山中伸弥教授の学生時代とは

山中伸弥氏(以下、山中):みなさん、こんにちは。

会場:こんにちは。

山中:大学生とか、もっと大きい人たちの前で講義することはよくあるんですけど、皆さんのような高校生の方に講義するというのは、ほとんどありません。今日は私も、ドキドキしています。

このような素晴らしい機会を与えてくださった、稲盛財団の方がた、京都大学、京都府京都市の皆様方、そして今日集まりいただいた各校の先生方、生徒のみなさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

それからスエヒロ君、大変素晴らしい紹介をありがとうございました。今日7つの高校の方が来ていただいていると思いますが、1年生の人はどれくらい来てくれていますか? ちょっと手を挙げてもらえますか? ありがとう。では2年生は? 2年生が多いですね。3年生はいますか? 3年生も。これが終わったら勉強してください。

ということで今日は1年生から3年生まで、色々皆さんおられるということで、年齢でいうと15歳から18歳くらいですか。私も、つい少し前、30年くらい前は皆さんと同じ高校生でした(笑)。

30年と言っても、本当につい昨日のことのように色んなことを思い出します。私は大阪にあります大阪教育大の付属、天王寺という中学と高校をでました。どんな高校生だったかというと、勉強はそこそこしていましたが、柔道を一生懸命やっていました。中学高校の6年間、柔道を一生懸命やっていました。中3の時に初段になって、高2の時に2段になりました。私立の強いところにはかなわない部分もありましたけど、結構一生懸命練習をしまして、怪我もとても多くて、大体年に1回は必ず骨折をしていました。

大学入っても怪我をしていて、この間数えたら、全部合わせて10回以上骨折をしていまして。10回以上骨折をしたことある人いますか? たぶんいないと思いますけれども。実は、今も骨折をしていて、3週間前に、バーベルのプレートを落としてしまって、足の小指に直撃いたしまして。骨が砕けて指が2倍くらいに腫れあがって、今は1.5倍くらいになったんですけど。3週間経って痛みがましになったんで、今日は本当に久しぶりに昼間ここに来る前に走ってみようと思って、鴨川の周りを走ったら、やっぱり痛かったです。

(会場笑)

止めておいたらよかったな、と思っているんですけど。

「人間万事塞翁が馬」

あと、実は、私はバンドを組んでいまして、フォークギターを弾いて歌を歌っていました。「枯山水」というバンドを組んでいまして。

(会場笑)

そういう、みんなと同じような高校生でした。さっき写真が出ていましたが、今の家内と、1人しかいないんですけど、付き合いだしたのも高2の時です。

ですからもう30年くらい付き合っているんです。まあ、高校に本当に色んな思い出があります。うれしいことも、楽しいことも、辛いことも。先生にもよく怒られました。

1番は、高3の時だったと思うんですが柔道部の先生に怒られたのを覚えていて。僕たちは団体戦を重視するんです。団体戦で大阪府の上位に行こうと、高3の時は大阪府でベスト16まで行ったんです。ベスト8まで行ったら近畿大会に出られたんですど、残念ながら私立のめちゃめちゃ強い学校に当りまして、負けてしまいました。

その試合が土曜日にあったんです、強いレギュラーの5人が団体戦に出るんですけど、部員はもっといますから、一生懸命頑張っているんですけど団体戦に出られない同級生とか下級生がいます。そのうちの何人かは次の日に個人戦がありまして、個人戦に団体戦の代わりにレギュラーじゃない人に出てもらうと。

僕たちは団体戦でだいぶ上位までいったもので、しゃべれないくらいフラフラになって、家でガーッと寝ていて、次の日の個人戦の応援に行かなかったんです。そしたら顧問の先生にカンカンに怒られましたね。月曜日に、お前らは「人間のクズや!」と、「昨日、友達の応援に来ないなんて考えられない。前の日に団体戦頑張ったことなんて、そんなことどうでもいい、そんなんやるためにお前らに柔道を教えたんちゃう」と。

今思い出しても、僕たちとしても本当に恥ずかしいことをしたなと思っています。怒られたことを自慢しているんではなくて、そういう普通の高校生だったとお伝えしたいだけなんです。上の方は難しいタイトルがありますが、今日は、本当は「万事塞翁が馬」というタイトルです。

中国の、ことわざというか言葉なんですけど。この意味を知っている人はどれくらいいますか? 手を挙げてください。何人かですね。本当はもうすこし知っていると思いますが。

かいつまんでいうと、中国の塞翁というおじいさんがラッキーなことに、買っても買えないような素晴らしい名馬をひょんなことから手に入れまして、これはなんと運がいいんだろう、素晴らしいと思って喜んでいると、息子さんが馬に乗って遊んでいるうちに、落ちてしまって、体が不自由になってしまって、大切な息子さんだったんで、なんと不幸なと。

たぶんどっちかの足だと思うんですけど、大切な息子が体が不自由になってしまったと。そうやって嘆き悲しんでいていたら、今度は隣の国と戦争が起こって若者はみんな戦地に行って死んでしまった。ところが息子さんは怪我をしていて戦争に行かないので、死ななくて済んだ。いいんやら悪いんやらわからない! というのが「万事塞翁が馬」です。

僕もまだ48歳で、まだまだ偉そうにみんなに「人生はこういうものだ」とか偉そうなことを言うことができないんですけど。人生の48年間、特に後半の20年間くらいを振り返ってみると、本当にこの「万事塞翁が馬」だなと。本当に大変なこともあるし、うれしいこともある。

でも、大変だと思ったことが実はうれしいことの始まりだったり、ものすごくいいと思ったことがとんでもないことの始まりだったり。ということですから、一喜一憂せずに淡々と頑張るということを自分自身の研究の話をしながら、わかってもらえたらなと思います。

9回失敗しないと1回の成功は手に入らない

もう1つ今日伝えたいのが、皆さんもこれから大学生になり、社会人になりとしていくと思うのですが、ぜひ色んな事にトライ、色んな事をチャレンジしてもらいたい。そしていっぱい失敗をしてもらいたいと思っています。

10回挑戦して、9回失敗をして、1回やっと成功するくらいの感じで、これから色んなことが起こると思うから、9回失敗しないと1回の成功は手に入らない。私自身もそうでした。

研究者はみんなそうです。その2つ、「万事塞翁が馬」と、どんどん色んなことに挑戦してどんどん失敗してもらいたい。

失敗するのは恥ずかしいことでもダメなことでもないと。この中の何人かの人にでも伝わったらいいなと思います。先ほど紹介してくれましたが、最初、整形外科医になったんです。骨折を治してもらったりする外科の先生です。

今もしていますが、自分が何べんも怪我をして何べんもお世話になったので、ぜひ整形外科医になりたいと。今から20数年前に無事医学部を卒業して、念願の整形外科医の研修トレーニングを始めました。

その時にトレーニングした病院が、今は名前が変わっていますけど、当時国立大阪と呼ばれていた病院です。大阪に行ったことがある人は多いと思いますが、大阪城の真横に非常に立派な病院があります。国立大阪病院でトレーニングを受けることになりまして、その当時、新しい建物ができたばっかりで、本当に素晴らしい病院でした。

すごく喜んで、「こんな素晴らしい病院でトレーニングができるなんて、なんてラッキーなんだ」と思ったのをすごく覚えています。しかし、それは今から考えると「万事塞翁が馬」のスタートでした(笑)。

整形外科医での挫折、そして研究の道へ

すごく喜んで病院に行ったんです。実際働きだすと、研修ですから上の先生に教えてもらうんですが、この世の物とは思えないくらい怖い先生が待ち受けていまして。僕もずっと柔道とか、大学ではラグビーをしていまして、体育会の柔道部で柔道をしていましたから、上下関係とか先輩、先生が怖いというのにはそれなりに慣れているつもりだったんですけど、そんなのに比較にならないくらい怖い。

鬼のような教員、教官が僕を待ち構えていまして、ビシバシと鍛えてもらったんです。僕は山中という名前ですけど、その先生には「山中」と呼んでもらえませんでした。2年間のトレーニングでなんといわれていたかというと「ジャマナカ」と呼ばれていました。お前はほんま邪魔や、「ジャマナカ」め、と言われていました。

しかも残念ながら、整形外科は外科で手術をするのが主な仕事なんですけど、少しですけど手術をさせてもらうと、どうもうまいこといかない。他の人がやっていると簡単そうに見える手術が、僕がやるとなんかうまいこといかない。

うまい先生がやると20分くらいで終わる手術が、僕がやると2時間かかると。そうういこともあって、だんだん自分は整形外科としては向いていないんじゃないかと。高校の時からずっと整形外科医になりたくて、大学の間も僕は整形外科医になる為に医学部に入ったんだと、他の授業はサボっても整形外科の時間だけは1番前に行って聞いていたのに。

ようやく念願かなって整形外科のトレーニングを始めたんですけど、ちょっと大変な目にあうと、意気地がないといいますか、逃げたくなって。で、選んだ道が、臨床。患者さんを見るのは僕は向いていないかもしれない、一度研究をやってみようということで、大学院に入りなおしました。

基礎医学の道を選んだもうひとつのワケ

大阪市立大学の医学部の大学院に入りなおして、そこで、薬理学薬、薬の研究を行うようになりました。先生が怖いことと、自分が手術が下手なことがあったんですけど、もう1つは手術が上手な神様みたいな先生がたくさんおられて、そんな素晴らしい先生であっても治せない病気とか怪我があって。

今もいっぱいあるんですけど、例えば脊髄損傷、それから非常に重要なリウマチ患者さん、整形外科の領域でも本当にたくさん色んな病気や怪我が治せません。脊髄損傷、僕もラグビーやっていましたから、知り合いでそれまで本当に元気で、病気にもなったことがないくらい、こんな体をしたラガーマンが、スクラムの時にガッと崩れて、一瞬にして脊髄損傷でそこから一生寝たきりになってしまうのが何度か周囲でも起こりましたし。

自分が整形外科医になってからも、そういう人たちに何にもできないという非常に辛い思いをしました。ちょうど皆さんの年齢、高校生の患者さんで、膝が痛いと言ってうちの病院に来て、レントゲンを採ったら膝に骨のがんができていて、その子は太モモの下から切断する必要がありました。

薬も、抗がん剤というのがあるんですけど、それもアメリカで開発された薬で。今でも覚えているんですけど、その高校生の患者さんに、毎日2回投与します。薬の入っているアンプルっていうガラスの小さな入れ物に入っているんですけど、1人の患者さんの1回の投与のために、50本分くらい使うんです。

だから看護師さんと3人くらいで一緒に毎日50本くらい開けて混ぜると。それだけ苦労しても、その人は足を切断する必要があったし、切断したとしても助からないことが多い。

そういう病気がいっぱいあるんです。そういう病気と接している間に、何とかいつか治らない怪我とか病気を治せるようにしたい。そのためには基礎医学、今わかっていない病気の原因とか、今ない薬の治療法を開発するのが基礎医学という学問で、それに自分も携わってみたいと思うのも理由でした。どっちが大きかったか、半々くらいだったということにしておきます。