『左ききのエレン』名コピー誕生の背景

鈴木宣彦氏(以下、鈴木):漫画『左ききのエレン』は、毎回表紙をめくったところの「天才になれなかったすべての人へ」という書き出しからすべての単行本は始まると思うんですが、かっぴーさんがこのメッセージで描き始めた理由はございますでしょうか?

かっぴー氏(以下、かっぴー):これ、よく「良いコピーですね」って言ってもらえるんですけど、当時はcakesという媒体で載っけていて、cakesの1話からこれが載ってるんです。だから単行本ではこのページがあるんだけど、最初はページにしてなかったんですよね。

じゃあどこで出てきた言葉なのかといったら、cakesの第1話の紹介文というか、あらすじみたいなテキストがあって、そこに追加してもらったんですよ。

描き終わって納品して、「じゃあこれでページ公開します」と言われた時に、「頭にこの一文つけてもらえますか?」と。それで気に入って、単行本の時には毎回頭につけようと思ったんですよ。

逆に今は本編にも出てきてるからややこしいんだけど、最初は漫画の本編のシーンではなかったんです。前置きというか、「この漫画をどう読んでほしいか」という(メッセージとして入れている)。「この物語はフィクションです」みたいな位置づけの、前置きの言葉として書いています。

鈴木:描き始めた時というよりは、納品した時に(書き足した)。

かっぴー:そうですね。

自分のため、友だちのために描いた漫画

かっぴー:「これからこの漫画を世の中の人に読んでもらうんだ」という時に、なんかこの一文をつけたくなった。描いてる時は、自分のためとか、会社辞める名越という同僚のためだったり、本当にプライベートな気持ちで描いていて。

「これは、天才になれなかった自分に描こう」と思って。(アートディレクター養成講座の卒業制作で)3位に入れなかった、4位になってしまった俺。会社を辞めて別の仕事に就く友だちとか、そういう本当に限られた人たちのために描いてた。

じゃあ、なんでそれをわざわざcakesという媒体に載っけて連載するんだろうと思った時に、そこのブリッジとして、「天才になれなかった人たちがきっと世の中にはいて、その人たちのために描くことにしよう」という自分のマインドセットがあった感じです。

「これから誰のために描くんだ?」という時に、僕はこれ(「天才になれなかったすべての人へ」というコピー)をつけた感じです。かっぴー:ややこしいのが、自分で言うのはアレですけど、今は成功してるじゃないですか(笑)。

(会場笑)

鈴木:成功されてます(笑)。

かっぴー:だからさ、これが嫌味に聞こえる人が出てきてしまっているのがちょっと問題だなと思って。でも、気持ちは変わってないですから。そういうつもりで自分を含む人たち……今でも主に自分のために描いてると思ってますけどね。

キャラクターに投影された「自分」の姿

鈴木:「天才になれなかった」で言うと、やはり光一が一番そこを目指し続けるけど「なれない」と悩み続けるんですが、光一のモデルはかっぴーさんご自身だったりするんですか?

かっぴー:そうですが、ほかのキャラもけっこうそうなんです。光一だけが自分の投影ではなくて、別にさゆりも自分に似てるし、エレンでさえ似てるし。距離感はそれぞれあるけど、みんなどっかしら入ってるんじゃないかな。

だから逆に、(自分の投影が)一切入ってないキャラクターは描いていておもしろいですよね。あかりとかは一切入ってないし。わりと自分との距離感でキャラクターを見てるのはあります。

その中でも確かに光一はけっこう近いけど、光一だけが自分の投影とは思ってないですね。

鈴木:ありがとうございます。

「天才」と「凡人」の違いとは?

鈴木:その質問に関連してお二人にお聞きしたいんですが、天才と凡人の違いは何なんでしょうか。

岸アンナさんの「天才とは天命に人生を捧げるものである」というセリフが出てきますが、天才と凡人の違いについて、どういうところが違うのかとか、そもそも違くないよとかも含めて、かっぴーさんは考えてらっしゃることってありますか?

かっぴー:最近、特にこのへんを強調して話をしてるんですが、天才というのは状態を指す言葉だと思っていて。「凡人状態」と「天才状態」という状態のことだと思うんですよ。たぶん、その状態をまだ経験してない人が自分を凡人だと思ってるんじゃないかなって。マリオのスター状態とかに似てますよね。

鈴木:なるほど、天才状態というのがあるんですね。

かっぴー:もちろん、天才状態が終わる人もいるだろうし。でも状態だと思ってたら、別にあんまり気にならないというか。

自分が没頭できるものを知っている人が天才

鈴木:山崎先生は「天才」と「凡人」を言葉で聞くと、どういう違いというか、認識分けをされてますか?

山崎大助氏(以下、山崎):確かに、状態で例えるとすごく良いですね。たぶん誰もが、自分が好きなものに出会って、のめり込んで没頭して、朝からやり始めて気づいたら夜の夕飯の時間を過ぎていて……という状態があると思うんです。

それってたぶん、自分が本当に好きで、苦にもならず何時間でも没頭できる状態で、ある意味天才状態なのかなと。だから、状態で例えるとすごく良いなと思いました。確かにそうだなと思って。

たぶん世の中にいる天才は、本当におもしろいもの、例えば数学が好きでハマってしまって、それをただ単に楽しんで解いて、クイズをやってるようなものですもんね。ただ、教える人によって嫌いになっちゃう人もたくさんいると思うんですが、その状態になれたのを知っている状態が、まさに「天才」なんですかね。

自分が本当にやりたいこと、おもしろいと思えるものを見つけられた人は天才状態を知ってるんですよね。確かに僕も、大人になって初めて「俺、天才じゃねえか」って初めて気づけた時はいくつかあるなと思っていて(笑)。

もちろんそこからやる気が落ちる時も、「俺はやっぱ凡人だ」って思う時もたくさんあって、そっちのほうが多いんですが、確かに状態で例えると良いような気がしますね。

「天才状態」のその先を目指して

かっぴー:自分の状態という意味ももちろんあるし、あとは社会の状況もありますよね。今はちょっとずれてるけど、デビューした頃なんかは「インターネットで漫画が読める」というのでけっこう盛り上がった時期だったから、たぶんそれもハマった。

「30歳で漫画家になるって遅いですよね」みたいな話に戻るんですが、僕は絵が描けないタイプの漫画家なので、ポンチ絵みたいな状態で始まった。

あれが受け入れられたのは、インターネットがそれに慣れてたというか、未完成の状態のものを見るのに人々が慣れ始めてた頃だったから受け入れられた。そういう「時代の状態」もあるっていう、両方ですね。

鈴木:なるほど、ありがとうございます。かっぴーさん的には、今は天才状態に入られてるなっていう認識なんですか?

かっぴー:今は次の段階ですね。世の中とのマッチ度合いで言うと、最初の飛躍があったと思うんですが、ここからはそれをどこまで深められるか。

それこそ「200万部」ってずっと言ってたものが達成されて、じゃあ次はどこを指針にやっていこうかなと思った時に……まだ始めてないのでなんとも言えないですが、もしかしたら漫画家じゃない方法もあるのかなとか、いろいろ思っていて。

日本のコンテンツ・韓国のコンテンツの“圧倒的な差”

かっぴー:今、韓国ドラマを見ていて。韓国ドラマって、日本のコンテンツではなにも太刀打ちできてない状態なので、今は完敗じゃないですか。

本当にそれが、かつて「天才とは何か」ってずっと考えてたのと同じ気持ちで、「なぜ日本は韓国に負けてるのか」とずっと思ってるんです。英語教育とか、何がいけなかったんだろうな? というのをずっと思っていて。

本当に尊敬の念を前提に言わせていただくと……ペ・ヨンジュンさんとか、あの時代がたぶん最初の韓国ブームだったと思うんですが、その時はナメてました。自分のためのコンテンツとは一切思わなかったし、「へー、ああいうのが好きな日本人がいるんだな」みたいな感じで思ったから、ナメていて。

それで、韓国の映画がたまに話題になって。噛んじゃうから言えないけどダブルスパイ(『二重スパイ』)みたいなの、あったじゃないですか。なんだっけ? ああいうのもあんまりチェックしてなかったです。「へー、そういうのあんだね」みたいに、ちょっとナメてた。

だけど、ここ5年ぐらいのアイドルブームとかも含めての韓国のコンテンツ、K-POPのコンテンツを見てると、もう追いつけないぐらい離されたなっていう感じがあって。

いつかは日本のコンテンツで海外に勝負できるように

かっぴー:そっちの話に脱線しちゃうけど、俺が一番「これヤバいな」と思ったのは『梨泰院クラス』。『梨泰院クラス』が一番好きというわけではないんだけど、『梨泰院クラス』を見た時に、これはもうなにかで差がついてしまったんだなと思った理由があって。

『梨泰院クラス』って、日本でリメイクされた時には『六本木クラス』でやってたじゃないですか。普通は、海外を狙ってグローバルコンテンツにしようと思ったら「梨泰院」という名前はつけないじゃないですか。

グローバルの名前じゃないし、梨泰院なんか誰も知らなかった。でも、できたんですよ。あれは何なんだ? と思って。日本人が日本を舞台にしたコンテンツを海外で発信しようと思った時に、「チーム町田」とかつけないじゃないですか。

(会場笑)

かっぴー:でも、「チーム町田」で通したんですよ。そのへんでもう何かが負けている。ここだけの話ですけど、俺は最近『梨泰院クラス』とか『スタートアップ』を作ってる脚本会社の人たちに、どうにか会えないかっていう話をしていて。

……だから俺、もしかしたら10年後ぐらいに韓国ドラマの監督やってるかもしれないですね(笑)。

(会場笑)

かっぴー:それぐらい今は、そっちに触れとかないと。日本のコンテンツで海外で勝負できるようになったらいいなっていうのは思ってます。

日本のテレビに足りないのは「人間臭さ」?

かっぴー:それで言うと、今の日本の状態は「凡人」で、韓国は「天才」なんです。だから、どうしたら日本はその差を埋められるかっていうふうに興味がシフトしてます。

鈴木:そうですよね。韓国ドラマは、Netflix、Huluとか、配信コンテンツのメディアができて一気にきたなっていう感じはありますし、1本だけじゃなくて複数ある。

かっぴー:1個だけだったらまだラッキーパンチだと思うけど、全部おもしろいもんね。『ザ・グローリー』とか見ました? おもしろいですよ。

鈴木:『ザ・グローリー』は見てないですね。見させていただきます。

では続いて、(今はもう)天才状態かもしれないんですが、「天才ではなかったからこそ得ることができたもの」という部分でお考えがあれば。まずは山崎先生、こちらをおうかがいしてもいいですか?

山崎:「天才ではない」、僕っぽいですね(笑)。泥臭く生きてきたので。さっきの韓国ドラマの話の続きになっちゃうんですが、今『ビッグマウス』ってやつを見てるんです。

かっぴー:知らない。『ビッグマウス』?

山崎:はい、それを見ていて。ほかのやつも見ていて思うのは、俳優さんとか女優さんで見ないですもんね。『左ききのエレン』もそうなんですが、人間らしさというか、人間臭さがすごくあって。

でも日本のテレビを見ると、なんかきれいで、うまく良い感じに見せてるんだなっていうのをちょっと感じます。僕はまったく業界のこと知らないんですが、その人間臭さについつい惹かれて見てしまうんですよね。それをただ言いたかっただけなんですが(笑)。