小学生〜中学生の時期に培われた負けず嫌いの精神

アマテラス:まず、坂田さんの生い立ちからおうかがいします。現在に繋がる原体験のようなものがあれば教えてください。

坂田裕貴氏(以下、坂田):私の出身は福岡県北九州市で、八幡製鐵所に近い八幡の町で生まれ育ちました。父は小学校の先生で、母は大学の就職課の課長と、事業やビジネスからは縁遠い家庭環境でした。それでも私の選ぶ道を「好きなようにしたらいい」と、両親は暖かく支援してくれました。

幼少期はかなり泣き虫で、少なくともあまり心が強いタイプではなかったように思います。ただ、小学校から中学校までいじめにあったことで、一気に負けず嫌いに火がつきました。例えば中学で同じ部活だったいじめっ子には、その競技で絶対に負けたくないと思いましたし、部活の顧問だった校長先生にも反発してはよく叱られていました。

反骨心を培った中学からやがて高校に進学し、進路相談の段階で、私が目指していたのが京都大学の工学部もしくは理学部への進学でした。当時、最も興味を持っていた分野が金融工学だったからです。

私の高校時代はちょうど2006年、2007年とリーマンショックに入る直前のタイミングだったので、世界情勢的にも落ち始めた株価に注目が集まっていました。しかもライブドア・ショックが重なり、ライブドアがフジテレビを買うかも、といった話が日々メディアを騒がせていたのです。そういった時代背景から、金融への関心が高まったのだと思います。

そうして受験に挑んだわけですが、現役で落ち、浪人してさらに落ち、結局たまたま出願していた横浜国立大学の経済学部に後期入試で入ることになりました。学部が文系になってしまったので、大幅に予定が狂い、スケジュールに余白が生まれたので、その分トレードにのめり込みました。

その他にも、企業の業績についてさらに学びを深めるべく公認会計士の勉強をしたり、大学2年生の後半からはヘッジファンドでインターンを始めたりと、いろいろなことに対してアクティブに動いていました。

大学受験で失敗した分、何か人と違うことをやらないと東大や京大に進学した同期に負けてしまうような感覚が強かったのでしょう。逆転を目指して負けず嫌いに拍車がかかりましたし、とにかく何者かになりたかったのだと思います。

「リーダーとしてのバリューが1パーセントもない」と酷評されたことも

坂田:大学3年次に入り、サマーインターンの時期になってからは、コンサルティングファームや投資銀行など様々なインターンを受けました。ディー・エヌ・エーもその1つです。 ディー・エヌ・エーと他のインターン先との大きな違いは、「褒められるかどうか」でした。

ディー・エヌ・エーのサマーインターンでは、本当に一言も褒められず、むしろ「お前はリーダーとしてのバリューが1パーセントもない」と酷評されたことすらありました。悔しい思いもしましたが、指摘された内容自体は正しいということも理解していました。

ディー・エヌ・エーは、事業や物事に対しての向き合い方が厳しい会社でした。もともとの負けず嫌いも相まって、彼らと同じように自分もできるんじゃないかと思いましたし、事業をつくることに対して研鑽してみようと考えました。

結局、ディー・エヌ・エーのインターンではオファーをいただきましたが、そこでも結局褒めてもらえなかったのが印象的でした。自分の今までの傾向を見るに、褒められない環境のほうがつらくても成長できると捉え、そのまま新卒入社を決めました。

私がディー・エヌ・エーに入社した2015年は、ちょうどデバイスの変化によってさまざまな事業の趨勢が大きく変わっていった時期でした。各社がその変化に順応しようと必死になる中で、当時のディー・エヌ・エーもまた、試行錯誤を続けていました。

その中で、既存の版権ベースのゲームではなく、オリジナルを作ろうというプロジェクトが立ち上がりました。それが私の配属された「逆転オセロニア」のプロジェクトです。

「逆転オセロニア」のプロジェクトリーダーは、売れる企画をつくる力やモノをプロデュースして売る力が高いゲームプロデューサー、香城卓氏が務めていました。ディー・エヌ・エー社内でも香城氏には特に強く影響を受けたように思います。

一時は中止寸前のプロジェクトが後にヒット

坂田:後にヒットを飛ばした「逆転オセロニア」ですが、このプロジェクトは当初、会社全体の戦略の方向性と少しずれた戦術という位置づけだったため、リソースが不足しており、一時期は中止寸前のところまで陥っていました。

ところが、瀬戸際のところで香城氏の「マーケットに刺さるものを考えつつも、個性や強い意志がある」企画が光り、結果として上位の事業責任者から「おもしろいからもっと作れ」と言っていただくことができました。 大本営の戦略に逆らってでも、おもしろいものを作れば生き残れるということを体感で学びました。

そうして2016年の2月にプロダクト自体はリリースできたのですが、しばらくは鳴かず飛ばず。当時の私はプロジェクトの責任者ポジションだったのですが、あまりの売れ行きの鈍さにチームメンバーとの軋轢に悩むことになりました。

「売れないものや上手くいっていない事業は、こんなにも人を不幸にするのか」と身に染みて思いました。組織の雰囲気が悪くなり、雇用も維持できなくなる。結果、社員のみならず、その家族まで路頭に迷わせるリスクを背負っている。

投資家目線で言えば、新規事業やスタートアップなんて100本に1本当たればいいという感覚がスタンダードと思いますが、経営者からすると、その1本1本に向き合い、なんとかしていかなくてはいけないのだと新卒2年目にして気づいたのです。

「ビジネススタジオ」で事業を立ち上げた理由

坂田:プロジェクトの危機、そしてメンバーとの摩擦を経て、経営者としての視座が自然と身についたのでしょう。どれだけメンバーから厳しいと言われようと、絶対に事業を成功させる。そこに自分はこだわりたいと思いました。

結局、PDCAをひたすら回し、改善を続けた結果、「逆転オセロニア」は一気にブレイク。そこでの事業成果や結果にコミットした姿勢が評価され、次世代の経営メンバーとして「ネクストボード1期生」に最年少で選んでいただけました。

そこからは、ベンチャーキャピタルの立ち上げやM&Aの推進など、多岐に渡る領域で非常に良い事業経験をさせていただきました。そういった社内での経験を経て、もっとマーケティングの実務にも携わっていこうと思い、副業的に事業を始めました。徐々に案件が増えていったことから、法人格に切り替え、ニアメロを立ち上げた次第です。

アマテラス:ニアメロ社の事業内容を「ビジネススタジオ」にされたのは、どういった理由だったのでしょうか?

坂田:ディー・エヌ・エー時代からの印象として、特にディー・エヌ・エー社外に目を向けると、事業を楽しく、そして真剣にやっている人は意外と少ないと感じていました。会社や事業を一緒に急成長させていく経験をすると、そういった経験をしたことがない人に比べて、自信がつきますし、何より視座や感じ方が大きく変わります。

それなら、人も会社も急成長を遂げられるような、社会にインパクトを与える事業を数多くつくれるような場所を自分がつくりたい。「人の才能を発掘して開花させるビジネススタジオ」をやりたい。そう考えたのです。

資金の壁を越えるための戦略

坂田:基本的に、多くのスタートアップは単一事業です。限られたリソースを集中投下して、一つの生業やプロダクトを社会的にインパクトある形に仕上げていくという手法が一般的でしょう。

そういう一般論で考えると、ニアメロの事業は戦略レベルでは決して正解とは言えないでしょう。ヒト・モノ・カネもない中で、複数事業・複数領域で多数のプロダクトを出し、連続的に事業検証を進めていくのは極めて厳しい。それは間違いありません。

ただ、何個かの要素を実現できれば、決して不可能ではないとも思いました。そのために、まずは資金の壁を越える必要がありました。そこで一定以上の規模になるまではエクイティ・ファイナンスを利用せず、自己資本と融資で回していこうと決めました。

というのも、ニアメロが目指す「ビジネススタジオ」は、エクイティ・マネーの出し手との出資方針と相性が悪いのでは? と思ったからです。そうなると当然、資金調達の手法が限られます。自分がやりたいことを手堅く利益が得られる事業を初期から展開しておくべきと考えました。

そこで始めたのが、インターネット広告代理店のようなクライアントさんに対しての課題解決提供を行うクライアントソリューション事業です。

融資を確実に毎期借りるために、増収増益の業績をしっかりと積み上げて、一定の資金を集めやすい土壌を作ろうと決めました。実際そのおかげで、創業からさほど時間が経っていないにも関わらず、融資をお借りすることができ、事業運営上の資金にゆとりを持つことができました。

多くのスタートアップが悩む「仲間集めの壁」

アマテラス:資金の壁と同じく、多くのスタートアップでは仲間集めの壁に悩んでおられるかと思います。ニアメロ社を一緒に立ち上げされた取締役の亀島渡氏とは、どのように出会われたのでしょうか。

坂田:亀島さんと出会ったのは、僕が大学時代に住んでいたシェアハウスです。同居人の先輩だった亀島さんを約2年かけて口説きました。亀島さんはGoogleで10年間経験した中で、マーケティングやセールスアライアンスに強く、クライアントに誠実に価値を届けることを徹底されてきた方です。

亀島さんはGoogleのリソースなどを活用しながら事業経験を積みつつ、社外にも機会を求めて好奇心旺盛にトライされている方でした。私はそれまでに人の強みを分析しながら、仮説を立ててアサインし、事業と真剣に向き合いながら成功していく経験を積み重ねてきましたし、その自負もありました。

亀島さんとは互いの強みを補完できると感じていましたし、彼が求めている成長環境を一緒に作っていけるのではないかと思いました。最終的には、「こいつだったら信頼できるだろう」と思っていただけたのでしょうか。無事参画してもらうことができました。

その他、業務委託で入ってもらったメンバーの中で、当社にマッチしそうな方には積極的に声をかけ、仲間を集めていきました。

仲間集めも確かに壁ですが、それ以上に最近は、せっかく集まってくれたメンバーが会社に居続けてくれるようにするにはどうすればいいか、をよく考えています。昨年も信頼していたメンバーが独立する等の理由で会社を離れていきました。

さまざまな要因があるとは思いますが、ニアメロでしか見られない未来とか、さらに大きな機会開発とか、報酬面のオファーとか、そういった期待感を上手く伝えられなかったのは私の責任だと思っています。

様々な領域に渡る複数の事業を連続的に検証し、その中で成功する事業を生み出していくという当社のビジネスモデル上、「それなら自分でやってみようか」と考える人が出てきやすいのは確かです。

人が抜けやすいビジネスモデルだということを前提に、それを割り切るのか、はたまた何かしらの工夫を加えるのか。いずれにしても組織が成長していくために避けられない課題なので、そこをきちんと深く突き詰めて考えていくのが私の役割だと思っています。

ニアメロが求める人物像、今後の展望とは

アマテラス:ニアメロ社の今後の展望について教えて下さい。

坂田:複数の事業を次々に検証していく中で、伸びている事業をさらに伸ばしていくこと。また、事業検証を引き続き、様々な領域で行っていくこと。会社経営をするうえで当たり前のことではありつつ、この2軸が今後、当社をグロースさせていくための要になると考えています。

前者については、現状でも売上がかなり大きくなってきているので、ここからさらに加速させていきたいです。後者については、伸びていく事業領域が見えていても、人手が足りなくて、検証が進まないということはよくあるので、人材が定着する構造を確立しつつ、採用を加速させていくのが今後の課題です。

アマテラス:ニアメロ社が考える理想の組織や求める人材像についても、ぜひおうかがいできればと思います。

坂田:ニアメロは、とことん事業に真摯に向き合う会社であり続けたいと考えています。だからこそ、前職ディー・エヌ・エーの代表取締役・南場智子氏がよくおっしゃっていたことの受け売りになりますが、「ヒトではなく、コトに向かう」事ができる人と一緒にチームを組んでいきたいです。

具体的には、物事を成功させるために一番やるべきことに対し、真摯に着実に実行できる人。さらに細かく言うなら、素直さを持ち合わせ、真面目で、地頭が比較的よく、かつ事業に向き合えるマインドを持っている人であれば望ましいです。

そういったマインドが整っている人であれば、抜きん出たスキルがなかったとしても、当社で活躍してもらえる可能性があると思います。あとは、一緒に大きな挑戦をしていきながら、成長を楽しんでもらえたらと思います。

そういった大きな挑戦を支えていくために、私はこれからも会社を潰さないこと、潰れない土壌を整えることを経営上のミッションとして、真摯に取り組んでいきます。基本的に、会社が潰れない土壌さえあれば、あとは攻め続けて挑戦回数を増やすことで必ず大きな成功が得られると信じています。

ニアメロからは今、それこそ上場しているスタートアップ以上の感覚で伸びている事業が多数生まれています。このタイミングで参画するメンバーには、そういった成長を続けている事業や会社ならではの勢いを肌で感じていただけると思いますし、今後もさらに伸びる事業を一緒に作っていけたらと思っています。

また当社の場合、1つの会社内で幅広い事業領域にチャレンジできます。領域をさほど制限することなく、事業検証ができるというのは、他のスタートアップにはない特長でしょう。その方のミッション次第ではありますが、自らの成長を望むのであれば間違いなく魅力的な環境だと思います。

当社のメンバーは現在(2024年4月時点)正社員メンバーで5名前後と小規模ですが、その分、非常に優秀なメンバーが集まっています。今後参画していくメンバーともぜひ互いに刺激を与え合いながら、ともに成長し、その「才能が開花する瞬間」を分かち合っていければ幸いです。

アマテラス:本日は貴重なお話をありがとうございました。