無理せず働き続けるための“省エネモード”

三宅香帆氏(以下、三宅):桜林さんが、子育てが一段落して時間ができた中で「半身」を保てているのは、何か意識していることがあるからなんですか?

桜林直子氏(以下、桜林):単純に歳をとって体力がないことがあります。やったら無理がかかる。無理してできてしまっても、そのあと1ヶ月間やる気がなくなってしまうから、ゆるく長く続けるやり方を選んでいます。

まだしばらくは働かなきゃいけないので、長く続けるために「省エネ」というか、無理をしないことは自分のためでもあります。仕事相手も、突然来なくなるほうが困るじゃないですか。高いパフォーマンスが出せないと迷惑がかかるので、そこを保てるようにしています。「体力がないから」というのが1つです。

「したい→する」が直結している状態が健やかだと思うから、「寝たい→寝る」「食べたい→食べる」「遊びたい→遊ぶ」ができる余裕がほしいですね。「あれをしなきゃ」になってしまうと、どうしても「したい」が出てこないと思うんです。

それも全部、先ほどから言っている「小さい欲」ですよね。自分の欲を知って自分で満たすという、小さい行為を繰り返していくことが健やかだと思います。仕事でも、仕事じゃないことでも全部そうだと思います。

でも、ほとんどの人が自分の欲が何かを知らないんですよね。「どうせ欲が出てきてもダメでしょ」と思ってしまったり。私も20代の時はそうでした。「楽してズルい」という厳しい視線が、自分にも向いてしまう。

そこを許してくというか、「だってしょうがないじゃん」「だってあと20年働かなきゃいけないんでしょ」「このやり方くらいしか無理」みたいに、諦めることや開き直ることも大事な気がします。

佐々木康裕氏(以下、佐々木):そういうふうに信じられているのは、これまでの蓄積があるからですよね。「これしか選べない」というのもあったけど、自分の欲と向き合う中で(蓄積されてきたものがある)。

桜林:「やったらできた」という成功体験があります。「何かしたい。でも、お金がかかるし」みたいに、経済的な困難はすごく邪魔になるんですけど、他のことを捨ててもお金が稼げるようになった途端にその縛りがなくなります。

「お金を稼いだら『あれをやりたい』が出てきたな。やってみたから出てきたんだな」というのを知っているから、もっとやってみようと思えるんですけどね。

佐々木:なるほど、おもしろい。

三宅香帆氏「私はサボることへの肯定感が異様に高いんです」

佐々木:三宅さんは今、非常にお忙しくされているんじゃないかなと思っていて。この本(『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』)が出たあと、先月も新しい本を出されて、また次の本も構想中だと先ほどおうかがいしました。三宅さんって「半身」社会はできているんですか?

三宅:よく言われます(笑)。

佐々木:(笑)。

三宅:私はサボることへの肯定感が異様に高いんです。学校にいた時から、田舎でみんなが皆勤賞を目指す中で休む人間だったので、仕事があってもある程度寝るし、休むし、サボります。もちろん帳尻を合わせつつサボりますが、サボるのが悪いと思っていない自分がいますね。

私は「人間はもっとサボろう」くらいに思っているところがありますが、サボることへの罪悪感やズルさが蓋になっている人がたくさんいるんじゃないかと思います。

佐々木:僕はすごく真面目なので、サボると罪悪感を感じてしまうんですけど……どうしたらいいですか?

三宅:(笑)。

桜林:先ほどお話ししたように、休職中に休めない人やスケジュールが空いていたら仕事を入れてしまう人に、「『休む』というスケジュールを入れるんだよ」とよく言っているんです。「休む」をがんばりなさい、と。休む予定を押さえて、何も入れないだけでいいんじゃないかと言っています。

意味のあることをしないことも大事です。カウンセリングと言わないで、あえて「雑談」と言っているのも、ムダなことに時間を使ったほうがいいという思いが強くあるからです。あえて意識的にムダな話をしてくれ、と。

「ちょっと関係ないんですけど」という話や、「こんなことを言っても困ると思うんですけど」という話をどんどんしてほしくて。ほとんどの人からするとそれはムダなんですが、ムダをやってみないと「ムダも意味あるじゃん」とは気づけないんです。ムダにお金を払って、ムダな90分を毎月やってみると、ムダなことが仕事につながります。

「ムダは超必要」という意識の大切さ

桜林:「仕事につなげよう」と思ったことがつながってもあまりうれしくないけど、ムダなことがつながるとうれしいと思うんです。サボるのが大事と同じで、ムダが大事ということです。もっとムダなことをしないと。

意味のあることだけをしているとどんどん閉じていってしまいます。自分のために「ムダは超必要」と思ったほうがいいと思います。

佐々木:なるほどね。ムダを目的化しないと、ムダに向き合えないというのもありますね。この話をするとすごく時間がかかってしまうんですが、「中年男性友だちいない問題」みたいなのがあって。雑談する相手がいないんですよね。

桜林:(雑談するのが)下手ですよね(笑)。

佐々木:だから僕みたいにカウンセリングに行ってしまうのかな。難しいですよね。僕も、休みがあっても意味のあることばかりしようとしてしまいます。「健康のためにランニングに行こう」「仕事に役立ちそうな本を読もう」とか。本も「こういう本を読んでいるほうが自慢できそうだな」みたいな本を読んでいます。

僕も三宅さんの本から(著書の中で引用されていた)『人生の勝算』を読んだんですが、あれはSNSにあげていないんですよね(笑)。

桜林:(笑)。

佐々木:そういう休みの過ごし方をしていますね(笑)。

三宅:もう、パフェとかに食べに行ったらどうでしょう?

佐々木:今の僕は1人で食べに行く感じになってしまうから、イタイ感じになってしまうんです。

男性のほうが“ムダ話”が苦手な人が多い?

桜林:私のところに雑談に来るお客さんは9割が女性で、もちろん私が女性だということもあるんですが、たまに男性が来ると「ふだん、いかに雑談していないか」を話してくれるんです。男の人で集まっていると、高校生、中学生の頃からずっと役割みたいなものがあるんですよね。

佐々木:そうなんですよね。

桜林:話している時に「オチは?」と言われたり。そういう「謎の役割をやらなければ」みたいなことがあって、「ムダな話なんてできないですよ」と。「意味のあることをやらなければ」というのが他者にも向くので、「それって意味あるの?」と言われてしまうそうです。

佐々木:僕の知り合いの紫原明子さんという方が「もぐら会」という活動をされています。雑談会のようなことをやっているんですが、(参加者は)ほとんどが女性だそうです。男性も少数いるけど、ほぼすべてが病気で仕事を休んでいる人、あるいは休んだことがある人だと言っていました。

桜林:そうなんですよね。「相当意味がないと、自分のことはしゃべっちゃダメ」みたいな感じですね。

佐々木:そうです。「価値がある、プレゼンに値することじゃないと話しちゃダメ」みたいな感じになります。

桜林:男女で言うのもあれですが、女の子同士って、小学生の頃からずっと意味のないことを言い合っているじゃないですか。

三宅:交換日記とかしますものね。

桜林:そういう意味では土台が違いますよね。

健全に働くために職場に求められること

佐々木:何かの本で「確かにな」と思ったことがあります。男の目線で女性を揶揄する内容として、「女性は、転びそうになって転ばなかった話をする」と。男性的には情報量がゼロじゃないですか。「転んでないじゃん」「転びそうになったくだり、いらなくない?」となってしまうんですが、そういう雑談こそが大事ですよね。

桜林:そうですね。基盤を持っているのは女性かもしれない。ただ、「3人いたら均等に話さなきゃ。私、しゃべりすぎちゃった」といったことがあるから、90分間自分の話だけしていい時間はかなり貴重です。

お金を払って話しているのに、たまに「私の話ばかりしてしまってすみません」と言う人もいます。私が「そういう時間だよ」と言って笑いますが、よほど自分の話をしていないんですよね。

佐々木:三宅さんは、本の最終章で『私たちはなぜ燃え尽きてしまうのか?』についても触れられています。

この本には「本来、自分が価値がある人間だと証明する必要はないはず。だから働く場において必要なことは、あなたがどういうパフォーマンスであろうと、あなたのことをリスペクトし、『愛しています』と全身全霊で伝え続けることだ。それが健全な職場のために必要なのである」ということが書いてあって、すごくいいなと思ったんですよね。

「この会社にとって価値がある」と自分が認められるためには、「すごくがんばって成長しないといけない」となります。でも、もしそうじゃないとしても、「この会社にいてくれてありがとう」と同僚や上司からメッセージとして受け取ると、安心して健やかに働けるんじゃないかと思うので、すごく印象的でしたね。

三宅:確かに。「自分の価値は仕事じゃなくてもいいんだ」と思える場が、「半身」であるといいなと思っていて。自分のアイデンティティの全部が仕事だと、評価してもらうのも愛してもらうのも、仕事に求めてしまう。でも、会社が全部やるのは大変です。

だから、評価は仕事や会社で自分を認めてもらったり、雑談したりするのは友だちやパートナーという別の場所で、「半身」で時間が持てるといいんだろうなと思いましたね。

佐々木:そうですよね。

仕事以外でSNSをいっさい見なくなって気付いたこと

桜林:元も子もないこと言うんですが、私はコロナ禍に入る2020年くらいからX(旧Twitter)とかSNSをいっさい見なくなったんですよ。仕事の都合で発信はしているし、「あの人、元気かな?」と、その人のページを見に行くことはあるんですが、タイムライン的な勝手に流れてくる情報を見るのをやめたんです。それがすごく良かったです。

それも、ふと「誰がどの仕事をしたとか、私は聞いていないのに、なんで知らなきゃいけないんだろう?」と思ったんです。

佐々木:(笑)。

桜林:この歳だし、どうしようと焦ることはないんだけど、「なんでこんなに他人のことを知っているんだっけ?」と疑問に思って、見るのをやめてみたら、何一つ困ることがなかったんです。やっぱりSNSのせいというのもありますよね。人が何をしているかを知りすぎている。

本来は知らなくてもいいじゃないですか。例えば実際に会って「最近は何の仕事をしているの?」などと話して知ればいいと思います。

それなのに、聞いてもいない、本当に知りたいかどうかわからないことを知っていると、自分だけがやりたいことをやっていない気持ちになって、みんなはできているように見えてしまう。その構造も良くないなと思います。

自分のことに集中するのは一番難しいです。でも、「わたしは何をするんだっけ?」が、すぐにどこかに行ってしまって、「あの人はこうで、この人はこうで、あの人に評価された」とか、人のことばかりを見てしまうのは良くないと思います。自分のことに集中するには訓練をするしかないのに、SNSはかなり邪魔をしていると思います。

三宅:競争で勝ちたくなってしまうのも、結局は比べるからですよね。人と比べることで蓋ができてしまうんでしょう。

桜林:大いにありますよね。

佐々木:そうですよね。他人の成功を足場にして考えるようになってしまうんですよね。

桜林:そうですね。

「やりたいこと」をすべて仕事で賄うのは難しい

桜林:会社員の時、私はお菓子屋さんの業界だったので、またちょっと違うブラックさがありました。「時間と体力をとにかく使って給料が安い」という働き方だったんです。その時って体はめちゃくちゃ忙しいんですけど、自分で決めていることがあまりないから頭はずっと暇なんですよ。

「なんか暇だな」というのは、「やりたいことができてない」とも言えます。今思うと、自分のことをやっていないからだなと思いました(笑)。

佐々木:なるほど(笑)。

桜林:いくら人のことで時間を埋めて忙しくても、充実感が得られなかったことを思い出しましたね。

佐々木:ありがとうございます。あと1時間くらいはいけそうで、名残り惜しい感じなんですが時間が来ました。会場からもブーイングが聞こえてきそうですが、締めなければならないので締めたいと思います。最後にお二人に一言ずついただいて終わりにしたいと思います。三宅さんから一言よろしいですか?

三宅:やりたいことを仕事で全部賄おうとすると、すごく難しいなと思います。「半身」でやりたいことをやって、「半身」で稼ぐことができる社会になるといいなと思うので、みなさん「半身」を残すためにサボっていきましょう(笑)。

佐々木:(笑)。

三宅:学校をサボって、何をしたいかを考える。交通法的にはあれですが、本当は仕事をさぼって2人乗りとかしたいですよね。仕事を休んで、パフェ食べてだらだら雑談する日があるとか、そういうことが可能になる社会になるといいなと思います。今日は働き方の未来を考える、すごくいい機会をいただけました。ありがとうございます。

佐々木:ありがとうございます。

SNSに載せなくてもいい“自分の小さな欲”を見つける

桜林:……一言みんなに言うとなると、急に何も言えなくなるんですよ(笑)。

佐々木:(笑)。

桜林:サイズの超小さい欲、「だから、何?」というSNSに書かなくてもいい、人に言わなくてもいい欲を見つけていくことからやるといいと思います。

人に「いいね」と言われるものだけを探していると、「それって自分の意見だっけ? みんなに『いいね』って言われるやつだっけ?」とわからなくなってしまうから、まずは自分に「自分はどうしたいんだっけ?」と言う癖をつけるのがすごく大事なのかなと思います。

時間をかけてでも、それができるようになったほうがいいと思います。仕事じゃなくても、小さいことでも自分のやりたいことができている状態は楽しいと思うので、それができるといいですよね(笑)。

佐々木:ありがとうございます。あまり「はたらく」と絡めないほうがいいよと言いながら、自分の欲と正直に向き合うと、働き方や、どういう職場に身を置くかがさらにシャープに見えてくると思います。ですので、みなさんもぜひ時間をかけてじっくりやっていただけるといいんじゃないかなと思います。私もやっていきたいと思います。

では、お二人、今日は本当にありがとうございました。

桜林・三宅:ありがとうございました。