元投資家兼シリアルアントレプレナーで、出家した小野龍光氏

山下悠一氏(以下、山下):まずは小野さんのお話をうかがって、そのあと対談形式でお話を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。

小野龍光氏(以下、小野):みなさま、お忙しい中お時間をいただきまして、ありがとうございます。小野龍光と申します。

たぶんはじめましての方がほとんどだと思います。なぜ僕がこのような姿になったのかを少しだけお話させていただいてから、Q&Aとうかがっていますので、さっそく始めさせていただきます。

いろいろとメディアに出させていただき、こんな格好をしていると、何か偉そうな人間のように勘違いされます。けれども本当に何者でもない、ただのさまようボウズで、仏教僧とすら名乗っておりません。何もできることはないつもりではありますが、幸いにしてこのような縁をいただいたので、戯れ言として聞き流していただければと思います。

事の発端は、去年の9月です。画面の左側に出ているのが、親友の高橋淨休。彼も去年の7月に得度したばかりの人間で、家は寺と何も関係ありませんが、彼が急に得度した。

自分もたまたまそのタイミングで会社を辞めて、少し資本主義と距離をおこうと考えていました。じゃあどこかへ行こうかと考えて、たまたまインドに行って、たまたまこうなった次第でございます。

このあたりは、旅の様子をYouTubeにまとめていますので、興味がある方はご覧ください。「JQクエスト」という名前で、いろいろとダイジェストも作っています。

声で出演しているのが僕で、高橋淨休さんがメインキャラクターです。去年の9月にインドを旅し、そこで縁あって出家してしまいましたという流れです。

得度イコール出家で、「なんだかすごいことをしたね」とよく言われますが、誰でもなれます。日本でも基本的にはカジュアルにできます。

日本とインドではちょっと違いがあります。インドの場合は500ルピー。だいたい800円ぐらいでなれます。僕は最初にお金を払い忘れて、のちほど収めました。特に年会費もなく、一応戒律はありますが、義務も特にありません。いつでも辞められます。

その代わり、衣とお名前、自分の場合は龍光という戒名ですね。戒名をいただいたということは、一度死んだ人間と同じ設定ですね。得度とは(三途の)川を渡ることです。

ですので、何者でもないと申し上げていますが、0歳児の人間です。これは嫁に言われている言葉ですが、「放浪癖のある無職のハゲの言葉」的に聞いていただければと思います。

売上や時価総額を追い続けた“前世”の苦悩

小野:(スライドに「なんでこうなった」という言葉がありますが)みなさん、ここが一番の興味のポイントではないかと思います。得度前のことを前世と呼ばせていただいていますが、端的に言うと、自分は欲にあふれたビジネスパーソンでした。

資本主義において、いろいろなビジネスをやらせていただきました。シンプルに誰かの幸せのために、未来の価値のために、事業を起こしていたつもりでしたが、事業で見られるのは常に数字になりますよね。売上や時価総額といったお金の量。しかもそれをいかに早く大きく出すかが常に求められる。

気がつくと、誰かの幸せのためにやっていたはずのビジネスなのに、数字ばかりを追いかける自分が生まれ、数字のためにむしろ人を不幸にするというか。社員に対しても、お客さんに対しても、心にも思っていないことを言うような自分が生まれたり。20年ほど資本主義の中にいて、正直ずっとモヤモヤとして、悩んでいました。

単純に誰かに喜んでもらったり、幸せを感じて「ありがとう」と言われたり、そして何かインパクトを残せればとやっていたんですが。どうしても数字を求める中で、数字がうまくいった時は「またさらに上へ」とキリがないことや、数字がうまくいかないと自分がさも無価値の人間かのように苛まれるんですね。こういった苦しみが、常につきまとっていたのが前世でした。

悩んでいて、そろそろ足を洗おうかと思っていたところに、高橋淨休くんが突然「得度したった」というメッセージと、こんな写真(袈裟をつけ、頭を剃って座っている写真)を送ってきたんですね。しかも「仁和寺で正式に」ということで、非常に驚いたわけです。

何が起きたのか聞かせろと我が家に呼んだら、最初にビールを要求してきたので、こんなカジュアルでいいんだ、と驚きました。彼のことをJQと呼んでいるんですが、「JQ、お前お経を読めたっけ?」と聞くと「わからない」「大丈夫なの?」「いや、口パク」と言って、その経典も犬に食われるようなんです。

「大丈夫なの? 大事なものなんじゃないの?」「大丈夫、大丈夫。コピーがあるから」と言っていて、こんなカジュアルな出家があるんだと驚きでした。

一緒にいろいろと話をして、ちょうど自分も会社を辞めるので暇になる。彼も彼で「お坊さんになってどうするの?」「わからない」と言っている。「でもこの格好で世界に行ったら、いろんな人と友だちになれそう」と言うので、2人でどこかに旅行に行くことだけが決まった。

Facebookにそのことを書いたら、コメントで「仏教の発祥地、インドにおいで」と呼ばれて、たまたまインドに行くことになった。

行くからには何かおもしろい旅をしようと、とにかく片道切符で何も決めずに、行き先も宿もその場で適当に決める。何だったら次の行き先や、最初に入る街も、オンライン投票で決めてもらおうみたいな。風の吹くままに、去年の9月に旅をしました。

ヒンズー教徒が多数の国で仏教を広める佐々井秀嶺氏との出会い

小野:当然この時は、自分が得度するなんて1ミリも想像していませんでした。バスに揺られたり、深夜特急というと聞こえはいいですが、(スライドの)こんなところで19時間過ごしたり。

実にいろいろな旅になりました。

結果的に34日間で13都市を2万キロぐらい旅しました。その中にナグプールという街があって、この街で一番時間を費やし、かつ、ここで自分が得度することになりました。

宣伝になってしまいますが、旅の始まりから、僕が小野龍光として出家に至るまで、どんどん心が固まっていく様子などは「JQクエスト」という名前で、YouTubeで公開していますので、ご興味があれば、自分の変化ぶりをご覧いただけると思います。

結論を申し上げると、その旅の始まりのタイミングで、「インドに行くんだったら佐々井秀嶺なる人がいるから、仏教徒なんだったら会いに行ってみたら」と紹介をされ、この方に出会って僕の人生がガラリと変わりました。当時87歳、今88歳の方ですね。

インドにはヒンズーとひもづくカースト制度があり、カースト制度のさらに下にダリッドと呼ばれる不可触民の人たちが、約2億人ぐらいインドにいると言われています。憲法、法律上では差別はなくなっているはずですが、いまだに厳しい差別が残っています。

例えば、水すらまともに飲ませてもらえないとか、他の奴隷民と言われるシュードラの人も含めて、上のカーストの人から見られてもいけないし、見てもいけない。影を踏んでもいけない。そんな扱われ方をしています。

かなり壮絶なニュースも過去にはあって、ダリッドと呼ばれると、犯罪者かもしれないということで警察署に連れて行かれ、目に硫酸を流されて盲目になって帰った人が何十人もいるとか、朝起きたら村の娘さんがレイプされて、全裸で道路脇に捨てられていても誰も見向きもしない。そんなのが日常茶飯事のような、過酷な差別を受けている。

そういった人たちに、あらゆる生き物は平等であるという仏教の教えを広めて、そこから抜け出させる。自分たちにも人権や生きる権利もあるし、学べばいかようにでも人生を変えていけると、55年間説いているのが佐々井さんです。

影響を受けた佐々井氏の55年間の功績

小野:去年の9月にインドに旅をすると決めた時に、佐々井秀嶺なる人物を初めて知り、この(スライドの)白石あづささんの本を読んで、旅の間に会ってみたいと思いました。

結果会えることになって得度に至ったんですが、ぜひこの本もご興味があればご覧ください。

今日は時間がないので、佐々井さんの活動については本当にごく一部しかご紹介できませんが、今でもインドは8割がヒンズー教徒で仏教徒は非常に少ないんですが、佐々井さんが(インドに)入った55年前はインドの仏教徒は数十万人しかいなかった。それが今では1億5,000万人まで増えている。

今年も10月に行われますが、ヒンズー教徒から仏教に改宗するイベント。毎年(スライドの)このように何十万人も集まります。

これを仕切っていらっしゃるのが佐々井さんです。

2日ぐらい前まで、10日間ずっと佐々井さんと一緒に過ごさせていただきました。90歳近いご高齢で、まさに命をかけて、人さまのために朝から晩まで呼ばれればどこへでも出かける。

何度か暗殺の危機に陥っていますが、誰に対してもオープンな方です。一番感銘を受けたのは、それまでインドのいろいろな街を見ましたが、どこもかしこもゴミまみれで汚い中、佐々井さんのいらっしゃるナグプールだけは、驚くほどきれいでした。

一般の方々が、朝から掃除をしていらっしゃいます。そして佐々井さんのいらっしゃる寺に近づけば近づくほど、みなさんが我々の目を見て、ジャイビームという向こうのご挨拶をして、なんだったらわざわざ車を止めて、車から降りて挨拶をする。端的に言うと非常に道徳に富んだ街です。

55年前、佐々井さんがインドに入った時は、スラム街で治安も非常に悪いとされた地域が、今では州の中で2番目に識字率が高く、教育レベルも高い街に生まれ変わっている。仏教を通して、1人の方がこれほど変えたことに対する驚きが、自分を得度に向かわせた背景です。

(スライドの)これはインドラ地方というところで、寺のすぐ近くにあった落書きです。「インドラの少年よ! 妥協するな!」と。

力強く、美しく生きる人たちが生まれていることに一番感銘を受けました。

それまでは資本主義の中で、誰かのために立つことをやってきたわけですが、佐々井さんは資本主義や数字などは一切問わず、ただただ人さまのために立ち続けて、1つの街を変えている。こんなこともあり得るんだということが自分を揺さぶりました。

とは言っても簡単には出家できず、このあたりもご興味があれば「JQクエスト」をご覧いただければと思います。このあたりは割愛します。