教育の究極の課題
藤野英人氏(以下、藤野):今視聴されている方には、成田さんのことをよく知っている方もいらっしゃるけど、知らない人もいらっしゃって。今日私が「成田さんと話すよ」という話をしたら、ある人が「あ、ひろゆきさんの頭のいいバージョンですね」みたいなことを言って。「いや、ひどいな。ひろゆきさんはかなり頭がいいんだよ」という話をしたんですけど(笑)。実際成田さんはどういう仕事を……。
成田悠輔氏(以下、成田):ひろゆきさんが頭がいいのか、いいふりをしているだけなのか問題は、けっこう日本社会にとっては深刻……。
藤野:いやいや、そこはまた置いといて(笑)。成田さんが具体的にどういう仕事をしているのかについて、視聴者の人にわかりやすくお伝えいただけますか?
成田:もともとは研究者で、出発点は教育や医療といった領域のいろいろな政策や制度に効果があるかどうかを検証したり、新しく何かを導入したら、その後の世界で何が起きるかを予測するようなことをやってきたんですよ。
藤野:なるほど。
成田:具体的には、例えば教育で、みんなが有名でいいとされる学校に入るためにがんばったりするじゃないですか。それから社会起業家の人たちが「これまでの公立教育はダメだ」と言って、新しいオルタナティブな学校を作ったりしていますよね。
そういう、いいとされている学校やオルタナティブな学校が本当に普通の学校に比べていいのかどうか。それをデータを使って測っていくといったことをやっていて。自治体の教育委員会や政府と組んだりして、彼らが持っている非公開の行政データを使って、そういう素朴な疑問に答えていくようなことを研究者としてやってきたんですよね。
藤野:幸福度やウェルビーイングのところで言うと、そういうオルタナティブな学校は千差万別だと思いますが、おおむねどういう結果が出ていて、どんな印象を持っていらっしゃいますか?
成田:特に難しいのは、オルタナティブな学校は一校一校ユニークで違うことをやっているからこそ価値があるという部分もあるわけですよね。
藤野:そうですね。
成田:ただ、一校一校で考えると、そこに通う人の数もたかが知れているので、蓄積されるデータも量的に限られる。そうすると、効果があるかどうかを、信頼できるかたちで測るのがどんどん難しくなるというジレンマがあるという気はしますね。これは教育の究極の課題かもしれません。
何かの効果を測る際の2つの側面
藤野:私は最近『Dark Horse』という本を読んだんですが、アメリカでも日本でもそうだけど、「標準化モデル」というのがあって、国語、算数、英語、理科、社会の標準的な課題を単位時間内の中で速く正確に解くことができる人がエリートになる。日本だとセンター試験で合格して、東大や京大などの有名大学に行き、エリート官僚やエリートサラリーマンになるという標準化モデルで競争していくと。
これがスタンダードな道だと言われているけど、そうではなく充足感といった小さなモチベーションを軸にやるほうが結果的に垂直的に成功する可能性がある。そういう人が「ダークホース」というモデルで、意外にその人たちのほうが量産化できるかもしれないと。
ただ、どこに行くかがわからない。標準化モデルと異なる、どこかの外れ値に行って何らかの成長はすると。
成田:それはすごく重要な問題で、何かの効果を測る場合は、2つの側面を分けて考えないといけないと思っていて。何かの尺度が与えられた時に、その尺度にしたがって伸びているか、最適化できているかの測定が1つですよね。もう1つが、その尺度自体を自分自身で作り出せているか。
藤野:そうそう。
成田:という問題があると思っていて。後者の「尺度自体を作り出していく」とか「ゴール自体を自分で見つけていく」という営みを、データでどう測るかはすごく大事だと思うんですよね。
教育でも、単純にどれぐらい成績がいいかとかうまくできるかとは別に、例えばすごく不得意で成績は悪いんだけど、それが好きでどんどん時間を費やしちゃうみたいなのがあるとすると、その人の幸せや充足度とすごく関係がある可能性が高いと思うんですよ。
藤野:そうですね。
成田:でもそういう側面って、無視しちゃう場合がすごく多いと思うんです。だからどっちかと言うと、その効果を測る上でも、「自分はどうダークホースになれるか」「新しい軸を作り出せるか」「自分にとってのレースやゲームのルールを自分なりに作り出せるか」という側面をちゃんと捉えていく。補足していく。
その「目的発見」という側面に関して、今ある教育制度や新しい学校がどう貢献できるかを見ていかなくてはいけないという感じは前からしていますね。
日米の名門大学の違い
藤野:そういう専門家の目で見た時、今の日本の教育制度の良い点と悪い点をどのように見ていらっしゃいますか?
成田:教育に関しては、やはりどの国もうまくいっていないというか。
藤野:(笑)。
成田:うまくいっている教育の仕組みはないと思うんですよね。医療もそうだと思います。複雑で、人によって正解が違うような問題に、社会全体の制度で挑んでいるので、常に問題はあると思うんですよね。ある意味で「Bad」と「Worst」で、どちらが相対的に悪いかを比べているようなところがあると思うので、どの国も一長一短かなと思いますよね。
さっき東大や京大の例が出ましたけど、たぶん東大や京大みたいな学校に入れるということが、どういう価値判断の基準で、どれぐらいの成果にあたるのかに関して、だいたい僕たちは合意できるじゃないですか。
藤野:そうですね。
成田:これがハーバードやイェールになると、まったくそれが機能しなくて。もちろんとてつもなく頭がいいとか、成績がいいとか、数学オリンピックのメダリストでしたということで入る人もいる。ただ、水泳の選手もいれば、親がたまたま大金持ちだったという人もいる。教育を受けたとか、例えば学歴を持っていることが何を意味しているのかということが限りなく不透明だと。
藤野:一方でそういう人がいるからこそ、建前の授業料は高いけれども、分厚い奨学金制度があって、いわゆる標準モデルで優秀な人はタダで行けるみたいなことができる。僕は起業家を生むにはすごくいいシステムだなと思っていて。
お金がないけど頭のいい子や、お金があるけど頭の悪い子も入れるから、それが中でご学友になる。中でいろんなマッチングができるという面で見ると、何をもって公正かというのはあるかもしれないけど、少し上のレベルで社会的公正を見ると、けっこう成り立っているんじゃないかなと。
成田氏が日本の大学システムに求めること
成田:今おっしゃったような、お金の力をうまく使った資本主義としての高等教育や、資本主義としての大学システムみたいなものを、日本でもっと本格的に実験するところがあってもいいんじゃないかという感じはしますよね。私大なんかだと……。
藤野:私大だと、慶應なんかは若干だけど、それに近いところがありますよね。
成田:そうですね。もっとドラスティックにやってもいいんじゃないかと思いますけど。この間、ひろゆきさんと慶應の伊藤(公平)塾長と話したんですが、システム的には、例えば「慶應大学成金学部」みたいなものを作ることはできるらしいんですよね。
藤野:システム的にできるんですか?
成田:一応できる。いろいろ話していたら、それは法的に問題ないみたいですね。
藤野:なるほど。
成田:なので、この学部だけなぜか授業料が1年間1億円みたいな、よくわからない学部が突然できたり。
藤野:でもそれはたぶん、社会的合意ができるかという話はありそうですよね。
成田:そうですね。それをどう見せるかという問題はあると思いますが、ある意味でその成金学部に入学した人たちは、慶應というエコシステムに対するスポンサーなんだという説明の仕方ができると言えばできるわけですね。
藤野:うん、確かに。
成田:なので、そういうドラスティックな実験をやる大学がもっと出てもいいんじゃないかなという感じはしますよね。
藤野:確かに。
成田:東大なんかもやりようによっては、あるんじゃないかという気はしていて。日本のエリート大学システムのいいところであり悪いところでもあるのは、ヒエラルキーがはっきりしていて、東大みたいに単独トップの大学があるじゃないですか。日本みたいな規模の国で、これほど単独トップみたいな存在があるのってあまりないと思うんですよ。イギリスを見てもオックスブリッジがありますよね。
藤野:確かに、確かに。
成田:フランスだと、トップ大学がばーっとたくさんあると。アメリカも何十校もトップ大学があるという感じだと思うんですよね。日本の場合は東大・京大あたりにアカデミックな名声が集中していて、私大でも早慶みたいなのが不動のトップという感じですよね。
あそこらへんが、寄付金の集め方とかでも圧倒的な力を持っているじゃないですか。なので、一極集中させることを目指す場合は、すごくやりやすい国だと思うんですよね。
明治期に起きたような日本社会とか制度の、すごく中央集権的で戦略的な一極集中化をやるためには、日本社会はいまだに文化的な相性はいいんじゃないかという感じがします。
日本人の同調圧力の良い側面
藤野:その面で見ると、日本のいいところは意外と下剋上しやすい。要するに親の年収が低いような人でも……。
成田:けっこうひっくり返せますからね。
藤野:がんばれば東大に行けるとかね。データ的に言うと、他国よりも可能じゃないですか。
成田:階級構造みたいなのもはっきりしていないですからね。ヨーロッパの伝統的な国やアメリカだと、住む場所と見た目としゃべり方によって、ほとんど生まれながらに階級みたいなものは明瞭に存在しているわけじゃないですか。
あまりにもそれが明瞭なために、建前としての自由主義的な側面や民主主義的な側面を、あれだけ強調しなくちゃいけないんだと思うんですよね。
日本に階級に当たるものがあるかと言うと、すごく曖昧だと思うんですよね。そういう意味では、アメリカンドリーム的なものは、日本みたいな国のほうがかえってあるんだろうなと思いますね。
藤野:うっすらとはあるけれども、例えば階級によるレストランなどは、アメリカやヨーロッパに比べると日本はすごく少なくて。例えば、年収1億円ぐらいの人でもサイゼリヤに普通に行っているし。
成田:行っていますよね。
藤野:別にその人が行っているからおかしいとか、つまみ出されるということもないし、逆もないじゃないですか。その面で見ると、過ごす場所や遊ぶ場所のクラスが曖昧なことは日本の特色だと思いますね。
成田:そうですね。僕はこれは日本のすごくいいところだと思っていて、よく言われる日本人の同調圧力や、ぬるま湯的な安心のメンタリティみたいなものと、すごく強く結びついていると思うんですよね。最近それが悪いかたちで語られることがすごく多いけど、これだけきれいで治安が良くて、公衆トイレなどが普通に機能する生活を作り出してもいると思うんですよね。
なので、中途半端に日本の特徴を悪者にして叩くだけではダメじゃないかなという気がしますね。
藤野:確かにね。
日本経済が停滞している原因
藤野:「いいところ取りはできないけど、もう少し日本の中でイノベーションが起きるようにしたいね」という欲求は、今、政府や財界にもあるじゃないですか。まず、そもそもその目標設定が正しいのかというところから語らないといけないんだけれども。
もし正しいとしたら、どういうふうにしたら、これが解決できると思いますか?
成田:イノベーションや日本経済の停滞の問題について考えれば考えるほど、単一のわかりやすい問題や問題解決みたいなものは、ないんじゃないかという気がしてならないんですよ。
たぶん経済を作り出していくいろいろなレイヤーの各パーツが少しずつ錆びついたり、少しずつ衰えていて、それの掛け算みたいなかたちで日本の停滞が作り出されていると思うんですね。
藤野:なるほど。
成田:実際、地球全体で見ると、日本だけではなく、豊かな、いわゆる民主主義的で資本主義的な国は、みんな多かれ少なかれ停滞しているわけですよね。ヨーロッパの国はもちろんのこと、アメリカだって、ぎりぎりGAFAみたいな化け物が出てきていることで、辛うじて国全体として成長できているという感じですよね。
だから、みんなが停滞しているということを、まず出発点として押さえたほうがいいと思うんですよね。
日本は何かの理由でたまたま年率の成長率が、すでに衰えている先進国の中でも1パーセントか2パーセントぐらい低くて、それの累積でここまで差がついちゃっているということだと思うんです。
人口が高齢化して、労働力の投入量がなかなか増えない。それから日本の企業もだんだん高齢化して、経営者たちもサラリーマン社長なので、ドカンと未来に対する投資をすることも株主的にやりにくかったりして、投資も停滞している。生産性もずっと低くて伸びていないみたいな。
停滞を打開する“魔法の杖”を探すことの危なさ
成田:極端な悲劇ではなく、ちょっとダメな要因がいくつか重なってこうなっていると思うんですよね。そう考えると、会議や議論、提案みたいなかたちで、「これをやればいい」と解決する問題じゃない気がしてならないんですよね。
だから偉い人たちがそういうことをずっと議論しても、あまり変わらない気がしていて。難しいことを考えずに、みんなそれぞれで試行錯誤するという、当たり前のところに戻るしかないのではないか。
むしろ国がやれることは、どちらかと言うと規制緩和や行政改革的な感じで、要は出てきたものの邪魔をしない、足を引っ張らない、潰さない制度や文化をどう作るかというところに尽きるんじゃないかなという感じがします。
藤野:魔法の杖みたいなものを探しているけど、そうじゃなくて、それぞれの役割を担っている人たちがちょっとずつがんばることのほうが大事だという。
成田:なんだと思うんですよね。
藤野:当たり前の話で。
成田:なので、イノベーションとか魔法の杖、打ち出の小槌的なものを探すのは、けっこうやばいメンタリティになっているんじゃないかと思っていて。当たらなくなったギャンブラーが……。
藤野:(笑)。
成田:一発逆転を狙うみたいな感じがすごく強まっていると思うんですよね。一発逆転を狙うと地獄に落ちるじゃないですか。
藤野:うんうん、確かに。
成田:なので、当たり前のところに戻るということじゃないかと思いますね。
既存ルールの中で圧倒的パフォーマンスを出す若者たちの出現
成田:でも、1個はっきりと問題だと僕が思うのは、よく日本の高齢者、老害問題みたいなのがよく語られると思うんですけど、僕はそれと同じぐらい、若い世代も問題だなという感じがしていて。
僕は今30代の半ばなんですけど、30代、20代ぐらいで危険なアグレッシブさを持つ人にほぼ会わないんですよ。経営者、起業家でもいいですし、政治家志望でもいいですし、文化人、研究者、あるいは運動家みたいな人でもいいんですけど。
下手をしたら捕まっちゃうんじゃないかとか、なんかとてつもない革命運動を起こして、ものすごい数の人を幸福にするか、不幸にするか、何が起きるかわからないみたいな怖さを持っている人というのがほとんどいないという印象があって。
けっこうみんな、今ある日本社会や経済のゲームのルールをある程度前提としながら、そこでどううまくやるかに、たぶん無意識的に適応しちゃっている感じがするんですよね。
もしかしたら、堀江(貴文)さんとかの世代の人たちが戦った挙げ句不幸になったのを見て、みんなが「戦って得はない」とわかっちゃったからかもしれないんですけど。なので、昔の堀江さんみたいな危険さ、異物感を持つ人がもっと出てくるような風土をどう作るかは、すごく重要な問題なのかなと思いますよね。
藤野:一方で、今の若い世代の中で言うと、スーパーバランス感みたいな人は出ているなと思っていて。
成田:そうだと思いますね(笑)。
藤野:例えば有名な例だと大谷翔平さんとか将棋の藤井聡太さんとか、人格者で。
成田:まったく嫌味な感じなく。
藤野:そう、嫌味な感じなく。
成田:パフォーマンスがとてつもない。
藤野:既存ルールの中で圧倒的パフォーマンスを出すみたいなね。
成田:そうですよね。
藤野:だから、そっちのほうの人がこれからは出てくるんじゃないかという感じがしていて。すごくやばさみたいのを感じる人はあまりいないけど、でも全方面でスーパーバランサーみたいな人はめちゃいるなという。
成田:そうですね。バランスの取れたオールマイティな優秀さみたいなのを感じる人は多いですよね。
藤野:個々の要素で言うと、バランス感が得られるとか、論理的に考えられるとか、決断力があるとか、人とうまくコミュニケーションできるとか、未来予測ができるとかいうのが15パーセントずつぐらい高く、掛け算するとすさまじいみたいな子が、今の10代、20代、30代に出始めたというイメージは持っているんですね。