1000年前の「仏教」を、現代風にアップデートする

松波龍源氏(以下、龍源):まさに手放す経営ラボのみなさん、武井さんのフォロワーでいらっしゃるみなさんの興味の部分と重なるところも多いと思うんですけど、例えばティール組織やDAO、自律分散型など。

さらには何年か前にブームになりましたね。ペンシルバニア大学の先生のアダム・グラントが、『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』という本を書いて、「人に与える人こそが真に社会的成功を遂げていくのだ」という話があってすげぇとなったわけですけど、僕からすると「全部仏教じゃん」と思うんですね。

坂東:そうなんですね(笑)。

武井:(笑)。

龍源:2500年前から1000年前ぐらいに、仏教という枠の中にいた方々が、おそらく今言われているよりもより高い精度と深い思考を持って、いったんの決着まで、これ以上は行かへんだろうというところまで、やり尽くされたと僕には見えるわけです。

坂東:あらま!

龍源:先ほど言及していただいた空の思想や唯識の思想が展開していくと、結局すべてのものは関わり合い、関係性になっているので、万物は平等だとなるわけです。

そうすると、1つのところに集権していく在り方があってもいいし、それぞれが判断力を持って、自律分散的にやっていくのがあってもいいしとなってくる。そのあたりの議論はかなり精密になされていると、私は思うんですよね。車を改善する時に、もう1回「車輪というのがあって移動効率がいいよね」というところから始めなくていいわけです。

(一同笑)

龍源:仏教の人たちがやっていた部分があるけれど、ただそれはやはり1000年前。日本には漢文のお経というかたちで伝わっていたわけで、読みにくいし言い回しが古かったりして難しい。それをわかる人が現代風にアップデートして、現場に即したかたちでお伝えをして、「この考え方をうまく使ってくださいね」とできたら省エネだよねと、思うわけです。

坂東:確かに確かに。

龍源:そういうかたちで、仏教はもっと活きると思いますし、もっと知られるべきなのかなと思うんです。

仏教をわかりやすく教えられる人が活躍できない、社会構造の問題

坂東:僕らは手放す経営ラボで、自律分散型組織やティール組織、DAOなどを研究していると言ったんですけど、もしかしたらそっちの方向じゃなくて、仏教をもっとちゃんと知れば、そこにもっと精度の高い答えがある。

武井:いやぁ、もっと早く知りたかったわー。

坂東:(笑)。たけちゃんがそれを言っちゃう?

武井:うちは日蓮正宗なのかな。だから小さい頃からけっこうお経を読んでいて。

坂東:なるほど。

武井:お経をしっかり覚えている。「南無妙法蓮華経 方便品 第二爾時世尊」けっこう読めるんだけど、意味をほとんど知らなかった。

龍源:(笑)。

坂東:教えてくれなかった。

武井:子どもの時は音で覚えちゃうから、「南無妙法蓮華経」はそういうもんだと思っていたけど、両親も別に意味を詳しく教えてくれるわけでもないし、たぶん両親もそんなに知らなかっただろうし、お寺さんに行ってもそんなに教えてくれないし。でもここで龍源さんの話を聞いた時に、「あいつら、教えろよ!」と。

坂東:あいつら(笑)。

武井:「仏の話をするのがお寺なんじゃないの?」とシンプルに思って、俺、これを知っていたら自律分散型組織を作るのが、もうちょっと楽だったかもしれない。

坂東:確かにね。

武井:手探りでずっと傷だらけになりながらやっていた感じなので。

坂東:本当よね。僕もそうだもん。だからといって、2500年前からある難しい仏教を、今の時代に合ったかたちでわかりやすく教えてくれる人がちまたにいるかというと、なかなか少ない。

龍源:能力がある方はいっぱいおられると思うんですよ。この分野で私よりも能力が高い人を、僕はいっぱい知っているんですけど、社会構造として活躍できないんです。そういう人たちが表に出てきて、求められ、それを提供して喜ばれる仕組みが、日本にはなぜかない。

坂東:おお、仕組み。

龍源:仕組みだと思います。本当に社会構造ですよね。

すごい仏教の説き手なのに話を聞けないもったいなさ

龍源:お寺さんは「お葬式してくれるところでしょう。法事でなんかよくわからん呪文みたいなお経を唱えてくれて、それにお布施という名前のお金を払うんですよね」という社会認識になっていますよね。

そうじゃなかったら、例えば京都なんかいっぱいありますけど、本山クラスだと「この仏像は、国宝なんやて」と言って、パンフレットを持った団体の人………(笑)。

坂東:僕もよくやります(笑)。

龍源:博物館機能として役に立つのも大きいと思うんです。

武井:博物館機能(笑)。

龍源:でもそれは「悟った人が教えてくれたことなの?」というと、ちょっとずれる。「こちらにありますのが、運慶作の仏像でございまして」となんも知らんような顔で案内してくれている人が、実はめちゃくちゃすごい仏教の説き手だったりすることもあるわけです。

坂東:なるほど!

龍源:ただ見に来ている人はパンフレットを見て「ああ、なるほどなぁ」とは言っても、「空についてちょっと教えてくれませんかね。1時間くらい時間を取るんで」という人は、誰もいないわけですよ。

坂東:いないですね。

武井:(笑)。

龍源:そうするとその人も「ああ、本当はこんなのが仏教なんじゃないんだけどな」と思いながら、「これは重要文化財で、これは国宝で、これはなんでもないですわ」みたいな話をするわけですよね。

武井:(笑)。

龍源:もったいないです。めちゃくちゃもったいない。

坂東:なんですか。需要と供給が合っていない。

龍源:潜在的にはニーズがあると思うんですけど、市場が満たされうる可能性を見れていないわけです。

坂東:知らないですよね。だってニーズがないもん。

徳川家から400年続く、ニーズを作らせない「仕組み」

龍源:江戸時代以降、そういう構造をおそらく作ってこなかったわけです。江戸幕府は基本的に宗教勢力を怖がった政権なので、どうお坊さんに力を持たせないようにするかをがんばった。それが徳川家だと。それ以来の伝統なんだろうなと思うんですけど、宗教、仏教に対するニーズを作らせないのが、ずっと400年くらい続いちゃっているわけですね。

坂東:ニーズを作らせないように、それこそ仕組み作りですね。

龍源:そうされてきたんじゃないのかなと思います。このあたりは歴史学者の先生に専門的な知見を仰ぎたいですけど、僕はそう思いますね。

坂東:なるほどね。

武井:中央集権が他の権力を恐れるということですよね。それは歴史の中では世界でもずっと起きていますよね。

龍源:やはり徳川家康にとったら、石山本願寺勢力がトラウマなんですよね。信長に勝ちかけた人たちですからね。それはやべぇというわけで、二度としてほしくない力学が働いたんだろうなと思いますね。でも今、別に僕たちは竹やりを持って鉄砲隊に突撃したりしないし。

坂東:(龍源さんは)けっこう強そうですけどね。

武井:(笑)。

龍源:鉄砲で撃たれると死ぬと思うんですよ。

坂東:そっかそっか。素手ならね。

龍源:素手だとまだいけるんですけど。刃物ぐらいでもまだ戦えると思います。

(一同笑)

龍源:鉄砲で撃たれるとさすがにと思うんですけど。

坂東:確かに。

龍源:今僕たちが必要としているのは、やはり生きる指針。人間として、言ったらホモ・サピエンス・サピエンスという種族として、どのようにものを考え、体を動かして生きていけばいいのか。他者との関係をどう作っていけばいいのか。それを必要としているわけです。それをストレートに説いているのが仏教なんで。

別に竹やりを持って突っ込んでいく人たちはいないんで、構造としてそれを求めさせないようにする必然性なんてないはず。

坂東:確かに。

武術家出身だからこそ取り組む「社会構造を変える」仕事

龍源:別に今の日本国政府も「仏教を教えたらダメ」ということは言っていないわけですけど、ニーズというか発想自体が失われているわけです。

坂東:(発想は)ないです。

龍源:仏教に答えがあるかもしれない。自分に合うか合わないかはわからないけど、とりあえず「仏教とはそういう生き方を教えてくれるものなのだ」という発想が、もう皆無なわけですよね。潜在的にそれを保持している人がけっこういらっしゃるのに、その人たちは一切能力を発揮できないことが起きる。

僕はそれをなんとかしたいんですね。普通のお坊さんたちは「無茶をしてでも社会構造を変えてやろう」というむちゃくちゃなことは考えない。それは武術家出身である私の仕事かなと思っています。

(一同笑)

坂東:そうなんですね。武術家は、むちゃくちゃ(なことを)しやすいですか。

龍源:むちゃくちゃしやすいですね。やはり戦略を考えますね。戦いが前提にあるので、戦略戦術を考える癖はありますよね。状況が行き詰ってしまったら「行き詰ったね」と言っているうちに、こっちは殴られてしまうので、その時になんとかしなきゃいけないわけ。

文句を言っている暇があったら、状況を打開するためのアクションを取らないと。武術の場合にはその瞬間にやられてしまう。僕の師匠たちによって思考法は叩きこんでいただいているんで。

坂東:(笑)。

龍源:だから「今の仏教の状況は良くないよね。能力のある人が能力を発揮できないよね」と言っているだけじゃなく、自分なりになんとかできる領域で、なんとかしようとしているのかなと思っています。

目線を変える、自分に対する束縛を外す

坂東:具体的にどんなことをされているんですか?

龍源:まずは目線ですよね。普通の会社のお仕事でも「お前はどっちを向いて仕事してんねん」という話があるじゃないですか。目線を「伝統を守らなきゃ」「自分の檀家さんに求められているサービスを」「先代がこうやっていたからこうや」という内側に向けるんじゃなくて、「仏教を必要としてくれる人に理解してもらうためには、何をどうしたらいいだろうか」という目線に転換する。

本来潜在的に(仏教を)必要としている人はめちゃくちゃいると、僕は思っているわけです。僕が寺院出身じゃないからやりやすいんです。背負っているものは何もないですもん。ある意味、そういう意味で僕も無敵の人なんで。

坂東:跡継ぎがいない。跡継ぎでもない。

龍源:(跡継ぎは)関係ないし、天涯孤独に近いような身なんで、別にどこで死んでもいいと思うわけで、テロとかしかねないタイプなんですよ。

(一同笑)

坂東:危ない危ない。

龍源:だから無茶ができる。もともと武術をやっている人間なので、発想の仕方は普通のお坊さんと言われている領域の人たちとは、ちょっと違うのかなと。だから、まずは目線を変える。

あと自分に対する束縛ですね。固定概念や思い込み、「そりゃそうでしょ」というものをいったん全部外して、どんな世界が見えるかなと。まさに実験になってくるわけですよね。

坂東:なるほど。そうしたいと思っている人がお坊さんの中にもいるかもしれないけど、後継がなきゃいけないからとか。

龍源:そうです。

坂東:檀家さんがいるからなとか。

龍源:大変ですよ。僕も、いろいろと仲間たちの声を聞きますけど、どれだけ志が高くても物理的に身動きができない人は、いっぱいいますから。それは本当に気の毒でしかないし、僕は全日本にとっての損失だと思っています。それをなんとかしたいですね。