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そのとき、どうやって仕事を選びましたか?―今の仕事について、一回立ち止まって考えてみること(全4記事)

「本当に落ち込んだ」マッキンゼー退職時の最大のショック 篠田真貴子氏が振り返る、これまでの転職経験で気づいたこと

働く人と会社のつながりや、生きることと働くことのつながりについて考えるイベント「Lifestance EXPO」。本セッションは「そのとき、どうやって仕事を選びましたか? ―今の仕事について、一回立ち止まって考えてみること」と題し、江口宏志氏、篠田真貴子氏、幅允孝氏の3名がトークセッションを行いました。本記事では、篠田氏が20〜30代の頃のキャリアについて振り返ります。

前回の記事はこちら

20〜50代まで、篠田真貴子氏のライフラインチャート

幅允孝氏(以下、幅):そんなお二人に最初に聞きたいのが、「どうして仕事をやめようと思ったのですか?」ということ。先ほど篠田さんは「私は5回辞めているので、もうお寿司屋さんぐらい“ネタ”がある」とおっしゃいましたが、最初に選んだものから少しずつ仕事や肩書きを変えていきながら、変わる部分と変わらない部分がありますよね。

「変化をし続けていく」というのは2人の特徴というか、それこそ来歴としてのライフスタンスかなと思うんです。最初に入った会社から「あれ? ちょっと違うかも」と思って、その次へ次へ次へと向かっていった。

その時の心持ちをぜひ教えていただけたらなと思います。実は本日のために篠田さんのライフラインチャートを準備していただいたので、まずはこのチャートにいきましょうか。

篠田真貴子氏(以下、篠田):このチャートの説明、どの話をするといいですかね? というのを幅さんや江口さんと相談なんですが。このチャートは薄いグレーの横線がニュートラルだとした時に、真ん中にうねうねしている線がプラスだとすごくポジティブな感じで、下がすごくネガティブだったよというのを表しています。

20歳から50歳までの私のだいたいの年齢と、その下に並んでいるロゴがその時に所属していたところ。あとは役職、ライフイベント、結婚、出産はざっくりプロットしてある図です。

:なんとなく全体を通じて教えていただきたいんですが、まず就職されたのは長銀(日本長期信用銀行。現・新生銀行)ですよね。

篠田:そうですね。ここはなんでポジティブかというと、私が社会人になったのはすごく昔で1991年なんですね。

男女雇用機会均等法という法律ができたのは私が高校生の時で、その法律ができたことで初めて、いわゆる大きい日本の会社で、アシスタントではない責任を持たせてもらえそうな仕事に女性でも就ける道が法律的に開いたわけです。それにすごく希望を持って、実際にその職種で就職活動をしました。

電話口で「男性いる?」と聞かれることへの嫌気

篠田:正直、長銀とか金融にはそれほど興味はなかったものの、その職種で働けることになった。(長銀は)今の新生銀行なんですが、この頃の長銀はすごく人気な会社で、大人にも「おお。長銀、すごいね。優秀ね」とか言って褒められるんですよ。

そういう、大人の目というんでしょうかね。社会的評価も含めて「なんか良いところに入ったな」ということでプラスだったものになります。

:なるほど。プラスだったのが、少しずつ「やりたいことがわからない」という状態になったんですね。

篠田:やりたいことがわからないんですね。それで落ちます。今振り返ると、当時女性がこの環境に入ることの難しさだったなと思うのと、もう1個は銀行という事業が回る仕組みと私の人生観が合わなかったということがだんだんわかってくる。この2つです。

一緒に仕事をした先輩方はすばらしい方ばっかりで、私がいじめられたとかそういうことはいっさいないので、人間関係の問題ではまったくなくて。ただ仕組みとして、まだ銀行を含めて、世の中が女性がちゃんと働くということに対して「は?」という風潮があった。

まさに今の朝ドラ(『虎に翼』)ですが、朝ドラをご覧になっている方はいらっしゃいますか? もう周りも「はて?」だし、私も「はて?」なんですよ。

同世代のそういう働き方を選んだ友人たちとよく言うのは、(『虎に翼』の舞台は)昭和10年代でしょ。我々の就職した頃は昭和で言うと70年なんですが、「この60年間は何も変わっていない」という感じなんです。あのドラマを見ていて、まったく同じことに自分が直面していました。

例えば当時はビフォアインターネットの時代なので、メールもインターネットもなく、いろんな連絡が全部電話なんですよね。社内も電話で、電話に私が出たりすると「男性いる?」って聞かれる。

:えー……。

篠田:自動的に「女性はアシスタントで、お前にはわからん話を僕はしたい」と言うわけで、そのたびに「いや、私が担当です」と言うと「ああ」ってなるんです。こういうのがいちいち面倒くさいなと思って落ち込む。

30歳で入社したマッキンゼーを辞めた理由

篠田:もう1個は、銀行って今もそうなんですが、社命での転勤をバンバンするんですね。これは事業上しょうがなくて、金融ってお金を扱っているから、どうしても一定確率で心が弱った時に不正をしてしまうんですよ。

それを防ぐために、本人に予告せずにバッと異動させることで、もしお客さんと変なお金の関係を作っても傷が深くならないうちに明らかになるから、これは先人の知恵でやっているんですね。

でも、私は「待てよ。私はもう大人なのに、自分が住みたい場所を自分で決められないっておかしくありませんか?」と、まさに自分のスタンスに気がついてしまって、「しまった……」みたいな落ち込みでした。

:なるほど。

篠田:でも、この調子でしゃべっているとちょっと終わらないから。

:そうですね。この中でも一番深い落ち込みと、そこから上っていったプロセスをぜひうかがいたいです。

篠田:わかりました。まず、一番深い落ち込みはマッキンゼーを辞める時ですね。だんだん上っていくにはけっこう時間がかかりましたが、最後はほぼ日に入ったという感じですかね。落ち込んだ理由を端的に言うと、マッキンゼーで私が極めて自己中心的に「私はできる」と思い込みすぎたことが原因です。

厳しい会社なので、わりと業績評価もピシッとあるという環境にもかかわらず、本当に私は天狗になっていて。入社当初はすごくできる子扱いで褒められていたので、すっかり調子に乗りまして、「私はもう自然体でも余裕」とか思っていて。

:30代前半ぐらいですかね?

篠田:そうですね、30歳で入社したんです。だったんですが、だんだん周りの期待値と自分が実際にできることに乖離が生じてくる。でも、自分ではぜんぜんわからないというのがグラフの上のほうのまっすぐなところなんですよね。

ある時、「まあ座れ。マジで……」みたいな感じで、お世話になった上司に懇々と諭された時に「やばい」となって。そこから私なりに必死の努力をしたんですが、もうリカバリーできるほどのものではなくて。

「がんばったのは認めるけれども、もうちょっと……」と。要は「ここにいるのはもうお互いに時間のムダですよね」というようなことを言われ、ドーンと落ち込んだという感じです。

:なるほど。

ネスレ→ほぼ日という異色の転職

篠田:ちなみに今はマッキンゼーとはすごく良い関係で、同窓会の幹事とかをやっているので、そこは本当にご心配なく。

:安心しました(笑)。

篠田:はい。でも、この時は本当に落ち込んだし、落ち込む以上に自分を恥じて。私が辞めるに至った業績って、当然上の方はみなさんご存知ですが、同僚は知らないわけですよね。

辞めた人たちが集まる同窓会があるんですが、私が辞めた事情を知っている上の人が来たら柱の陰に隠れるぐらい、「もうとてもじゃないけど無理」というぐらい自分を恥じていました。

:でも、その心持ちがちょっとずつ変わったのは、もちろんお子さまが生まれたりとか、途中途中のこともあったと思います。その後ネスレに行かれて、そこからほぼ日への転職もかなり不思議な転職というか、今までの歩みとかなり異なるものだと思うんですが、それはどういう転機だったんですか?

篠田:ありがとうございます。ここが、今日のテーマである「自分の生きるスタンス」がわりとフラットに自覚できるようになったから、ほぼ日という選択肢が目の前に現れた時に選べたのかなと思っています。そのスタンスは何かというと、ネスレって世界で一番大きい食品会社で、もう大企業なんですよ。

そうは言ってもそこで仕事をがんばっていたし、外資系なので年功序列とかはないから、わりと管理職へと職位は上がってくんです。ただ、2回目ぐらいの昇格で、なんかぜんぜんモチベーションが上がらなくて、「これ、どうでもいいわ」みたいに思ってしまう。単に部下が増えて、予算が増えて、「なんなのこれ?」となってしまったんですよね。

:なるほど。

篠田:そう思う自分に非常に戸惑いまして、まだ30代後半だからここから30年働くのに、今すでにこのモチベーションの低さだともたないじゃないですか。

:そうですよね。

篠田:仕事は続けたいわけですよ。なのに「やばいな、私」という。

30代の時に抱えていた“モヤモヤ”

江口宏志氏(以下、江口):仕事の内容は変わっていかないんですか?

篠田:客観的には変わっているんですが、私の主観としては単に部下が増えるだけ。「めんどっ」みたいな。予算が増えたからって、課題の質が変わるように思えなかったんです。

こういうモヤモヤを抱えていた時に、別の会社の友人とおしゃべりしていたら、その人は「俺は部下が5人より10人、10人より200人のほうがうれしいよ」ってスカッと言うんですよ。だから、これは本当に根底の価値観の違いだなというのを、良い悪いじゃなくてフラットに自己認識したんですよね。「私はそういうモチベーションではないんじゃないか」と。

:(部下が)50人、100人に増えてもよろこびとは思えなかったんですね。

篠田:その友人のように「部下が多いほうが本当に心からうれしい」という人は、大企業で職位が上がることを心からよろこびとするし、そういう人が偉くなっていくのは会社にとっても良いこと。だけど私みたいなのが多少上がっても、どこかでお互いに行き詰まるよなということを、すごくフラットに受け取ったんですよね。

子どもが2人になって、やっぱり「母親である」ということに自分の意識がけっこう比重が移って、大企業の中間管理職に求められることが、時間的にも精神負荷的にも収まりきらないなということの2つがあって。(当時は)2人目が生まれたばっかりで、ネスレは慣れた環境なので、申し訳ないけどしばらく流して。

:今日はネットでこれを流していませんから大丈夫です(笑)。

篠田:ログミーになるかもしれないけど、大丈夫です。ゆっくり次を考えようと、「赤ちゃんから幼児を卒業するぐらいまでは、ここに居させてもらおうかな」ぐらいのことを考えていた時に、ほぼ日との出会いがあって。ぜんぜん違う場所に行くことで、自分が感じている私のスタンスみたいなものが試せるなと思ったんですよね。

:なるほど、ありがとうございます。

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