「直感を信じてきただけ」 "15歳・無職"から高級車コレクターへ、成功する自由人の成り上がりストーリー

Go with your gut feeling #1/2

全てはポルシェへの愛から始まった--若くして学業の道から身を引き、19歳でアメリカに移住。ふとした偶然から生まれたビジネスを成功させ、自由を手にしたと語るマグナス・ウォーカー氏が、自身の半生におけるターニングポイントを振り返りました。(TEDxUCLA, 2014より)

好きなことをする自由を求めて

マグナス・ウォーカー氏:こんにちは。私の名前はマグナス・ウォーカー。イギリスのシェフィールドで1967年に生まれました。15歳の時に学校を辞めて、19歳の時にアメリカにやってきました。

8週間前までTEDトークのことを全く知らず、今日もなぜ私がここに呼ばれたのかよくわかりませんが、今日はこのような場で、私のこれまで、私のストーリー、夢や希望を皆さんとシェア出来る機会を頂けてとても嬉しく思ってます。

15歳で学校を辞めてしまい、当時は将来がまったく見えませんでした。28年前にアメリカに移住したのですが、アメリカはチャンスの国だと信じていました。そしてそれ以来、3つのことを成し遂げました。成功したアパレル会社、映画のロケビジネス、そして多くのクラシックポルシェコレクションです。私はポルシェが大好きなのです。後でもう少し詳しくお話します。

私が成し遂げたこの3つには共通する土台があります。まず私は公式な教育を受けずにそれら3つを成し遂げたこと。そして、それらを自分がやることになるとは思ってもいなかったことです。私は将来、自分がどうしたいかわからなかったのです。そしてそれら3つを成し遂げた私が常に求めていたことは、自由です。好きなことを何でもする自由。最高の自分で、自分に出来る最高のことをする自由。

ポルシェとの出会い

アメリカに移住したのにもストーリーがあります。1977年にその物語は始まります。1977年はイギリスにとって特別な年でした。当時パンクロックが流行っていましたね。私にとっても思い出深い年です。父にモーターショーに連れて行ってもらいました。そしてそこでこの車に恋に落ちました。白のマティーニポルシェです。

70年代後半、80年代前半に育った世界中のどんな子供も、この3つの車いずれかに惚れていたと思います。ポルシェターボ、フェラーリボクサー、またはランボルギーニ。私はなぜかポルシェに惹かれました。

10歳の時にポルシェに手紙を書きました、「あの車が欲しい、ポルシェのデザインをしたい」という内容です。彼らはその返事に、「あの車はちょっと古くなってきているから」と添えて車のパンフレットを一緒に送ってくれました。ポルシェのほうから私に手紙を書いてくることになるのは後の話です。

シェフィールドはご覧のような北部鉄鋼の街です。その街にポルシェが走っていることはほとんどありません。1977年、モータースポーツもよく見ていました。父はセールスマンで、労働階級の暮らしでした。カッコいい車が身近にあったわけではありませんでした、どうにかしてポルシェと関わるようになるぞと決めました。

当時の私は中距離走の選手で、チームではなく個人競技が好きでした。一人で走るのがとても好きで、どんどん速くなりました。

同じ頃、ヘビーメタルにもハマりました。シェフィールドは少しどんよりとした街でしたが、音楽に溢れる楽しい場所でもありました。

ポルシェに恋して、中距離走選手として国内で名を上げ、ヘビーメタルにはまり、15歳の年の最後には学校を辞めようと決めました。こうして1982年、学校を辞めたのですが、未来がありませんでした。パブでお酒を飲み、クラブで楽しみましたが、中距離走の選手だった私にはそのライフスタイルは合わなかったので、だんだんとそれも頻度が減っていきました。

しかし情熱、やる気だけは常に持っていました。今でも当時のことは身体に染み込んでいて、自分のゴールに向かって走り続けています。

最初の転機

その後色々な仕事をしながら生計を立てていましたが、様々な場面でこのように言われるようになりました、「髪を切ってきちんとした仕事をしなよ」と。建設現場で働き、実家暮らし、車もないので常にバス通勤。こんな状態でも2年程度は別によかったのです。

しかし、17歳になって髪を切るつもりはないけど、きちんとした仕事を得るほうがいいだろうと思い直しました。1年ほど、大学でレジャーとリクリエーション、スポーツマネージメントのクラスを取りました。

そこで「キャンプアメリカ」の存在を知りました。それが何のことだかは知りませんでしたが。キャンプアメリカは、アメリカのサマーキャンプに参加するプログラムでした。

子供の時はよくアメリカのテレビ番組を見ていました。アクションや車ものをよく見ていましたが、アメリカに憧れていました。私はキャンプアメリカ参加に応募してみました。なんだか心がざわついて、これをやるように自分の内なる声が言っているような気がして。大抵の場合、自分の心が「やれ!」と言ってくることをやると上手く行きます。

そしてアメリカへ

そしてキャンプアメリカに参加することが出来るようになりました。ニューヨークに飛んでから、バスでデトロイトまで移動しました。デトロイトはシェフィールドと同じように、かつて工業で栄えた街であり、それと同時に自動車産業も盛んな街です。しかしデトロイト内にいたわけではなく、そこから車で北に30分ほど行ったところにある街で、デトロイト出身の恵まれない子供達の手助けをするのが仕事でした。

カルチャーショックでした。私はイギリスのシェフィールド出身のヘビーメタル狂いでしたので、アメリカの田舎暮らしに慣れなくてはなりませんでした。割とすぐに慣れ、キャンプが終わると、またバスに乗って西へ向かいました。こうして1986年、ロサンゼルス、ユニオン駅へ朝4時に到着したのです。

朝の6時頃、気がついたら公園のベンチで眠っていました。ロサンゼルス市警の警官から「ここで寝てはダメですよ」と言われました。アメリカのテレビ番組でロサンゼルスが舞台となっているものなどもよく見ていましたが、素敵な映画俳優やロックスターは一体どこにいるんだろう? と実際のロサンゼルスを見て少しがっかりしました。ロサンゼルスのダウンタウンにはそのような著名人はいないのですね。

ロサンゼルス滞在3日目にターニングポイントが

そこですぐにハリウッドに移動します。ロサンゼルスに到着した3日後にターニングポイントが訪れました。私はハリウッド通り沿いにあるYMCAの安宿に滞在していました。ハリウッド通り沿いにある店を見ながらショッピングしていると、ワニ革パンツが9.99ドルで売られていたのでそれを購入します。

しかし、どうしてもそのパンツがフィットしなかったので、安宿に戻り裁縫道具を借りて自分で直しました。そしてメルローズ通りの話を聞いていたので、直したパンツを履いて行ってみることに。そしてパンクロックの店に入ります。

その店の店員であり、「ファースタープッシーキャット」というバンドのメンバーでもあるタミングという男性と、「自分はイギリスから来て……」と話をしているうちに、「そのパンツはどこで買ったんだい?」と聞かれました。

突然の事だったので、「これはイギリスで買ったんだ。なぜ? このパンツ欲しい?」と冗談で言っていました。彼はそれに対して「買うよ! いくらだい?」と。別にこのパンツは売る為に購入した訳ではありませんでした。25ドルでどうだい? というと、彼は買うよ! というので、またハリウッド通りに戻り、同じものを八本買ってきて、彼に売り、一本のパンツにつき15ドルの利益を出しました。

この一時間で稼いだお金は-ロサンゼルスにやってきて3日で稼いだお金は-イギリスで一週間工事現場の肉体労働で稼いでいた金額を超えていました。「なんだ、簡単だな! ロサンゼルス最高!」と思いました。

(会場笑)

英語も通じるし、ロックが流行っているし。そこからの数年は素晴らしい年でした。

そして1989年。私は古着ビジネスをしていました。ヤードセール等で安く仕入れた古いリーバイスやカウボーイブーツを野外出店で売っていました。

当時店を出していたベニスビーチは人気観光スポットで、特にヨーロッパからの旅行者がたくさん訪れる場所でした。そして少しずつビジネスが大きくなり、Serious Clothingというショップを立ち上げます。

アパレルブランドが急成長

そして私達のブランドはアリス・クーパーやマドンナ等ビッグスターの衣装も手掛けるようになります。更に卸売も始めます。ホット・トピックというチェーンブランドを5店舗展開し始めました。それが今では500店舗以上を展開しています。数点の洋服を扱うところから何千何万もの洋服を取り扱うまでに成長したのです。

1994年になり、アパレルビジネスをやるにはベニスではなくダウンタウンだ! と、ダウンタウンのロフトを六年契約で借りました。

Serious Clothingはたくさんのミュージックビデオ、雑誌にも協賛するようになり、スタイリスト達からの連絡が途絶えることはありませんでした。Serious Clothingはとてもユニークです。生地には洋服用のものに限りません。例えば車のシートをジャケットにしたりしています。普通では考えつかないような素材を素敵な洋服に変えるのです。要は自分たちが着たいものをつくっています。

自社ビル購入が更なるチャンスに

2000年になると、これまでに払ってきた家賃が二人分の住宅ローンを全額支払うのと同じ金額であることに気がつき、自社ビルを購入することにしました。

ところで、これが当時の私です。

(会場笑)

1994年には注目のトップ10アパレルブランドにランクインしました。話を戻します。2000年に妻がアートが盛んなエリアでこの物件を見つけてきました。

人にはこんな物件を買うなんて、やめたほうがいいと言われました。でも私は直感でこの物件を気に入りました。

そしてこの物件を購入し、素敵にリフォームしました。購入してから一年後、ミュージックビデオ撮影の為にあなたのビルを貸してくれませんか? と連絡がありました。そこから私達の撮影ロケビジネスが始まりました。2001年以来、一年に100日ほど映像撮影が入っています。低予算のものから、大きな映画まで。十以上のリアリティTV、例えば「America’s Next Top Model」だとかね。それを通じて、たくさんの面白い人々に出会いました。

私達は撮影現場として提供するビジネスをする目的でビルを買った訳ではありません。住めて、仕事が出来る自社ビルを購入したかっただけなのです。それがロサンゼルスでニーズのある「撮影」というビジネスに図らずも繋がってしまったのです。

どうやってこのように成功することが出来たのですか? と聞かれると、「直感を信じてきただけですよ」と答えます。

※続きはこちら! 人生のターニングポイントは、好きに没頭していると訪れる--直感だよりで成功を掴む秘訣

<続きは近日公開>

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