「リスキリング=悪」と誤解している中小企業の経営者
——今、大企業をはじめとして、人的資本経営の観点からリスキリングを重要視する企業が増えています。
ただ中小企業の場合、大企業と比べてなかなか資金面や人的なリソースが割けず、リスキリングを実施するのが難しいのではないかと思います。中小企業でリスキリングを広めていくための策をおうかがいできますでしょうか。
後藤宗明氏(以下、後藤):私は今、中小企業の方々の(リスキリングの)支援をするために、自治体と一緒に支援の仕組みを作っています。やはり地域によっても差はあるんですけども、リスキリングが進まない一番の理由は、「今のままでよい」という意識がすごく強いからだと思います。
これは、良い意味も悪い意味も両方あります。まずは「今のままで儲かってるから、何を変える必要があるんだ」という観点で、リスキリングに関心がないというパターン。もちろんこれからデジタルトランスフォーメーションがどんどん浸透していく中で、「本当に今のままで大丈夫ですか?」っていう質問はさておき(笑)。
もう1つは「後継者もいないから、もう自分の代で潰す」と。「だからもうデジタルとかリスキリングとかどうでもいいんだ」というご意見も、実はあります。
「儲かってるからやる必要がない」「もう潰すからやる必要がない」と、両極端ですよね。これはもう、経営者の方がお決めになられているので、ある種変わらないと。ただ、この両極端な意見の真ん中には、リスキリングそのものを知らなかったり、リスキリングを勘違いしてしまっている経営者の方々が、実はすごく多いです。
というのも、日本の政策では、転職と絡めてリスキリングを押し出したところがあったんですね。そこで「リスキリングは、要はうちの従業員を転職させるためのものだろ」といった、「リスキリング=悪」という誤解が生まれちゃってるんです。
今、特に地域の中小企業のみなさんは、空前の人手不足の状態の中で、人が採れなくて黒字倒産するような会社だってあるわけですよね。
——なるほど。リスキリングを実施することで、社員が離れてしまうんじゃないかという不安を抱えている経営者が多いと。
後藤:はい。あとで詳しく触れますが、「リスキリングは転職のためのものだ」という発想だったり「個人の自助努力による人生100年時代の学び直しだろ?」という誤解がとても根強くあるので、会社としてリスキリングをやっていくという認識に至ってないんです。
個人が週末に勉強する「学び直し」と混同している
——そもそもリスキリングは、個人ではなく組織が主体的にやっていくべきなんですか?
後藤:リスキリングというのは基本的に全世界共通なんですけれども、自社の成長事業を担う方を会社がちゃんと育てていく取り組みです。
英語ではリスキルの主語は「組織」であって、「組織が従業員をリスキルする」という使い方をするので、組織中心の視点での話なんですね。
「人的資本投資」は「人に投資をしましょう」という話ですが、メインがリスキリングなわけです。なので、リスキリングは、組織がちゃんと自社の成長事業を担う方を育てていくために行う「業務」だと言ってるんですけど、これを認識されてない方がほとんどなんです。
——なぜ「リスキリング=個人が主体的にやるもの」と思われているのでしょうか?
後藤:これは残念ながらメディアの方々が、リスキリングに「学び直し」という和訳をつけたわけですよね。
もともとは、個人が時間と費用を捻出し、自己啓発みたいなかたちで能動的にやっていくリカレント教育が「学び直し」の認識だったわけです。ところが、リスキリングに「学び直し」という和訳をつけてしまったので、同じものだと思われてしまったんです。
——「リスキリングも、社員が主体的に自分の力を高めるためにやるものだ」という勘違いが起きたんですね。
後藤:はい。「就業時間外とか週末に自分で勉強しなさい」という取り組み=リスキリングという誤解があるんですね。
企業側も陥りやすいリスキリング制度の勘違い
——企業側が支援をするという発想がないということですね。ただ、リスキリングを推進する取り組みとして、資格を取った人への報酬制度を実施されている企業も多いですよね。
後藤:「自分の好きな勉強をして資格を取ったら5万円あげますよ」というのは、リカレント教育の学び直しであって、リスキリングじゃないんです。
それはあくまでも会社の福利厚生の一環として、学習制度を作っているということです。みんなリスキリングを資格取得とか、仕事と関係なくても「勉強したらお金がもらえます」というものと勘違いしてるんです。これが、学び直しという和訳がついた弊害なんですね。
——「何をリスキリングするか」というところでは、個人が学びたいものを選ぶのではなく、企業側が決める必要があるということですね。
後藤:結局、企業のチェンジマネジメントの取り組みなので。会社の新しい事業の方向性は、経営者が決めていくわけですよね。
それに則って新しい分野のスキルを身につけていくことになるので、個人が自由に好きなことを学ぶのは、さっきのリカレント教育とか学び直しの話なんですよ。リスキリングは仕事なので、個人が学びたいものを勝手に学べばいいわけじゃない。「社員が何をリスキリングするのか」は、あくまでも会社が決めることです。
リスキリングは業務時間内ですべき理由
——後藤さんは、「リスキリングは業務時間内ですべき」ともおっしゃっていますね。
後藤:はい。というのも、会社が新しい成長分野の事業を作ることが前提としてあります。すると新しいことを学ぶのは業務になるので、あくまでも仕事の中でスキルを身につけていく。
特に経営者の方が誤解をしてるのが、リスキリングとは、新しいことを勉強することだろうと。だからとりあえずオンライン講座を契約しておいて、ただ「勤務中にやったらダメ。終業後や週末にやってね」と言う。これはめちゃめちゃグレーなわけです。
しかも、福利厚生の一環として提供してるので、学びたい人は学ぶし、別にやりたくない人はやらない。例えば個人がAIの講座を受けても、「これは別に仕事で使えないよね」となったら、会社のデジタル化もまったく進まないわけですね。
——「週末にやってね」と個人の自主性に任せていたら、やる人とやらない人の格差も広がっていきそうですね。
後藤:はい。日本は2010年代から「リカレント教育」と言って、デジタル化を個人の自主性に任せちゃったんですよ。だから日本は、世界デジタル競争力ランキングも32位まで下がり、まったくダメなわけです。
ところが、日本がずっとリカレント教育と言ってた時に、海外はずっと本来のリスキリングを行い、仕事の中でデジタル化を推進していた。それで全体のデジタル化の総合力が上がっているので、今は欧米の国々がデジタル競争力ランキングの上のほうにいるわけです。
——なるほど。日本のデジタル競争力が低下している背景には、リスキリングが広まっている欧米との差があったんですね。
後藤:だから、経営者自らリスキリングに取り組んで、デジタルを使って会社をトランスフォーメーションしようという、チェンジマネジメントがまず大事です。
電話帳を作る印刷会社のリスキリング事例
後藤:例えば、1906年創業で、電話帳の印刷をメインでやっていた西川コミュニケーションズという名古屋の印刷会社さんがあります。今はもう電話帳って誰も使わないので、そのままほっといたら会社が潰れるじゃないですか。
——そうですね。
後藤:そこでこの会社は、2013年にリスキリングを始めて、「これからデジタルの時代がくるから、印刷からデジタルの分野に会社を移行させていく」と宣言をしたんです。そして、リストラをせず、全社のビジネスモデル転換、まさにチェンジマネジメントをしたんですね。
今では社員が400人ぐらいいて、デジタルマーケティングや、3DのCGを作ったり、AIの導入をする企業になったんです。もちろん印刷の仕事もまだやってるんですけども、規模は小さくなってるわけです。
——かなり早いタイミングでリスキリングに取り組まれ、新しい事業を作っていったんですね。
後藤:印刷会社が3DのCGの制作をしたり、デジタルマーケティングをしたり、クライアントのAIの導入支援をするには、新しいスキルが必要です。これは業務なので、会社の仕事の中でリスキリングをしていってるんです。
もちろん、この会社も資格取得などを支援する制度がありますけど、全部仕事に直結してるスキルなんですよ。
例えばAIの導入支援で言えば、この会社では社長が自らG検定(ディープラーニングの基礎知識を有しているかを認定するジェネラリスト向けの資格)を取得しました。今、約400人の社員のうちの80人、つまり5分の1がこのG検定に合格しています。
この方たちがAIの導入支援をやってるわけですが、まずはデジタル関係の課題図書を配ることから始められたそうです。
この会社では「業務時間の20パーセントをリスキリングに充てていい」ということで、「学びをやめると収入が下がるぞ」って言って、今どんどん新しい分野に進出しているんです。こういうふうに、学びと仕事が直結してることがリスキリングなんですね。
——後藤さんのお話をうかがって、学び直しとリスキリングを混同することの弊害はとても大きいなと思いました。
後藤:残念ながら、ここの逆風に向かいながら僕はがんばってるんです。経営者の方の意識を変えることが重要だと言いましたが、もっと手前の段階で、この世の中の風潮を変えなきゃいけないんですよ(笑)。