落語家は儲かるのか?

立川談慶氏(以下、立川):よろしくお願いします。

(会場拍手)

藤野英人氏(以下、藤野):恐らくみなさんが聞きたいことを代わりに聞いてみようと思うんですが、噺家というか落語家って、儲かるんですか?

(会場笑)

立川:さすが投資家らしい、ズバリ剛速球の質問ですね。入門した時に師匠に、「これは儲かんねえからな。食えねえぞ」って言われるわけですよ。「食えねえけどいいのか?」みたいに覚悟を問われるんです。

落語家になろうという時は、食えるか・食えないかという意識はまったくないんですよ。不思議なんですけど、ただ談志師匠の弟子になりたいというだけで来るわけです。師匠の身の回りの世話をする付き人みたいな期間があるんですが、この時期は完全に無給なんです。

ただ、そこでコミュニケーション能力が高いというか、愛想が良くて、みんなにも明るく振る舞える前座は、働きもいいと評判になって、「じゃあこいつを今度、俺の会で使ってもらおう」ということで会に行く。打ち上げでかいがいしく振る舞って、お酒をついだり灰皿を替えたり。

すると、「今度うちの老人ホームで一席やってよ」「ああ、いいですよ」みたいなかたちで、1万円、2万円の仕事がじわじわと増えていく。そうやってコミュニケーション能力が高まっていくにつれて、5年ぐらい経つと、自分一人で食える分はなんとか稼げるようになるんですよね。ただうちの場合は、もう師匠が亡くなっちゃったから言いますけど、上納金がありました。

(会場笑)

立川:非常に厳しいシステムだったんですが、(師匠からすると)「上納金を取ることによって、弟子たちが外に行かざるを得ないような状況を、俺は作ってあげているんだ」みたいな言い分なんです。

前座は月2万円、真打ちになったら4万円と払い続けるので、そのためには働かなくちゃいけないというスイッチにはなったんですよね。5年経って、なんとか働けるようになってきたというかたちですね。

藤野:先生は、どのくらい弟子から上納金を取っているんですか?

立川:私ですか? いや、取ってない! 取ってない!

(会場笑)

立川:一瞬「取ろうかな」と思いましたが。確かに上納金はひどいシステムのように聞こえるけれども、「立川」の名前使用料みたいなものですね。もっと言うと、「談志の悪口を言っていい賃金だ」と、「悪口言い賃」みたいに受け止め方を変えて払っていましたね。

『落語で資本論』を出版した立川談慶氏

藤野:人それぞれだとは思うんですけれども、落語家で一番稼ぐ人は、どのぐらい稼いでいるんですか?

立川:こんなこと言っていいのかわかりませんが、『笑点』のギャラはそれほど多くないらしいとは聞きました。

藤野:(笑)。

(会場笑)

立川:ただ、そこで名前が広まっているから、商売がしやすい。お金をアップさせやすい環境だと聞いたことがあります。実際、『笑点』の人たちが、その番組でいくらもらっているかは、聞いたことがないですね。もちろん本音を明かすわけありませんけど、そういうかたちで、全国で名前を売っている人は、地方で商売がしやすいのはありますね。

ナレーター:「世の中、お金がすべて」という人もいるようですが、あなたにとって「お金」って何ですか?

藤野:この本(『落語で資本論 世知辛い資本主義社会のいなし方』)の中で、いろんな落語の実例が書いてあるんですけれども。実はお金の考え方や、労働に関わるお話は、こんなにあるんですね。

立川:本当に山ほどあるんですよね。やはり貨幣経済のすごさというか、お金で人を失ったり、お金で舞い上がっちゃったり、お金でしくじる人が多いわけですよ。

藤野:この本の冒頭に書いてありますけれども、落語はある種の人間のシステムエラーなんですよね。

立川:はい、そうです。

藤野:確かにそうなんだと。でも、エラーがやはりおもしろいというか。

立川:ミステイクでできているわけです。ミステイクがぜんぜん違う方向に行ったかたちで、長い目で見れば、実はそのミステイクが効果をもたらしたり。

藤野:怪我の功名みたいなことですね。

立川:怪我の功名だらけなんですよね。

日本トップクラスのファンドマネージャーに聞いた「お金とは何ですか?」

藤野:お金の話ですごく思い出すのが、私が新人で、何兆円も運用している当時のベテランファンドマネージャーに「お金とは何ですか?」って聞いてみたんですよ。その当時、日本でトップクラスのファンドマネージャーですから、なんかすごく気の利いたことを言ってくれそうな気がするじゃないですか。

立川:そうですよね。

藤野:「お前、本当にそれを聞きたいか?」と言うんですよ。「いや、聞きたいです」と。「耳かっぽじって聞け」みたいなね。なんか落語家みたいじゃないですか。

立川:おお。本当に落語みたいですね。

藤野:何て言ったかっていうと、「お金はな、おっかねえんだ」と言ったんです。

(会場笑)

立川:すごいな。「お金はおっかねえ」って。でも真理ですよね。

藤野:真理です。でも私はその時に、バカにされたと思ったんですよ。

「新卒だからってバカにしたんだな」と、ベタな親父ギャグで「私を煙に巻いたんだな」と思ったんですね。それから10年とか20年とか経って、いろんな現場に出会うと、「お金っておっかねえ」って言葉が降ってくるんですよ。

立川:うわぁ、深いようで深くなかったような。

(会場笑)

「お金のほうが命より大事だ」という人がたくさんいる

立川:いや、でも響きますね。要するにその原体験があるわけですね。

藤野:そうなんですよ。いろんなお金持ちであったり、お金を出してくれる人に会ったんですけれども、普通はお金と命だと、命のほうが大事だと思うんです。でも本当に「お金のほうが命より大事だ」という人がたくさんいるんですよ。だから、お金のことになると、人間っていかに狂うのかと。

それから投資家ですから、たくさん経営者に会うじゃないですか。経営者ももちろんいろんな方がいらっしゃって、だいたい資産家になっている方なわけですけれども。お金に対しての価値観は、やはり千差万別なんですよね。ただ、結局すべての紛争の源にはお金がある。お金が主人公だったり、脇役だったりするけれども、常にいるんです。

立川:立場は変えつつも、必ず片隅にはいるという感じですね。

藤野:そうなんですよ。それも恨みだったり、愛憎のものだったりする。だから振り返ってみると、かなりふざけた感じだったんだけど、実はメッセージとしては重かったんだなと思います。

立川:なるほどね。お金は怖いけど、やはりどこかで神が宿っちゃったり。神もいい神と、疫病神だったりもしますし。

藤野:ありますね。

立川:そういう面で両極端だという状況を表すには、さっきの「お金はおっかねえ」というのは、響いてきますよね。

株式市場には、常に「捨てる神」と「拾う神」がいる

藤野:そうなんですね。さらに株式市場って、捨てる神と拾う神の2つの神様が常にいるんですよ。

立川:これも両極端ですね。

藤野:そうです。でも、これがないとマーケットは成立しないんですよ。売る人と買う人が同一いて売買が成立するので、マーケットには必ず、捨てる神と拾う神が同時にいるんですよ。

立川:捨てる神だけじゃないし、拾う神だけでもない。

藤野:そうです。拾う神がいないと、捨てる神って捨てられないんですよ。拾う神も、捨てる神がいないと拾えないんですよ。だからある面で見ると、出会いの場がマーケットなんですね。

立川:またうまい言い方で。でも、どん底にいる時は、「神も仏もない」とかついつい言っちゃうじゃないですか。「捨てる神ばっかりだな」と思いがちだけど、やはりそういうことは絶対あり得なくて、バランスが取れているわけですね。

優秀だから儲けられるわけではない

藤野:そういう意味で言うと、マーケットそのものも非常におもしろい。広い目で見ると人間そのものというか。その中にいろんなシステムエラーもあるんですよ。マーケットにいる人たちは人間そのもので、もちろんめちゃくちゃ優秀な人もいるわけですけど、優秀だから儲けられるわけでもない。

立川:ここは本当に微妙なところですね。

藤野:そうなんですよ。もちろん頭が悪い人は損をする可能性は高いけど、でも頭が良いから勝てるわけでもないんです。さらに、深く物事を知っている人もいれば、そうでない人もいるんですよね。その人たちがわんさか集まって、それでマーケットを成すのです。

立川:集合知みたいなかたちでね。賢い人たちばかりが集まれば、すごい集合知になるかというと、そんなことはないと。

藤野:そうです。

立川:いつも思うんですけど、これはなんでですかね?

藤野:私がすごく好きなのは、「マーケットには見えざる手が働く」って言うじゃないですか。

立川:ああ、アダム・スミスの「見えざる手」。(市場経済において、それぞれが自己利益を追求すれば、見えざる手に導かれて社会全体で適切な資源配分をできるため、社会の繁栄と調和につながるという考え方)

藤野:そう。「見えざる手」っていうのはある種のマーケットの神様なんだけど、マーケットの神様を構成している中には、実は欲深だったり、知恵が足りなかったりする人たちがわんさかいる。それが全体になると集合知になるのが、マーケットのロマンだと僕は思っているんですね。

立川:非常に人間臭い感じですね。

藤野:そうなんです。人間の営みそのものなんですよ。

立川:まさに落語の世界ですよね。やはりどこかでつながります。

藤野:だから、落語とマーケットや投資はつながっている。この本でも「落語で資本論」とあるけど、突飛なことではなくて、私はこの本のアイデアを聞いた時に「そうだな」と。「それを先生が書かれるのは当然のことだな」と思ったんですよね。

立川:ありがとうございます。