育児よりも仕事のほうがずっと楽だった

篠田真貴子氏:その後、おかげさまで結婚もし、子どもにも恵まれました。が、今度は仕事をがんばって続けていこうとした時に、子どもは当然好きで愛情をかけているんですけれども、特に乳幼児ですね。私にとって育児が楽しいかとか、おもしろいかと言われると、正直に申し上げてそうではなかったです。私にとっては仕事のほうがずっと楽だし、楽しかった。

ですけれども、一般的な通念として、なぜか女性は母親になった途端、スイッチが入って、子どものお世話をしたくてたまらなくなるのだという先入観があるように感じていました。そうではない自分をどう表現していいかわからなかったし、まず自分がそういう感覚を持っていることを理解するのに少し時間がかかりました。

例えば保育園のお友だちの家族とお休みの日に公園に出かけたりすると、お友だちのおうちの親御さんが本当に子どもと楽しそうに遊んでいて、うちの子どもとも遊んでくれるんですよ。ありがたいなと思いながら、私はむしろごろっと寝っ転がって本でも読んでいたい。

こういう場面で「あっ、ああいうふうに子育てを心から楽しめる方もいるんだな」「でも私はそうじゃないんだな」と感じたりしました。そんな自分と折り合いながら仕事をし、子どもたちを育てていたんですけれども。子どもが9歳になった時に「(家庭と仕事を)両立って、できないの?」と、ストレートな質問を受けて口ごもってしまったことがあります。

具体的に何が起きたかと言うと、『女性は仕事と家庭を両立できない!?』と書いてあるWebの記事があって、それをパソコンの画面に出していたんですね。私は食卓でパソコンを広げていたので、私の隣に当時9歳の娘がいました。娘はただこれを「『女性は仕事と家庭を両立できない!?』の? ママ」と棒読みしているんです。

それで私はもう脊髄反射的に、心の中では「ママを御覧なさい」というぐらい、自信たっぷりに「できるわよ」と答えました。娘はこの画面を見ながら、本当にまったく他意なく「ママ、家庭のほうはどうなの?」と聞いてきた。

こう聞かれた時に、先ほどの勢いはどこへやら、口ごもってしまったんですね。パッと答えられない自分に驚いて、余計自分の中で混乱が起き、答えられなくなってしまいました。

娘はそんな私の様子にまったく気がつかず、そのままこの見出しを見ながら「ママ、仕事のほうはどうなの?」と聞いてきました。そうしたら、間髪入れずに私は「がんばっているわよ、こんなにできるのよ」と答えられたんですよ。そんな自分が、なんで「家庭は?」と娘に聞かれた時だけあれほど答えに詰まったんだろう。これは何なのかなと、何日も考えていました。

「女性らしさ」に縛られていた自分に気づいた瞬間

これは下の子だったので、もう子どもを育てながら仕事をして十数年経っていたんですけども。それでも社会の中で一般的に期待される男女の役割、あるいは一般的に資質の男女差とされるものですね。

つまり女性は主に家庭を運営し、子育てを担うべきであるという価値観。あるいは女性は生まれつき子育てに向いているのではないかという資質ですね。こういった社会通念が実は私の奥にも根深くあって、本当に自分では日ごろ意識したわけではないんですけども、どこかで本当はそうあるべきなのではないかと考えていた。

それに対して私は妻として、母親として十分できていないのではないか、と自分を評価してしまっていたから、娘からの素直な問いかけにすぐに答えられなかった。要は無意識に自分を縛っていたのではないかなと自己発見したんですよね。

これが、日本で女性として育って、会社の中で一定の責任を持ってやっていくことの難しさについて、より構造的に何が起きているのかに好奇心が向いたきっかけです。そんな私ですけれども、本当におかげさまでいろんな機会に恵まれて現在があるんですね。

これは本当に幸運に恵まれたなと思っているんです。大きく3つお話をしますと、まず20代においては、銀行全体がどうだったかはさておき、少なくとも私が配属された職場においては、男性と同等に仕事の機会を与えられました。海外出張やさらなるチャレンジについても、特に女性だからといってチャンスがないとはまったく感じませんでした。

(スライドの表の)右側に書きましたが、先ほどちょっとお話ししたように、当時はまだまだ性別での役割分担が当たり前の時代です。寿退社が憧れとされてよろこばれる世の中においては、すごくレアなことだったと思っています。

次に30代は、主に外資系企業で過ごしたんですけれども、そういった観点では、ここでは先輩や上司に恵まれました。例えば「どうせ子どもを預けて働くんだから、おもしろい仕事をしたいよな?」と声をかけてくれた男性の先輩がいます。

「子どもを預けて働くのってどうなの」と、女性にちょっと冷たい視線が向いたり、あるいは「預けても大変なんだから、仕事はセーブするほうが幸せだよね」と周りがおもんぱかってしまうのではなく、「そこまでして働くんだから、おもしろい仕事をしたいよね」と、私の気持ちを汲み取ってくれた先輩に恵まれました。

ジェンダーギャップのない世の中を当たり前に

それから、2人目の子どもを持った時、これは(表の)真ん中になりますけれども、女性の上司がいました。その方もお子さんがいて、「妊娠出産にベストなタイミングなんてないんだから、今このタイミングで妊娠したことにとにかく罪悪感を持たないで」と、妊娠を報告した時にまず言ってもらった。これは本当にありがたかったと思います。

この上司をはじめ、本当に尊敬できる女性上司、ロールモデルに私は恵まれてきました。さらに40代で、その後はベンチャー企業で働いているのですが、女性だから時短やフレックスということではなく、全員が働く時間と場所が自由な職場にいられたんですね。

なので、私は子どもの体調が悪ければ家から仕事をすることも、比較的気兼ねなくできる環境に恵まれました。その頃世の中は、制度としてはどんどん充実していたけれども、一方でジェンダーギャップ指数は、今も125位で変わっていないんですよね。

なので、制度は整っているけれども……という世の中の状況だったかなと思います。ここまで、私が経験してきたことを整理してお話ししました。私は本当にある種くじ運が良くて、職場や先輩に恵まれてここまでやってこれたなと思っています。

もちろん自分が努力していないとは言いませんけども、やはり努力だけではこうはならなかったと思っています。でもこれを運に任せておくのは駄目で、これが当たり前になる世の中になっていってほしいのが私の強い願いです。私がそこに1ミリでも何かお役に立てるのであったら、そうしたいなと思っております。

AI顔認識システムの事例から見る、多様性問題

ここまで私自身の自己紹介とこれまでのキャリア、そこで感じてきたことをお話ししました。ここからは私のことではなくて、世の中全体の構造がどうなっているかをお話ししていこうと思います。

まず、D&Iって何のためなのか。これは本当に大事な課題ですし、さまざまな面があるのですが、あまり語られていないなと感じるので、未来社会のためだという点を今日はお話しします。

もし機会があったら、YouTubeの動画が上がっているので、ぜひ見ていただきたいなと思います。TEDのプレゼンの1つで「アルゴリズムに潜む偏見との戦い」というタイトルです。

この内容をごくごくかいつまんでお話しします。こちらで講演をされているジョイさんという方はAIの研究者です。この方がまだ大学院生の頃、顔認識の技術が世の中にやっと出てきた時代だったそうです。

彼女はオンラインゲームが好きで、彼女がその時に遊んでいたオンラインゲームにもその顔認識の機能が実装されたので、専門家でもあるし、さっそく試してみた。そうしたら上手く認識されなかったそうです。それでおかしいなと思って何度もやるんだけど、なかなか認識されない。

そこで、どれどれと思って調べてみたらこれがわかった。つまり搭載されていた顔認識エンジンは、この画面の左側にあるような肌の色の白い男性の認識率は当時エラー率が1パーセント程度だったのに、彼女のように肌の色の濃い女性になるとエラー率が30パーセントから40パーセントだったんだそうです。

彼女はいち専門家として、「それぐらいエラー率がありますよ」「ちょっと確認してもらえませんか」と連絡をしたそうです。問題は、特に誰かが悪意を持って、あるいは意図を持って、そのエラー率の差をつけたということではまったくないんです。

悪意のない偏見が及ぼす影響の恐ろしさ

たまたま当時、こういった顔認識エンジンを開発していたのは、シリコンバレーで2社、中国で1社、この3社だけでした。3社とも、開発をする人々が働いている職場環境が、基本この画面の左側にあるような色白の男性たちが占めていたので、そうではない人たちだとエラー率が高い可能性があることすら思いつかなかった。

本当に、結果的にそういうことになってしまっただけだったんだそうですね。悪意がないからいいじゃない、と思いたくなるんですけど、そうではないんです。特にアメリカでは警察の容疑者の検挙に、この顔認識エンジンの進化版が、認識率の差がビルトインされたまま次々実装されていきました。

それが結果的に、特に黒人の方の検挙が間違っている、つまり本当は罪を犯していないのに間違って逮捕されてしまうことにつながるという大きな社会問題として提起されました。結果としてIBMも、Amazon、Microsoftといった大手の企業が大変な投資をして、将来の事業の柱として育ててきたものを、いっぺん引き上げるという経営判断にまで発展したわけです。

社会問題になったし、経営問題になったんですよね。つまり、このIT技術はほんの1つの例ですけども、この未来の社会の基盤になる領域では、特にこのダイバーシティとインクルージョンをかなり意図してやっておかないといけない。そうしないと、意図せずに今の私たちが無意識で持っている偏見を社会にビルトインしてしまって、未来社会に向かって再生産してしまうリスクがあるということです。

それは今お話しした事例だけでなく、情報通信技術、医療や保健の分野でも起きていますし、立法や行政、企業経営、投資の分野。このあたりの領域は今決めたことが向こう何十年かの社会のありように影響を与えるので、現在の我々の社会の歪み、認知の歪みを未来に残さないために、ダイバーシティ&インクルージョンが大事です。