「自作自演フィルターバブル」が起きていた本屋時代

幅允孝氏(以下、幅):江口さんの40代に戻るんですが、先ほどちょっと振りをしました。本の仕事をずっと続けていたのにドーンと落ちて、蒸留家の見習いから蒸留家、そして現在に至るわけなんですが、この急激な転身はなんでですか?

江口宏志氏(以下、江口):僕も本当は「ジョブレス」って書いていたんですが、やっぱりちょっとかっこよすぎるなと思って「無職」に書き換えちゃったんです。本屋さんはみなさんわかると思うんですが、ちっちゃい本屋さんって自分の好きな本を集めるわけですよね。

特にその時期は、編集の仕事や執筆の仕事なんかもやるようになって、どんどん自分の好きな本が集まってきて。それを読んで文章を書いたり、本屋さんの品揃えに活かしたりするから、自分の選んだ本や自分の読んだ本で、さらに自分が影響を受けていくという、本当に「自作自演フィルターバブル」みたいなことが起こるわけです。

その当時の僕は、自然の中に身を置いて何かを表現をしている人にとても魅力を感じて。そういう人の本を読んでいると、やっぱり自分も「ああ、そういうことをしてみたいな」って思ってくるわけです。

その中でも特にすごく影響を受けたのが、「ステーレミューレ」というドイツの蒸留所をやっているクリストフ・ケラーという人がいまして。その人はもともと僕らと同じように本の世界にいた人で、ドイツのフランクフルトで出版社をやっていた人です。

:リボルバーという会社をやっていた方ですね。

江口:そうですね。その人がドイツの南の小さな村に移り住んで、自分の蒸留所を始めたという記事を読んで、すごくおもしろいなと。それと同時に、本を作っている人がお酒を作るというのは、例えば本の表紙がお酒のラベルになったり、本の内容がその人が作るお酒の中身になったりするので、彼は自分でも「すごく共通項がある」ということを言っていた。

「蒸留家」という未知の領域にチャレンジした理由

江口:実際に彼が作っているものを見た時に本当にそうだなって思えたので、「そうかそうか」と思って会いに行って、「弟子にしてほしい」というお願いをしたわけですね。

:でも、なかなかしてくれなかったんですよね。

江口:そうですね。「なんで?」みたいな感じだったので。

:押しかけて(笑)。

江口:「僕もこういうことで悩んでいるんだ」という話をして、それでじゃあちょっと一緒にやってみようかということで、本当に短い期間でしたが1年弱ぐらい彼の蒸留所で働かせてもらって。そこで学んだことを、日本の豊かな果実や植物で再現・表現できたらなと思って始めたのが、mitosayaという場所なんですよね。

:なるほど。本の世界だと、先ほど「自分の好きなものフィルターバブル」と言っていましたが、それに囲まれて、ある意味満足感や自己充実感を感じるわけじゃないですか。

篠田真貴子氏(以下、篠田):ちょっと羨ましい。

江口:そうですよね。

:でも、逆にそれが溜まりすぎることによって「自分を変えたい、変化させたい」というのは、江口さん独特のへそ曲がり感だと思うんです。江口さんの天邪鬼の根源といいますか、満たされすぎてしまうとなぜか次に脱皮したくなる、その真相はどこにあるんですか?

江口:僕が最初の通販の会社から本屋さんになった時にすごく良かったなと思ったのは、本屋さんに勤めたことない人が本屋さんを始めた時に、「今までの本屋さんがやっていることの取次だなんだの仕組みっているのかな?」と思って直接やるとか、「別に背表紙がなくたって本だよな」と思ってZINEを扱うとか。やっぱり、本屋さんじゃなかったからこそできたことがいっぱいあるなと思って。これはちょっとした自信にもなっていて。

だから、変に本の世界でどんどん先に行くよりは、自分をコマみたいにまったく違う場所に1回ポンって置いて、その中で今までやってきたことや持ち得た感覚を使うほうがよっぽど効くというかね。それをへそ曲がりと言えばへそ曲がりなのかもしれないが。

:わかりますね。

江口:そんな実績というか気持ちがあったので、「じゃあ蒸留家」というぐらいのジャンプをしたほうが、むしろ今までやっていたことが活かせるなというのはあったんですよね。

:なるほどね。

仕事において大切なのは「飽きない」こと

:僕らは今は図書館の仕事が多いんですが、確かに本屋時代の経験が活きていて。でも、実はノウハウとかが本当に近い業界でも欠けているというか。

任天堂の横井軍平さんの「枯れた技術の水平思考」みたいに、ゲームの業界では当たり前だったことが、同じものをちょっと横にずらして使うだけでまったく違う化学変化を生むということを言われるんですが、たぶんそれはあるのかも。

とはいえ自分でコントロールできる本やテキストじゃなくて、自然が相手になったじゃないですか。その違いも大きいように思えたんですが、そのへんはどうですか?

江口:そうだね。いや本当にそれはすごく良いなと思っていて。「アンコントローラブルなものを周りに置くことが本当にいいぞ」ということについて、一番最後に50代のキーワードとして「老後」って書いていますけれども。

:まだでしょ(笑)。

江口:ただ老後に関しては、僕はけっこう先回りして対処しておきたいという気持ちもあって。というのは、やっぱり田舎に行くと、基本的にはおじいちゃんとおばあちゃんばっかりなんですよ。

今までの価値観で言うと絶対に話が合わないだろうなという人だし、共通項もそんなにないんだけど、彼が作っている農作物とか、養蜂家の人と一緒に蜂を見ながら話をすると、もういくらでも話せるわけです。そういう自然のものや動物を間に置いた人間の関係は、めちゃめちゃスムーズだなと思って。

結果的に僕らはmitosayaやCAN-PANYで、自然や動物を間に置いた関係性が作れているのですごく楽しいし、そういう人間関係を生活にも持っていけると、「老後」というキーワードとうまく合いそうな気がするなって思っている。

篠田:自然は予測不可能だから飽きないっていうところがありますよね。

江口:そうなんですよ。飽きるのが本当にダメなんですよね。

篠田:「やっと飽きないものを見つけた」みたいな。

江口:そうですよね。そこはすごく大事かなと思いますね。

仕事選びのコツは「居心地の悪い思いをする」

:今回の「そのとき、どうやって仕事を選びましたか? 今の仕事について、一回立ち止まって考えてみること」というテーマで言うと、1回どころか何度も立ち止まりながらもがきつつ、でも直感も大事にしつつ進んでいるなというのはすごく思いました。

「どうやって次の仕事を選んだのですか?」「自分のスタンスを知る・向き合うにはどうすればいいですか?」というのは、最初に選んでいた設問なので答えていただきます。

「自分はこれが好きだ」「私はこれをやっていると気持ちいい」という、自分の中から発せられている声が聞こえなくなっちゃうことがあると思うんですが、それを知るにはどうしたらいいか、一言ずつ答えていただいてよろしいでしょうか。篠田さん、いかがでしょう?

篠田:居心地の悪い思いをする。

:おお、なるほど(笑)。

篠田:例えば私が就職した時は、ずっと面接で「あなたは結婚したら仕事を続けるんですか?」「子どもが生まれたら仕事を続けるんですか?」って聞かれ続けたんですよ。「当然やります。なんでそんなことを聞くんですか?」みたいな。

そんなことを聞かれるのは嫌なんですが、スタンスは揺らがなくて、聞かれ続けても自分の答えが変わらないということは、相当それに自信を持っているんだなと自己的に気づく。もうそれは若い時ですが、未だにそんな気がします。

:なるほど、おもしろいですね。

自分と向き合うための方法は「散歩しかない」

:「自分のスタンスを知る・向き合うにはどうすればいいですか?」について、江口さんはどうですか?

江口:僕も確かに天邪鬼だけど、たぶんみんなそうだと思うんですよ。人に相談してなんとなく納得して「ああ、そうだ」と思っても、実際に自分が行動できるかというのはまた別の話です。結局答えは自分の中にしかなくて、それを見つけるにはやっぱり散歩しかない。

:もうちょっと詳しく聞かせてください(笑)。

江口:散歩って本当に良くて、特に僕は犬と散歩するのが大好きなんです。散歩はインプットもあるようでないし、特に誰と話すわけでもない。体を機械のように運動させながら、ずっと頭の中をぐるぐる回すことができるのは、一番良いのは散歩かなと思うんですけどね。

:みなさん、散歩ですって。

江口:散歩しかないと思います。

:これは最後の設問です。実はお二人ともとても本読みなので、「仕事を選ぶにあたり影響を与えた本を教えてください」という質問をいただいています。じゃあ、篠田さんからお願いします。

篠田:実際、その場面場面で影響を受けた本はあるんですよね。なので、どれにしようかな? と思っていました。ほぼ日に行く決断の手前で影響を与えた本は2つあって、わりとベタなんですが、1冊は『7つの習慣』で、もう1冊はダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』という本です。

特に1冊目は、7つの習慣なんてできるわけないんですが、1個目の「刺激と反応の間には選択の自由がある」「自分で選べるのである」というのは、その後の自分の物事に対するスタンスに相当影響を与えて、良い意味で影響を受けたと思っています。

過剰に自己責任する必要もないんですが、同じ状況で無力感を味わうのか、怒るのか、「まあいっか」ってするのかというのは、実は自分が選べるのである。子どもがちっちゃくて、仕事が忙しくていっぱいいっぱいという、わりと苦しい状況の中の自分をちょっと助けてくれた言葉だったんですね。

もう1個の『ハイ・コンセプト』もまたちょっと時代がかっていますが、当時は2006、2007年ですかね。これまではMBA、いわゆる私がやってきたようなビジネスやロジックの世界だったけど、これからはもっと感性みたいなものが大事にされる。ビジネスではなくて、言ってみれば美学の専門性が世の中を作っていくのであるということを主張している本です。

当時の自分の行き詰まっている感じとか、「自分の延長線はこの先にないな」って思っている感覚に非常にフィットして。その後、ほぼ日というまさに感性の世界の職の機会があった時に、比較的躊躇なく飛び込めたのは、あの本でその考え方に触れていたからかなと思います。

:なるほど。自分の今までの歩みを横っ面から叩かれているような気持ちにもなりますね……。

篠田:そう。「でも、やっぱり限界はあるよね」という、薄々感じていた感覚に輪郭を与えてくれたような読書だったんです。

:完全に、思想と言葉をあてがってもらったということですね。

篠田:まさに。

:なるほど、ありがとうございます。

江口氏が影響を受けた1冊の本とは

:江口さんはいかがでしょうか?

江口:どうだろう。本当にたくさん本の影響を受けているとは思うんですが。

:強いて言うならどの本ですか?

江口:強いて言うなら……何度も読んだ本だなと思うのは、和田誠さんの『銀座界隈ドキドキの日々』という本がありまして。あのイラストレーターの和田誠さんですが、その和田さんが大学生の頃からイラストレーターとして仕事を始める20代ぐらいまでのことを書かれたエッセイ集なんです。

イラストレーターという職業が日本に初めて生まれて定着していくような時期で、そこに広告が生まれて、田中一光さんや横尾忠則さんといった人たちとライバル関係を築きながら、一緒に仕事をしたり雑誌を作ったり、なんだかんだわちゃわちゃとしたことがいっぱい書かれていた本です。

もちろん彼自身も、本当にすごく才能も画力もあった人ですが、周りに刺激を受けながら自分が成長することと同時に、「イラストレーター」という職業を仲間と共に創出していく仕事の本でもあります。それを読むと「ああ、やっぱり仕事をしていくというのはすごいな」と思う本ですね。

:あの本って、みんなライバルなんだけど、みんな同じ方向を向いていて、エネルギーが同じ方向に流れているグルーヴ感があって、時代は違えどもやっぱり勇気が出ますよね。

江口:仕事って、別に誰かを出し抜くとかそういうことじゃなくて、やっぱりみんなで何かをやっていくのが一番すばらしいことだなという感じがしますよね。

:ありがとうございます。というわけで、「そのとき、どうやって仕事を選びましたか?」のセッションはこちらで終わりにしたいと思います。

本当にみなさん、日々のお仕事との関わり方や悩みを抱えていらっしゃると思うんですが、お二人の良い意味での紆余曲折といいますか、その経験を覚えておいていただいて、自分が物事を決断する1つのヒントにしていただけたらうれしいなと思います。江口さん、篠田さん、本当に今日はありがとうございました。

江口・篠田:ありがとうございました。