パーパスが重視される昨今、「目的」はそんなに大事なのか?

山口周氏(以下、山口):「パーパス」ってすごく言われているでしょう。もちろんあれも大事なことだと思うんだけど、目的ってそんな大事なの? という気もしていて。例えばアーティストに「これは何の目的で描いているんですか?」と聞いたり、音楽を作っている人に「このコードの目的は何ですか?」と聞いても、「うるせー!」って言われるだけなんですよね。

だから「目的があるもの」に、本当にそんなに人間を解放させるような崇高な営みってあるのかなって。18歳の成人式も「目的は何ですか?」とかいろいろ語るんだけど、「うるせー!」っていうかね。

糸井重里氏(以下、糸井):ははは(笑)。

山口:「やりてぇんだよ」「やりたいな」と言って、集まってくるものが本物な気がするんですよね。目的とかを言うと、「ほんと?」という感じはちょっとするよね。

三浦宗一郎氏(以下、三浦):そうですね。

糸井:その話、寄付をしてくれる人にはしにくいんだよね。

三浦:はい(笑)。

糸井:だから、そこはちょっとネクタイを締めていないと。

山口:方便ですね。

糸井:ええ。彼もわからない訳じゃないので使い分けていると思いますが、それでいいんだと思うんですよ。

理屈だけでは人は動かない

三浦:「想像してなかった果物ができました」「やってみたら、実はこんないいこともありました」というのはしゃべれるんですよ。でも、それが目的かと言われると、「う、うん」みたいな感じなんです。

果物をたくさんかき集めて持っていくことはできるんですが、「その果物はお前が作りたかったのか?」と言われると、確かに「それだけじゃないんですよ」という感じになっちゃいますね。

糸井:それはもうさ、奈良の大仏でも同じじゃないの。

三浦:「奈良の大仏と成人式を一緒にしてもいいかな?」という気持ちになりますね。

糸井:奈良の大仏だって、「大きい」ということに意味があるわけでしょう。

山口:(笑)。

三浦:そうですよね。

糸井:牛久の大仏だって、近くに寄ったら行かない?

三浦:せっかくなら行きますね。

糸井:そう。「せっかくなら」と言って行くんだよ。集まれたりするものや、「やろうぜ」って言えたりする魅力さえあれば、何だって人の喜ぶ渦になるので。

竜巻でも渦巻きでも、核があって理由があってできるわけじゃないからね。何かの関係で空気が押し合ったわけでしょう。それが牛とかを飛ばしちゃうわけだからさ、竜巻だと思えば。

三浦:なるほど(笑)。

山口:僕も新しく出した本で社会運動のことを話しているんだけど、社会運動って渦巻きとか竜巻みたいなものなので、起こる時には起こっちゃうんですよね。それでいろいろなものが舞い上がって、いろんなことが起こるので。

だから、三浦くんがやっているのも一種の社会運動だと思います。でも、イデオロギーとかパーパスよりも、「嫌なものは嫌だ」とか「こうやって見るとおもしろそうじゃん」というものがないと、本当のモーメントも作れない。理屈じゃないので、やっぱり人は動かないと思うんだよね。

三浦:確かに。

嫌なものは嫌だと言える環境づくりの大切さ

三浦:最近、僕らはある先生に「ハッシャダイソーシャルは非営利団体じゃなくて、非合理団体ですよね」と言われて。計算がない、もしくはできない。つまり、お金の使い道もある種の計算をせずに、ものすごく非合理的なかたちで、なんとか資本主義のルールの中で合理的に説明しながらやると。

もちろん最低限のことはやる。プラスアルファ、計算してなかった部分のことを「奇跡」と呼び、その奇跡っぽいものがすごく心の栄養になるんだなというのは、まさに18歳の成人式をやりながらすごく感じている部分だったりしていて。

一方で、先ほどの「呪い」に対してどう対抗していくのか、気づいていくのか。もしかしたら衝動的なもの、つまり「飛び出ちゃった。荒野だ」みたいなところがある気がするんですよね。それは、まさに周さんの本の中にもよく出てくる、公民権運動のローザ・パークスの「バスから降りろ」。

山口:だから、「嫌なものは嫌だ」ということですよね。

三浦:(嫌なものを嫌だと)言っちゃった瞬間に、荒野に飛び出している感じがすごくあって。人が言いたいことを言っていく、やりたいことをやっていくというというよりも、「嫌なものは嫌だ」「やりたいことはやりたい」と、ちょっとずつ言葉にしていくような環境づくりが、実は足元から大事だったりするのかなと思いました。

もう1個話をすると、僕らはすごく非合理的なことをやっているという話をブログに上げたんですよね。そうしたら、僕のことを8年ぐらい前から知っている、少し年齢の近い愛知県の学校の先生が「宗一郎くんのやっていることはすごく合理的に見えます。実は、僕は1年前から育児休暇で0歳の子と1年間一緒に過ごしている。その僕からすると、やりたいことをやっている以上は、人間としてすごく合理的なんじゃないか」と言われて。

果たしてハッシャダイソーシャルは非合理団体なのか、合理団体なのか、なんかよくわからんなという感じになったりしますね。人はどういうふうにそのバランスを取ってやっていくんだろうかというのは、これからの時代の大きなテーマになってきそうだなと感じていますね。

今の時代におけるハッシャダイソーシャルの価値

糸井:今、人手不足の問題がいっぱい語られています。ちゃんといい考えがあって、仕組みはできているんだけど、そこに人が集まってくれない。お客さんは来るかもしれないんだけど、従業員になってくれる人がいない。いろんな企業はそれをどうしたらいいかということで、きっと山口さんのところにも相談がさんざんあると思います。

ハッシャダイソーシャルは人が来ているじゃないですか。「これをやっていこうぜ」という仲間が来ているってことは、いい考えや儲け方を知っているんだけど人が集まってくれない組織に比べると、そこでは圧倒的に勝っているんですよね。すごいと思わない?

三浦:そうですね。ありがたいなと思っています。

糸井:「1時間いくら払いますよ」ということで釣っているわけでもなくて、「得なことなんか何もないよ」って言われそうなことをしながら人が集まっている。

「こうすればビジネスが成り立つよ」と、人が集まる理由の縦軸・横軸をきれいに決めている人からしたら、「なんでこっちはちゃんとお金を払うと言っているのに人が来なくて、あっちに行くんだよ」と思う。今、僕らはその時代を生きているんですよね。

未来に生きている人にとって、どれを見ておいて良かったと思われるかと言ったら、「ハッシャダイソーシャルを見ていた人のほうがよかったんだよ」「これのおかげでうまくいったんだよ」「楽しいよ」と言えるんじゃないかと思うんですね。

三浦:なるほど。

“資本主義のフリ”をして生きている人たち

糸井:みんなよく「資本主義」という言葉を使うんだけど、資本主義っていう言葉がなんでそういうふうにできているのか、どうしてもわかんなかったんですよ。でも、俺はわかった。これは誰も言ったことがないと思うんですが、「資本が一番大事です」っていう主義なんですよ。

山口:ですね。

三浦:初耳(笑)。

糸井:資本主義っていう主義ではないけれども、この社会で生きている人たちがいっぱいいるんです。

山口:そうだね。確かに。

三浦:そうか、全体は資本主義みたいだけど。

山口:一応フリをして生きているんだけど、実は違うんだよね。

糸井:そうだよね。「資本主義とは、資本が一番大事だよ」と思っている主義だからといって、矛盾なく生きている人もいるんだけど、「そうかな?」って思っている人も月給をもらったり労働をしたりしているので、この時代認識みたいなのを昨日思いついたんだけど。

三浦:ホヤホヤの。新鮮な。

糸井:昨日思いついたんだけど、「明日、三浦くんに会ったらこれを言おう」と思って。ちょっといいでしょ?

三浦:確かに。

糸井:一番大事だとは思ってないよね。

三浦:資本主義の“作業着”みたいなのは着ているかもしれないですね。

糸井:そうそう。資本主義で作られたいろんな仕組みがあって、僕らはその鉄道に乗っているし、水道も出る。ただ、なんで水道を出しているかという問題を全部たどっていくと、本当は資本じゃないところに行ったりするんだよ。

「なんでトンネルができたの?」というのは、資本が作らせたんじゃなくて、必要だったから作らせたんだよ。水道だって民間にしたら、水が出なくなっちゃった時とか、儲からないものは潰しちゃうよね。資本主義社会でやっているけど、水道のために一生懸命働いている人とか、命を投げ出して火事を消しにいく人とかは、資本主義じゃないんだよ。

三浦:確かに。

糸井:これ、ちょっとおもしろいでしょ? 昨日思いついたんだ。

山口周氏が考える「資本主義のハッカー」とは

三浦:まさにそのあたりのことは、周さんが日本で一番考えられていらっしゃるかなと思います。

山口:重里さんに言ってもらったとおりですね。なんというか、一応「資本が大事ってことね」となっているんだけど、実は日本にはそうじゃない人たちもたくさんいて。

それが一番大事ってことにするのはもうやめよう、ぶっ壊そうと言ったのが(ウラジーミル・)レーニンとか毛沢東だったわけです。やめようと言って別のものにしたんだけど、なんとなく「お金的なものが一番大事だよね」ということで、あんまり変わらなかったわけですね。

ただ、今起こっているのは、資本が一番大事だという建前の世界の中で、実は本音ではそうは思ってない人たちが、建前の世界のルールを一応は守りながら、なんとなくその仕組みをうまく使ってやっている。クラウドファンディングとかはまさにそうだと思うんだけど、それを僕は「資本主義のハッカー」という言い方をしているんです。

三浦くんがやっていることも、ある意味では資本主義のハッキングみたいなことです。ハッカーというのはシステムをぶっ壊すわけじゃなくて、システムをうまく利用して、自分たちの有利になるようにそれを利用しちゃう人たちなので、そういう意味で言うと資本主義のハッカーなのかなと思いますけどね。

三浦:すごくカッコいい通り名をいただきました(笑)。

社会のルールブックの外側にあるもの

三浦:それで言うと、まさにほぼ日の上場の話とかもよくわからないですよね。

糸井:(笑)。

山口:「合理の非合理」という感じがしますけどね。

糸井:僕の会社でやっている「ほぼ日手帳」というものがあって。みんなあんまりにも当たり前だから忘れているんだけど、グリッドが薄く描いてあるんですよね。格子縞がずっと描いてあって、それを当てにして(文字を)書くこともできるし、あるいは四角が描きやすいから家の見取り図とかを描く人もいるし。

でも、グリッドって見てなければ見なくてもいいんですよね。僕は、あのグリッドが社会の仕組みみたいなものだろうと思っているんですよ。あれがグニャグニャって描いてあったら、あとで書き込むのもけっこう難しいですよね。実は白紙も案外難しいんです。グリッドのおかげですごく使いやすいんですよ。

だから今は一回、「資本が一番大事ね」ということにしましょう、スリーアウトチェンジにしましょうと言うから、全部ルールは守るんですよ。守るけど、「そのルールの中で何ができるんだろう?」というのは、意外とルールブックの外側にあるものです。

つまり、大谷翔平の移籍というのはルールブックに書いてないんですよね。「すごい選手が他のチームに行ってもいい」とは別に書いてなくて、それは「お前が勝手にやれよ」なんです。

「資本が一番じゃないけど、資本が一番って考える」

糸井:ほぼ日も、ある日ものすごく簡単な説明を受けたことがあって。日本経済新聞の真ん中あたりに上場企業の株価が全部載っているじゃないですか。昔はこのくらいのスペースがあったのが、もう見開きでも足らなくなっているわけです。

「会社って、ここに載っている会社のことを言うんですよ」と言った人がいたんです。「あ、そうだな」と思って。載ってないと、台帳がないみたいなものなんですよ。「人は載っているというだけで『あ、載ってる』と思うんですよ」という説明を受けて、ほんとだと思って。

僕みたいな人がやっている会社だと、「糸井が飽きたらやめちゃう」ってずっと思われていたんですよ。でも、台帳に載っていますよというだけで、社内の若い人の結婚したい相手のお母さんとかが「台帳に載っている会社にお勤めなんですね」となる。

三浦:なるほど。

糸井:住宅ローンを組む時とかも「うちは上場会社だから組みやすいよ」ということで、その不自由さよりも、あらゆる場所で「あ、載っているのね」という動きやすさがものすごくあるんです。

あとは、「これ、どうなっているんですか!?」って責める人がいるとドラマとかでは書いてあるけど、儲けたくてうちの株を買っている人は別ですが、こういうことに出資してみたいと思う人がほとんどですから、「いやぁ、これは失敗したね」「ここはおもしろいね」とか、一緒に経営をしているんですよ。

そういうふうに考えると、上場で仲間が増えたと考えて、「もしかしたら化けるかもしれない」みたいなことも僕らだって思いたいですから。

三浦:なるほど。

糸井:資本が一番じゃないけど、資本が一番って考える。絵を描く時に、遠近法の消失点ってあるじゃない。あれみたいに、「資本が一番」というのが遠くに見えれば、案外それでどんな絵も描けるというのが、僕の今日の説明。

人生の中で選択をする時の“3つの軸”

三浦:周さん、今の話を聞きながらどうですか?

山口:「合理の非合理」というのがある気がしていて。例えばさっきの二宮尊徳の話で言うと「損得の一念に徹せよ」。じゃあ、借金は返さないと得かと言うと、「いやいや、それは信用を失うから損だ」という考え方なんですが、前提の枠組みに何を置くかによって、合理的かどうかって変わってきちゃうと思うんですね。

特に糸井さんのさっきの話で言うと、自分たちにとって一番いいのは何かと言ったら、「気の合う仲間と楽しい仕事をやって、健全な利益が生まれて、お客さんも喜んでくれて、お金を出してくれた人も喜んでくれるのが一番良くね?」ということ。

それが消失点になって、プラスになるか・マイナスになるかを合理的に考えると、よほど変なことがない限り間違わない。だから、消失点のところに何を置くかで合理的かどうかが決まってくると思うんですね。

あとは損得に関して言うと、さっき三浦くんが言っていたのもそうですが、時間軸がすごく短くなって、空間軸がすごくちっちゃくなる。だから、今そこにいる仲間が5分だけ楽しいということなのか、それとももうちょっと半径を広げて1キロぐらいなのか、一番広くなると聖者みたいに宇宙全体というふうになっていくんです。

5分楽しければいいのか、1年なのか、5年なのか、一生なのか、自分の生涯が終わった後なのかというふうに時間と空間軸を広げた時に、どれが合理的にいい判断なのかって変わってきちゃうんですよね。だから、消失点に何を置くか、空間軸をどこまで広く取るか、時間軸をどこまで取るか。

重里さんの場合は、自分の身の回りの4~5人が楽しくて、自分が「もう会社をやめた」と思ったらそれで終わりでいいやとなったら、たぶん違う合理だったと思うんです。ただ、消失点のところに「それだとちょっとさみしいよね」というものを置いた時に、一見すると非合理に見えるものが合理になってくると思うんですね。

人生を選べる・選ぶということは選択するということなんですが、じゃあ何がいい選択なのかっていうのは、「消失点に何を置くか」「空間軸をどこまで取るか」「時間軸をどう取るか」とか、取り方が変わると意思決定や人生の作り方も変わってきます。今の重里さんの話は、それがすごくわかりやすい。

会社を作るって、カジノへ行く以上の不確実性を飲み込むってことですからね。ポジティブな不確実性が多いんだけれども、いろんな苦労や想像もできないようなことが起こるのは当然。人生の中で背負い込む合理って、その3つ(消失点、空間軸、時間軸)の取り方でぜんぜん変わってきちゃうと思います。

三浦:ありがとうございます。