無数の会社の中から、たった1社を選ぶ就職活動の難しさ

中村直太氏(以下、中村):今回の言葉は、「最初の仕事はくじ引きである」です。みなさんはこの言葉をどのように受け取られたでしょうか?これは、経営学の父と呼ばれる経営学者ピーター・ドラッカーの言葉です。最近だと、くじ引きじゃなくて、ガチャに例えるほうがしっくりくるかもしれませんが。

つまり、「どんなに一生懸命に自己分析をして、企業研究をして、OB訪問をして、インターンをして、いろんなことを積み重ねたとしても、最初から自分に適した仕事に就く可能性は決して高くないよ」ということを示唆する言葉です。自分の就職活動を思い返してみても、結局はそんなものだったかなと思います。

親のすねをかじりながら、理系の大学院まで修了させてもらいましたけれども、実際に研究活動をやってみて、自分にはメーカーエンジニアの仕事が合わないと思っていました。学生の95パーセントが理系就職をしていく環境で、直前で文系就職に切り替えて、たくさんの企業を回りました。しかし、結局は自分が何をやりたいのか、何でなら力を発揮できるのか、そんなこともわかりませんでした。

最終的には運良く内定の縁をいただいて、ビジネスの内容とか、挑戦的な社風とか、そこで働く人の雰囲気(を見て)、実際は面接官にしかお会いしてないんですけれども、そこに入社させていただくことに決めました。結果的にはその選択は良かったと思っていますが、リアルな意思決定のプロセスは、恥ずかしながら今話したような感じでした。

開き直ってみると、よくわからない自分で、無数にあるよくわからない会社や仕事の中から、その1つを選ぶ行為が就職活動だと思うので、そもそも合理的に見つかる道理がないんじゃないかなと思えるわけです。

そのように自分の経験に照らしてみても、「最初の仕事はくじ引きである」というドラッカーの言葉はとても共感できます。みなさんの最初の仕事選びはどうだったでしょうか? くじ引き的な要素があった方が多いんじゃないかと思います。

「仕事選びに失敗した」という人に必要な、割り切る姿勢

ではここからは、「最初の仕事はくじ引きである」というドラッカーの言葉から、私たちは何を学び、どう役立てることができるのかを考えてみたいと思います。

まず1つ目は、就職に失敗した、あるいは今の仕事選びに失敗したと思う方がいらっしゃいましたら、過度に自分を責めることなく、「仕事選びとはそんなものだ。くじ引きのようなものだ」という割り切りが重要だと言えます。

「自分は見る目がない」とか「自分は努力不足だった」という話ではなくて、「仕事選びはくじ引きである」。つまり自分の力が及ばない要素が多分に含まれているということです。よくわからない自分で、よくわからないものを探す行為が「仕事選び」なんだと思います。

そんな割り切りを持つことも1つ大事なのではないかなと思います。そして、「仕事選びがくじ引きである」という前提に立った時に、私たちは前に進むことができると思います。

2つ目に学べることは、「くじ引きの結果を受け入れた上でどうするか」を考えることです。私たちにできることは、くじを引くことだけではありません。引いたくじでより良く生きていく努力ができます。与えられた条件の中で、最善を尽くすということです。

「くじ引きに失敗したな」と悔やんでいる間は、そんな考えをする余裕がないと思うんですけれども、「これが自分に与えられたくじなんだ」といったん受け入れて、その瞬間から「自分に何ができるのか」を考え始めることができると思います。

楽天の創業者である三木谷(浩史)さんが、こんな話をされていました。「おもしろい仕事があるわけではない。仕事をおもしろくする人間がいるだけだ」。まさにその通りだなと思います。

言い換えると、「当たりくじがあるわけではない。引いたくじを当たりに変える人間がいるだけだ」。そんなものの見方を教えてくれます。より良いくじを引くための努力も大事ですけれども、引いたくじをより良いものに変えていく力が私たちにはあると思い出してみるのも、1つ大事なことだと思います。

くじ引き的要素を薄めるためのポイント

そして3つ目は、ドラッカーが「最初の仕事はくじ引きである」と言うように、「最初の仕事は」という点に注目してみたいと思います。その真意はわかりませんが、「くじ引き的要素は徐々に薄めていくことができる」という意図が込められているんじゃないかなと私は解釈します。

よくわからない自分で、よくわからない仕事を選ぶということの、「よくわからない」度合いを弱めていくことができる。そういうことだと思っています。年を重ねるにつれて、私たちは知恵を身に付けていきます。それは自分への理解や、社会・仕事への理解が深まっていくことだと思います。その結果として、良いくじを引ける可能性が高まっていくことを示唆しているのだと思います。

ただここで注意したいのは、自己理解も社会・仕事への理解も、ただ年を重ねるだけで自然と深まっていくものではないということです。それどころか、年を重ねるごとに自分が凝り固まっていき、自分が生きる環境が狭まっていく。そんなケースも少なくないのではないかと思います。そこで最後に、自分や仕事への理解を深めていくために、2つのことをお勧めしたいと思います。

まず1つ目は、今の環境を飛び出して、非日常の新しい環境に飛び込むことです。相対する人や身を置く環境が変わると、強制的に新しい自分や新しい世界に出会うことになります。場の力を借りながら自分や世界を変えていくことは、極めて有効な手段だと私は思います。

見方を変えると、凝り固まった自分を変えていくということは、場の力、つまり強制力を必要とするほど難しいものだと思います。生活の場と、職場以外に新しい刺激を与えてくれるコミュニティに飛び込むことを、まずお勧めしたいと思います。

何かに全力を尽くした時こそ、自己理解が深まる

2つ目は、目の前の仕事や活動に全力を尽くすということです。体験的な話で恐縮なんですけれども、自己理解や仕事理解が深まりやすい瞬間とは、何かに全力を尽くした時が多いように思います。

恐らく自分を出し尽くす過程で、自分の本質に触れることができたり、全力でそれと向き合ったりするからこそ、深いところでそのおもしろさを理解できるような体験があります。

「いろいろ辛いことがあったけど、自分が一皮むけて成長した」とか「いろいろ苦労はしたんだけれども、その後に見える世界が変わった」とか、みなさんもそういう体験をいくつもお持ちだと思います。恐らくそのような体験をされた時には、全力を尽くして事に当たっていたのではないでしょうか。

まとめます。あらためて、今日の言葉は「最初の仕事はくじ引きである」でした。その言葉から学べたことは、1つ目は「仕事選びはそもそもくじ引きである」という認識を持ち、受け入れてみようということ。2つ目は、その認識を受け入れた上で、引いたくじをより良いものにするために、与えられた仕事に最善を尽くそう。

そして3つ目は、徐々にくじ引き的要素を薄めるために、自己理解と社会や仕事への理解を深めていこう。そのために、今の環境を飛び出し、非日常の新しい環境に飛び込もう。目の前の仕事や活動に全力を尽くそう。そんな話でした。

さあ、みなさんはいかがでしょうか?「最初の仕事はくじ引きである」という言葉から、みなさんは何を学び、どう役立てられそうでしょうか?もしピンとくるものがあれば、考えてみてください。