企業理念が必要な理由

司会者:では、3つ目のテーマを見てまいります。昨今、「パーパス経営」という言葉が流行っていますが、各理論から見た時のパーパス経営の読み解きをテーマとして挙げさせていただきました。

では、安藤社長よりお話しいただいてもよろしいでしょうか?

安藤広大氏(以下、安藤):パーパス経営とよく言っているものの、僕の理解が100パーセント合っているかはわからないですけど、「企業理念の達成に向けた経営をしていきましょう」ということだと僕は理解しています。

パーパスは、その会社が存在する目的だと思うので。企業は、当然企業理念を達成するために集まっている集団なので、そういった意味では当たり前ですし、パーパス経営は必要だと考えています。

なぜ企業理念が必要なのか、あるいは目的が必要なのかについては、大きく2つあります。1つは、物事の良し悪しは、見方によって良しにも悪しにもなるということ。例えば目の前にケーキがあって、ケーキを食べておいしいというのは良しですけど、もしその人がダイエット中であれば、それは悪しになってしまう。

目的が明確に存在しなければ、その場その場で良しと動物的に判断するほうに動いてしまう。なので、すべての意思決定は企業理念に近づけば良しだし、企業理念から遠ざかれば悪しだという「意思決定の礎」ができるという意味でも、必要であると言っています。

企業理念に近づくための意思決定をするということなので、そこに一貫性が持たれるということです。社長の思いつきで適当に事業を始めるのではなく、企業理念に近づくための意思決定という点で一貫性があるので、従業員のみなさんの安心感にもなるのではないかと思います。

パーパス経営ブームの3つの傾向

司会者:嘉村さまは、パーパス経営についてティールから見た時の見解はいかがでしょうか?

嘉村賢州氏(以下、嘉村):哲学部分はかなり共通するところが多いと思いながら聞かせていただきました。とはいえ、ティールではわりと明文化しないことのほうが多い点は、少し違うかもしれないです。

基本的にティールは、「パーパスに基づく自己組織化」と言いますが、要は文脈がないと現場レベルで動けないわけです。その場がホームパーティなのか、合コンなのか、報告会なのかという趣旨も伝えられずに「自由に振る舞ってください」と言われても、何か調和をなしてパフォーマンスを出すことはできません。そういう意味でも、文脈がある程度共有化されている状態がすごく重要です。

そんな中で、空前のパーパス経営ブームがやってきて、私もいろいろ分析したんですね。そうした時に、おおむね3つの傾向があったんです。

1つ目はミッション・ビジョン・バリュー経営の焼き直し的な感じで、そういうものを明確化してそこにちゃんと向かえるようにしようというパターン。

2つ目が、社会問題のセンタード。これだけ先の見えない時代に「もっと社会を良くすることを真正面からビジネスとしてやっていこうよ」という、社会貢献やCSRなど今まで傍流だったものをセンターに持っていくというパターン。

3つ目がステークホルダー視点で、「1社では作れないような世界をみんなでやっていきましょうよ」という、大きなビジョンを掲げてやっていくパターン。パーパス経営は主にこの3パターンでやっている感じがするんです。

ティールのパーパス観

嘉村:これは本当にすばらしいなと思う反面、ティールの感覚から言うと、外から見た視点という感じがあって、全部「外的」なんです。実際にどうなっているかというと、パーパス経営ブームの中で策定されたパーパスの文言は、どの組織も極めて似てしまっていませんか、という。

要は、ホームページのパーパスに書かれているものを、ロゴをライバル企業につけ替えても問題ないですよねと言った時に、判断基準として機能していない可能性があるということです。これがわりと大問題で、もしかしたらグリーン組織の罠の「みんなで作っちゃっていませんか?」ということになってくるんですよね。

ティールでは、そもそも創業者が思い切って踏み出して組織を作った物語に、もうちょっとちゃんと耳を澄ませましょうという話もあります。

安藤:なるほど。

嘉村:要は、宮崎駿の映画をボトムアップとか分散型で作ることはできないように、「今のパーパス経営は物語の洗練度がきちんと保てていますか?」ということです。

ただ、それが「大丈夫だ。トップが考えたんだから従え」になってしまうと、「私たち化」しないことになる。たまたま思いに共感した社長を手伝うためにこの会社にいるのでは、チーム力や組織力はないわけで。

私たち化するプロセスの中で、みんなで対話するとか一人ひとりが考えるというのはアリかもしれないんですけど、そこらへんが中途半端なパーパス経営になってしまっているところもあるので、そのあたりは要注意かなと見ています。

結果としてティールで追いかけているのは、外側として同じ目線で歩くとかステークホルダーを巻き込むというよりも、一人ひとりが朝起きて会社に行くことに喜びを感じるような、内的にワクワク、ドキドキするかにつながる文脈を共有できているのかというところで、それがもっとも大事だとは言っていますね。

解雇や離職は悲しいことではない

安藤:そこに関しては、考え方としてはおそらく似ていますよね。

嘉村:本も読ませていただきましたけど、「なぜ働くのか」というところの忘れてはいけないものは似ています。ただ、違いでいうと、ティール組織は「文言化するよりも、一人ひとりが考え続けていることが大事」というような考え方をしています。

安藤:一人ひとりが考え続けるというのは、それはその集団のパーパスの中でということですよね。

嘉村:両方ですね。一人ひとりがまず自分の人生のパーパスとつながって、「何のための人生なのか?」をちゃんと考え続けていて、その上で「なぜこの会社に入るのか?」というのも考え続けて、「自分としてどういう進化をさせていこうか?」も考え続けてというところで。

会社のパーパスから始めると、自分の人生を問わなくなっちゃうので、ここはけっこう大事な観点ではありますね。

安藤:これはティール的には、会社のパーパスと個人のパーパスがずれ始めたらどうするんですか?

嘉村:ずれ始めたら、当然「一緒に歩む運命じゃなくなったね」ということもあるかもしれないので、違う道を歩むということもありますね。

安藤:なるほど。そのへんは特に変わらないですね。

嘉村:解雇とか会社を離れるということが悲しいことではないという、自分自身と突き詰めて考えていくと違うこともあるでしょうという考え方なので。

安藤:自分が成し遂げたいことと会社の目的や企業理念、いわゆるパーパスの部分にずれが生じた時は、もうしょうがない。だから、そのタイミングで辞めるのが一番理想だと僕は言っていて。

ひどい会社もたくさんあると思うのでなんとも言えないんですが、どの会社へ行っても、自分とそれ以外の人が集まっている集団である以上は同じようなことが起きるはずなので、基本的にはその会社で上っていくことをしっかり認識すべきだと僕らは言っているんですけどね。

嘉村:共感します。

眠っている「その人らしさ」を発揮するために必要なもの

司会者:次のテーマは「心理的安全性」です。では順番を逆にしまして、嘉村さまからお話しいただいてもよろしいでしょうか?

嘉村:ここはだいぶ違いが出てきそうなところかなと思っています。

安藤:(笑)。

嘉村:ティールの中で心理的安全性は「ホールネス(Wholeness)」という言葉で出てきます。「ホールネス」を簡単にいうと「分断されていない状態」です。「ホール」は「全体」という意味なので。

分断には3種類あって、1つ目が「自分との分断」。自分の本当の心とつながらずに、仮面をつけて仕事をするような、自分の声が聞こえなくなるものです。

2つ目が「関係性の分断」で、相手をコントロール対象と見ることです。例えば上司が自分の言っていることに賛同してくれなかったという瞬間に、上司を「面倒くさいな、あいつは」と障害物のように見始めるようなことですね。

3つ目が「社会との分断」で、「うちの会社の利益が上がれば、あの会社は負けてしまっていいんだ」とか「売上を上げるために地球を搾取してもいいんだ」といったことをするものです。そういった分断がない方向でやっていきましょうというのがホールネスの考え方です。

世の中でいう心理的安全性って、たぶん「高い目標のために切磋琢磨」「忌憚ない意見も言い合える安全性」のようなところがあると思うんですが、ちょっとだけティールのほうが広いというか、ティールは「自分すら気づかなかった自分に気づけるぐらい安全だ」ということなんです。

安藤:(笑)。

嘉村:「魂の野生動物」という言い方をするんですけども。野生動物ってたくましくてウィットに富んで俊敏ですごいんですけど、同時にすごく臆病ですよね。人が山に足を踏み入れると、パッとシカが逃げていくような。「一人ひとりの中に眠っているすばらしいもの」というのは、簡単に逃げていってしまうぐらい臆病だからそういう言い方をします。

だけど今の職場は、そういうものに対して「出てこい、出てこい」と言っているようなもので、そんな中では自分すら気づかなかった本当の情熱とか、「これを人生で実現したい」というような、眠っている「その人らしさ」は全部逃げていってしまう。

ティールの考え方は、それが出られるぐらい安全な組織を作っていきましょうというところがあるので(笑)、これはけっこう対極にある部分かなと思っています。

メンバーの安全を担保しながら、成長を促す環境の作り方

安藤:そのためのアクションって、どういうアクションですか?

嘉村:例えばガイドブックとかを作って、急に怒鳴るとか相手の陰口を言うとか「そういう良くない行動をやめておきましょう」ということをやる中で、安全性を高めることもやります。

あとは、すべての組織がやっているわけではないですが、自分のやっている役割に、主観で「Want」と「Can」のような数値を付けます。そして「常に『Want』が高いはずなのに、ぜんぜんパフォーマンスが上がってないね」という話があった時に、糾弾されることはなく「あなたの中で何が起こっているの?」と耳を済ませる。

安藤:ほう、そこは違うね。

嘉村:「『Want』じゃなかったんじゃない?」という対話をする仕組みもあります。やはり組織で役割に入ってしまうと、そのファンクションから抜けられないというか、「優秀でなければいられない」ということが多かったりするので。

対話をすることで、自分が働く上で3割ぐらいは「まだやったことがないけど、その仕事をやってみていいですか?」という、まだファンクションとしては成果が期待できないような仕事に就く時間を作れることもあるかもしれないですし。いろんな仕組みで「魂の野生動物」が出てくるのを応援し合う感じですかね。

安藤:なるほどね。だから「心理的安全」というよりは、「可能性を引き出せるような環境を用意する」という方向のほうが強そうなイメージですね。

嘉村:そうですね。あと、やはり評価が激しすぎると優秀さを手放せなくなってしまうので、「多少迷惑をかけても、多少落ち込んでもいいよ」というところもけっこうあります。

安藤:懐の深さみたいな。

嘉村:先ほど「ネットフリックスがなぜティールに入らないんですか?」という質問をいただいていましたけど、詳しく知らないですけど、ネットフリックスはあまり懐はなさそうな感じがします。

ティールと識学の共感ポイント

安藤:確かにそうですよね。僕らは「心理的安全性」をどう考えているかというと、「そもそもこの言葉、かなり危険だね」と思っていまして。

僕らは、あくまでも組織は「それぞれがそれぞれの役割、ロールに徹することが重要だ」と言っています。そういう意味では明確な責任と、それに対して与えられている権限があると。

ですので、忌憚ない意見交換ができるような、心理的安全性を担保するための作業がないといけない。それができない状況のほうがよほど危ないと考えていまして。責任を果たすためにそれぞれがただ権限を行使することによって、意見交換が起きている状態でいいと言っています。

1~2年前から「心理的安全性」という言葉が流行って、「もっと発言しやすいようにしましょう」とか(笑)、「もっと上司や部下からヒアリングしましょう」といったことをやると、逆に自分で良きタイミングで提案や相談をする機能の育成ができない。要は、自ら適切なタイミングで話すことができない人たちが育ってしまうリスクが高いと考えています。

嘉村:そこは本を読ませていただいてけっこう共感したところで、ティールとも近いところがあります。

わりとすぐに組織内で親子関係と救済者と犠牲者のロールを作りがちで、手を差し伸べすぎるから、いつまで経っても未熟なモードから抜けられないので、ティールでは基本的には親子関係や救済者ロールが生まれない構造を作ることにしています。

大人として扱うようなプロセスや構造を作ることで、その結果として成長して次にいける部分があるので、そこにかなり近いかなと思います。

安藤:その発想は近いですね。ただ、最後に付け加えると、僕らもティールの考え方と一緒で「人間的恐怖の与え方をしちゃいけない」と言っています。例えば暴言とか。

「上司から評価を得られないのが怖い」という状態は、僕らは正しいとしているんですね。でも「上司に人間的にドヤされるから怖い」といった状態を作ることは、不必要な恐怖を与えることになるので。

僕らは恐怖を「不必要な恐怖」と「必要な恐怖」に分けていて、上司から評価を得られない、もしくは自分が成長できていないという恐怖は必要だけど、組織内において誰かから悪口を言われるとか、誰かからドヤされることに対する恐怖は極限までなくしていかなきゃいけないと言っています。そこはたぶんよく似ている部分かなと。

嘉村:そうですね。

司会者:ありがとうございます。自主自走の線引きをどこに置くかとか、部下にどこまで求めるかといった基準がありながら、心理的安全性を担保する。ただし、ここはやはりバズワードで、各理論として定義が違うのかなと。

それでも共通しているのは、弊社でいう「性弱説」といいますか、先ほどの親子関係と救済者を優先したロールのように保護しすぎることによって、部下側のパフォーマンスが下がってしまう。なので、ある程度、過保護にならないように見ていこうというところは、共通しているんじゃないかなと感じました。

安藤:そうですね。