「半分は家族の元に戻れないと思った」
原発事故の最前線で戦った隊長が語る、ハイパーレスキューの真実

Yasuo SATO [ 佐藤 康雄 ] - TEDxSeeds 2011 #1/2

今年の3月11日で発生から丸4年を迎える東日本大震災。世界中が心配した福島第一原発事故において、原発への注水作業という危険極まりない重大な任務を背負ったのは東京消防庁のハイパーレスキュー隊でした。同庁で警防部長を務める佐藤康雄氏と、最前線で事故と戦ったハイパーレスキュー隊の隊長・高山幸夫氏が、事故当時の切迫した状況を生々しく語りました。(TEDxSeeds 2011より)

被曝の恐怖と戦った、原発での注水作業

佐藤康雄氏(以下、佐藤):隊長は、7時過ぎに戻って来ました。「どうした、できたか?」と聞くと、放水できなかったと。こんな時間までいて放水できなかったということは、全員被曝してもう失敗か……と絶望的になりました。

「いや、違う。入ったのは偵察隊だけだ」と。偵察隊が時間かかったのは、できないというだけでなく、どこなら放水するためにポンプを落とせるか、ホースを伸ばせるか調べていてこんなにかかったのだと。本体は門の外にいる。

そうか、じゃあもう1回再チャレンジできるな、と思いました。だけど、800m伸ばすんです。そのうちの赤で書いてある部分、ここは「瓦礫や屋外タンクが多くてとても車は入れません。手で伸ばすしかありません」ということでした。

放射能が怖くて真っ暗な中、しかも瓦礫のある中、あんなに大きくて人が伸ばしたことがないものを、たくさんの人を、隊員を(放射能に)晒して伸ばすのか? 隊員がものすごく気がかりじゃないか……。

でも、私には、1つは全く迷いはありませんでした。「やらない」という選択肢はないんです。先ほど言いましたようにどんどん放射能は上がっていますから、ここで撤退して体制を立て直してやる暇はありません。

じゃあもう1つの選択肢は何かというと、「隊員の安全をいかに確保するか」しかないんです。作戦をうんとみんなで練りました。2つの部隊で、それぞれ給水側、それから放水する屈折式放水塔車側の両方からホースを伸ばそうと。

そしてなおかつ人手がたくさん要りますから、両方の部隊にマイクロバスを1台ずつ増強しました。そこにはたくさん職員を乗せて、いざというときには80mSvになったらもう機材は全部置いて車に乗って戻って来い、次に控えている部隊が行くから、と。こういう戦術を言い渡して、第2回めの作戦に突入させました。

先ほど、150mmのホースを車で伸ばすと言いましたが……、本当は今日ここでお見せしたかったんですが、東京消防庁からも「こんなのもは手で伸ばすもんじゃないし、手で3階まで上げられないから写真で勘弁してくれ」と……。

(会場笑)

実はこれ10分の1の長さですから、1本50mで、1つの重さが100kgあります。それを7本以上、暗闇の中で伸ばす作業です。これが第2回作戦の決行です。

3時間半ぐらい検討しましたので、夜中の23時になりました。これは門のところで打ち合わせをしているところです。

そしてこれが先ほど言いました屈折式放水塔車、3万8,000Lも1分間で放水できます。それに対してホースを伸ばしているところです。

最前線で戦ったハイパーレスキュー隊の隊長も登壇

佐藤:実はここでみなさんにスペシャルサプライズを用意しています。高山隊長、来てください。私が説明するよりも、これは実際にこの現場で指揮をとった、ハイパーレスキュー隊の高山幸夫隊長であります。

(会場拍手)

佐藤:高山隊長、隊長としてこの時いちばん苦労したのはどんなところですか?

高山幸夫隊長(以下、高山):任務の遂行と、さっき部長がおっしゃった隊員の安全管理。この両立をどう保っていくかというところ。やれば危険が伴う、逃げるわけにはいかない。この辺のバランスが非常に私としては大変でしたね。

佐藤:最後は夜中の12時半に放水が完了しましたが、放水した時に、成功したかどうかというのはどういう風に判断しましたか?

高山:「放水始め」という指示を出して、先ほど申した150mmのホース管に水がブワッと乗ってきまして、ホースからバッと水が出た瞬間は、本当に天からの水のような、神の水のように思えてですね、隊員全員ガッツポーズをして「やった!」という満足感でいっぱいでございました。

佐藤:実は今日はスペシャルサプライズで、この会見の時の3人揃い踏みでみなさんにお会いしたかったんです。ところが、この左にいますのが富岡隊長というのですが、実は今スペインに行っています。我々のこの勇敢な消防活動に対して、スペインのアストゥリアス皇太子から「共存共栄賞」をいただけるということで、昨日が授賞式でございまして……。

(会場拍手)

高山:ありがとうございます。

「半分は家族の元に戻れないと思った」

佐藤:2人ではまだみなさんに申し訳ないので、もう1つスペシャルサプライズを用意しました。どうぞ!

(会場拍手)

佐藤:実は先ほど100kgのホースを暗闇で延長したといいましたが、この装備は25kgあるんです。この25kgの装備を背負って、なおかつ100kgのホースを伸ばしたわけです。はい、ご苦労さまです。では外してください。ご紹介します、彼はミシマ・ケイ隊員であります。

彼こそが、3号機にへばりついた屈折式放水塔車を操作してくれた機関員なんです。あの暗闇の中で適切に50m離れた30m高いホースに水を注入してくれたんです。実は、彼には3月当時、1歳の娘さんがいました。そして、この9月22日にもう1人女の子が生まれました。3月に行った時には小さなお子さんがいて、奥さんのお腹にも新しい命が宿っていた。それがあっても行ってくれた。嬉しかった。

(会場拍手)

実は「こういう装備があるから」「訓練もしっかりやっている」「情報もお互いにしっかり共有する」、我々消防官が命をかけたところに行ける勇気というのは、実はそれだけではないんです。

今、ミシマ隊員のお子さんの話をしましたが、家族の愛があってのことなんです。私も先ほどのプロジェクトができた時に、家内に「プロジェクトの発足に成功したよ」と伝えましたが、その答え、これは記者会見でご覧になったかもしれませんけれども「日本の救世主になって」という言葉をメールでもらいました。

これが私に力を与えてくれて、背中を押してくれました。東京消防庁はちょうど今年で60年ですけれども、総隊長として警防部長がまず真っ先に現場に行ったというのは、今回が初めてだそうであります。そして、これからも多分ないだろうということであります。

なぜ行ったのか、記者会見じゃないのでお話できるんですが、実は私は指揮を取りに行ったのではありません。総監と相談して、もう初めから2人だけで相談して行こうということを言っていましたが、指揮は高山隊長が取ったほうがよっぽど上手いです。私が行った目的は、隊員の安全管理が1つ、そしてもう1つ、やはり死ぬ場所で状況は変わりますので、決断をすることが1つ。

実は、もう1つあります。責任を取るために行きました。これだけの場所ですから、半分は戻れないと思った。終わってみると、結果ですけど、家族の元に帰してやれて本当に良かった……。

(会場拍手)

文明がもたらした最大の発展は「絆」

実は、福島の対応というのは、我々消防活動のまさにOne of Themであります。今回の東日本大震災では、日本全国から緊急消防援助隊が2万7000部隊以上、そしてなんと10万人以上の緊急援助隊が東北の被災地に駆けつけました。そして、世界各国から国・地域・機関で197ヵ国もの支援の申し入れがありました。

私も災害を担当してつくづく思いますけれども、今まで文明・文化が発展してきたもの、これはまさに人間の絆によるものだと思います。今、東北地方は復興に向けて全力でがんばっていますけれども、消防もこういう風にみんなと一緒に絆を作って支援しています。みなさんも一緒に支援してくれますよね?

(会場拍手)

人類こそ、こういう絆があって発展してきて、幾多の災害を乗りきれたんだと思います。東日本大震災からも、この気持ちさえあれば必ずや立ち直れると思います。がんばりましょう! 今日は本当に短い時間でしたけれども、消防の世界に入っていただきまして、ありがとうございました。

(会場拍手)

自分の身を守れない人間に他人は守れない

司会:佐藤さん、ありがとうございました。せっかくですので、ここで少しミシマさんにお話を伺いたいと思います。3月18日に出動が決まったとお聞きした時に、いろんな思いがあられたと思うんですけれども、その時の心境を少しお話しいただけますでしょうか?

ミシマ・ケイ隊員(以下、ミシマ):最初にテレビで原発災害を見た時は、正直行くことはないだろうと思っていました。ただ、この出動命令がかかった時は、正直「これはやばいな、どうしようかな」という恐怖感と、誰もがやったことがないミッションだったので「絶対やってやる、俺らがやるんだ」っていう使命感、それが入り混じって、ちょっとどうしていいかわからないような状態でした。

司会:ミシマさん自身がそう思われたということで、ご家族の方、お子さんにもご報告されたと思うんですけれども、それはどんなご報告だったんですか?

ミシマ:原発事故=チェルノブイリ、もっと大きく言えばヒロシマ・ナガサキの原爆というようなイメージ、私の家族含め、そういう思いがあったようです。私のカミさんもさっき言った通り、当時は妊娠初期だったもので、これで流産されたら困るなっていう思いで、どうメールしたらいいのかって……。

電話はとてもできなかったので、どうしようと思った時に、本当に軽く「ちょっと飲み行ってくる」みたいな感覚で、「ちょっと総理大臣命令が出ちゃったから行ってくるよ」っていうようなメールを送りました。

そしたら、みんなから「やってこいやってこい、すごい命令だから行ってこい」っていうことと、カミさんからも「国のためなんだから、いっちょやってこい」という偉そうなメールが来ました。

それが本当に力になったんですけど、出動当時の真っ暗闇で本当にやる気になってる時に「もう寝る」っていうメールが来た時はちょっと、寂しかったんですけど……。

(会場笑)

司会:ここにいる260人の素晴らしい方々、インターネットで見ている世界中の方々もいらっしゃいますので、今ミシマさんが思う気持ちを一言いただいてもよろしいでしょうか。

ミシマ:あのミッションが成功した時は、正直喜びました。あの時の危機を取り去ったという風には思っています。ただ残念ながら、現在まで原発は収束していませんし、本当に危ない現場で作業されている方が今でもいます。また津波、災害、そういったもので被災された方々が全て復興したかというと、とてもそういう状態じゃありません。なので、両手を挙げて喜べる自分がいません。

なんですが、あの時にちょっとでも被災された方々が「おい、やったじゃねえかよ、じゃあ俺らもやろうか!」っていう風に思っていただけたなら、その時に初めてミッション達成したんだなと思えるんじゃないかと思ってます。

それともう1つ、我々消防官はスーパーマンじゃないんですね、死んでしまっては私らもダメなんですね。ミッションを終えて帰ってきた時に娘が寄ってきて抱っこした時とか、先日生まれた子どもを見た時に、本当に生きて返ってきて良かったと強く思いました。

やっぱり、自分の身を守れない人間に他人を助けることは絶対にできない、そう思っています。高山隊長からもそう教わっています。

なんですけども、目の前に私たちの助けを求める人がいるんであれば、それはもう全力で本当に自分の力の限界を超えてまでも助けて、その人が私と同じように「生きて帰ってこれて良かった」と思っていただけるように、これからも全力でがんばります。本当にありがとうございました。

<続きは近日公開>

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