人を招く習慣のある家庭に育つ

アマテラス:まず、勝見さんの生い立ちについておうかがいします。現在につながる原体験のようなものがあれば、教えてください。

勝見祐幸氏(以下、勝見):私は、田舎のサラリーマン家庭で生まれ育ちました。愛情深い父母、そして兄と私という4人家族です。今の私の人格形成は、私のことを無条件で愛し続けてくれた両親の影響が大きいように思います。

父は電機メーカーで貿易の仕事をしていたため、度々海外出張で家を留守にしていました。大きなスーツケース片手に空港へと向かう父の背中を見ながら、海外への憧れめいた気持ちを育んでいました。

父は人付き合いもよく、週末には会社の仲間や部下たちがよく家を訪れていました。また、母も社交的な人だったので、趣味の料理を活かして、近所の子どもたち向けに教室を開催していました。今思い返しても、人の出入りが多い家だったと思います。

小学校時代、私の一番の憧れは和田アキ子さんでした。自宅にたくさんの人を招き、いつも宴会をしている姿を「月刊明星」で見るたび、自分もその一員に加わってみたいという思いを抱いていました。

その夢を本気で叶えようと一時期はマスコミ業界への就職を目指していたのですが、大学時代にマスコミ就職予備校に通う中で自分のクリエイティビティのなさを痛感し、結局まったく異なるキャリアを選びました。

ただ、今ではホームパーティを定期的に開催し、芸能人の方を家にお招きすることも多いですし、音楽関係のつながりもたくさんできたので、当時の夢はある程度実現できました。私は人のつながりに支えられているとあらためて思います。

東大を出て、三菱石油に就職

勝見:両親からは一度も「勉強しろ」と言われたことはありませんでしたが、先に東京大学に進学した兄を追いかけて、1年浪人した後、私も東京大学へと進学しました。マスコミ業界への道を断念した後は、休みの度にバックパッカーとして世界を放浪する学生生活を送りました。

何十カ国と巡りましたが、宿はいつもドミトリーかユースホステルを使っていました。旅をするごとに、さまざまな国の方と新たに出会い、仲を深めて一緒にご飯を食べるのが本当に楽しくてたまりませんでした。後に人材紹介業の道を選んだのも、この時の経験があったからでしょう。

子どもの頃から海外への憧れはありましたが、バックパッカー経験を通じて「海外で生活してみたい」「できればビジネススクールに通ってMBAを取得してみたい」といった思いがより強くなっていきました。

そこで就活の際も、OB訪問のたびに「留学に行きたい」という要望を伝えてみたのですが、どの会社でも無理だと言われ続けました。そんな無理を唯一前向きに検討してくださったのが三菱石油株式会社でした。

三菱石油では当時、東大の教育学部出身の先輩が採用責任者をしていたのですが、私のことを高く評価していただき、「海外事業にも関わってもらうし、一定期間経てば留学のチャンスも提供するからぜひ来てほしい」と言ってくださったのです。

転職した外資戦略コンサルで経験した自己不信と絶望

アマテラス:三菱石油に入社された後、国際大学のビジネススクールへと社費留学してMBAを取得されたとうかがいました。そのあたりの経緯を教えていただけますか?

勝見:社費留学の機会をいただいたのは、三菱石油に入社して4年目の秋でした。留学期間は2年間で、その間にバルセロナでの半年間の交換留学も経験しました。

留学先の国際大学は新潟にある大学院大学なのですが、学内の公用語を英語にした日本初の高等教育機関として知られており、グローバルリーダーの育成にも定評があります。教員も全員アメリカの大学から招聘された方ばかりだったので、多様な価値観が入り交じる非常にグローバルな環境で学ばせてもらいました。

クラスメートも7割が外国人だったので、一緒にドミトリーで暮らしながら、互いに交流を深めました。また交換留学中も、さまざまな国の交換留学生たちを家に呼んではお好み焼きなどをよく振る舞っていました。人と出会い、つながりを作っていくことは本当に楽しい。そう再認識させてもらった2年間だったと思います。

2年間の留学が終わった後、当初はそのまま三菱石油で働き続けるつもりでした。上司との関係も良好でしたし、仕事には何の不満もなかったからです。

ところが、いざ戻ってみると会社のカルチャーが180度変わってしまっていました。業界トップの同業他社に吸収合併されたことで、ある程度年次を経ないとチャレンジが認められにくい体制になってしまったのです。私がもともと年功序列や終身雇用を好まない気質だったこともあり、戻って半年で転職を決意しました。

転職を決めた当初、私が考えていたのは「前向きに仕事をして、自分が納得できる成果を出したい」ということだけでした。過去のプロジェクトでコンサル会社の方々がいきいきとお仕事されていた姿が印象に残っていたことから、転職先に外資戦略コンサルを選びました。

ところが、転職後に待っていたのは強烈な自己不信と絶望でした。自分のバリューをまったくと言っていいほど発揮できず、与えられた役割を果たせなかったのです。これまで築き上げてきたスキルや経験が、何もかも崩れ落ちていくような感覚に襲われました。

結局コンサル会社は7ヶ月で退職し、その後転職した半導体メーカーでも自分が自分でないような感覚に苛まれ続けました。そこからうつ病を発症し、回復するまでには1年以上かかりました。

起業から20年以上続く、月2〜3回のホームパーティ

勝見:当時たまたま毎週通っていたレストランで得たヒントをもとに起業を志し、ビジネスモデル特許を申請するまでは本当に山あり谷ありの連続だったように思います。

本格的に起業準備を進め出した頃から、月2〜3回のペースでホームパーティを開催し始めました。毎回半分は新しい方をお招きするというのを唯一のコンセプトに、現在に至るまで、かれこれ20年以上続けてきました。おかげさまで、今日に至るまでたくさんの出会いに恵まれてきたと思います。

アマテラス:最初の起業でジェイブランディング社を立ち上げられたのが2001年とのことですが、そこから現在の卵子凍結事業に至るまでにはどのような経緯があったのでしょうか。

勝見:ジェイブランディングでは当初、人材紹介業やキャリアコンサルティング事業を手掛けていました。一人会社ということもあり、そこから関心の向くままにフットワーク軽く、さまざまなビジネスにチャレンジし続けてきました。

具体的には、ベンチャーの立ち上げ支援や婚活支援、音楽事務所の経営支援、文科省の「トビタテ!留学ジャパン」の立ち上げ支援、赤阪BLITZでの音楽ライブ主催、日本ガストロノミー協会の立ち上げ、英国製少量生産車の輸入販売、eモータースポーツ事業の立ち上げ、軽井沢駅前でのレストランの経営などを行ってきました。

独立してからの20年を振り返ると、小さな挫折や失敗は数えきれないほどありましたが、人のご縁に恵まれたおかげで、それなりに充実したビジネスライフを送っていたと思います。そうしてあっという間に50歳になり、人生100年時代の折り返しを迎えました。

転機となった六本木ヒルズでのランチ

勝見:「後半生で少し大きなチャレンジをしてみたい」。 そう考えていた私にある転機が訪れました。2019年の年末に六本木ヒルズでランチをしていた折、留学帰りの友人がキャリア相談の流れから「卵子凍結をやりたい」と言い出したのです。

卵子凍結というソリューションを私はその時初めて知ったのですが、ちょうどランチに同席していたコンサル会社の社長から「アメリカではすでに卵子凍結が会社の福利厚生制度として一般的になりつつある」と教えていただきました。

私自身、妻と不妊治療で3ヶ所のクリニックにお世話になった経験があり、7年かけてようやく子どもを授かりました。また、キャリアコンサルタントの仕事をする中で、非常に多くの女性から結婚・出産・育児のタイミングに関する悩みも耳にしてきました。

だからこそ卵子凍結が日本の最大の社会課題である少子化の解消に非常に有用なアプローチだとすぐにわかりました。それなのになぜ、日本ではそのソリューションを当たり前に使うことができないのか?

その疑問について、その翌日、親しくお付き合いをしていた三楽病院産婦人科部長の中林稔先生にお話をうかがいました。さらに生殖医療の専門医の友人たちにもアドバイスやサポートをいただきながら、現場に関わるさまざまな立場の方にヒアリングを重ねていきました。

医療者ではない我々の立場でどんなことができるのか。ひたすらにアイデアを出し、ディスカッションを続けながら、事業をかたちにしていきました。

幾度となく大きな壁にぶち当たり、正直なところ事業化を諦めかけた局面もありましたが、当社のファウンダーでもある中林先生や生殖医療業界を代表するドクターの一人である杉山力一先生をはじめ、さまざまな方々のお力をお借りしながら2020年8月に会社を設立しました。

初期メンバー全員に去られたことで得た気づき

アマテラス:医師ではない勝見さんが医療業界でビジネスモデルを確立するまでには、非常に多くの苦労があったのではないかと思います。特に苦労された点があれば教えてください。

勝見:一番苦労したのは組織づくりです。20年間人材紹介業をしていたにも関わらず、長年会社を一人で回していた私にとって、人を雇用するというのは未知の経験ばかりでした。

最初に組織を作るにあたって、当時の私はたまたま近くにいて、かつちょうど次の仕事を探しているという人に声をかけました。当社のミッションはその意義が分かりやすいため、多くの方が賛同くださり参画してくれました。

しかし、会社のミッションに共感し、私と波長が合う人がビジネスパートナーとして適切かというと、残念ながらそんなことはありません。一緒に仕事をしていく中で次第にズレが生じていき、最終的に初期メンバーは全員いなくなってしまいました。

組織づくりの過程で必要な想像力や洞察力が自分には欠けていると否応なく気づかされました。自分に人を見抜く力はない。その事実を認めた上で、同じような採用の失敗を繰り返さないように役割分担を変えました。

当社に関心を持ってくれた方のうち、経歴的におもしろそうだと思ったらまずお会いして、私から事業にかける思いをお話しします。そこから先のスクリーニングについては、私以外の経営メンバーに任せるようにしました。このやり方を採用してからは、目立ったミスマッチは防げています。

組織を強固にしていくという点は今後も大きな課題なのですが、採用面についてはアマテラスにお願いしてから上手くいきやすくなったと思います。

卵子凍結への保守的な反応の中で生まれたブレイクスルー

勝見:その他にも苦労したこととして、卵子凍結という新しいソリューションに対して保守的な反応が多く、思うように導入が進まなかった時期が1年半ほどありました。

その当時は「福利厚生制度は平等であるべきなのに、一定年齢以上の女性しか使えないサービスは不適切ではないか」という意見や「子どもを持たずに働いてほしいというメッセージにならないかが心配」といった声を人事の方からよく聞きました。

2021年5月にメルカリが「1人当たり200万円まで卵子凍結の費用を補助します」という制度を始めた時には、これで火がつくのではないかと期待したのですが、想定を遥かに下回る反応しかありませんでした。

そんな状況でしたから、サイバーエージェントの藤田晋氏が事業の意義を理解してくださり、グレイスグループに資本参加をすると共に、サイバーエージェントの社員を弊社に出向させてくれたこと、さらに、卵子凍結費用補助制度の導入を行ったくれたことが、大きなブレイクスルーになりました。

そこからは、以前からお付き合いのあるセガサミーホールディングスの里見治紀代表取締役に導入を決めてもらったり、里見社長からジャパネットホールディングスの高田社長を紹介してもらって、出資と合わせて制度導入してもらったりと、大企業での制度導入もようやく拡大し始めたところです。

アマテラス:医療分野は行政との関わりも深いかと思いますが、そこに向けた働きかけなどがあれば具体的に教えてください。

勝見:たとえば東京都が開催する卵子凍結の勉強会に参加させていただき、企業の福利厚生導入事例のご紹介や、施策の提案もさせていただきました。結果、都の新年度予算では卵子凍結への補助が計上され、本格的な制度導入に向け、現在も継続的に意見交換の機会をいただいています。

また、他の自治体ともやり取りを続けており、現在前向きに話が進んでいます。東京や主要都市の政策が変わっていけば、日本全体が卵子凍結に対してより前向きになっていくのではないかと予測しています。

さらに、企業のほうでも複数の大手企業で制度導入の検討が進んでいます。2年近く悶々としていた時期は正直苦しかったですが、ようやくここから日本社会を大きく変えていけると感じています。

日本は世界で最も不妊治療の件数が多く、先進国の中では最も女性の活躍が遅れている国です。男性が決して引き受けることができない生理や妊娠・出産といった部分をきちんと社会がサポートしていくことで、男女ともに同じ土俵で活躍できる場を作りたい。

それがグレイスグループの目指す未来です。そのための第一歩として、3年後には卵子凍結が当たり前の選択肢になるように引き続き取り組んでいきたいと思います。

ミッションの実現に向けた動き

アマテラス:グレイスグループ社は、卵子凍結事業に特化している印象を持っていましたが、現在の事業はあくまでも入口ということでしょうか。

勝見:グレイスグループは「子どもを持ちたいと願う一人でも多くの女性の夢がかなう未来の創出」というミッションを掲げています。このミッションの実現には、卵子凍結事業だけでは到底足りません。

少子化への抜本的なアプローチとして、大切なのは日本のジェンダーギャップの是正とヘルスリテラシーの向上だと私は考えています。世界経済フォーラムにて公表された各国の男女格差を測るジェンダーギャップ指数を見ると、日本は先進国の中でも最低レベルであることがわかります。

月経・妊娠・出産など女性特有の医学的な機能にまつわるさまざまな負担やリスクを予防医療のアプローチから軽減することができれば、ジェンダーギャップが是正され、すべての女性が将来の選択肢を自由に選べるようになる。私たちはそんな未来を本気で目指しています。

卵子凍結事業はあくまでも入口にすぎません。グレイスグループは今後も、日本の産科・婦人科の先生方のご協力やアドバイスをいただきながら、より多くの方が使いやすい仕組みを作りたいと考えています。

自分の仕事が誰かの幸せに直結しているという実感

アマテラス:最後に、グレイスグループ社の今後の展望について教えてください。

勝見:将来的には、婦人科や産婦人科に留まらず、より多くの方に力を貸していただきながら、予防医療を通じてよりよい日本の未来に貢献することが私たちグレイスグループの目標です。すでに構想はできあがっていますし、それを実現していくための人脈も過去20年の間に築いてきました。後はさらに組織を強化しつつ、アクションを起こしていくのみです。

「思いついたらすぐやる。やらない理由を探すな。できる方法を考えろ」というのが私のポリシーなのですが、人生をかけて実践してきたこの価値観を、今後はより会社のカルチャーとして落とし込みながら、組織づくりに励みたいと思います。

オフィスがクリニックと隣接しているため、卵子凍結を希望される患者さんの姿も私たちは見ることができます。グレイスグループは業務委託の方を入れて20名程度の小さな会社ではありますが、自分がやってることが誰かの幸せに直結しているというのを日々感じながら仕事ができるという意味では非常に恵まれた環境だと思っています。

また、不妊治療業界でトップの先生方と手を携えながら、日本の医療を変えていくようなビジネスができる環境なんてどこを探してもないはずです。私には三人の娘がいますが、この仕事を通じて女性がより活躍しやすい未来を娘たちに残してやりたいと切に願っています。

仕事とは自分が得意なことで誰かを幸せにするための行為だと私は思っています。だからこそ、グレイスグループで働くメンバー一人ひとりにはなぜ自分がこの仕事をするのか、その意味をきちんと考えてもらえたらうれしいです。

アマテラス:本日は貴重なお話をありがとうございました。