秋里 さすがにすごすぎ、みたいな(笑)。なるほど、わかりました。ちょっと色々後で、QAで深堀りしていきたいな、という感じなんですが。小野さん、すいません、ちょっと前段が長くなっちゃいましたけど。どんな20代で、今何をお考えになってるかというところを簡単にお願いします。

20代での起業が、人生最高の経験

小野 そうですね。私の20代もですね、そういった意味では共通点が多くてですね(笑)。大学の成績はひどい、音楽大好きでしたね。中高特に洋楽にハマってて、ギターやってたんですけど、海外に行きたくてしょうがなかったんですね。よくインタビューとか、ミュージシャンの、読んで、あーサンフランシスコいいなとか、オレンジカウンティ、みたいな感じで、非常に海外に対する夢を持ってて。

それがひとつ原体験で、大学入って、もうほんとに授業も行かなくて、大学が一番僕はつまんなかった時代ですね。暗黒時代というか。目的意識なく、これから俺はなにものになるんだろう、という不安を抱えながらですね、アイデンティティ探しみたいな感じで、どこに行くともなく日々を送ってた感じだったんですけど。

ある時、一念発起して親父に泣いてですね、一回ちょっと休学させてくれと、海外行きたいと。留学をしたいってことで、語学留学ですね。交換留学できるほどクレジットもなかったので、交換留学もできず。親父に全部出してもらって、語学学校に行きました。カナダに行ったんですけど。

それがやっぱり人生の一番衝撃的なターニングポイントで、なんか全てのことが肌に合ったんですね。気持ちいいなって感覚。誰とでも対等にしゃべれたりとか。あとやっぱカナダから見ると世界って広いんですよね、日本で見るよりも。なんか世の中色んなところ面白いことがあるなって、すごくポジティブな、あと英語ってすごくポジティブな言語なんで、やる気になっちゃってですね。そっから根拠ない自信を持ちつつ、ただ、自分に対するアイデンティティはまだ見えず、卒業したんですけども。その時にどうしたかというと、当時、今は死語だと思うんですけど、「ヤンエグ」になりたいなって思ったんですよ

秋里 はい、「ヤンエグ」わかる人。……あーいないねえ(笑)。

小野 時代が(笑)。「ヤングエグゼクティブ」という、とにかく若い頃からお金稼いで世界中スーツケースひとつで飛び回ってみたいな、そういうの憧れたんですよね。あともう1つはやっぱりカナダに行って思ったのが、リタイアした人が楽しそうなんですよ。

60手前とか50くらいからリタイアしちゃって、「じゃあ今からマイアミに行ってくるわ」みたいな話だったりとか。普通の人たちですよ。年金が充実してるってのもあると思うんですけど。でもすごい元気なんですね。で、早くリタイアしたいなと。世界中旅したいし、そのためにお金稼がなきゃいけない。

そうするとじゃあ何が一番自分の能力で向いてる仕事で早くお金を稼げることなんだろうという、非常に単純な浅はかな思いで、コンサルティング会社だろうと。当時アンダーセンコンサルティングという会社があって、今はアクセンチュアって会社なんですけど、そこに入ったと。親父からは、パン屋さんに行くのかって言われましたけどね。

秋里 アンデルセン?(笑)

小野 アンデルセンかと(笑)。ちなみにその後自分の会社作ったんですけど、会社を楽天に売るって言ったら、「なんだそれ漢方の会社か」って(笑)。それは参天だっつーのと(笑)。まぁそういう親父だったんで。

で、27の時に会社を起業したんですけどね。これが何故かというと全部繋がってて、やっぱり早く成功して早くリタイアして世界を旅したかった、それだけです。そのために、当時思ってたのが、やっぱりインターネット、コンサルティング先の会社もインターネット考えてたんで、お客さんのために考えるよりは、自分でやったほうがずっといいだろうと、面白そうだと。

で、27の時に、当時の同僚3人と一緒に4人で会社作って、1年間で色んな山あり谷ありだったんですけど、それこそ資金繰りの話から、大きな会社が出資しますみたいな話で、ほぼ最後サインする手前まで行って、これはすごいなと思ったとこで、とあるバブルが弾けるというね。ちょうど覚えてるんですけど、GWのタイミングで……。

言っちゃまずいんだろうな、世界的なアメリカの会社が僕の会社に3億円投資してくれるという話だったんですよ。その時のグローバルのCEOが、ちょうどGW、2000年のGWまたぐタイミングで、全世界にインターネット関連の出資を止めろという通達が来て、ほんとサインする手前だったんですけど、そこをするっと逃しちゃったんですね。

秋里 ドラマチックですね。

小野 僕はもう次のオフィスとかも借りようとしてて、危なかったんですけど。もう100人くらいの会社にすぐなっちゃうな、なんて思いながら、メディアとか来ちゃ困るな、みたいなそんな感じだったんですけど(笑)。そっから一気にダラーっと時代の流れに翻弄されて、ある人に相談したところ、君がやりたいことは何なんだ、と。僕が当時社長だったんですけど、ほんとにその事業をやりたいのか、心からその事業が好きか、て聞かれて。

当時やってた仕事というのは、会社と会社のマッチングサービスみたいな、BtoBのサービスだったんですけど、これは結局ですね、僕の中で、色んな会社をリサーチして業界をリサーチして、自分のキャリアと照らし合わせた時に、なんとなく土地勘がある中で、一番他の会社がやってなくて、でもアメリカで成功してる、という非常にロジカルな考え方で見つけたビジネスモデルだったんですね。

それをやってたもんですから、ただそのとある方に問われた時に、「君」って言われたたときに、「死ぬまでやる気あるかね」みたいな、「ねえな」と思ってですね。そこでハッと気づいたのが、やっぱり事業というのはある時からステージが変わらなきゃいけなくて、という話を色んな経営者の方から聞かされる中で、自分はそんなにすごい人じゃないな、て非常に落ち込んだ時がありましたね。ミッションってのも感じられないし、本当に心からインターネットが好きかというと、もともとネットもちろんパソコンも好きだったし、でもそんじゃなかったなとか。

秋里 おいくつくらいの時ですか?

小野 27の時ですね。そこでたまたま、色んな相談してる時に、救う神ありって感じで、三木谷さんにたまたま会って、たまたまというかある方に紹介して頂いたんですけど。この人についていこうかなと思って、買って頂いたと。

やっぱり会社を作るというのは最高の体験で、今でも多分、自分のキャリアの中でピークというか、最も自分がエネルギッシュだった時代だったかなって。一方で最も辛い思いをしたし、なんというか未だにトラウマになってるような、その後の人生をそのトラウマを消すために僕は頑張ってきたな、て思うような何かがあって。そこで一旦、20代がピリオドというか、27の時に会社を売却してピリオドになったんですよ。そんな感じの20代でしたね。

失敗すればするほど、怖いものがなくなる

秋里 深いですね。なんかいくつか共通のところ、音楽というのは当然ありますし、後はパッションが仕事になっちゃってて、仕事じゃない状況にもうなっているというのが感じられたのと、後は誰かに出会うという、どっかで誰かに出会う、ギラギラの南場さんとか、三木谷さんとか、そういうのやっぱりあるんですよね。

後はこの方達は、インターネットがグッてきた時にちょうどそこにいらっしゃって、潮目というか構造変化の時にいらっしゃって、大成功されて、多分今はちょっと同じインターネットでも、インターネットが出てきたタイミングとは少し違って、皆さんのタイミングだと他の波とか潮目があって、それを見つけて、かつ、すげえ面白いって思えて、気づいたら仕事になってて、10年後ここに座ってるかもしれないというようなことなんだろうなぁと想像します。

思ったより皆さんの20代が濃くてですね、時間が随分過ぎてしまって、僕も色々聞きたい質問用意してきたんですが、これ失敗だったな、でも今のすごい糧になってるなって思うようなことって、何かございます?

赤川 YAHOOさんと共同事業やって、YAHOOモバゲーってのを立ち上げる交渉をやってそのまま立ち上げて、ローンチしてってのをやったんですけど、それをローンチした直後に、ものすごいでっかい障害が起きちゃいまして。そっからもう4日間くらい3~40人がほぼ徹夜で対応みたいな事態を会社に引き起こしたことがあってですね。それが日曜の夜かなんかに起きて。

秋里 ヤバゲーって言ってたやつですね。

赤川 ほんとにヤバゲーになっちゃって(笑)。

秋里 ほんとにヤバゲーになっちゃった張本人です(笑)。

赤川 それで月曜の朝にはYAHOOさん行ったんですよね。僕と森安でYAHOOさん行ったら、着くやいなや、50人くらいに囲まれて、もうすごい目が白いわけですよ。

秋里 おまえか、みたいな。

赤川 で、こっちの過失ってのもわかってたし、まだ原因もわかんないって状態で、とにかく一刻も早く対応しますとか、そん時はほんとに誠実に対応するしかないんで、誠実に対応したんですけど。というぐらいのでっかい失敗をしました、と。

最近も結構、でっかい交渉とか、ものすごいギリギリの話とかあるんですけど、辛くなったらそれを思い出すと全然怖くないんですよ。あん時のほうが辛かったな、みたいな。それがあると、なんか人間なんでもやれるというか、怖いものなくなっていくという意味で、でっかい失敗はできるだけしたほうがいいなという風に僕としては思っています。

秋里 あのサービスほんとメディアの注目度も高かったですよね。テレビとか出てましたよね。テレ東とかに。仕掛け人とかいって出演してて、裏では怒られてたと。激しく。

赤川 いやもう怒れられたというか、もう……。首吊ろうかぐらいに思ってたんですけど(笑)。そういう体験があって、逆にそのYAHOOさんとの仲が障害対応で密接になって、その時に一緒に対応した人達が実は今の社長の宮坂さんだったりとか、今の執行役員の谷田さんという人だったりとか。

それで一気に絆が深まった部分もありましたし、会社も僕がでっかい大失敗したんでじゃあもうお前にはやらせないとかいうことは一切なくて、基本的に失敗した奴にこそチャレンジングな環境を与えていくというのは、うちの会社すごい大事にしてるんで、それはうちの会社のすごい好きなとこです。最近も僕の下の若手とかが、おいおいおい!みたいな失敗するんですけど、「次頼む」と。

秋里 今部下って何人ぐらいいるんですか?

赤川 僕の直下は5人です。

秋里 社長室長で、それがまた一個一個プロジェクト持ってるって感じなんですね。

赤川 はい。

秋里 なるほど。その50人に囲まれた時は、森安社長、当時はCOO、はどんな感じだったんですか。

赤川 いやもう謝罪するしか。

秋里 なるほど、わかりました。

小野 ちょっといいですか。今の話聞いてると多分皆さんすごく共通する部分があると思うんですけど。私の今の仕事で、色んな成功してる方々とお会いするんですね。世界中の方と。で、どこでキャリア上の、ブーストかかってるのかな、て見ると、やっぱり過剰な経験というか、なんかもうそのエピソード話し出したら止まらないよ的な、過剰な経験を積むって、すごく重要なんじゃないかなって思うんですけど、どうですかね。

秋里 そうでしょうね。私も自分の会社を3年くらい前に作って、海外の投資家とか日本の投資家から、すごい沢山のお金を集めて。で、サービスをローンチしたのが、忘れられない2011年の2月後半だったんですね。翌月に震災が起こって、サービスローンチでCMとか仕込んでて、バーンって何億も使ってたのに、震災が起こって、頑張って作ったCMが、なんか「ポポポポーン」というのに。

おいおいおい、これに俺何億も払ってんのかって。売上が事業計画の通りに立ち上げのとこで行かなくて、在庫ECだったんで、在庫とかがーっとあって、経理的にいうと、買掛金、売掛金というのがあって、資金繰りとかそういのが、ローンチ一ヶ月後にやべえみたいな、あーもう話しだしたら止まんないですけど、まぁ今日僕はモデレーターなんで、こんな感じで。詳しく聞きたい人はまた飲みにいきましょう(笑)。

赤川 過剰な負荷は喜んだほうがいいですよ。

秋里 まじですか。

赤川 修羅場きたーみたいなのが、やっぱ楽しめたほうが人生楽しい。

秋里 だいぶDeNA化されてますね(笑)。

佐藤 実際でも会社どんどんドライブさせていくと、起きる問題というののグレードがやっぱりドンドン上がっていって。毎回思うんですよ、毎回、これ過去最大級だなって。で、それをなんとかかんとかクリアして、あーまたなんとか平穏な毎日が戻ってきたって思って、でまた来るわけですよ、次が。

あまりにヘビー過ぎるんで個別各論では言えないことばかりなんですけど、でもある時に、これは僕もそうだし、まわりの経営のチームもだんだん感化されて、同じような感覚になったんですけど、過去経験したことないくらいヘビーな問題をクリアして、平穏な日常に戻していくと、あきらかに、会社の質というかレベルが上がってるんですよね。

色んな仕組みが整って、当然ながらその問題を起こさないようなオペレーションとか会社のシステムというのが作られていくんですよね。そうすると、まさにドラゴンボールの世界で、一回すげえ強いやつにボロボロにされて倒れて、もう一回立ち上がって、その時には戦闘力がまたあがってるみたいな、そういう状態になるんです。

何を言いたいかというと、そういう経験をすると、もっと大きな問題が起きた時に、「あ、次これ来たふーん」みたいな、わりと俯瞰してその問題を捉えて、これクリアしたらまた俺たちレベル上がっちゃうね、みたいな。

ある意味、その先の気持ち良さをもう覚えてるんで、大きな問題が起きたことにたいして、それはもちろんシリアスに対応するんですけど、ある種の気持ち良さを感じながら取り組んでいる、という状態が生まれて。この感覚がだんだん、最初は自分ひとりだったんですけど、大丈夫だよと。必ずクリアできるし、クリアした後すごいよ君、みたいな。そういう話を、問題を起こした張本人に対してはしてますね。

秋里 マゾトークです。

佐藤 この場をENJOYしろと。楽しいねと(笑)。

秋里 やばいですね。完全にやばいですね。

赤川 やばいじゃないんですけど、一回味わっちゃうと、平穏な毎日がつまんなくなっちゃうんですよね。

五十嵐 つまんないですよね。もうほんと火事場じゃないと喜べない体になってくるんですよ。

佐藤 どんどんしびれてくるんですよ。感覚がどんどんどんどんしびれてきて。

秋里 変態の集まりです。

佐藤 まずは問題が起きた時には、ENJOYしようと。これはすごいねと。

秋里 また来年も来ますね、やばいの。

佐藤 それでやっぱりあとは会社が成長を続ける上では必ずその痛みってのはある、成長痛みたいなことはあるので、今、問題は解決したかもしれないけど、必ずもっとすごいのが来るよってことも、一方ではもう認識して、みんな仕事するようになっていくので、やっぱり浮かれなくなっていくんですよね。しびれる感覚もありつつも、わりとこう浮かれない状態になって。

五十嵐 一喜一憂しなくなっていきますよね。

佐藤 そう、だんだん平常心がチームの中についていく感覚があって。

秋里 当たり前のように火事に入ってるみたいな。

佐藤 そうそう。そういう火事場体験というのは、いいですよー皆さん(笑)。

秋里 アドバイスになってるのか(笑)。

チャレンジしなければ、死ぬ時代

赤川 ほんとにシビアに会社とか事業とかを成功させよう、成長させようと思うと、これだけグローバルの競争環境にある中で、もう平穏に何も起こらないなんてありえないんですよ。毎日何かしら起こってて、何か見逃した瞬間に明日は死ぬみたいなのが、当たり前の業界になってるし、そういう業界じゃなくなることはないんで、皆さんそういう時代に生まれてしまったんですね。だったらそういうのが楽しいと思います。

秋里 皆さんいつ死ぬかわかんないんで。ということで。

小野 ただですね、色んな、40代50代の日本企業の役員の方とか、あとインターネット業界じゃない方々とお会いすることすごい多いんですね。率直なところいうと、そういうヒリヒリした経験とか、過剰な経験を20、30、40でやったことある人って、この業界を外れて日本で見ると、すごい実は少ないんですよ。今度面白いのは60代オーバーの人達に会うと、そういう話がいっぱい出てくるんですよ。

秋里 戦後ですよね。

小野 やっぱね、ソニーの今の60代の人達とかものすごい話が面白いし。やっぱり黎明期の業界、産業にいて、ヒリヒリしてる人達と、そうじゃない業界でやってるサラリーマンの方々って、実はすごく違いがあるな、って思いますね。

秋里 なるほど。朝倉さんとかって今ヒリヒリしてます?

朝倉 もう毎日、事件の連続ですよね。事件しかない。やっぱりそういう耐性がない人って、それに一喜一憂することがすごくあるのかな、て。皆さんおっしゃってることですけれども、失敗体験沢山積んで来た人って、また来たよねこういうの、という感じで見れますし、既視感がありますよね。

そういう意味でいうと、失敗って日々毎日積み重ねてはいるんですけども、乗り越えちゃってるからあんま失敗って思ってないところがあって。例えば、僕自身の話でいうと、失敗というか挫折体験というんですかね。世界一の騎手になるぜって言って出ていって、結局1年たって大きくなって辞めて、なおかつ牧場で働いたら足切断するかぐらいの事故にあって、半年間入院してたんですよね。

もう気分最悪なんですけれども、それ乗り越えたらそんなもんなのかな、という感じですし、逆に今思うとそれも騎手を目指すという選択肢を選ばなかったらそういった失敗はなかったのかもしれないですけれども、何かリスクを取りに行くだとか成功を取りに行くことって、失敗との裏返しなのかなって思っていて。

何か失敗するからやめておこうかなだとか、それともトライしようかなってことを色々思い返した時に、今思うのは、やって後悔したことってひとつも無いんですよね。やらずに後悔したことって、すごくあって、そういうのはもう絶対金輪際僕はしないぞって心に決めてますけれども、やって失敗して後悔したことってひとつもないから、もうそれずっと続けていくのかな。そういうもんなのかなって思っています。

赤川 この国の一番いいところって、たいていのことしても、死なないんですよ。それは日本という国が作りあげた素晴らしいシステムで。

五十嵐 でもDeNAさんのプレッシャーで自殺しようかと考えたんですよね(笑)。

秋里 でも死んでない(笑)。

赤川 だったらチャレンジしたほうが基本的には楽しいんで。死なない環境前提にチャレンジが出来るというのが僕はすごい幸せなことだと思っていて。えーと何が言いたかったかというと、日本がチャレンジしていかなきゃいけない理由って、僕大きく2つあると思っていて、1個は単純にチャレンジをしないと下の先進国じゃない国から、コストというパワーが押し寄せてくるわけですよ。

例えば東南アジアとかですね、そういうところでエンジニア雇うと月5万円とか3万円とかで雇えるんですね。日本で雇うと50万とか100万とかかかるんですよ。日本人てのは、初任給最低でも20万とかあると思うんですけど、少なくとも彼ら4~5人分のバリューを出し続けないと、存在意義がないんですね。かつその後にはロボットとか攻めてくるんですよ。

そうなると付加価値がないとそもそも食ってけない環境なんですよね。一方でスマートフォンとかグローバル統一みたいなのができて、先進国間同士の争いってのも当たり前のようにできるようになってるんで、隣を見るとサムスンとかGoogleとかが、あんなにでかいのにギラギラした目で、日本市場をなんとか食ってやろうと、襲い掛かってくるんですね。ほっとくと食われるんですよ。

なので上とか横からは圧倒的な圧力がかかり、下からはコストの波が来て、そんな中でも君は付加価値を出さないと生きれねえぞと。そういう状況で、さっきの世界一のジョッキーになりたいみたいな人がジョッキーじゃないけど何かをやるとか、世界一って単語がしらふで言えるようになってる時代ってのはすごいいい時代だと僕思っていて、さっき小野さんが言ってた、昔の人すげえな、と思ってるのが、最近DeNAの役員陣でむちゃくちゃ涙でそうなくらい燃えた記事があって、本田宗一郎さんはいつもこう言っていたと。

「その商品のHONDAらしさはどこだ。それは世界一か」

この2つだけを問い続けたという記事を読んで、みんなで回し読みして、これは泣けると。「DeNAらしさはどこだ。これは世界一か」という、それをひたすらやろうというような話をしてたんですけど。そのくらい世界を目指してるほうが楽しいし、世界一を目指さないと食われる環境だというのは、そういう時代だと思ったほうがいいかなって思って。