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京都大学iPS細胞研究所所長・山中伸弥教授「人間万事塞翁が馬」(全4記事)

ノーベル賞・山中伸弥氏「手術がヘタで、“ジャマナカ”と呼ばれてた」 挫折したことがiPS細胞研究につながる

ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学 iPS細胞研究所の山中伸弥教授が、「人間万事塞翁が馬」と題して高校生に向けて行った講演。山中教授は自身の人生を振り返り、整形外科医としての挫折がなければ研究者の道へ進むことはなかったという。研究者として、人生の先輩として、これからの日本を担う高校生にメッセージを送ります。

山中伸弥教授の学生時代とは

山中伸弥氏(以下、山中):みなさん、こんにちは。

会場:こんにちは。

山中:大学生とか、もっと大きい人たちの前で講義することはよくあるんですけど、皆さんのような高校生の方に講義するというのは、ほとんどありません。今日は私も、ドキドキしています。

このような素晴らしい機会を与えてくださった、稲盛財団の方がた、京都大学、京都府京都市の皆様方、そして今日集まりいただいた各校の先生方、生徒のみなさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

それからスエヒロ君、大変素晴らしい紹介をありがとうございました。今日7つの高校の方が来ていただいていると思いますが、1年生の人はどれくらい来てくれていますか? ちょっと手を挙げてもらえますか? ありがとう。では2年生は? 2年生が多いですね。3年生はいますか? 3年生も。これが終わったら勉強してください。

ということで今日は1年生から3年生まで、色々皆さんおられるということで、年齢でいうと15歳から18歳くらいですか。私も、つい少し前、30年くらい前は皆さんと同じ高校生でした(笑)。

30年と言っても、本当につい昨日のことのように色んなことを思い出します。私は大阪にあります大阪教育大の付属、天王寺という中学と高校をでました。どんな高校生だったかというと、勉強はそこそこしていましたが、柔道を一生懸命やっていました。中学高校の6年間、柔道を一生懸命やっていました。中3の時に初段になって、高2の時に2段になりました。私立の強いところにはかなわない部分もありましたけど、結構一生懸命練習をしまして、怪我もとても多くて、大体年に1回は必ず骨折をしていました。

大学入っても怪我をしていて、この間数えたら、全部合わせて10回以上骨折をしていまして。10回以上骨折をしたことある人いますか? たぶんいないと思いますけれども。実は、今も骨折をしていて、3週間前に、バーベルのプレートを落としてしまって、足の小指に直撃いたしまして。骨が砕けて指が2倍くらいに腫れあがって、今は1.5倍くらいになったんですけど。3週間経って痛みがましになったんで、今日は本当に久しぶりに昼間ここに来る前に走ってみようと思って、鴨川の周りを走ったら、やっぱり痛かったです。

(会場笑)

止めておいたらよかったな、と思っているんですけど。

「人間万事塞翁が馬」

あと、実は、私はバンドを組んでいまして、フォークギターを弾いて歌を歌っていました。「枯山水」というバンドを組んでいまして。

(会場笑)

そういう、みんなと同じような高校生でした。さっき写真が出ていましたが、今の家内と、1人しかいないんですけど、付き合いだしたのも高2の時です。

ですからもう30年くらい付き合っているんです。まあ、高校に本当に色んな思い出があります。うれしいことも、楽しいことも、辛いことも。先生にもよく怒られました。

1番は、高3の時だったと思うんですが柔道部の先生に怒られたのを覚えていて。僕たちは団体戦を重視するんです。団体戦で大阪府の上位に行こうと、高3の時は大阪府でベスト16まで行ったんです。ベスト8まで行ったら近畿大会に出られたんですど、残念ながら私立のめちゃめちゃ強い学校に当りまして、負けてしまいました。

その試合が土曜日にあったんです、強いレギュラーの5人が団体戦に出るんですけど、部員はもっといますから、一生懸命頑張っているんですけど団体戦に出られない同級生とか下級生がいます。そのうちの何人かは次の日に個人戦がありまして、個人戦に団体戦の代わりにレギュラーじゃない人に出てもらうと。

僕たちは団体戦でだいぶ上位までいったもので、しゃべれないくらいフラフラになって、家でガーッと寝ていて、次の日の個人戦の応援に行かなかったんです。そしたら顧問の先生にカンカンに怒られましたね。月曜日に、お前らは「人間のクズや!」と、「昨日、友達の応援に来ないなんて考えられない。前の日に団体戦頑張ったことなんて、そんなことどうでもいい、そんなんやるためにお前らに柔道を教えたんちゃう」と。

今思い出しても、僕たちとしても本当に恥ずかしいことをしたなと思っています。怒られたことを自慢しているんではなくて、そういう普通の高校生だったとお伝えしたいだけなんです。上の方は難しいタイトルがありますが、今日は、本当は「万事塞翁が馬」というタイトルです。

中国の、ことわざというか言葉なんですけど。この意味を知っている人はどれくらいいますか? 手を挙げてください。何人かですね。本当はもうすこし知っていると思いますが。

かいつまんでいうと、中国の塞翁というおじいさんがラッキーなことに、買っても買えないような素晴らしい名馬をひょんなことから手に入れまして、これはなんと運がいいんだろう、素晴らしいと思って喜んでいると、息子さんが馬に乗って遊んでいるうちに、落ちてしまって、体が不自由になってしまって、大切な息子さんだったんで、なんと不幸なと。

たぶんどっちかの足だと思うんですけど、大切な息子が体が不自由になってしまったと。そうやって嘆き悲しんでいていたら、今度は隣の国と戦争が起こって若者はみんな戦地に行って死んでしまった。ところが息子さんは怪我をしていて戦争に行かないので、死ななくて済んだ。いいんやら悪いんやらわからない! というのが「万事塞翁が馬」です。

僕もまだ48歳で、まだまだ偉そうにみんなに「人生はこういうものだ」とか偉そうなことを言うことができないんですけど。人生の48年間、特に後半の20年間くらいを振り返ってみると、本当にこの「万事塞翁が馬」だなと。本当に大変なこともあるし、うれしいこともある。

でも、大変だと思ったことが実はうれしいことの始まりだったり、ものすごくいいと思ったことがとんでもないことの始まりだったり。ということですから、一喜一憂せずに淡々と頑張るということを自分自身の研究の話をしながら、わかってもらえたらなと思います。

9回失敗しないと1回の成功は手に入らない

もう1つ今日伝えたいのが、皆さんもこれから大学生になり、社会人になりとしていくと思うのですが、ぜひ色んな事にトライ、色んな事をチャレンジしてもらいたい。そしていっぱい失敗をしてもらいたいと思っています。

10回挑戦して、9回失敗をして、1回やっと成功するくらいの感じで、これから色んなことが起こると思うから、9回失敗しないと1回の成功は手に入らない。私自身もそうでした。

研究者はみんなそうです。その2つ、「万事塞翁が馬」と、どんどん色んなことに挑戦してどんどん失敗してもらいたい。

失敗するのは恥ずかしいことでもダメなことでもないと。この中の何人かの人にでも伝わったらいいなと思います。先ほど紹介してくれましたが、最初、整形外科医になったんです。骨折を治してもらったりする外科の先生です。

今もしていますが、自分が何べんも怪我をして何べんもお世話になったので、ぜひ整形外科医になりたいと。今から20数年前に無事医学部を卒業して、念願の整形外科医の研修トレーニングを始めました。

その時にトレーニングした病院が、今は名前が変わっていますけど、当時国立大阪と呼ばれていた病院です。大阪に行ったことがある人は多いと思いますが、大阪城の真横に非常に立派な病院があります。国立大阪病院でトレーニングを受けることになりまして、その当時、新しい建物ができたばっかりで、本当に素晴らしい病院でした。

すごく喜んで、「こんな素晴らしい病院でトレーニングができるなんて、なんてラッキーなんだ」と思ったのをすごく覚えています。しかし、それは今から考えると「万事塞翁が馬」のスタートでした(笑)。

整形外科医での挫折、そして研究の道へ

すごく喜んで病院に行ったんです。実際働きだすと、研修ですから上の先生に教えてもらうんですが、この世の物とは思えないくらい怖い先生が待ち受けていまして。僕もずっと柔道とか、大学ではラグビーをしていまして、体育会の柔道部で柔道をしていましたから、上下関係とか先輩、先生が怖いというのにはそれなりに慣れているつもりだったんですけど、そんなのに比較にならないくらい怖い。

鬼のような教員、教官が僕を待ち構えていまして、ビシバシと鍛えてもらったんです。僕は山中という名前ですけど、その先生には「山中」と呼んでもらえませんでした。2年間のトレーニングでなんといわれていたかというと「ジャマナカ」と呼ばれていました。お前はほんま邪魔や、「ジャマナカ」め、と言われていました。

しかも残念ながら、整形外科は外科で手術をするのが主な仕事なんですけど、少しですけど手術をさせてもらうと、どうもうまいこといかない。他の人がやっていると簡単そうに見える手術が、僕がやるとなんかうまいこといかない。

うまい先生がやると20分くらいで終わる手術が、僕がやると2時間かかると。そうういこともあって、だんだん自分は整形外科としては向いていないんじゃないかと。高校の時からずっと整形外科医になりたくて、大学の間も僕は整形外科医になる為に医学部に入ったんだと、他の授業はサボっても整形外科の時間だけは1番前に行って聞いていたのに。

ようやく念願かなって整形外科のトレーニングを始めたんですけど、ちょっと大変な目にあうと、意気地がないといいますか、逃げたくなって。で、選んだ道が、臨床。患者さんを見るのは僕は向いていないかもしれない、一度研究をやってみようということで、大学院に入りなおしました。

基礎医学の道を選んだもうひとつのワケ

大阪市立大学の医学部の大学院に入りなおして、そこで、薬理学薬、薬の研究を行うようになりました。先生が怖いことと、自分が手術が下手なことがあったんですけど、もう1つは手術が上手な神様みたいな先生がたくさんおられて、そんな素晴らしい先生であっても治せない病気とか怪我があって。

今もいっぱいあるんですけど、例えば脊髄損傷、それから非常に重要なリウマチ患者さん、整形外科の領域でも本当にたくさん色んな病気や怪我が治せません。脊髄損傷、僕もラグビーやっていましたから、知り合いでそれまで本当に元気で、病気にもなったことがないくらい、こんな体をしたラガーマンが、スクラムの時にガッと崩れて、一瞬にして脊髄損傷でそこから一生寝たきりになってしまうのが何度か周囲でも起こりましたし。

自分が整形外科医になってからも、そういう人たちに何にもできないという非常に辛い思いをしました。ちょうど皆さんの年齢、高校生の患者さんで、膝が痛いと言ってうちの病院に来て、レントゲンを採ったら膝に骨のがんができていて、その子は太モモの下から切断する必要がありました。

薬も、抗がん剤というのがあるんですけど、それもアメリカで開発された薬で。今でも覚えているんですけど、その高校生の患者さんに、毎日2回投与します。薬の入っているアンプルっていうガラスの小さな入れ物に入っているんですけど、1人の患者さんの1回の投与のために、50本分くらい使うんです。

だから看護師さんと3人くらいで一緒に毎日50本くらい開けて混ぜると。それだけ苦労しても、その人は足を切断する必要があったし、切断したとしても助からないことが多い。

そういう病気がいっぱいあるんです。そういう病気と接している間に、何とかいつか治らない怪我とか病気を治せるようにしたい。そのためには基礎医学、今わかっていない病気の原因とか、今ない薬の治療法を開発するのが基礎医学という学問で、それに自分も携わってみたいと思うのも理由でした。どっちが大きかったか、半々くらいだったということにしておきます。

恩師との出会い

大阪市立大学の薬理学という所に入って、ここにあります山本研二郎先生と三浦先生という、2人の素晴らしい先生に教えてもらいました。

私はここにいますけど、今とあんまり変わっていないかもしれません。髪の毛は今よりもう少しあったかもしれないけど、基本的には変わっていないと思います。

4月に大学院に入学して、最初の3カ月くらいは実験させてもらえなかったんです。色々論文を読んで、色々自分なりに考えなさいと。実験したくてしたくてたまらなかったんですけど、三浦先生が僕の直接の指導者で、なかなか実験させてもらえないと。

しかし、ちょうど夏ごろに三浦先生がとうとう僕に初めての実験をさせてくれました。研究というのはある仮説をたてるんです。「これはこうかもしれない」という仮説をたてて、それを実際、実験をして確かめる。それが研究です。その繰り返しなんです。

もちろん学生だから、仮説は自分で作るんではなく先生が作ります。三浦先生が作った仮説を、僕たち学生が実験して確かめる、そういうシステムになっています。その時に三浦先生が僕に与えてくれた実験テーマというか三浦先生の仮説が、ここに書いてあります。

ちょっと薬の名前とかが出てきて難しいかもしれないですけど。

まあ、あの名前なんかどうでもいいんですが、ともかくPAF(パフ)血小板活性化因子という物質があって。人間でもそうなんですけど実験動物、僕たちの時は可哀想なんですが犬をつかっていました。

このパフという物質を犬に注射するとストンと血圧が下がるんです。それから少し経つともとに戻るという。そういう現象は前から知られていたんです。同じことが人間にも起こって、色んな病気の時にパフができて、それによって患者さんの血圧が下がるというのがわかっていました。

三浦先生が作った仮説が、パフが血圧を下げるんですが、そこには別の物質、ソロンボキサンA₂という別の物質が関与しているだろうと。だからパフができたら、パフがソロンボキサンA₂を作ってソロンボキサンA₂が血圧を下げるんじゃないかと。そういう仮説。薬の研究ですから、薬がどうやって効くかを研究するのが学問です。この三浦先生の仮説をどうやって確かめるか。僕がどんな実験をしなさいと言われたかというと、こういう実験でした、当時製薬会社がこのソロンボキサンA₂ができるのを、できなくする、阻害する非常にいい薬を開発しました。

初めての研究で予期せぬ結果が

その薬を製薬会社から三浦先生がもらってきてくれたんです。これを使って実験しろと。整形外科のトレーニングを受けているときには「ジャマナカ」と呼ばれていたのが、この頃三浦先生には「やまちゅう」とよんでもらっていて、ちょっと出世していたんです。

「やまちゅう、ちょっとこの実験やってみいひんか」と。非常に単純な実験ですけど、「はい、わかりました」と、初めての実験を行いました。今から25年くらい前ですけど。

このグラフは血圧の変化を表わしています。みなさんはこんな実験はしないかな。このグラフがなにかというと、横時間は時間です。縦軸は血圧。これは何を示しているかというと、ここでパフという薬を犬に注射したら、血圧が数分間下がってまたすぐにもどるという現象があります。

三浦先生はこのパフの作用はソロンボキサンA₂が関与しているのではないかと考えまして、ソロンボキサンA₂の合成を止める薬を製薬会社からもらってきてくれていて、もし三浦先生の仮説が正しければこういうグラフになるはずなんですね。

ソロンボキサンA₂の生成を止める薬をあらかじめ犬に注射しておいて、その後にパフという薬を注射すると今度は何も起こらない、血圧は下がらない、ずっと一緒だと。三浦先生の仮説が正しいと、こういうことになります。

非常に簡単な初心者にぴったりの実験だったんです。もちろん僕にとっては初めての実験でしたから、うれしくてたまらなくて、一生懸命犬に注射して血圧を測定しながら。犬の血圧ってどうやって測定するんだろうと思うかもしれませんが、できるんです。

で、仮説が正しければこうだったんですけど、実際に起こった結果は全く予想外でした。どんな結果だったかというと、こんな風に全然効かなかった。

これだけだったらよくあることですけど、このままソロンボキサンA₂を投薬しなかった犬と同じように血圧が下がって、「あれ、効かないというか、三浦先生の仮説が当たってないな」と思って、そこで諦めないで血圧をずっと取り続けていたんですね。すると、どうなったかというと、いったん回復したと思った犬の血圧がこんな風にどんどん下がり続けたんですね。

どんどん下がっていって、もう死んでしまうかと思うくらい下がって、1時間くらいしてやっともとに戻ると。こういう全く予想しない結果になったんですね。この結果を見た時に、今から考えればそんなに大したことではないかもしれないけれど、当時まだ20代で、生まれて初めてこういう研究をさせてもらって、僕はこの結果を見た時にものすごく興奮したんです。

「えぇー!!なんでこんな、かえって……」と。パフで血圧が下がるのを防ぐだろうと思って投与した薬が、逆にこんなに悪化させるというか、血圧をめちゃめちゃ下げてしまう。

全く予想と正反対の、薬が効かないというか、はるかにひどくなってしまうという結果で、すごく興奮したのを覚えているんですね。あの時の興奮を思いだすと、僕は、自分は研究者に向いているんだなと、今でも思います。

その時、三浦先生は隣の部屋で煙草を吸ってゆっくりしてはったんですけど、三浦先生のところに走って行って「三浦先生! 三浦先生! 先生の仮説は間違っていましたがすごいことが起こりました」と言いに行ったのを覚えています。

僕は三浦先生をすごく尊敬しているんですけど、何を尊敬しているかというと、その時、三浦先生は自分の仮説が外れてがっかりして当たり前なんですけど、三浦先生は僕と一緒に「これはスゴイな! 驚いたな!」と、ものすごい喜んでくれはったんです。

それで僕は大学院であと3年くらい研究を続けました。なんでこんな予想と全く違う結果になったのかということを、一生懸命3年間ずっと研究して論文を書いて大学院を卒業して、医学博士を取りました。

先生の言うことを信用してはいけない

ここに書いてある山中博士って呼んでもらえるのは、この実験があったからです。この実験で僕は3つのことを学びました。1つ目は「科学、研究というのは予想できない、驚きに満ちている、びっくりの連続だ」ということを最初の実験で幸運にも学ぶことができました。あの時のドキドキがあるから、僕はいまだに研究をしていると思います。それが1つ目。

2つ目は、これは新しい薬なんですけど、新しい治療法とか新しい薬とか、医学の研究が進んでいくと、どんどんできていきます。けれど、そういった新しいものをそれをいきなり患者さんで試したら絶対に駄目だ。あたりまえですけど、いきなり人間で試したらこういう予想外のことが起こってしまうので、必ずこういう実験動物を使って安全性とか効果を確かめる必要があるなというのが2つ目のことです。

3つ目に学んだことが1番大切だと思うんですが、あんまり先生の言うことを信用してはいけないというのが3つ目のことです。僕もそうでした。みんなも中学高校の間は教科書を勉強する、先生の言ったことを勉強する。その通りにしないと点数がもらえないというトレーニングを受けていると思います。

しかし実際は、今教科書に書いてあることが、10年後は書いてないことがよくあるんです。今「AはBである」と書いてあることが、10年後には「AはCである」と書いてあるということがすごくよくあります。だから研究は特にそうで、疑ってかかるというかもっと真っ白な気持ちでなんでも受け止める、先入観を持たないということがとっても大切です。

そういう大切なことを、僕は非常にラッキーなことに最初の初めての実験で学ぶことができました。で、この実験でどんどん研究の世界にぐいぐいと引き込まれて、だんだんと臨床医としてトレーニングは止めてしまって、研究で頑張ろうという気持ちになってきました。

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