挑戦する組織風土を支える「聴くこと」の価値

篠田真貴子氏(以下、篠田):まず私から、今の櫻井さんのお話を受けてスタートしていこうかなと思うんですが。あらためて、今日のセミナーのテーマ「挑戦する組織文化」の土壌に聴くことや対話があるわけですよね。

ともすると挑戦とは歯を食いしばって、つらいのを飲み込んで、なんなら孤独に……。あるいは挑戦しているごく少数のチームで、他者の理解がないままがんばるようなイメージが付随していて。聴くことの持つ柔らかさとどうつながるのかがイメージできないという。

櫻井将氏(以下、櫻井):なるほど、なるほど。

篠田:過去に私も自分が体感的に聴くことを理解する前は、ちょっと(そう)思っていたなと。櫻井さんは、挑戦する風土があることと聴くことはどうつながると捉えていますか?

櫻井:初めて聴くことを挑戦とセットで語るんですけど、ふと思ったことがあって。1つはエールの事業でもそうですけど、いくら自分が楽しくてやりたいと思って始めたことであっても、挑戦している時は苦しかったりするじゃないですか。いや、楽しくやってますけど、苦しいことやつらいこともあって。

その取り組みがより大きくなってくると、関わる人も増えて人間関係が複雑になっていくと思うんです。そんな苦しい時に、自分の声をちゃんと聴けないと(さらに)つらくなっていく。「そもそもなんでやっていたんだっけ?」「この苦しみを乗り越える意味はあるんだっけ?」と立ち返る時間が(必要で)あったり。

「何が苦しいのかな?」「自分は何を大切にしているから、こんなに怒るんだろう、悲しむんだろう、苦しいんだろう」ともっと(自分の)内面と向き合ったり。これは挑戦していると必ずぶつかる話だと思います。これが扱えないと挑戦し続けるのはけっこう難しいのかなと。

たぶん一部の人は、すごく明確に目標を掲げて、ただひたすら目標に向かってがんばることができる。でもそれは本当に一部の人だと思っていて。そんなに歯を食いしばって、20年、30年がんばり続けられる人はいないと思うんです。

その時に衝撃吸収剤としての「聴く」ことがないと苦しくなってくのかな。特に大企業だと終身雇用や年功序列がなくなっている中で、「がんばれば会社の中で報われる」ということもなくなってきている。そんな中、自分が歯を食いしばってがんばる瞬間を支える土台として、聴くことが必要なのかなと思ったのが、1個目です。

チャレンジする領域を決める時のポイント

櫻井:2個目は挑戦する時に、絶対に楽しいことや得意なことのほうが成功確率が高いと思っていて。それはいろいろなパフォーマンスやエンゲージメントの研究などを見ても、楽しさで駆動された時のパフォーマンスが高いことは、もう明確に(結果として)出ている。

「じゃあ、あなたにとって楽しいことは何ですか?」と言われた時、自分で言語化できること。自分のアウェアネス(自覚)が高い状態は、楽しいこと、得意なこと、好きなことに対しての価値観だったりします。

その解像度が高ければ高いほど、自分がチャレンジする領域を決めやすいし、向かいやすいんじゃないかなと思います。そんな2つの側面で、挑戦することと聴くことがつながりそうかなとちょっと思いました。

篠田:ありがとうございます。私もエールじゃない方から、会社の中で挑戦しているお話を月に一度ぐらい聞くことがあるんですけど。けっこう苦しそうだったんですよ。その苦しみの内容が「あの人がダメだ」「この組織のかたちが……」みたいなことをおっしゃるので「そうか」と聞いていたんです。でもこの間、話していた人が急に「なんかだんだんムカついてきました」と言って。

櫻井:うんうんうん(笑)。

篠田:おもしろかったんですけど「もうムカついてきた」と言うから(そのまま)聞いていたら、その女性が急に「私、怒ったから、もう大丈夫です」と言い始めて。

櫻井:へえー、おもしろい。

篠田:「もう大丈夫ですから」という感じになったんですよ。これは櫻井さんのお話の1つ目の実例だなと思って。

(その女性は)それまでも苦しかったんだけど「何で自分が苦しいか」が腹落ちしていなかったんですね。(彼女が)その場でどこまで言語化されたかは覚えていないんですが、自分の中で「これが自分のつらさのもとだ」とハッとなり、それを怒りとして彼女は表現した。そうしたら、急に大丈夫になった瞬間があったんです。

がんばっている人ほど、聴くことが必要な理由

櫻井:いや、おもしろい。そういうことはありますよね。聴くことには、いろいろな効果がある。自分の思考や感情が言語化されることもあれば、言語化することでメタ認知できることなど、いろいろあると思うんです。がんばっている人ほど、聴くことは(いつも)脇に置いて必要な時にすぐ手に取れる場所にあるといいよなと。逆に昔はどうしていたんですかね?

篠田:どうしていたんだろう? もしかしたら孤独感は少なかったんですかね。当時の日本企業は、もう入社したら数ヶ月単位でともに合宿しながら新人研修を受けて、その後も「独身寮だ、社宅だ」と本当に生活を共にするような状況にあったので。

物理的には支えられている感覚を持ちやすかったのかと思います。聴くことがなされていたかどうかはちょっとわからないですけど、聴く以外の身体感覚で支えられていることがあったのかなと。その上で時々お友だちや同期に愚痴を言うことで、なんとかしていたのかもしれないですね。

さて、こうやって我々が楽しい話をしている間に40件ぐらい(コメントが)入っています。

櫻井:チャットがすごい(笑)。

篠田:本当はやりたいんですけど1個1個掘り下げてると、明日までかかってしまうんで。ざっと見ると、まず「聴く」ことをすごく大事に思っているけど「組織の中で認知させるにはどうしたらいいか」。

あと「上司が聴けるようになるにはどうしたらいいですか」という。まずご自身の問題意識として、一番近い他者や環境である組織、その組織をある種象徴する存在の上司との「橋渡しが難しいんですけど」というお声が出ているなと思いました。

これはしっかり扱いたいなと思いますが、いきなり答える前に、まず櫻井さんはこの手の質問をこれまで受けてこられていますか?

櫻井:めちゃくちゃ多いです。

篠田:なるほど、めちゃくちゃ多い。

櫻井:エールのサポーターの方々は今3,000人ぐらいご登録いただいているんですが、みなさん「『聴く』ことが大事」という何かしらの体験があって登録されています。「できれば社内でも広めたいと思うんだけど、そこが難しい」という声はサポーターの方々からも多いです。

エールを検討して問い合わせをいただいたお客さんも、社内で取り組んでいきたいんだけど「社内の稟議が通らない」「上長の承認が取れない」というのはもうたくさん聞くので。

意見が対立した時は、相手の状況や見えているものに目を向ける

篠田:本当にみなさんご自身が直面している課題として質問を書いてくださっている。でも同時にそこだけではなくて、けっこう各所で起きている課題なわけですよね。じゃあそういう時に、個別の状況はいろいろあれど共通して答えていることは何かあります?

櫻井:それこそ今ちょうどKさんという方がチャットに書かれていたんですけど、「社内に浸透しないという前に、社内の声を聴くことから始めるのですかね」と。ここはけっこう大事だなと思っていて。

「これが、伝わらないんですよ」と言った時に、相手になぜ伝わらない状態なのかを「聴く」。これがすごく大事です。その伝わらない相手は、別に会社を悪くしようとしているわけではないじゃないですか。

その人なりに会社を良くしようと思っているから、「『聴く』とかじゃねぇんだよ」というコミュニケーションをするわけで。その人にはその人なりの肯定的な意図があるので、それを一度は聴きたいなと思うんですよね。

そうすると「聴く」こととの接点が見えてくる気がしていて。「聴く」こととその人の言っている主張をぶつけ合う。例えば昨日、たまたま社内のSlackで「ちょっとこういう情報がありませんか」という声が顧客接点をしているチームから上がってきたんです。

ある会社で、代表と経営企画の部長、推進している経営企画の担当者がエールのサービスを入れたいと思っている。だけど現場の部長会で共有すると、「いや、こんなにくそ忙しいのに、そんな研修を新たに課長層に入れるなんて逆効果だ」と部長陣に反対されますと。

「こういう状況の時にはどうしたらいいでしょうか」「良い事例はありませんか」という話があったんです。部長には部長に見えている世界、景色があって「忙しいからこれを受けさせない」と。この同じ次元で戦ってもどうしようもないんですね。

ただその部長陣の意見を聴きにいくのではなくて、適切に「聴く」ことを活用できると、良いコミュニケーションになる。「聴く」に興味がない、関心が薄いという人は「聴く」ことが嫌いなんじゃなくて、効果が出ないことが嫌いなわけです。そのへんを丁寧に取りにいくことが1つ大事なのかなと……。

篠田:なるほど。

相手の意見をジャッジせずに「聴く」ことの大切さ

櫻井:まずスタンス的にはそう思います。あとは絶対にデータで示したほうがいいなと思う。簡単に言うと、データはわかりやすいじゃないですか。

篠田:確かに。

櫻井:例えばエールでエンゲージメントの指標が上がりました。エールを受けている人と受けていない人で、エンゲージメントの指標が変わります。(具体的には)会社の組織長が「聴くトレ」という管理職の聴く力を上げるサービスを受けると、「その組織のエンゲージメントスコアが上がります」というものだったり。

あとは「心理的安全性のスコアが上がります」「ウェルビーイングのスコアが上がります」というスコアを定量的に出したり。こういったものをお渡ししながら説明に行く。特に会社の中には重要指標があると思うんですよね。

会社によって違うんですが、ハラスメント文化のある会社で「心理的安全性が大事だ」ということもあれば、エンゲージメントのサーベイを全社に導入しているので「エンゲージメント指標が大事だ」というところもある。会社によって重要な指標が違うと思うので、そこのデータを示していけると理解してもらいやすい。そのへんの後方支援をしているケースはよくあります。

篠田:まず1個目からいくと、「聴く」を取り入れないと言っている人の「肯定的意図を問いましょう」というのは、本当にミイラ取りがミイラになることの逆というんですかね。

櫻井:禅問答のような(笑)。

篠田:私は幸いエールという場所に出会って、「入れて?」と言ったら櫻井さんが「いいよ」と言ってくれたからここにいるんですね。思いっきり(聴くことが)大事だと言い合える仲間とともに過ごせているわけです。でもそうじゃない状況で「何でみんなはわかってくれないんだ」と言っている場合は「相手の肯定的意図を取れていないですよね?」というトラップね。

いやぁ、耳が痛いというか。いや、これは本当に難しいですね。まさに「肯定的意図を取るwithout ジャッジメントです」とこの本で再三書いているけど。

そのすばらしい例がこれです。今こうやって「組織にもっとこう浸透させたいのに」と言っているみなさんも、自分としては「聴く」が大事だとジャッジをしている。そのジャッジに基づいて周りの人の「いや」という声を聴いちゃって、「本当にもう……」と言っていませんか? そういうことなんですね。

櫻井:自分もよくやるなと。実際にここに集まった方々の横のつながりも大事だと思うんです。でもこういう場で「大事だよね」ということを再認識しながら、そうではない人たちの意見をちゃんと聴きにいく姿勢も大事。あとは事例を持って説明しにいく共同体みたいなものも大事なんだろうなと。

「聴く力」は3つの要素の掛け算

篠田:あらためてはじめにみなさんにお答えいただいたのを思い出すと、やはり半分の方はこの本を読んでいないので……。この本ですごく丁寧に(説明)している「肯定的意図」という概念をポロッと言ってしまったんですけど、これが何のことなのか、櫻井さんにお話をいただいてもいいですか?

先ほどどなたかが「櫻井さんの非言語コミュニケーションがすごい」と書いていたんですけど、(本を)読んでいたとしても、櫻井さんが語るのを(直接)聴いていただくことで、また違った理解が生まれる可能性があるかなと。

櫻井:そうですね、「肯定的意図とは何だろう」という話ですよね。この本では聴く力というのを「あり方」と「やり方」と「コンディション」という3つに因数分解をしていて、「この3つの掛け算で聴く力は定義されています」と書いています。

その中の「あり方」に肯定的意図という信念を持つことが書いてあるんですね。肯定的意図とは、どんな行動や振る舞いにも必ず肯定的な意図があるという信念のこと。信念とは思い込みだったりするので、それが正しいかどうかはわかりません。でもそういう信念を持っていたほうが「聴く」ことにはポジティブな影響があるんじゃないかなと僕は考えています。

肯定的意図という概念は、もしかしたら心理学を学んだ方だとご存知かもしれませんが、NLP(神経言語プログラム)の開発者の一人ロバート・ディルツさんの文章が一番わかりやすいなと思って、本ではそれを引用しました。

攻撃的な行動の裏にある「肯定的意図」

櫻井:例えば人に対して何か攻撃的な行動をする背後には、「自分を守りたい、保護したいという肯定的な意図があります」と書かれています。

篠田:ちょっと待ってください。自分を守りたいのは肯定的意図と捉えるんですか? こっちから見ると「そうやって自分を保身して、なんなわけ」という。

櫻井:そうなんです。その人にとっては自分を守る意図があるから攻撃をすると。他者から見るとわからないんですけど、その人なりには肯定的な意図があるという捉え方をします。

篠田:その人自身が自分にとって良いものを、肯定的意図と言いますと。私から見たら、もう「攻撃しやがって」と思うけど。

櫻井:そうなんです(笑)。

篠田:私がどう思うかじゃなくて、「その人が自分にとって良かれと思ってやっていますよね」ということですね。

櫻井:そうです。この続きがまさに今篠田さんが言ってくださったことで、その肯定的意図とは自分が認識できる範囲、自分が共感できるシステムに対してのみ影響するものなんです。そこから外のものには、非建設的な行動だったり良くない行動だったりするかもしれない。でも「この自分の範囲に対して肯定的な意図を持っています」と書かれているんですね。

攻撃する人は、あくまで自分の範囲を自分だけで捉えていて。もうちょっと広く自分のシステムを捉えている人でも、その範囲では肯定的意図を持っていても、その外には持っていないと。

だからロバート・ディルツさんが書かれているところで言うと、ヒトラーのような社会的には良くないことをした人でも、その人の世界の中では共感するシステムに対して肯定的な意図を持っている。

もうちょっと身近な例で言うと、例えば万引きをする子どもとか、会社で営業の人が開発の人を「あいつらはもうくそだ」という場合も、その人が共感するシステムに対しては、何かしらの肯定的意図を持っているんだという概念です。

「行為」と「意図」は切り分けて扱う

櫻井:ただ「肯定的意図を持っていることと、その行為を承認することは別の話ですよね」とも書いてあります。だから自分のシステムに対して肯定的な意図を持っているからと言って、「その行為を肯定しますか、承認しますか」というと、そうじゃないですよね。

篠田:先ほどの万引きの話みたいなことですか?

櫻井:万引きの話もそうですし、人を殴る話もそうなんですよね。「その行為と、その人の意図を切り分けて扱いましょう」と書かれているんです。これが「聴く」ことでもすごく大事だなと思っていて。

だから「『聴く』のは大事じゃん」と言っている人が、「『聴く』なんて関係ねぇ」と言っている上司に対して、「その上司なりの(肯定的な)意図がある」という意識を持って関わるのか関わらないのか。これはすごく大きな差がありますよね。

例えば上司と部下だとして、部下がチームに対する批判的なことや文句を言ってきました。上司からすると、「もうこいつ、ぜんぜんわかってねぇな」という気持ちになるかもしれないんだけど、部下には部下なりの肯定的な意図があって発言をしている。部下にしか見えていない景色がある。

だから「その意図は受け取る姿勢でいましょうよ」と。でも、その意見を鵜呑みにして、チーム運営の指針にするかと言ったら、それは関係ない話ですよね。

つまり「行為と意図を切り分けましょう」ということが書いているんです。「聴く」上では、肯定的意図という信念を持っているか持っていないかは、かなり大きな差になります。

篠田:ありがとうございます。今櫻井さんの話を聴きながら、何人かの方が「こういうことですかね」と解釈やコメントを書いてくださっていて。私もこれを見ながらより自分の理解が深まったので、ぜひみなさまも最後の4、5個のコメントを見ていただければなと思います。