テレビに限らず、人に「伝える」手段は問わない

工藤拓真氏(以下、工藤):以前、仕事の場でも「開高健に憧れる」というお話もおっしゃっていましたが、メディアを超えていくような動き方が好きというか、憧れなんですか?

上出遼平氏(以下、上出):たぶん、開高さんも藤原(新也)さんも勝手に同じだと思っていますが、「写真が好きでたまらない」「文章が好きでたまらない」とかではないと思うんですよ。それは、自分が旅をして見て聞いたものを人と共有するツールのうちの1個に過ぎないので、何を使ってもいい。

僕がやりたいことは、旅したり、人と話したりすることであって、伝えるツールはそれぞれに応じてベストなものを選んでいます。

工藤:そういうことなんですね。藤原さんの『メメント・モリ』も、写真集として扱われることもあるけど、詩集的な扱いとしても注目されたりします。「訴える」ということに関して、どれが一番いいのかというやり方の原点になっているんだ。

上出:そうです。やり方は何でもいいというか。

工藤:まず、テレビ(業界)に入ったのは何か理由があったんですか? その時から「いろんなもののうちの(1つが)テレビ」という感じだったんですか?

上出:そうですね。だから、まったくテレビ好きではなかったです。

工藤:(笑)。そうなんですね。

上出:テレビをつける習慣がないので、今もテレビをまったく見ていませんし。だけど「いろんなところに行って、モノづくりをして人と共有して、飯が食えたらいいな」というのはあったので。

自分のやりたいことが実現できる会社は少ない

上出:大学を出ていきなりフリーでやっていくとかは、リアリティがないなと思っていたので。一応、飯は食えることが保証されそうな場所でやりたいなという思いで「就職するぞ」と。もちろん新聞社とかでも良かったんですが、今、僕が言ったようなことが実現できる会社ってあまりないんですよね。

工藤:なるほど。

上出:モノづくりに近いことができて、旅ができて……みたいな(会社が)ないんですよ。

工藤:そうか。出版系で編集者となると、また立場が違いますもんね。

上出:そうなんですよ。本が好きだったので出版社にも憧れたんですが、出版社だったら出版社勤務になるだけじゃないですか。基本的にはどこにも行けないので、そういう意味でテレビが正解だったかなと思って。

工藤:なるほどね。新聞記者となっちゃうと、それはそれで追いかけるものベースになっちゃうし。

上出:そうそう。新聞記者もアリではあったんですが、あれは頭が良くないとダメだと言われて。

工藤:(笑)。法律を一生懸命勉強していたのに。

上出:法律は勉強したんですが常識がなくて。本当にけっこう偏っているんですよ。僕だって、ここ(テレビ局に)に入るまで1週間が6日間だと思って生きてましたから。

工藤:どんな悪い大人に囲まれたらそんなことになる(笑)。

上出:アルバイトを初めてした時に給料の計算をしたら、「思ったより稼げるぞ」ってなって。最終的にそこで(一週間は)7日だということに気づいたんです。そのくらい“宇宙人”なので。

工藤:(笑)。なるほど。そんな宇宙人状態から大学へ行って、テレビ東京さんに行った。なかなかキツイ現場ではあると思うんですが、あそこで鍛えられたところはあるということですか?

上出:そうですね。あれは修行の場です。

工藤:(笑)。なるほど。ありがとうございます。

「固定された道徳」の危うさ

工藤:続きまして、(「上出氏が選ぶ3冊」のうち2冊めが)三島由紀夫『不道徳教育講座』。今もおっしゃっていましたが「読み込み過ぎている」と。何度も読む本ってそんなに多くないと思うんですが。

上出:そういう意味では、この2冊は僕の中では特徴的です。なんででしょうね。何だったかな?

工藤:作家の三島さんは、いわゆる小説というかたちではなくて、講義スタイルで訴えているという体裁です。当時、道徳講座というものが流行っていたらしく、当時のノリとしては道徳教育みたいなものがトレンドだったと。

今で言う「Xトレンド入り」みたいな感じで流行っていて、それのアンチテーゼ的なものでこれがポンと出て、話題に。当時もめちゃくちゃ売れたらしいですよ。

上出:そうなんですか。また読みたいな。

工藤:当時も「なんだかんだ一番の道徳本だ」みたいに売れたらしいです。

上出:でも、本当にそういうことですよね。結局、マジで1項目も覚えていないんですが。

工藤:(笑)。

上出:たぶんここでは、固定された道徳がいかに危ないかが示されているし、常にアンチですよね。

工藤:そうですよね。

上出:そこに与えられた正解に対して、オルタナティブを強靭な知性で示していくことに試みられていると思うんですが、僕もそういうことがしたかったんだと思うんですよね。

テレビ局の“善悪の線引き”に辟易としていた

上出:決められた正解って正解ではないじゃないですか。当然、時代によって変わるし、一度決められた正解はどうしても強いから、それと世界のギャップでいろんな不幸が生まれたりしているような感覚があるから、それを壊したいというか。

工藤:なるほど。「ハイパーにハードボイルドな環境でござい」という入り口で入ってみたら、ぜんぜん偏見に満ちた目じゃないものが見つかる、みたいな。

上出:そうそう。だから、僕があらゆるモノづくりを通してやろうとしているのは、基本的には引かれた線を消していこうとしているというか、決められた定義をちょっとずらしていこうとするというか。

『ハイパーハードボイルドグルメリポート』も、例えば最初の2回目とかに出てくるのは殺人を犯した人ばかりです。でも当時、僕がテレビ局に16年以上いて、テレビ局が善悪の線を勝手に引いては悪のほうを叩くことを商売としていることにも、辟易としていたので。

工藤:そういう信条があったんですね。

上出:よく言うけど、不倫をしたら悪人ですよね。「みんなで袋叩きにしましょう」っていうイジメの構造をしっかり踏襲したもの、カタルシスを商売にしていて、もううんざりしてたので。

じゃあ、その「悪」を最もしやすい「殺人」という行為を行った人と一緒に飯を食って、その人の悪じゃない部分が少しでも見えたら、線引きによる思考停止がちょっと変わるんじゃないかと。そこを疑えるんじゃないかと思って、人殺しばかり取材して。

もちろん彼らが人を殺さないに越したことはないんですが、なぜそうなったのか、その結果今はどう生きているのか。そういうものを全部取っ払って、一緒に飯を食った時にどういう表情をするのかを描こうとしたのが『ハイパーハードボイルドグルメリポート』です。

工藤:なるほどね。

“知性+ユーモア”が一番の理想形

工藤:確かに三島由紀夫も、目次だけ見ても「教師を内心バカにすべし」「友人を裏切るべし」「弱い者をいじめるべし」とか、本当に「ハイパーにハードボイルドですよ」という入り口と一緒です。

僕も何個か記憶に残っているんですが、「教師を内心バカにすべし」はすごく残っていて。「教師をバカにするな」じゃなくて、「教師をバカにできるような人間にならないと生き残れないぞ」と言っていて。その時に本当にそうだなと思ったのが、「君が今、対峙している教師というのは一番弱い大人だぞ」と。

上出:ほう。

工藤:「もっと裏にヤベェ大人がいて、そいつらにお前はこのあと蹂躙されるぞ」と。

上出:なるほど。

工藤:そんな中で、よく三島さんの周りに「俺、教師に従わないっす」みたいな感じで出てくる輩がいて、「そんな雑魚を相手にしてどうするんだ」と。もっと強いやつがいるから、戦うとかじゃなくて、もっと斜め上から行けるような人間にならんとあかんぞ、みたいな話です。

上出:なるほど。もうフェーズが違いますね。

工藤:違う。終始、そういう話をずっと書いている本です。上出イズムを感じるのはそういうところかもしれないですね。「道徳」じゃなくて「不」をつけて、「不道徳って何だろう?」と考える。

上出:本当にそうですよね。やはり、そもそもの設定がユーモラスですよね。知性にユーモアが乗っかっている状況は最も理想的ですよね。

工藤:「『勉強なんかしてやるか』じゃなくて、むしろ『勉強なんか意味ない』とわかっているんだけど、『勉強してやってもいいぞ』と思えるかどうかだ」みたいなことを書いていると(笑)。

上出:深いですよね。

ユーモアとは、知性がなければ発揮できない

工藤:ユーモアって、上出さんにとってはどういう存在なんですか? 見てもらう方へのギフトだったりするのか。

上出:ユーモア、あらゆる局面で本当に必要なものですよね。普通の人生においてもですが、モノづくりにおいても当然そうです。でもね、ユーモアって本当に難しいんですよ。定義づけることもなかなかできないし、ユーモラスであろうと思ってうまくいくこともあまりないですからね。

工藤:(笑)。そうですね。「俺、今日はひょうきんでいくぞ」というのは、なかなかキツイですよね。

上出:キツイじゃないですか。難しいんですよね。でも、知性がないとユーモアは発動できないだろうなと思うので、勉強するしかないかなと。

工藤:勉強するんですか?

上出:うーん……勉強。

工藤:(笑)。

上出:わかんないですね。ユーモアって何ですかね? ブランディングなんて絶対にユーモアが必要じゃないですか。

工藤:そうですね。「人を感じさせる」みたいなことは、どんな商売でもどんなブランドでも大事だと思うんですよ。「生っぽいね」ということでもあるかもしれないし、そういう意味では三島さんが言っている「不道徳」の話かもしれないですね。

「お酒です」「煙草です」「パンです」と、ただバンと出すなら、それは別にカタログでいいわけです。だけど、「これが今の生活に入ってきたら、どういうふうに変わるんだろう?」みたいなところにちゃんと人間がいないと、本当に欲しいものだと思えなかったりするというのは、ある気はしますよね。

上出:確かに。愛嬌もユーモアとかなり重なりそうな気もしていますけどね。

俳優・仲野太賀氏を起用した『TRAIL』の制作裏話

上出:もしかしたら、「好き」とかをいかにクサくなく出せるかみたいな。やはり、完璧にカチカチのものは愛されないわけじゃないですか。あとでお話があるかもしれないですが、今、YouTubeにあげている仲野太賀くんとアラスカを歩いた映像。

工藤:『muda』というメディアの第1弾。『TRAIL』ですね。

上出:『TRAIL』。アラスカを4日間歩いて、きれいな湖を目指して、そこでうまい酒を飲もうみたいな。あれも太賀くんの愛嬌あってのものだと思うんですよね。

工藤:そうですよね。

上出:あれは太賀くんだからできた。山の企画は今まで何度も考えてきたんですが、1時間も持たないよなとよく思っていたんです。画も変わらないし、歩いているだけだし。だけど今回のは2時間半ぐらいあるんですが、「イッキ見しました」みたいな感想がたくさん。

工藤:本当にありがたいですよね。

上出:太賀くんの表情や語りに隙がいっぱいあって、愛嬌があって、クリっとした目で。正確には直接的にユーモアではないかもしれないけど、ユーモラスな見た目や振る舞いはそこにあったような気がするんですよ。

工藤:確かにそうですね。「ユーモア」という単語を出すと、バラエティに引き寄せられていって「感動あり笑いあり」みたいに思われがちです。だけど今回の『muda』もそうですが、「笑いあり涙あり」は本当にそうです。笑いがあって感情に触れるから、むしろ感動も呼び寄せたりする部分があるなと、今回すごく実感しましたね。

上出:そうね。見ている人の心の武装を解除させるような感じ? 1回ゆるくさせるから、そのあと泣きやすくなったり。向こうにもカチッと構えさせると、そのへん(感動を呼び寄せること)が難しい。

工藤:なるほど。話は尽きませんが、このあと上出さんの初小説『歩山録』について、「小説って何か」という話も含めてお話しできればと思います。いったんここで幕引きしまして、また次回お話を聞かせていただければと思います。本日のゲストは上出遼平さんでした。上出さん、ありがとうございました。

上出:ありがとうございました。1回帰っていいんですか?

工藤:ダメです。

上出:ダメですか?

工藤:ダメです。