”に魅せられた漫画オタクが語る、本当の「自分らしさ」とは