自分が「伝えたいこと」と、相手が「伝えられたいこと」

松永光弘氏(以下、松永):例えば、本(『伝え方』)の中にもある例で実話なんですけど、あるカフェのオーナーがすごく精度の高い浄水器を購入したんですね。

その効果がすごくて、やはりうれしいので、「精度の高い浄水器を買ったよ」と言ってお客さんにアピールしたい。「この浄水器は本当にすごいんですよ。びっくりするぐらい精度が高くて、このレベルのものを導入しているのはうちぐらいですよ」と言って自慢したくなるわけです。

でも、そんな話に興味はないし、別に聞きたくないじゃないですか。浄水器フェチだったら別ですが、そうでもなければ、店に行った時にこんなことを言われても興味はないですよね。

なぜならお客さんはコーヒーを飲みに来ているからです。別に、浄水器に惹かれてお店に来てるわけじゃない。

つまり浄水器の素晴らしさは、オーナーが「伝えたい」ことだけれども、お客さんが「伝えられたい」ことではないんです。だから、いくら一生懸命に話しても伝わらないんです。

「伝えたいことを、伝えてはいけない」理由

松永:じゃあどうしたらいいのかというと、そこで「伝えたいこと」を「伝えられたいこと」に変換する必要があります。

例えば、「この浄水器を使えば、めちゃくちゃ純度の高い水ができるんです。おかげでうちの店では、コーヒー豆の風味をしっかりと感じることができるんです」と言われたら、ちょっとは耳を傾けてみようかなと思いますよね。

コーヒーを飲みに来た者としては、風味がちゃんと味わえるとなると「そうなんだ」と納得します。「もうちょっと聞かせて」って言いたくなるかもしれない。耳を傾けたくなるんですね。「伝えられたいこと」だからコミュニケーションが成り立つんです。

だからこそ「伝えたいことを、伝えてはいけない」んです。僕の本のサブタイトルに書いてある「伝えたいことを、伝えてはいけない。」というのは、そういう意味です。関わる理由があるから、読んでくれたり聞いてくれたりするんです。

別の言い方をすると、「伝える」という話をする時に、「何を言うか」「どう言うか」が大事だとよく言われますが、それで本当に伝わるのかというと、ちょっとあやしいところがあります。

「何を言うか」「どう言うか」だけでは足りない

松永:コミュニケーションのプロと言われる人たちも、だいたい10人いたら9人は「何を言うか」と「どう言うか」が大事だって言うんです。

それは一見真実だし、ある面では正しくはあります。でも、相手に「伝わる」ことを考えるなら、本当はそれだけでは不十分なんです。

「何を言うか」と「どう言うか」だけだと聞いてもらえないので。実際には「なぜそれを言うのか」、つまりは「WHY」の部分を含めておく必要があるんです。

「この文章をなぜその人に伝えているのか」という、その人にとっての理由ですね。「なぜ言うのか」が、関わる理由になります。

というわけで、これが1つ目の誤解です。「本当に大切なことを書いたので、読めばわかるはずです」、その背景にはコミュニケーションへの誤解があるというお話です。伝えたいことを伝えてはいけない、ですね。

きれいな文章を書けば伝わるわけではない

松永:急ぎ足で、誤解の2つ目にまいります。「うまい文章を書けば伝わる」「しゃべりがうまければ伝わる」と思っている人がけっこう多いですが、これは違うというお話です。

もちろん、うまくてもいいんですよ。でも、うまいかどうかで伝わるかどうかが決まるわけではない、ということです。「文章力がないからダメなんだ」とか「話し下手だからダメなんだ」というのは違うってことですね。

2つほど例を見てもらいたいと思います。本の中にも出ているのですが、教育者の講演会があったとして、アンケートでこんな文章があったらどう思いますか?

ちょっと長いんですけど、「今朝は久方ぶりに高く晴れた空を見上げながら、秋色に萌ゆる銀杏並木の道を一歩々々、踏みしめるように会場に参りました」。こういうの、時々あるんですよ。

実はこれは、実際に僕があるところで見かけた文章を少し手直ししたものです。一見すると、いわゆる美文かもしれません。

でも、後半に至っては定型文みたいなものだし、そもそも何を言いたいのかはよくわかりませんよね。「上手に書いていますね」と言われることはあるかもしれませんが、きっと心を動かされることはないと思います。

それよりは、こっちのほうがピンときやすい。「めちゃくちゃ反省。涙が出ました。やっぱり人は大事にしなくちゃです。ありがとうございました」。

かなりカジュアルな書き方ですけど、何が言いたいのかはわかりますよね。気持ちもよくわかります。きっと心を動かす人、共感する人も出てくると思うんです。

伝わらない美文、伝わる悪文の違い

松永:前者は美しい言葉遣いなのに伝わらない。でも、あとのほうは悪文だけど伝わる。その違いはどこにあるのかというと、「伝えるべきこと」を自覚できているかどうかにあるんです。

最初のほうの文章は、「銀杏並木がなんとか」というくだりもそうですが、なんとなくよさげなことを書いているだけなんですね。「伝えるべきこと」は自覚されていなくて、なんとなく書いているんです。

でも、後者のほうは短いし、きれいな言葉づかいではないのですが、伝えるべきことが自覚できているんです。だからはっきりと伝わってきます。

この例からもわかるように、「伝えるべきこと」がはっきりしていると、多少表現が曖昧でも伝わりますし、下手なしゃべり方でも伝わります。逆に、うまい話し方や文章でも、伝えるべきことが曖昧だったら伝わらない。はっきりわかっているから、はっきり伝わるんです。

伝えるべきことがはっきりしていると、なんで伝わるのかというと、盛り込むべき情報の判断がつきやすいんですね。

ふだんのやりとりを考えてもそうですが、「今、この話をすべきじゃない」という判断は、伝えるべきことがわかっているからできるわけじゃないですか。伝えるべきことが見えてない・自覚できてないと、なんとなく余計な話をしちゃって、わけがわからなくなる。

会話も文章も「整理整頓」によって作られている

松永:もう少し細かなお話をすると、実は、文章やお話などの表現物は「整理整頓」によって作られているんです。

「整理整頓」って、掃除の時によく聞きますよね。「整理」と「整頓」は似たような言葉に見えますけど、ぜんぜん違う意味なんです。

「整理」は、あるルールに沿って取捨選択するという意味です。「整頓」は、本来あるべきところに配置する・置くこと。掃除の「整理」は、1回取捨選択することで、それを片づけるのが「整頓」。その両方を合わせて「整理整頓」と言っています。

文章やお話は、これと同じプロセスで作られているんです。例えば、文章を書く時に、「あのエピソードを入れようかな」と考えたりしますよね。そこで「入れるといいかも」「いや、ないな」と、まず判断するわけですが、それがつまりは「整理」です。

その「整理」という取捨選択を受けて、文章の中にはめ込んで、うまく流れるように「整頓」することで文章が出来上がっていきます。

お話も、もちろん同じです。「この話を入れようかな」「あのデータを盛り込もう」かなと思ったとして、「いや、今回は違うよな」と、まず整理します。

その上で「使うならば、どこでどんなふうに扱うのがいいだろうか」と、整頓してから話しているんですね。お話も文章も、こんなふうに「整理整頓」して作っているというのが実際のところです。

話がボヤッとしている時に“欠けているもの”

松永:特に大事なのは、この整理整頓のうちの「整理」のほうです。なぜなら、そこで必要なものを選べていないと、そもそも整頓ができないから。

料理で言えば、作りたいメニューがあったとしても、必要な食材が揃っていないのに調理できませんよね。それと同じで、まず適切な素材を見つくろうことができて、初めて的を射た文章やお話になるんです。

となると、どうすれば適切に「整理」できるのかですが、その判断基準となるのが、さっき言った「伝えるべきこと」なんです。

伝えるべきことが何なのかがわかっているから、「この話は必要だな」「これは使える」「使えない」という判断ができます。「銀杏並木の話は、本当はいらないな」と(笑)、伝えるべきことが自分の中ではっきりしていれば、判断できるはずなんですよ。

伝え手が「なんとなく」としかわかってないことは、いくら言葉を尽くしても「なんとなく」としか伝わりません。なんだか話がボヤッとしてるなっていう時は、だいたい伝えるべきことが自覚できていないことが多いんですよ。はっきりわかってるから、はっきり伝えることができるんです。

松永氏が原稿を読む時に、相手に必ず尋ねること

松永:そういう背景というか、原理というかがあるので、僕は誰かに原稿を読んでほしいと頼まれたときは、必ず「この文章で伝えるべきことを一言で言うと何ですか?」って聞くことにしています。そこがないと、何も始まらないので。

もう1つ言うと、実はそこがわからないと、文章に助言をするにしても「何を削っていいのか」「どんな情報があればいいのか」の判断がつかないんですよね。

だって、伝えるべきことは何なのかがわからないと、「このエピソード、いらないですよね」なんてことも言えないじゃないですか。それもあって、まずはそこを確認するようにしています。

もちろん僕自身も、今でも文章を書く時は「伝えるべきことを一言で言うとなんだろう」と、必ず事前に定めています。本を書く時もそうで、「この1冊の本の伝えるべきことは何なんだろう」ということは必ず明確にします。

実はこの本(『伝え方』)を書いてる途中で、『「言葉にできる」は武器になる。』の著者である梅田悟司さんとの間で、そんな会話をしたことがありました。

僕が「今、新しい本を書いているのですが、原稿がうまく進んでいないんですよね」と言ったら、梅田さんはすかさず「タイトルがうまく定まっていないんじゃないですか」と返してきました。これも同じことですね。さすがだなと思いました。

実際にその時は、まだ詰まりきっていないところがあったんです。伝えるべきことが定まってないと、本当にうまくいかないんですよ。

多くの人が抱きがちな、伝え方の「2つの誤解」

松永:さて、もうそろそろ終演の時間なのでまとめますが、今日は伝える時に多くの人がハマりがちな2つの誤解についてお話ししました。

1つは、「本当に大切なことを書いたので読めばわかるはずです」という言葉に象徴される、コミュニケーションの構造の誤解でしたね。

直接相手に伝えていると思いがちですが、実際には伝え手は「伝えるべきこと」を表現するところまでしかできず、受け手にわざわざ読んでもらったり、耳を傾けてもらったりしないと、そもそもコミュニケーション自体が成り立たないという話をしました。

そしてもう1つは、「うまい文章を書けば伝わる」「しゃべりがうまければ伝わる」という誤解。伝えるコミュニケーションの最大のポイントが、届け方のテクニックにあるという勘違いです。

本当に大事なのは、伝えるべきことをきちんと自覚しておくことにある。「はっきりわかっているから、はっきり伝えられる」が基本だという話もしました。

では、この2つの誤解の向こう側には、どんな伝える原則があるのか。まず1つめの「コミュニケーションの構造の誤解」からわかるのは、「伝わる」ようにしたいなら、「伝えたいこと」をあらかじめ「伝えられたいこと」に変換しておく必要があるということです。

そして、2つ目のテクニックに対する誤解からわかるのは、「伝えるべきこと」は、あらかじめ一言のレベルで整理しておく必要があるということ。

相手に伝わる・伝わらないを左右するのは「メッセージ」

松永:これらをまとめると、こういうことが言えます。「何かを伝える時にはまず、『伝えたいこと』を『伝えられたいこと』に変換した一言を定めておく」。こうした準備をしておくと、文章にせよお話にせよ、高い確率で伝わるようになります。

この「何かを伝える時にはまず、「伝えたいこと」を「伝えられたいこと」に変換した一言を定めておく」の“一言”を、僕は「メッセージ」と呼んでます。

さっき、「整理整頓によって文章やお話は作られる」と言いましたが、メッセージは「整理」の判断基準になるものです。その意味では、適切なメッセージがあるから適切に伝えることができるとも言えます。

実際、僕は冒頭でもお話ししたように、いろんな種類の「伝える」に関わっていますが、そのほとんどすべてをメッセージを手がかりに判断しています。

まずメッセージがちゃんと見つけられているかどうか。ちゃんと見つけられているなら、それがうまく表現されているかどうか。そういう順で表現物を分析して、伝わるように促していきます。

そういうやり方で今のところ上手くいっていますので、(この原則は)あらゆるスタイルに当てはまると言ってもいいんじゃないかな、と思っています。「伝える」はメッセージで決まる、ということですね。

僕自身、この原則をふだんから本当に大事にしています。どのくらい大事にしているかというと、子どもが小学生だった頃に「作文を見てほしい」と相談されて、ひとしきり読んだあと、「で、メッセージは何なの?」と口走ってしまったことがあるくらいです(笑)。

その時はちょっと、さすがに重症だとなと思ったんですけど、そのぐらい大事にしています。

(会場の笑いを受けて)よかった。最後に大きな笑いが生まれました。ということで、ここでお話を終わらせていただきたいなと思います。ありがとうございました。