親戚に政治家は1人もおらず、普通の家庭で生まれ育った

石丸伸二氏:安芸高田市長の石丸伸二です。安芸高田市長が東京のこんな大舞台に立つのは、後にも先にも今日だけかなと思うので、ちょっと写真を撮ってもいいですか? 今日は写真の撮影も動画もOKです。自撮りで、はいチーズ。ほぼ映らないですね。

せっかくなので、私のほうからも自撮りで動画を。(観客席を写しながら)ぐるっと回って。ご協力どうもありがとうございます。

ところで、同じ伸二で、今日はこの(セッションの)前に小野伸二さんが話されていたんですが、間違って来ている方はいないですか。大丈夫? ここにいらっしゃる方の半分は小野伸二さんと間違えて来ていて、残りの半分は篠崎愛さんに会いたかったついでに来ているという最悪のケースも想定したんですが、問題ないみたいですね。

では、これから私の物語を始めましょう。今日お話しするのは、私がこれまで経験してきた3つの挑戦についてです。

まず1つめの挑戦。生い立ちです。私のプロフィールはざっとこうなっています。1982年生まれ、今は41歳です。広島県の安芸高田市に生まれました。その後の経歴がずらっとあるんですが、「この中で挑戦ってどこかな? もしかすると大学受験かな? その後の就職かな?」と思われるかもしれないんですが、実はそのもっと前です。

私の生まれは本当に普通の家庭です。親戚に政治家は1人もいません。父は地元の会社員で、母はパートのおばちゃん。よくある昭和のスタイルですけれども、大人になって調べてみると、父の会社の平均年収は400万円ぐらいなんですね。

考えると、私が子どもの頃の世帯年収はおそらく400~500万円ぐらいだったんですね。子どもが3人いるので、あんまり余裕はない家で、それを小さい頃からそれなりに実感してました。

自分の存在感を感じられないまま育った幼少期

何か欲しいものがあっても、なかなか買ってもらえなかった思い出は強いです。うちの家訓として、小さい頃から「欲しいものがあったら、大人になって自分で買いなさい」と言われて育ってきました。

3人兄弟なんですが、上に兄がいて、下に妹です。次男なんですね。この中にも、次男の方はいらっしゃいますか? 長男は待望の息子で、親戚一同うわーっと盛り上がるんです。(その次に生まれたのが)また男の子で、ちょっとテンション下がるんですね。

最後に末っ子が女の子だったので、これもまたうわーっとみんな盛り上がる。そうすると必然的に、次男は小さい頃からなぜか存在感が感じられないような気がして育ちました。

なので、なんとかして自分の存在感、存在意義をアピールしなくちゃいけないと。それを示せなかったら、自分の価値がないんじゃないのかな。家もそんなに豊かじゃないし、なにより広島県の山奥のすごく田舎だったんですね。なので、とにかくしっかり生きなきゃいけない。そう思って子どもの時代を過ごしました。

そうしていると、中学校3年生の時に父親から将来について聞かれました。「伸二、義務教育は中学校までで」「知っとる」「その先どうするんや?」と聞かれて、「は? この人、何を言うてんの。いやいや、高校があるでしょ」って思ったんです。

言われてみて、確かに高校って行ってもいいし、行かなくてもいいんだなと。そこで、高校に行くのか行かないのか、中学生なりに一生懸命考えました。中学生でもわかったのが、高校に行かずに働き始めることがいかに大変かということです。実は私の父は中卒で社会に出ているので、そういうことをわざわざ僕に聞いたんだと思います。

そして、その時に「父さん、高校行かせてや」と答えました。自分の人生を自分で選んだんですね。でも、自分で決めた以上は責任を負うんです。たとえそれが既定路線のようなものだったとしても、私は父親に対して宣言したからです。

京都大学を卒業後は銀行へ就職

なので、その後は祇園北高校という県立の高校に進みました。たぶん、知っている方はいらっしゃらないと思うんですが。唯一にして最大の自慢は、綾瀬はるかさんがいたということですね。僕の2つ下の学年だったので、実際に学校の中でお見かけしたこともあります。

それ以外は、公立の高校ではそこそこ勉強はがんばるんですが、まったく進学校ではなかったです。ただ、「しっかり生きないといけない。しっかり勉強しなくちゃいけない」と思ったので(がんばって勉強を)やってみました。結果、なんとか京大に届きました。ちなみに学校が始まって以来、京大に(初めて)入ったのが私です。よかったら拍手をお願いします。

(会場拍手)

そのあとはまっしぐらに銀行を目指しました。大学の経済学部を選んだのも同じ理由です。安定して稼ぐにはどれがいいか、必然的にその道は決まりました。この「しっかり生きる」という上で、今日はみなさんに1つご紹介します。この言葉です。

「おまえ もしかしてまだ自分が死なないとでも思っているんじゃないかね?」。これ、わかりますか? 正解は……あぁ、正解です! 『幽☆遊☆白書』の戸愚呂弟ですね。全19巻のうち13巻あたりで出てきます。この前後で、戸愚呂がもう1セリフ言ってます。こちらです。

「元人間のオレの経験からみて 今のおまえに足りないものがある 危機感だ」。そう、危機感なんです。たまたまお金がない家で、次男坊で、自分の存在が儚いものに思えました。だから懸命に生きようと、そして人生を選んでいこうと思いました。これが、1つめの挑戦です。今ご紹介したように、危機感というものがとても大事になってきます。

地元へ飛んで帰り、市長選挙に出馬した理由

その上で2つめの挑戦に入っていきます。市長選挙です。2020年7月に急に地元に戻って、選挙に出ました。その挑戦はどのようになされたのかというと、前段があります。その時に持っていた危機感は、政治への危機感です。

三流の政治と言うと、「ん、日本の話かな?」と思われるかもしれませんが、私がその時に学んだ危機感というのは海外でした。ニューヨーク駐在時代に中南米を担当していて、そこで見たのがブラジル、アルゼンチン、コロンビアとかでした。

みなさんご存じかもしれないんですが、ブラジルという国は大変豊かな国で、資源を持っていながら、経済がなかなか発展していません。格差がものすごく開いて、それゆえにポピュリズムが横行してしまう。それでまた経済はうまくいかない。この連鎖によってかなり足が引っ張られています。

アルゼンチンも、独立以来9回か10回ぐらいデフォルトしています。やはり政治です。コロンビアも、ようやくだいぶ平和になりましたが、その前に50年間内戦を続けました。それで20万人以上が死んでいます。

そこで思ったのは、政治というものは国のかたちを作るんだ、国の命運を左右するんだということです。日本は「経済一流、政治は三流」と言われてましたが、政治が三流だったら、やっぱり経済も三流になりますよ。だから、なんとかしないといけない。そう思っていました。

そうした時に起きたのが、広島を舞台にした河合事件。贈収賄の事件ですね。これで私の前の市長が辞めました。ただ、その後に市長の下にいた副市長が出ます。「他に候補者はいません」というニュースを東京で聞いたのが、2020年7月7日でした。

その時に「まずい」と。あんな大きな事件があったのに、変えようとしない、変わろうとしない。このままだと町が終わっていくと思ったので、飛んで帰って選挙に出ました。しかし、これはあくまでもきっかけです。

挑戦とは、数ある選択肢から1つを選ぶことに過ぎない

きっかけがとても大事なのは、みなさんご存じのとおりです。挑戦とは変化を起こすことですが、それは単なる選択だからです。数ある選択肢の中から1つを選ぶ。挑戦というのは、良くも悪くもそんなもんです。あまり大上段に大げさに構える必要はないと思います。

今日、この選択の効果をみなさんに1つ知ってもらおうかなと思ったんですが、東京以外からお越しの方はいらっしゃいますか? じゃあ、手が挙がるのが早かったので、黒いシャツの方、前までお越しいただいていいですか。今日、ここに200円を持ってきましたので、200円を差し上げます。

参加者:ありがとうございます。

石丸:はい。ありがとうございました。お戻りください。ちなみにどちらからお越しですか?

参加者:鹿児島から来ました。

石丸:鹿児島から。今、私は初めてお会いした、鹿児島からお越しの方に200円を差し上げました。その200円で、おそらくコンビニでお茶とかを買われると思うんですね。200円でお茶を買った際、お釣りが50円ぐらいかな。願わくば、ぜひ50円は募金箱に入れてみてください。

そして、そのあとにご自身が「この人に50円ぐらい使っても大丈夫だな。信頼できるな」という方に、また200円あげてください。(似たような話を)どこかで聞いたことがありますよね。『ペイ・フォワード』。映画になりました。

これを順番に続けていって、日本人全員1億2,000万人が1周したとします。この50円が積み重なって、1億2,000倍すると60億円ぐらいになります。

たった200円を誰かにあげて、そこに「自分が信頼してます」という証し、新たな付加価値を50円つけ加えることによって、もしかすると60億の資金になるかもしれない。これが挑戦の正体なのかなと思っています。単なる選択です。