数々の作品で映像化された「はやぶさ」の物語

中須賀真一氏(以下、中須賀):ちょっとおもしろい話をすると、今言ったように、はやぶさの1号機はとんでもなく大変な思いをして、最後は胴体ごと突入してカプセルだけ帰ってきた。

何が起こったかと言うと、映画が4本もできたわけ(笑)。たぶん、すーっと帰って来ていたらできなかった。

杉山大樹氏(以下、杉山):無理ですね。

中須賀:でしょう? これが日本の浪花節的だよね。

久保勇貴氏(以下、久保):「ど根性」みたいな。

中須賀:それだけ大変な思いで帰ってきたから良かった。世の中の人がみんな涙をし、映画を見てまた感動する。その時は、はやぶさのアイデアを出した川口(淳一郎)先生がプロジェクトリーダーだった。

久保:僕の指導教官でしたね。

中須賀:だから、すごい人の指導を受けているわけだよ。この川口先生の役を誰が映画でやるのかと、けっこう僕は見ていてね。一番最初のやつは、確か渡辺謙がやったのね。

久保:そうでしたね。

中須賀:「これは嘘でしょう」と(笑)。

久保:(笑)。かっこいい。

中須賀:かっこよすぎる。佐野史郎がやったのもあったな。あれは近いよね。

久保:あれは確かにすごくいいですよね。

中須賀:似ているよね。

久保:「うわ、わかる」みたいな(笑)。

一方で、完璧すぎてスポットが当たりにくい「はやぶさ2」

中須賀:途中でいろいろな失敗があって、それでもちゃんと帰ってきたじゃない。一時、「あれは全部宇宙研が作ったんじゃないかな?」と思っていたの。

久保:その失敗をね。

中須賀:失敗らしきものを。

杉山:全部? 手のひらで?

久保:それだったら問題ですよ。

杉山:問題です。大問題です。

久保:でも、本当にそれぐらい良くできた話ですね。良くできすぎていて、そう思っちゃうというか。

中須賀:できすぎている。最後はちゃんとあれで地球に帰ってくるわけだから。2号機は、比較的すーっと行ったのね。

久保:ほとんどのミッションを完璧にこなして、最後もカプセルだけを落として、はやぶさ2は今もまだ別の小惑星に向かって飛んでいってるんですよね。

杉山:かっけー。

中須賀:かっこいいんだよね。

久保:ただ、映画にするにはそういうドラマが足りない。

中須賀:映画が作れないんです。

杉山:それはそうですね。

中須賀:「なんで、映画を作ってあげてよ!」と思うけどね。

久保:ドキュメンタリー系はね、NHKの方がされていますね。

リアルタイムで「はやぶさ」の帰還を見た世代

中須賀:あのプロマネをやったのが津田雄一といって、僕の教え子なんですが。

久保:そうですね。中須賀研で。

中須賀:僕らが人工衛星を2003年に作り始めた……。

久保:ちょうど第1世代ぐらいですか?

中須賀:第1世代。彼が最初のプロマネだから。

久保:そうですよね。

中須賀:学生の時から本当に衛星作りをやって、失敗もいっぱい経験しながらJAXAに入った。だから、失敗経験を活かしたプロジェクトマネジメントをいろいろやって、非常にうまくいったんですよ。

彼ががんばってくれたので、僕は本当にうれしくて。そのはやぶさの話が、本(『ワンルームから宇宙をのぞく』)の中に入っているからね。

久保:そうですね。はやぶさの話は、またボイジャーとは別の回で。

杉山:見どころばっかりじゃないですか。ちょっと1冊じゃ足りないんじゃないですか?

久保:僕ら世代のことを書いた話なんですよね。僕ら世代や、僕らの後輩・先輩の世代は、まさに中高生ぐらいの時にはやぶさが帰ってきた世代です。

なんと言うか僕らにとっては、大気圏にがーっと突入する光景がまさに希望の光だったんですけど、僕ら世代の感覚から言うと、「日本は借金がたくさんあって、もう落ちぶれていっている」みたいな。

中須賀:国としてね。

久保:はい。

暗い日本にとって、はやぶさは希望だった

久保:ちっちゃい頃から、「失われた何十年」とか、そういうことをずっと言われている世代で、みんな苦しいというか先が見えない。

「老後になったらもう年金はもらえないんだろう」とか、そんな話をずっと聞かされてきた世代にとって、はやぶさは1つの象徴的な希望のあるエピソードでした。「まだ僕らの国にはできることがある」みたいに映ったものだったんですよね。

杉山:確かに。

中須賀:勇気を与えたんだね。

久保:ただ、本には後輩の1人が博士課程を辞めた話とかを書いているので、なかなか難しいですよね。(はやぶさは)希望ではあったけど、希望だけで飯が食えるのか? みたいな話とか。

実際に生活は大変で、博士課程の学生は貧困しながら研究をやっていて、なんかいろいろモヤモヤしていて。結論は何も書いていないし、出せてないんですけど、そういうことを(本の中では)書きましたね。

中須賀:今の宇宙開発は、やはりアメリカが1番で、中国もがんばっているね。日本もだいぶ落ちてきつつあるんだけど、はやぶさは完全にアメリカ、ヨーロッパの10年先を行っています。それぐらいすごい技術。よくこれができたなと思ってね。

しかも、アメリカで「オシリス・レックス」というのが上がったけど、コストで言うと、はやぶさはそれの約4分の1ぐらいの値段でやったんです。だから日本は本当にすごい。

成功の秘訣は、少人数の“天才”によるマネジメント

中須賀:彼がいた宇宙科学研究所というのは、それだけのすばらしい成果を上げているところで、なんで宇宙研がそんな成果を上げてきたのかという理由を、ちゃんと分析したほうがいいな。

久保:確かに。なぜうまくいったのか、ちゃんと振り返るべきですね。

中須賀:「なぜうまくいったのか」という振り返りを、本当にやるべき。僕のイメージは、ものすごい「天才」というかできるやつが、少人数でマネジメントしたからだと思うんだよね。

多人数でやると、お互いのコミュニケーションなどでいろんな齟齬が出てきて、それをマネジメントするのにまた組織が……って、どんどん大きくなっていっちゃうから少人数でやる。

一点突破的にがんと行くのが宇宙研のやり方だから、逆に宇宙研は大きな衛星をやらないほうがいいんだよ。

久保:なるほどね。

中須賀:これぐらいの人数でマネジメントできる衛星をやっておくと、僕は世界一の研究ができると思うんだよ。今、宇宙研にもいろいろ話はしているんだけどね。

本当に宇宙科学研究所というのは、お金も少なくすばらしい成果を出したということで、僕らにとってキラキラしている組織なんですよ。

楽しんで取り組むことはアイデアが生まれる

久保:中須賀先生がやっている大学の研究室も、やはり少人数精鋭でやっているんですか?

中須賀:僕らは衛星のサイズが小さいから、プロジェクトマネジメントとかシステムの複雑さがそんなに大変じゃない。逆に大変じゃないからこそ、これくらいのサイズでもいい成果が出せる。

久保:中須賀研はチームワークというか、すごくみんなが集中していて。電源だったら電源、通信だったら通信とか、各担当がわりとスペシャライズして専門家みたいにやっていて、すごい研究室だなというのを横で見ていて思います。

中須賀:いやいや、好きだからやっているのね。楽しいからね。やはり「楽しい」というのは大事だよね。楽しいことはアイデアが出るんですよ。

だから、「楽しくない」ってしかめっ面してやっていたらたぶんダメで、宇宙研のプロジェクトも、やっている人たちが本当に好きだなというのがわかるわけ。

好きなことはものすごくいい成果が出るんだよね。僕は宇宙研を見ていて、いつもそう思う。厳しいけれども、その裏で「世界一のことをやっている」という思いと、「好きである」ということが成果を出しているんだなと思いますね。

杉山:めちゃくちゃいい話。

日本に足りないのは、プロジェクトの機会提供

杉山:ちょっと思っていたのが、めちゃくちゃ長い時間を超えても、この2人(杉山氏と中須賀氏)はすごくつながっている。

それって(2人の共通項として)「宇宙」があるからだし、トッププロジェクトというか、輝いている話をした時に、2人は完全に1人ぐらいの感じで話しているじゃないですか。

久保:すみません。(杉山さんを)ほったらかしてしゃべっていました(笑)。

杉山:すごい。もう僕、いなくてもいいなというか。

中須賀:何? 嫉妬(笑)?

(一同笑)

久保:さみしがっているだけ。

中須賀:さみしがるんだね。ごめんね(笑)。

杉山:(笑)。いい組織というか、いいプロジェクトとずっと先にも残っていくというか。

中須賀:そうだね。大変だけど、やはりプロジェクトは本当に楽しいよね。うまくいかなくても、やり遂げた時の達成感はものすごくて。

日本人にはまだそれを感じられるような能力は十分あって、そういう目標が与えられた時に、世界中で一番努力をする国民だと思う。(現状ではそういうプロジェクトが)ないのはそういう機会を与えてないんだよね。

こういう機会を与えてあげることが、自分の研究室の中での仕事だと思っていて。彼らは本当に目の色を輝かせてやるんですよ。おもしろいから。打ち上げた後、20日間家に帰らなかったやつとかね(笑)。大学の冷水シャワーを浴びて過ごすんだよ。

杉山:滝行じゃねえんだから、という。

中須賀:でもね、楽しいからやるんですよ。

学生を楽しませることが先生の仕事

中須賀:その「楽しい思い」をどう提供してあげるのかが、僕ら先生の仕事だと思っていて、宇宙研の先生もそういう能力は高いんだと思うのね。

「これをやればみんながガッと進む」というようなプロジェクトを提案する。それは世界一じゃなきゃダメ。世界2位じゃダメ。でも、できないのはダメだから、できる範囲内で提案して、下の人たちを焚きつけて。

僕がよくZoomとかで学生にしゃべっているところを、うちのかみさんが見て「アカデミック詐欺」と言うんだよね(笑)。

杉山:なんで?

中須賀:学生をたぶらかしているように聞こえる、という話(笑)。

久保:煽って煽って。

杉山:でも、それが仕事ということですよね。

中須賀:学生を楽しませたり、やらせる気になるのが僕は好きなので、それをやるんだけど。でも、そういうのが先生の仕事だと思う。

大事なことは、今はいろいろ沈滞しているけれど、そういう機会を何らかのかたちで若い人たちに与えてあげることなんですよ。それが僕らの仕事だと思う。だから僕は研究室をやっているし、久保君もそれを感じたなら、今度は自分がそれを与える立場になる。それがすごく大事だと思うな。

杉山:かっけー……。かっこよくない?

中須賀:いやいや、別に大したことは言っていないよ。

久保:大したことですよ。

杉山:こんなふうに言えるのがかっこいいと思いますけどね。すみません、次に行きましょうか。

中須賀:何を言うか忘れたんだけど。

久保:(笑)。

杉山:あはは(笑)。すみません。

学生時代、父親とのエピソード

中須賀:そうそう、星を見てお父さんに「あれは太陽です」と言うくだりがありますよね。

杉山:「これも太陽なの?」と言って。

中須賀:あれ、なんでお父さんはそんなにびっくりしたの?

久保:(本の中の)「父ちゃんとじいちゃんとコロナと太陽」の話ですね。父ちゃんはあんまり天文の知識がなかったので、たぶん星は星として見ていたんだと思うんです。実は僕らの見えている太陽は近づくと……。

「夜空に輝いているちっちゃい星の粒、あれは一つひとつが実は太陽で、その周りにまた惑星が回っていて、太陽系と同じようなシステムがあるよ」という話を父ちゃんにしたらびっくりした、というところから冒頭が始まっているんですね。

父ちゃんに言ったら意外と、「その話、まだ覚えとるわ」と言っていました。

中須賀:いつ頃? 高校の時?

久保:言ったのは高校ぐらいでした。この前しゃべった時も、まだ覚えていましたね。

中須賀:星のように見えるところにもちゃんと太陽のような熱があって、ある種ちゃんと生きているよ、という感じの章だったよね。

コロナ禍で感じた、殺伐とした空気

久保:この時はまさにコロナウイルスが流行っていて、実は当初、連載では別の回を書いていたんですよ。でも、「コロナウイルスやべー」となって、UmeeTでもコロナの記事を出そうと言って、1週間ぐらいでがーっと書き上げたと思います。

まさにあの頃って、なんと言うんだろう……例えば若者から見たら「年寄りは出歩いているのに、なんで学校は行けないんだ」とか「日本人は何もしていないのに、なんで中国人が(出歩いてるんだ)」みたいなこととか。

他の人もちゃんと温度感を持った人間なのに、そういうのが見えなくて、冷たい点としてしか人を見れていないような殺伐とした感じが、ちょうど(2020年の)3月くらいのあの時期にはあったんですよね。やはりそれが苦しくて、それとなぞらえて書いた章でした。

中須賀:それぞれが1つの太陽として熱も持っている人であり、ある種の人格を持った人であるというところを、もう一回思い出しましょうよというイメージかな。

久保:そうでしたね。祈りも込めてというか、そういうふうに書いたものでしたね。