コミュニケーションは聴き手のスキルや姿勢が重要

篠田真貴子氏:じゃあここで言っている「聴く」とは何か。実際にそれをやるとはどういうことなのかをお話しして、私の講演パートをおしまいにしたいと思います。

「聴く」というのは、当然コミュニケーションの一部ですよね。コミュニケーションはよくキャッチボールに例えられます。話し手が球を投げるほうで、聴き手が捕るほうです。ここで本物のキャッチボールをイメージしてください。

キャッチボールが楽しくうまく続く時って、捕るほうのやる気とか力量がすごく大事ですよね。投げるほうのコントロールが多少悪かったり、球の勢いが弱かったりしても、捕るほうがそれをちゃんとキャッチして楽しそうにまた投げ返してくれたら、キャッチボールは楽しく続くわけです。

これはコミュニケーションも一緒で、話すほうももちろん大事ですが、聴くほうのスキルや姿勢がどのようにあるかで、もっと良くなるポテンシャルがあるんですね。

でも、みなさんはコミュニケーションの課題に直面した時に、「どうやって話すか」とか「いつ話しかけるか」。なんなら「私じゃ駄目だから、山田さんから言ってもらえませんか」というように、「誰が話すか」にはものすごく工夫を凝らすんですけど、「どう聴くか」に注意を向けたり工夫をしたことって、おありでしょうか?

私も「聴く」ということを知るまでは、あまりありませんでした。私自身あまり聴けない人間だったのですが、おかげさまでいろんな経験あるいは幸運な出会いがあって、そこが大事だと知るようになりました。ですので、過去の自分を振り返ると、ぜんぜん聴いていない。

あるいは聴いているようで聴いていないことが、けっこうあったなと思います。一見聴いているんだけど、次に自分が言いたいことで頭がいっぱいになってしまっている。これは聴いているようで聴いていないんですよね。

「聞く」と「聴く」の違い

私が監訳した『LISTEN』では、「きいているようできいていない」例として、「ずらす対応」を紹介していました。例えば、ジョンが「先週、うちの犬がいなくなっちゃったんだ」という話をした時。「ずらす対応」では、メアリーが「うちの犬はいつもフェンスの下を掘っているよ」と言って、メアリーの犬の話にずらしちゃっている。

これでは駄目で、目指したいのは「そうなの。で、結局どこで見つかったの?」と、ジョンの犬の話を受け止め続ける対応です。これをせずに「ずらす対応」をしてしまうと、やはり「きいているようできいていない」になってしまうんですよね。

私はエールで仕事をする中で、これらを避けてちゃんと耳を傾けた場合、実はここには2種類あることを知りました。これは、「きく」にジャッジメントが含まれるかどうかで分かれます。まず左側の「聞く」、with Judgement、つまり判断をしながら聞く、ですね。ここには門構えの「聞く」の字を当てています。

「やっぱり子どもには小さい頃から英語を学ばせるべきですよね」というのに対して、聞き手が「そうですよね」、あるいは「そうですかね」と。ちゃんと聞いているので口を挟んだりしないのですが、自分の価値観、考えに照らし合わせて感情が動き、それが表情とか身振り手振りに表れます。

これに対比される聴き方が、右側のwithout Judgementの「聴く」です。要は判断をいったん留保する聴き方で、漢字では耳へんの「聴く」を当てました。これは話し手が同じように話した時に、聴き手が「そういう考えなんですね」「もうちょっと教えてください」「そう思った背景を聴かせてもらえませんか?」と対応する態度です。

聴き手はもしかすると、子どもの英語教育に関してまったく違う考えを持っているかもしれないのですが、その考えをいったん留保する。脇に置いている態度です。別の言い方をすると、with Judgementの聞き方では、聞き手の関心は話している人自身に向いています。

4割の人が、自分の話を「聴かれた」という感覚がない

それに対してwithout Judgementの聴き方は、聴き手の関心事が話し手と同じ方向を向いているんですね。話し手の関心事に向いている。イメージとしては、このディスプレイに話している人の関心事が写っていて、2人で並んで見ている。あるいはホワイトボードにそれが書かれていて、並んで見ている。こんな感覚です。

これを、『LISTEN』では「聞くには好奇心が大事です」と言っていて、「好奇心」という言葉がなんと35回も出てくるんです。「フラットに『おもしろいな』と思って見る態度が大事ですよ」と言っているわけです。

じゃあここでまたちょっとみなさんにうかがってみたいと思います。今「聴く」ということが、これからの管理職に大事で、「聴く」とはどういうことかというお話をしました。どうでしょう、みなさん最近、誰かにじっくり話を聴いてもらっていますか?

選択肢は「最近聴いてもらった」「昔、聴いてもらった」「あると思うがいつだか覚えていない」「聴いてもらったことはない」。これは職場の方だけじゃなくて、プライベートのご家族とかお友だちでもいいです。without Judgementで聴いてもらっていますでしょうか。

一定数回答が集まったようなので表示をお願いします。「最近聴いてもらったよ」という方が4割、「昔、聴いてもらった」という方が19パーセント、「あると思うがいつだったか覚えていない」という方が33パーセント、そして「聴いてもらったことはない」という方が9パーセントです。

こうやって見ると、「聴いてもらったことはない」、あるいは「ちょっと覚えていない」という方だけでもう4割を超えていますし、「最近はない」という方も2割いらっしゃる。そしてもちろん「聴いてもらった」という方もいらっしゃるんですけど、実は「聴く」って簡単なようで意外となされていないんですよね。

相手の話を「聴く」ために大切な信念

じゃあもう1問いきましょうか。「あなたは最近、誰かの話をじっくり聴きましたか?」。今度はご自身が聴いたかという問いかけです。これも相手はどなたでもかまいません。会社・職場の方以外にも、ご家族、お友だち、近所の方、なんでもけっこうです。

「最近聴いた」「昔だが、聴いた」「あると思うけどいつだか覚えていない」、あるいは「聴いたことはない」、この4つの中で選んでみてください。

「最近聴いたよ」という方が62パーセント、「昔だが、聴いた」という方が16パーセント、「あると思うがいつだか覚えていない」が12パーセント、そして「聴いたことはない」という方が10パーセントいらっしゃいました。ありがとうございます。

「最近聴いたよ」「昔だが聞いた」という方、「聴く」ということ自体がどんな経験だったか、思い出してみていただけますでしょうか。こうやって今ご自身の聴かれた経験、聴いた経験、その時の感情とか肌感覚を思い出していただいて、最後に実際「聴く」ってどういうことなんだろうということを少しお話ししていこうと思います。

聴く力に、「あり方」と「やり方」があるとすると、実は「あり方」が先なんですね。「やり方」は後です。もしかすると職場で傾聴というかたちで聴き方の研修を受けたことがある方もいらっしゃるかもしれません。そうすると「『やり方』のほうに傾くきらいがあるのかな」なんて思ったりします。

今日は「あり方」の話だけをします。「あり方」は、ここに書いてあるようにご自身の信念とか、ある種思い込みのことなんですね。without Judgementで聴くことに大切な信念は、肯定的な意図です。つまり(聴き手が)、「話し手は、話している時に肯定的な意図を持っている」と信じる。こういうあり方です。

受動的な態度、相手に従うこと…「聴く」にまつわる誤解

別の言い方をすると「相手は正気で、善良で、理もある」と信じて聴く態度なんですね。これだけ言うと、当たり前だと思うじゃないですか。ですが、例えば私自身で言うと、一番難しいのは家族です。

家族が私の気に入らないことを言ったりすると、もう脊髄反射的に「馬鹿じゃないの」「何もわかっていない」と感情がメラメラとなります。でもそれを私に言った家族は別に馬鹿でもないし、何もわかっていないわけじゃないんですよ。

正気だし、善良だし、ちゃんと家族なりの論理があって言っているんですよね。でも、私たちはなにか耳に入った時に、まぁ私ほどひどいことはみなさんないと思いますけど、いつも相手が正気で、善良で、理があると思えているでしょうか。

なぜそれができないのか。いろんな理由があるのですが、先ほどの男女の役割分担に関する、我々を取り巻く環境と同じように、「聴く」ことに関しても、そこから私たちを遠ざける構造がある。聴くことができない価値観を我々が内在化してしまっていると思っているので、そこをご紹介します。

これは私自身の経験でもあるんですけれども、過去「聴く」ことに関していくつか誤解をしていました。まず1つ目、「聴く」は「従う」だと思っていました。子どもの時、大人から「言うことを聞きなさい」と言われるのは、従えという意味ですよね。

そことつながるのですが、自分が部下を持つようになって、部下と1on1、面談をしても、いろんな要望を言ってくれるんですよね。それに対してその要望を私がすべて叶えなければ、上司として信頼を失ってしまう。つまり、部下の要望に従わなければならないという思い込みがありました。

2つ目の誤解は、「聴く」は受動的な態度であるという誤解です。話し合い、会議、商談、そういった場面ではやはりちゃんと話さないと、場を引っ張れない。口をつぐんで聴いているだけだと、相手にイニシアチブを取られてしまう。それではビジネスパーソンとして、やはり失格であろうと考えていました。

「極めて知的な振る舞い」と言える理由

3つ目、「聴く」は知的怠慢だと思っていました。「会議で発言をしないなら出席する価値はない。もう来なくていい」、こんな指導を受けた反動でしょうか。とにかく発言せねばと考え、発言しない人を見て「私はこんなに一生懸命発言しているのに、聴いているだけなんて怠慢じゃないの」と、大変失礼ながら、思っていたわけです。

でもこれは完全に誤解で、今は右のように考えています。まず「聴く」と「従う」は、まったく別です。先ほどの動機面談の例のお医者さんのように、じっくり話を聴いた上で、「でも私は違う考えなんですよ」と伝えることはまったく問題なく成立します。

次にイニシアチブ。こちらの聴く態度で、その場の会話の運ばれ方や、さらにはその関係性のイニシアチブを取れることは十分にあります。みなさんも、これまでのご経験でこういうことはないでしょうか。

一生懸命話している時に聴き手の態度があまりにも冷たくて、だんだんこちらが何を言いたいのかわからなくなってきちゃったり、あるいは相手が恫喝してくる感じで、言いたいことがわからなくなって混乱して、終わってしまった。逆に、聴き手がものすごく温かい態度でじっくり聴いてくれるので、自分でも思いもしないほどスムーズに話ができた。

これはどちらも聴き手の態度によって関係性が大きく変わった例です。つまり聴き方によっても十分能動的にその場、そして関係性のイニシアチブを取ることができます。

そして3点目、もうみなさんもおわかりいただいているかと思うのですが、「聴く」ことは極めて知的な振る舞いです。知性の表れだと思います。自分の考えをいったん留保しながら、別の考えを受け取り、条件反射的に「何もわかっていない」と言うのではなく、冷静にそれを受け取る態度ですから。

このように「聴く」というものが実は誤解されているのはなぜか。私たちが働いてきた環境においては、仕事で成果を上げようとすればするほど、向上心が高ければ高いほど、実は「聴く」から遠ざかるという構造が組織の中にあるからだと思うんですよね。

なので私は「聴く」ことは「賢者の盲点」と言うべきものだと思っています。でも知的なみなさんですから、この構造を知れば「聴く」ことに近づけるように修正できると思っています。

「多様性を力に換える」時代、管理職に必要なこと

ここまで特に「聴く」の「あり方」をお話ししました。時間的に「やり方」のほうは十分にお話ができないんですけれども。「聴く」こと、さらにはその先にある管理職あるいは組織の一員として伝えること。それを両立することに関して、エールの代表の櫻井さんが書いた『まず、ちゃんと聴く。』という本が近日中に出版されます。

もしこの講演を聴いてくださって、今後ご自身の職場の中で試してみたいと思ったら、こちらの本も見ていただければと思います。

ここまで、私自身の紹介、私とD&I、私がこの問題意識をどう持つに至ったかというお話をしました。そしてそれを今度は構造として社会全体に広げて、D&Iは未来社会に、今のバイアスを残さないために必要なんだということ。

私たち一人ひとりはいろんなバイアスや社会の環境に影響されているし、組織自体としてもそういう状況に陥っている。だから、みなさんがもし管理職をやることに躊躇や、力不足、あるいはやりづらさを感じているとすれば、個人だけの責に帰するのではなく、構造的な話だと理解していただきたくて、2パート目の話をしました。

転じて3点目。これからの管理職においては、伝える、強くお手本を見せていくよりも、「聴く」こと。そして「多様性を力に換えていく」ことがこれから求められるというお話をしました。じゃあその「聴く」とは何なのか。それはwithout Judgementで耳を傾け、相手の本当に言いたいことに耳を澄ませる力であると。こういった管理職に私たちがなっていく。

この「多様性を力に換える」時代、管理職は「聴く」「聴かれる」力が必須です。先ほどみなさんにアンケートに答えていただきましたが、「実際に聴いたよ」という方が過去、現在で8割近くいらっしゃるので、ぜひみなさん自信を持って一歩を踏み出していただければと思います。ここまで聴いてくださって、本当にありがとうございました。