「世界のムナカタ」棟方志功氏が言った、「それを出さんと後がない」
中村直太氏:今回の言葉は、「それを出さんと後がない」です。みなさんはこの言葉をどのように受け取られたでしょうか? この言葉は、文化勲章を受賞され、「世界のムナカタ」と言われた板画家の棟方志功さんの言葉として紹介されていました。
棟方さん自身のこんなセリフの中で語られた言葉だそうです。「『これを出したら後がない』といつも思うんだがな。それを出さんと後がないんだ。その時その時の『最高のものを惜しみなく出す』という仕事をせんとね」。
この言葉との出会いを機に、棟方志功さんについて調べてみました。明治36年に青森市に生まれ、小学6年生の時、田んぼの小川で転んで、目の前で見つけた沢瀉(おもだか)という名前の白い花に出会います。その美しさに感激して、「この美しさを表現できる人になりたい」と決意されたそうです。
18歳の時、雑誌『白樺』に掲載されたゴッホの「ひまわり」の原色版を見て、深く感銘を受けたそうです。「わだば、ゴッホになる」と叫んだという、有名なエピソードがその時生まれたそうです。
21歳の時、志を立て上京し、落選、落選を繰り返した末に、5年目に油絵で入選をされました。ようやく入選をされるも、「油絵では西洋人より上に出られないのではないか」という疑問を持って、日本の木版画に出会います。
その後、木版画が国内で高い評価を受けて、スイスの版画展で日本人として初の優秀賞を受賞されました。それを足掛かりに、フランス、サンパウロ、ベネツィア、アメリカ、インドなど活躍の場を広げて、「世界のムナカタ」と呼ばれるようになっていったそうです。
「自分をすべて出し尽くす」ことの怖さ
略歴をさらに要約してしまって大変恐縮なのですけれども、これらのエピソードからも「それを出さんと後がない」、つまりその時その時の最高のものを惜しみなく出していくスタイルで仕事に打ち込んできたことが、真っすぐに伝わってきます。
その時その時の最高の自分を出し尽くして歩んできた末に、天職とも言える版画との出会いに導かれて、常に最高の自分を更新し続けていった結果として、「世界のムナカタ」になっていかれたのではないかと思いました。
「それを出さんと後がない」という棟方さんでも、「『これを出したら後がない』といつも思う」と、まったく逆のこともおっしゃっています。自分をすべて出し尽くすことは、決して簡単なことではないと教えてくれているんだと思います。
そもそも自分を出し尽くすためには、努力や前進を止めない生き方が要求されます。それだけでもとても大変なことだと思いますけれども、「自分を出し尽くした結果と向き合う恐怖」もあるでしょう。
自分を出し尽くしたにもかかわらず、期待どおりの評価が得られなかった時の失望感は、決して軽いものではないと思います。自分に無力感を感じることもあるでしょう。
また、仮に期待どおりの評価が得られたとしても、次に待っているのは、心にぽっかり穴が空いたような喪失感かもしれません。夢中で追い掛けてきたものが、手に入った瞬間に燃え尽きてしまうのも、よくあることです。
今この瞬間の自分で、惜しみなく最高の仕事をする
そのように考えると、棟方さんが言う、「その時その時の最高のものを惜しみなく出す仕事をせんとね」という言葉の重みがよくわかります。その時その時の自分を出し尽くす生き方は、自分への失望感や無力感、そして目標を失う喪失感への恐怖に打ち勝ち、努力や前進を止めないことを要求する、極めて厳しい生き方なんだと思います。
「これを出したら後がない」という恐怖に縮こまることなく、「これを出さんと後がないんだ」と切り替えて、今この瞬間の自分で、惜しみなく最高の仕事をする。そんなことを教えてもらったように思います。
余談ですけれども、「人間が深く息を吸うためには、まず息を吐き切ることが大事だ」と教わったことがあります。息を吐き切ることさえできれば、嫌でも空気を求めて深い呼吸ができるということです。人生も自分を出し尽くすからこそ、自分をバージョンアップするための知恵や問題意識が入ってくるように思います。
まとめます。あらためて、今日の言葉は「それを出さんと後がない」でした。そこから教わったことは、「これを出したら後がない」という恐怖に縮こまることなく、「これを出さんと後がないんだ」と切り替えて、今この瞬間の自分で、惜しみなく最高の仕事をする。そんな姿勢についてでした。
こんなことも考えられるかもしれません。もし今の仕事で、最高のものを惜しみなく出し尽くすとしたら、その仕事はどのように変わるでしょうか? ピンと来ることがあれば、ぜひ考えてみてください。