「我々はネットワークそのものだ」という仏教的世界観

坂東孝浩氏(以下、坂東):さっきのネットワークでつながっているんだみたいなことは、仏教は人類の心のOSだと言われているんですけど、そういったところとつながりますか。

松波龍源氏(以下、龍源):そうですね。世界観という、今回のメインテーマですよね。私たちの、この生きているこの世界、自分自身とか自分の見ている世界をどう定義するのか、どう見るのか。

先ほど申し上げたように、一人ひとりは関係ない。私は私、あなたはあなた。私の利益は私の利益。あなたの利益はあなたの利益。だから、自助努力。がんばってブロックチェーンとかの技術を株式投資の対象にして、儲かりましたね。あなた、1億円儲かったんですね。じゃあ、他の人とまったく関わらなくても、もう安心ですね、みたいな世界で生きたいのか。

それとも我々はネットワークそのものだという仏教的な世界観を持って、別に僕が老後に2,000万円を持っていなくたって、お金だけが自分自身を助けるものではない。

隣のおっちゃんが野菜をくれました。3軒隣の人が、実家から送ってきた米をくれました。近所の鶏肉屋さんが梅干しをくれました。そういう話で生きていけるじゃないか、みたいな感じ。そこはやはり人間関係の構築、コミュニティですよね。

その仏教みたいなものや、公園であったりとか、町・地域を全部コモンズとして、共有財として、認識をして。すべての人の関わりの中でそれが機能するんだという発想でやっていくのか。ここがまさに思想・哲学になってくるわけですよね。

坂東:確かに。確かに。

龍源:だから、唯物論であって、しかも一人ひとりが独立している世界観で物を見てしまうと、そこには恐怖しかない。奪い合い、取り合い、殺し合いの世界になってしまうので。それをやめましょうよと2,500年前からお釈迦さまが言っているわけですよね。

そういう意味では、2,500年、僕らはあんまり変わってへんのかもしれないですけれども。もういい加減、例えばコンピューターサイエンスができてきて、いろんな人間の認知とかが、意外と人間自身にメタ認知されるようになってきた。僕は、そう思っています。これ、あの『攻殻機動隊』というアニメとかにも描かれることです。

やはり僕たちが人形遊びをして、自分をメタ化していく。その視点を獲得していくように、コンピューターとかWeb3とか、いろんなものを作り出すことによって、僕たちは自分自身の脳というか、心、意識のあり方をメタ化しようとしている。人間全体として。そう感じるんですよね。

ブロックチェーンの技術で、お釈迦さまが説いた世界が認識できる時代に

龍源:それが今だいぶできてきている。例えば、クラウドコンピューティングができて、情報は全部つながっていて、そこから端末に、限定されたものが上がってくるとかですね。プログラムもダウンロードしてきて、インストールしてアクティベートして使えるみたいなところって、実は僕たちがものすごく深いところで、意識領域でやっているのに近いことを、コンピューターで見えるようになってきている。

そういう意味で、ティールとかDAOとか、Web3と言われるようなブロックチェーンの技術であったりとか、NFTみたいなもの。僕らにも今そういうものを通じて、お釈迦さまが説かれたような、かつては一部の天才にしか見ることができなかった世界が、認識される時代になっていると思うんですよね。

なので、今こそですね。僕たちは、主としてもう一段、言語を獲得した時のようなリープをしてもいいのではないかなという気がするんですよね。

坂東:リープって何ですか。

龍源:ぴょんと飛ぶ。

坂東:おお。はい、はい。

龍源:それまではウホウホしか言ってなかった猿が、いきなりある日「banana」とか言い出すわけですよ。

坂東:はい。言ったんですよね? 

龍源:言ったんです。たぶん「banana? banana!」「banana!」みたいな感じで。

坂東:リープですね。

龍源:そう、言語を獲得した瞬間、猿は人になったじゃないですか。それと同じことが、「あれ? 俺たちって、分断されているのではなくて、ネットワークでつながってる?」みたいな。

「無さ」を得てそこにあるという考え方で、行動まで変わる

龍源:しかも、さっき武井さんもおっしゃったけど、ブロックチェーンって履歴が全部残るわけですよね。

仏教が言っていることも、そうですね。カルマというものがあって、これは数学の0の哲学をインド人が発見したのも関わってくると思うんですけど。

今日もこの前にみなさんにお話ししていましたけど、インドの人たちって変で、(例えば)リンゴがあります。リンゴを食べて、リンゴがなくなったら、リンゴはなくなったのではなくて、「無さ」という性質を得てそこにあると考えるわけですね。

だから、リンゴは食べられてなくなったのではなくて、そこにあったリンゴは龍源に食べられてなくなりましたという情報を得て、そこにあり続けるわけですよね。

坂東:あり続ける。

龍源:あり続けるんですよ。もうリンゴの実体はそこにないんだけど、リンゴがそこにあって、そのように龍源に手に入れられ、食べられてなくなった状態で、意味情報としてはそこにあり続ける。

坂東:なるほど。

龍源:ブロックチェーンってそういうことでしょ。

坂東:そういうことです。

龍源:どんな使われ方をしたかが、別に直接的には影響しないんだけれども、ブロックチェーンの記録上全部残っていくので。だから僕たちの行いも、何かをやってバレなかったからOKではなくて、それをやったことが空間履歴として全部保存されていきますよ、という考え方をする。

そういうものも、ブロックチェーンの技術を使って、僕たちはメタ的に自分たちがそうなんだと再認知できているんですよね。何かがなくなることはなくて、「無さ」を得てそこにあるという考え方を取った時に、じゃあどういう考え方、どういう行動をするのかは自ずと変わってくるはずですよね。

坂東:いや、そうですね。

龍源:バレなければOKなのか。だから、ブロックチェーンのお金は変な使い方をしたら、それが全部履歴に残っていく。

坂東:しづらくなります。

龍源:こいつ、こんなところでこんなことに使ってやがる、と誰かにバレるわけですから。

「つながりの可視化」で、心のOSを体現しやすい時代に

龍源:しかもそれを中央集権的に都合が悪いから消すみたいなことは許されない、できない仕組みになっているわけですから。

それってひょっとしたら、僕たちの真実の世界をすごく矮小化して、わかりやすいかたちで模式的に、僕たちは自分で見てるのかもしれないですよね。

坂東:仏教的な世界観とか、あるいは心のOSを体現しやすい時代になってきていると。

龍源:はい。直感的に、僕たちはみんなつながっているよね、と理解しやすい。例えばインターネットにつながったコンピューターみたいに、と言ったら、みんなすっとわかるわけです。

坂東:わかります。

龍源:これ、江戸時代以前やったら無理やと思う。たぶん「何言ってんだこいつ」となると思うので。

坂東:確かに。

武井浩三氏(以下、武井):SNSとかの存在も大きいですよね。つながりの可視化、ソーシャルグラフとか呼ばれるんですけど。俺みたいな生き方は、SNSがなかったら絶対できないですからね。

坂東:確かに。

武井:だから、つながりというもの……俺は現代社会においては、人間関係は情報でつながっていると定義をしているんですよね。だから情報通信、ITを使わないと、今みたいな例えばティール組織とか自律分散組織は、実装ができない。

坂東:そうですね。

武井:思想とは別で。でももう技術レベルでいうと、そういう社会実装できるテクノロジーはもうある。あとはどう実装していくか。でも、その実装を邪魔するのが、旧体制です。もうそこにずっとあらがってきているわけです。もうちょっといい戦略を編み出したいですね。

テクノロジーが進化しても、心が変わらなければ世界は変わらない

龍源:これ、弘法大師が、人の世界に存在しているあらゆる物事は、そこに生きている人の心が具現化したものだと言っている。なので、どんなテクノロジーとか物質とか構造を作り出したとしても、それをオペレーションしている人の心が変わらへんかったら、旧来それがなかった時代と同じことをするようになるよねという話を、1,200年前におっしゃっている。

そうですよね。Web3の技術ができたと言って、人間社会、イノベーターの人たちは「変わるぞ~!」とみんな騒いだわけですよね。

「これで俺たちの世界、変わるぞ~!」というのは、心がもうその先を見ているから変わると思うんだけど、大多数の人たちとか、今の世界でパワーを持っている人は、そのパワーは手放したくないわけですよね。

坂東:そりゃ、そうです。

龍源:そうしたら、今までどおりの心のあり方でそれを使おうとするから、そりゃそうなる(それがなかった時代と同じことをする)よね、と。だから僕は、心にアクセスすることが重要だと言い続けているのが、仏教だと思うので。

坂東:なるほど。だから、心のあり方、心のOSをアップデートすることがすごく大事なのではないかと。

龍源:大事だと思いますね。

坂東:それを200年かけてやっていきたいと。

龍源:そうですね。それをいきなりやろうとすると、ひずみが出るわけですよ。今の世の中に利権関係を持っている方もいらっしゃるし、それで家族を養っている人たちもいるわけで、そういう人たちの食い扶持を脅かすことは、これは明確に攻撃していることになりますから。

坂東:確かに。

本当に変わるためには、最低でも200年はかかる

龍源:それは仏教徒のすることではないですね。

坂東:なるほど。

龍源:なので、関わっている人すべてが納得しながら。100パーセントは無理だと思いますけど、できるだけ不利益を被らないように。本当にゆっくりゆっくり合意形成をしながら、知ると知らざると変わっていくことを考えた時に、最低でも200年ぐらいはかかるだろうなと思う。

それをね、俺が生きている間に俺がやったことの成果を見たい、となると「銃を取れ!」という話になるわけですよね。

坂東:なりますね。

龍源:「暴力革命だ!」とやってしまったらろくなことにならないのを歴史が証明していますよね。特に仏教徒としては、やはりそういう攻撃はするべきではないと思うので。まぁ口でね、ネタで言う分には許していただきたいところですけど。

坂東・武井:(笑)。

坂東:口で言うぐらいはね(笑)。

龍源:本当にね、その人たちの生活とかあり方とか、そこをよりどころにしている心みたいなものを脅かすことはやってはいけないと思うので、それはしたくない。それをしないためには、もう時間をかけないとしょうがない。

坂東:なるほど。そっか。僕らもあり方を変えていきたい。

心のOSと組織のOSのぶつかり合いを解消するには

坂東:心のOSのアップデートをしながら組織のOSをアップデートしたくてやっているんですけど、ここで自分たちの心のOSが変わった時に、組織のOSとぶつかってしまうんですよ。今の組織のOSは、資本主義と、さっき言った唯物論でできているじゃないですか。だからそことバチバチになってしまうんです。そこらへんはどうしたらいいんですか。

龍源:さっきお話ししたとおり、恐縮ですけど、時間かけて馴染ませるしかないと思いますね。

坂東:時間をかけてかぁ~。

龍源:やはり現実問題、金銭を中心にした価値観が早急に変わることはないわけですし。である以上、僕たちも、言うて現金がなかったら、マジで干上がるわけですよね。

坂東:干上がります。

龍源:まぁ、僕みたいにいつ橋の下に行ってもええわと思っていたらいいんでしょうけど、みんながそうなるわけにもいかないわけじゃないですか。

坂東:ない、ない。

龍源:それはするべきでもない。僕は出家者だから、橋の下に行ってもおもしろいと思うわけですけど、出家者じゃない人が橋の下に行ったらだめです。それはよくない。

坂東:ダメダメ。

龍源:ダメダメ、そんなの。僕的にはネタとしてありかなと思うんですけどね。やっぱりだめですよね。であるならば、それはアジャストするしかないですよね。

自分が望む未来に向けた「即する」の考え方

龍源:「即する」という字を僕はすごく大事に考えているんですけど、即していく、アジャストしていくことがすごく大事。どんな高邁な理念も、即しなかったらただの机上の空論になるか、ただの暴力に成り下がってしまう。

どう即するかが、これは我慢のしどころというかですね。心の大きさの見せどころなのかなという気がするんですよね。

坂東:心の大きさ。

龍源:僕が生きている間は、もうこれはしょうがないと。あと50年、100年ぐらいはこのままいくやろうと。ということは、自分もやっぱり現金のやりとりね。儲かった、損したとか、株上がった、下がったというところで生きていくのは、もうそれはしゃあないと。

ただ、しゃあないと言って黙って受けいれるのではなくて、自分が望む未来に対する原因を1ミリでもいいから前に進めて作り続けることが、菩薩の勇敢さ。経典とかに出てきますけど、真の菩薩は勇猛なんだ、勇敢なんだというんですね。

それは別に敵に向かって槍を掲げて突っ込んでいくのではなくて、どんな苦難があったって、どんな悔しいことがあったって、どんなに嫌なことがあったって折れないことですよね。絶対に前に進めるのはやめない。その勇敢さを持つ必要があると思うんですね。

坂東:僕たちは組織のOSをアップデートするプログラムを、武井さんとかと一緒に作ってやっています。この前「手放す経営ラボ」で、どういう未来を描いていこうかと、ビジョンについて語っていたんですけれども、その時、非常に盛り上がって。10年後には、50万社にこの「DXO」(ディクソー)が入ってる。自律分散型組織。ごきげんな組織になっていると。そうなったら、ノーベル平和賞じゃんみたいな。

龍源:いいですね。

坂東:向こうからやってくるよねと言っていて。言っていたんですけれども。

「すべての執着を手放した人」はいない

坂東:この、龍源さんの時間軸を考えると、僕ら10年後にどうなのかなみたいなのを、ちょっと思ってしまったんですけれども。

武井:50万社の、その定義が。僕らのコンサルティングという目線だと無理ですけど、アプリケーション……例えばAIの話とかが出ていましたけど、テクノロジーを使って、しかもそれをフリーミアムとかでオープンソース化して使ってもらうとかだったら、実際にできうるし。

坂東:そうか、そうか。

武井:その技術の発展速度、今、特にAIは半端ではないですし。

龍源:それは本当に役割だと思いますからね。できる人は、もうすごいスピードでやっていただいたほうがいいと思う。

坂東:確かに。スピードは手放さなくてもいいと。

武井:スピード……。まぁ、売上を、じゃあそこで100億円とかっていうのはちょっと違うなと思いますけど。

坂東:そこは僕らも言ってなかったね。

武井:そうそう。やっぱり前提として、たぶんその話も2年ぐらい前だったら盛り上がらなかったと思うんですよ。この2年の間に、ChatGPTが出てきて。急激に「これ、AIやばくね?」となったじゃないですか。

坂東:僕らができることが、スピード感がものすごく上げられそうだよね、と。

武井:言語だけではなくて、ビジュアルとかアートも今、全部作れてしまうし。しかも、その精度の高まる速度が今までのディープラーニングみたいなAIと桁違いなので。ちょっと期待しちゃいますよね。

坂東:うん。そうね。確かに。いきましょう。

武井:いや、別にそこは俺、ぜんぜん興味ないの。それ、言っているのはいつも坂東さん(笑)。

坂東:僕ですね(笑)。僕の煩悩。

龍源:いやいや、でもそれは煩悩ではなくて、慈悲心だと思います。

坂東:そうなんですか! 

龍源:だってみんなをハッピーにしたいわけでしょ。

坂東:そうです。

龍源:そこは執着しないといけない、と密教は言いますからね。だってすべての執着を手放したら死んでいるのと一緒じゃね、となるので。すべての執着を手放した人は、それも酸素の無駄遣いだからね。

坂東、武井:(笑)。

坂東:そうなんですか(笑)。

龍源:いつも思うんですよ。「私はすべての執着を手放しました」とかいう人、稀にいるんですけど。間接技かけたろかと思います。

坂東:(笑)。

龍源:だって全部執着手放したんでしょって。じゃあ「痛い」とか「離してくれ」という思いもないよね。

坂東:はい。

龍源:このまま手首を折りますけど、いいですよね、と頭の中でやります。

坂東:頭の中で攻撃性が。

龍源:本当にムカつくなぁ~と思って。

坂東:そういうの、あるんですね(笑)。

龍源:だって、嘘つくなよと思うじゃないですか。生きているのに「すべての執着を手放しました」って、嘘ですよ。そんな偉そうな顔して言われてもさぁって思いますよね。

坂東:いいですね。のってきましたね。のってきたところで、もうあと5分ですけど。

龍源:生きているんだから、その人をいいところに導きたいとかね、みんなでハッピーになりたいと思わないといけない。それは手放すべき執着ではないですね。持つべき慈悲心だと思っています。

自分の中の「余剰」を考える

坂東:なるほど。ちょっと告知などをしてですね、クロージングしていきます。あっという間に1時間半で、びっくりしています。こちらは今、画面共有をしていますけれども、次回のトークライブですね。8月に行いますので、よかったらまた参加してください。

それから、今日はアンケートですね。ぜひいただきたいと思います。それから、今日言ってたお布施ですね。これも受け付けております。これ、寳幢寺(ほうどうじ)のお布施が、このQRコードからできますので。みなさん今日聞いてみて、龍源さんにこの世に残ってほしいなと思った方は、ぜひお布施をしてください。

武井:みなさんぜひ。気持ち多めに。

坂東:(笑)。

龍源:ありがとうございます。

坂東:これは遠慮なく。

武井:そう。だって豊かさとは手放した時初めて確定するものであると。

坂東:名言、聞きましたね。

武井:龍源さんはおっしゃっております。みなさん。いくら手放しますか。

坂東:確かに。

龍源:自分の中の余剰をちょっと考えることですね。それはもう時間がないので、また次の機会があればと思いますけど。余剰です。自分の身を切ってはだめです。逆に、痛い出血をしてまで人に寄付をするのはよくないです。でも、余っている分、自分が別に自分に使わなくてもいい分は絶対あるはずですよね。

そこの境目が現代人は、わからないんですよ。それこそミルクボーイではないですけど、「お金なんていくらあってもいいもんですからね」と思ってしまうし、事実そういうシステムが組まれてるわけですよね。

坂東:システムが組まれていますね。

龍源:なので、そこに騙されずに、ここまでで自分は足りているとわかれば、そこから先は、言ったら他の人の分を今、仮に持っているんだというつもりで、使うべきところに使っていくことができたら。経済効果という言葉がありまして、お金は動けば動くほど価値を生んでいくわけですから。そうやって回していく発想にもなる。これもお釈迦さまがわかっておられたことですね。

あまりを理解して、あまり分は必要な人のところに流すんだ。それが豊かさなんだと、お釈迦さまはおっしゃっているわけですから。それはちょっと考えてみていただきたいなと思います。

坂東:あまりは、豊かさ。

武井:0、1個多めで。

坂東:そして寳幢寺の右横に、「手放す経営ラボ」の寄付のQRコードもありますので。気持ち多めでお願いします。

武井:(笑)。豊かですねぇ。

龍源:豊かです。

坂東:ということで、あっという間に時間になりました。いつまでもやっていたいような。

武井:今日は本当にね、3時ぐらいから。俺は2時半から。本当に長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

龍源:ありがとうございました。

坂東:ありがとうございました。

武井:すごく松波龍源がここまで……。

坂東:すぐに出てきちゃった(笑)。

武井:危ない、危ない。消化しきれてない。

坂東:今日、仏教に興味を持ったとか、仏教的な世界観、心のあり方をもっと知りたいとか、深めたいとか、自分自身に実装したいと思った時には、何から始めたらいいとか、どうすればいいのかは。

龍源:もう、ぜひ、ここに来ていただければと思います。

坂東:あ、いいんですね。

龍源:はい。ホームページからたぶん連絡先が出てくると思うので。事務局と日程を打ち合わせていただければ、来ていただけると思いますので。ぜひぜひ、お問い合わせをいただければと思います。

坂東:まさに、伝えるためだけに生きている。

龍源:そうですね。

武井:体現していますよ。僕、東京に住んでいますけど、うちの近所のお寺さん。なんか車がマセラティだ、と思って。

坂東:マジで!? 

武井:その和尚さんの話、何も入ってこない。

坂東:ぜんぜん入ってこない(笑)。

武井:体現する、あり方。

坂東:そうですね。はい。龍源さん、今日は本当にありがとうございました。