なぜ戦略は実行されないのか
西田徹氏:今日来ていただいてる方の中に経営者や事業責任者の方もいらっしゃると思いますので、実際に質問するわけではありませんが、尋ねられた気になってみてください。「あなたは戦略を作りましたか?」。大半の方が当然「作りました」と回答されることでしょう。
さらにもう1つ、質問させていただきます。「みなさんが作られた戦略は、実行されましたでしょうか?」……胸を張って「もちろん実行されました」と答えるリーダーの方は少数派なんじゃないでしょうか。じゃあなんでこんなことが起きるのかというお話を、3つの「コペルニクス的転回」と絡めてお話ししたいと思います。
2つのパターンがあります。(スライドの)この絵の意味は「初期の完成形」で、丸いものが外部環境、ギザギザのイガグリが戦略、三角が組織という意味です。この初期の完成形というのは、3つがちょうど全部マッチしている。
ところが外部環境は止まってくれませんので、動きます。外部環境が動いたので、戦略がそれにマッチしていない、ずれている。これが戦略が実行されないパターンの1個目なんですが、たぶんみなさんちょっと違和感を感じると思いますね。
「戦略が間違っているから、現場メンバーはそれに気がついて本気で実行しない」って書いてあるんですけど、一流企業のトップの人たちが作った戦略が間違ってるって「そんなことないよね」って思われるかもしれませんが、実はあるんですね。これは実は「しっかり対立しましょう」という話と絡んでいます。
一流企業の一流人材が構築した戦略が間違ってしまうわけ
もう1つのパターンは「良い戦略ができるんだけども、組織が追いついていかない」。特にモチベーションや組織文化といった組織の内面が追いついていかないために、戦略が実行されないということですね。これらを乗り越えることで新たな完成形にたどり着くことができます。
さっき申し上げました「一流企業の一流人材が構築した戦略が間違ってるわけないよ」と皆さん思われますよね。一般的な考え方ではグロービス経営大学院に通ったりして、PEST分析や3C分析をやれば良い戦略ができるんです。そこをやってないから戦略が間違っていて実行されない、これはまあしょうがない。「あまり優秀じゃない人が経営してるとこうなるよね」というのは、一般的な考え方です。
でも我々はそうではないと思っています。みなさん優秀だと思ってます。ただし、どんなに優秀な人が戦略を作っても、組織のメカニズムからこんなことが起きるんです。本当の原因は主流派の文化からくる判断基準に、暗黙かつ強力に、自分でも知らないうちに準拠してしまうためです。
本当は戦略を作る方たちは優秀でPEST分析、3C分析、SWOT分析を知ってるのに、知らないうちにそれと矛盾した戦略を作っちゃって、当然現場の人は「こんなのうまくいくわけない」と本気にならず、戦略が実行されないことが起きます。
超一流企業が倒産した背景にある「間違った戦略」
「本当かなぁ」と思うかもしれませんが、(事例として挙げられるのは)アメリカのコダックの倒産ですね。株価チャートがありますが、ぐーんと2000年頃に最高値に上がり、2012年に倒産、株価ゼロになったという。
もちろん日本でも注目する人が多いですけど、アメリカでは「なぜコダックが倒産してしまったのか」というのは、ビジネスの世界でよく研究されてますね。
ちなみに(コダックについて)「今思うとそんな会社もあったね」という感じかもしれませんが、実はコダックは絶頂期にはダウ・ジョーンズ平均株価を構成する30社のうちの1つだったんです。
あまりピンとこないかもしれませんが、この30社に入るのってすごいことなんですよ。今の時点でのダウ・ジョーンズ平均株価30社のうちいくつかを紹介しますと、Apple、ウォルト・ディズニー、コカ・コーラ、3M、P&G、ウォルマート。
こういったピカピカの超一流企業の一員であったコダックでも、戦略を間違うと倒産してしまうわけです。なんでそんなことになったのか、長いストーリーの一部を取り上げてお話ししたいと思います。
コダック社の戦略と「コア・コンピタンス」
1975年に実はコダックは、世界初のデジタルカメラを開発しています。商品化はしてません。そこでのんびりしている間にソニーが「家庭用マビカ」というデジカメを作っちゃう。それで、発売しちゃうということが起きました。
これは明らかにヤバいですから、ソニーが引き起こしたデジタル革命のもと、少し遅れて4年後にソニーを巻き返すべく(コダックから)「Photo CDプレイヤー」というものが発売されました。
結局この「Photo CDプレイヤー」は無残にも大失敗に終わり、どうにもならんということで、モトローラを劇的に再建させ「デジタルマン」と呼ばれたジョージ・フィッシャーという方を初めての外部CEOとして招聘したりしました。
いろいろがんばったんですが、2001年には売上高で富士フイルムに抜かれ、2003年にはデジカメ市場がフィルムカメラ市場を抜く。そしてさっき申し上げたように、2012年にはコダック倒産となったわけです。今からお話するのは(スライドで)この赤くなってる「Photo CDプレイヤー」のお話ですね。
まずはコダックが(それまで)銀塩フィルムの世界においては万全の体制で成長してきて、すごい利益率と売上を誇ったわけです。戦略がまずすばらしいですね。「ジレットモデル」というのですが、聞いたことがあるかもしれません。髭剃りのジレットですね。
日本ではコダックはあまりカメラメーカーというイメージはないかもしれませんが、カメラそのものも作っています。ベース製品はカメラです。消耗品はフィルムとフィルムの現像。消耗品(をたくさん売ること)で高利益を得るので、コダックのカメラ「ブラウニー」は、なんと1ドル。アメリカ人にとってすごく有名なものなんですが、日本ではあまり知られていません。
ちなみにもともとのジレットで言うと、ジレットの髭剃りの本体はすごく安くて、でも安く買った本体にぴったり合う替え刃はけっこう高いという話です。それがジレットモデルです。
コア・コンピタンス(核となる能力)もすごいですね。アメリカ中に張り巡らされた現像所のネットワークがある。そして銀塩フィルムを作るテクノロジー、それを現像するテクノロジーにはすばらしいものがあります。カメラもちょっとぐらい(コア・コンピタンスが)あったかもしれません。
「そんなものを買う人がいるの?」と思ってしまう戦略
これを踏まえていただいて、ソニーのマビカにどう対応するかということを考えましょう。
ソニーのデジカメ「家庭用マビカ」を後追いすることは、実はフィリップスなどのデジタル企業と提携すればわりと簡単なんです。でもどうでしょうか。そこにコダックのすばらしさはありますか? ないですね。フィリップスと提携してデジカメを売っても、消耗品はないですよね。ベース製品だけしか存在しない。我々(コダック)の基本戦略である消耗品が存在しない。
フィリップスと提携してデジカメを売ったとしたら、アメリカ中に張り巡らされたネットワークや銀塩フィルムとその現像などのコア・コンピタンスを活かしてますか? 活かせてません。「こんなのじゃダメだ」と、Appleや3Mなどに相当する優秀な頭脳を活かして生み出した戦略が、この「Photo CDプレイヤー」です。1992年、コダックが社運をかけて投入した「Photo CDプレイヤー」。
1997年までに、6億ドルの売上と1億ドルの利益を生み出すとコダックは予測したわけです。まず家庭では、いつもと同じように銀塩フィルムで撮影をします。そのフィルムを現像所に持ち込むと、いつものように現像したあとに1枚20ドルする「Photo CD」にデジタルで焼き付けてくれます。
同時に500ドルする「Photo CDプレイヤー」を買うと、テレビとつなげた「Photo CDプレイヤー」に「Photo CD」を差し込むだけで、テレビに写真が映るというものです。
どうでしょうか。ここまでご説明申し上げて「そんなものを買う人がいるの?」という気も起きているかもしれません。ただしこれは、コダックがめちゃくちゃ本気で作ってるので。
「過去の遺物の判断基準」に準拠し、その時の顧客ニーズは無視
このあと見ていただくCMも、痛いぐらいによくできているCMなんです。あまりにもニーズの差があるので、コマーシャルの出来のすばらしさが本当に痛々しいですが(笑)、ちょっと見てみましょう。
(映像再生)
ということで、まとめです。外部環境はデジタル化。競合ソニーは非常に脅威でした。一方で我々コダックは基本戦略が「ジレットモデル」で、消耗品が大事。この「Photo CD」の戦略を見ていただくと、フィルムという消耗品、その現像代、CD代という消耗品、CD焼き付け手数料。なんと4回も消耗品が発生するというコダックらしいすばらしい戦略ですね。
コダックのコア・コンピタンスは、活きています。アメリカ全土に張り巡らされたネットワークがあるからこそ「Photo CDプレイヤー」ができるわけで、ほかの会社には絶対に真似ができない、すごい戦略……だと思ったわけですよね(笑)。
だから、本当に大真面目なんですよ。ちょっと椅子から転げ落ちそうになるくらいくだらない、現時点で言うと本当にニーズのない商品ですけど、当人たちは大真面目でまったく気がついていないと。
なぜなら上記で申し上げたような、主流派の文化からくる過去の遺物の判断基準に知らないうちに、かつ強力に準拠してしまっている。その結果、その時の顧客ニーズをまったく無視している。「こんなの誰も買わねぇ」ということに気がついてないという、恐ろしいことが起きています。
起こせなかったのは、主流派と非主流派の「潜在的対立」による対話
これはなぜかを、我々の「コペルニクス的転回」で言うと「対立歓迎」をできなかったことです。そこが問題なんですよ。「対立歓迎」を起こせなかった。プロセスワークなら、主流派と非主流派の対話を起こせたはずなんですけど。
組織には主流派という人たち、そして非主流派の方たち、そこに潜在的対立がある。これは必ずと言っていいほどすべての組織にあります。例えば親会社から来た人たちと、子会社・プロパーの人たちとか。性別で言うと男性・女性があるかもしれません。世代もあるかもしれません。私がいたリクルートみたいな会社で言うと、営業が主流派、モノ(雑誌)を作る人たちは非主流派でしたね。
コダックの話に戻りますと、主流派は誰か。経営陣の人たち、そして本業である銀塩フィルムに関わる人たちが主流派です。非主流派は誰かというと、経営陣じゃなくて現場の人たちです。なおかつ新興ビジネスであるデジタルに関わる人たちですね。
本当はこの非主流派の人たちは「Photo CDプレイヤー」なんか売れるわけはないということに必ず気がついていたはずなんです。でも、主流派と非主流派の対話が起きなかったためにこのような無残な意思決定がなされ、それがゴリ押しされ、そして悲惨な結果が起きたわけです。プロセスワークをビジネス活用することができれば対話は起こせます。ここはまた、あとの打ち手編で詳しく解説します。