新たな視点やアイデアを創発させるための「問い」の役割

出川久美子氏(以下、出川):さっそくですが、本編に入らせていただければと思います。

未来の社会価値を創るために何が必要か、何が足りていないのか。SHIBUYA QWSがこれまで「世界に問いかける、可能性の交差点」を目指して走ってきた3年間の取り組みなども振り返りながら、新たな視点やアイデアを創発させるための「問い」の役割について、こちらのゲストのみなさまと語り合えればと思っています。

さっそくなのですが、本日お越しいただいているお二方のご紹介をさせていただければと思います。まずお一人目、安斎さんからご紹介をお願いします。

安斎勇樹氏(以下、安斎):みなさまこんばんは。ただいまご紹介いただきました安斎と申します。私は今、株式会社MIMIGURIという、約60名のベンチャー企業を経営しながら、東京大学の情報学環で特任助教をしております。

企業の経営と研究を行ったり来たりしながら、主に「組織がどうやったら、より創造的になれるのか」、マネジメントとかファシリテーションの方法について研究しています。

もともと僕はアカデミックがバックグラウンドにありました。実は世界的に100年以上歴史があるんですけど、「ワークショップ」という、人が集まってディスカッションしたり、何か新しいものを作ったりする活動があります。

大学院では博士論文のテーマとして、ワークショップが何のために世の中で行われてきて、その場がより効果的で意味のある場になるためには、どうやって場作りをしたり、ファシリテーションをしたらいいのかというのを、ずっと研究してきたんですね。

そういうことをテーマに博士論文を書いて、本を書いて、「ワークショップデザイン」を1つのキーワードにして活動して、そこからいろいろな企業さんからワークショップの依頼をいただくようになりました。

上流と現場の両視点で「問い」を研究

安斎:いろいろな問題をご相談いただくようになりました。例えば、「現場の若手の主体性が低いんだけど、主体性を上げられるワークショップはないだろうか?」とか、あるいは「うちのエンジニアからぜんぜんアイデアが出てこないんだけど、アイデア発想のワークショップができないだろうか?」とか。

とにかく日々ワークショップをやり続ける生活が続いていたんですけど、ある時ふと、「この問題って、そもそもワークショップで解決すべき問題なんだろうか?」と考えました。「そもそもその問題設定が悪ければ、ワークショップの現場で何をファシリテーションしても、何もできないんだけどなぁ」と。

僕はワークショップの専門家だったんですけど、すごい無力感を感じていた鬱憤を晴らすために、2020年に『問いのデザイン』という「上流の問題設定が悪いと、何もできないよ」と訴える本を書きました。すると、これまでのワークショップの本よりも、そっちのほうが売れたんです。それ以来、「問い」を1つのキーワードとして活動しています。

「上流の問題設定だ!」とずっと言っていたら、今度は、「上流の問題設定が悪い会社の中で、ずっと現場でミーティングしないといけないんですけど、ミーティングで意見が出ないのは結局どうしたらいいんでしょうか?」という相談をたくさんいただくようになりました。まわりまわって最近は、会議でどうやってファシリテーションしたらいいかもちゃんと語ろうということで、昨年『問いかけの作法』という本を出版しました。

なので、「マクロな問いのデザイン」の話と、「明日のミーティングでどう問いかければいいのか」の両面を語りながら、問いについて研究してきた背景があります。

この(SHIBUYA)QWSでは、開講当初からプログラムの監修をさせていただいたり、「ここが盛り上がるワークショッププログラム」の観点でずっとご一緒させていただいているので、今日ここに来させていただいております。よろしくお願いします。

(会場拍手)

出川:ありがとうございます。これから、「問い」についていろいろ詳しくおうかがいできればと思っていますので、よろしくお願いします。

自己紹介の「自己」とは何か?

出川:続きまして、石川善樹さん、お願いできますでしょうか?

石川善樹氏(以下、石川):僕は安斎先生みたいな、語るべき自己が特にないので(笑)。自己紹介って、何なんですかね? たぶん、何を「自己」と思っているかが、出ると思うんですよ。

経歴書とか履歴書に書けることを自己だと思っている人もいるし。「いい人だったなぁ」みたいな(笑)。最後に墓場に刻まれるようなことを自己だと思っている人は、「僕はいい人です」みたいな自己紹介もあるかもしれないし。生まれたあとの自分を自己だと思う人もいれば、生まれる前も含めて、歴史の中で自己を捉えている人もいる。

どれが良い悪いではないのですけれども、そういう意味でいうと、自己紹介は本来はいろいろなパターンがあると思うんですね。戦国時代は、「やあやあ、我こそは〇〇の子孫なるぞ」が自己紹介だったわけなので。

「自己紹介とは何ぞや?」と、今ちょっと思いながら(笑)。そういう意味でこの自己紹介も、人が自己をどう捉えているのかが多様になったらおもしろいなぁと思います。

出川:さっそく、問いかけを受けた気分です。

石川:すみません(笑)。以上です。僕はQWSが始まる時のプレイベントに出させていただいて、そこで大遅刻してきたという恥ずかしい思い出があって。今日は遅刻せずに来られてよかったなと思っています(笑)。

出川:今日はぎりぎりまでドキドキしていました。でも早く来ていただいてよかったです。ありがとうございます(笑)。

社会人になりたての頃に教わった、3つの仕事

出川:そんなお二方の自己紹介をいただいたところで、さっそくトークセッションに移らせていただきたいと思います。

(スライドを指して)テーマに沿って進められればと思っているのですが、まず1つ目。QWSは、社会価値につながる可能性の種を増やしていきたい思いで運営しています。変化の早い現代において、未来の社会価値を創るために必要なもの、または足りていないものは何か? お二方に聞いてみたいと思います。まずは、石川さんからお願いしてもよろしいですか?

石川:まず、変化が早いと思っている人もいれば、遅いと思っている人もいますよね。「なかなか変化が起きないな」と思っている人もいれば......。

出川:おっしゃるとおりですね。

石川:未来の社会価値を創るために必要なもの、または足りていないものとは何でしょうか......。何ですかね?

僕、社会人になったのが遅くて、28歳でした。社会人になりたての頃、50代前半の先輩がいました。僕は下の名前が「善樹(よしき)」というんですけど、その先輩に「善樹、仕事とは3つあるんだ」と言われて。

「何ですか?」と聞いたら、1つは「『アイデアを考える』仕事があるんだ」と。「若いうちはアイデアを考えたら、それで世界が変わると思っているけど、違うということにお前もすぐ気づくだろう」と。

2つ目の仕事が、「意思決定」。組織として社会として、「意思決定する」仕事があるんだと。3つ目が、「意思決定されたら世界が変わるかというと、そうではなくて、実行されないといけないんだ」。「オペレーション」ですよね。

アイデアを考えることと、意思決定することと、実行すること。これが、1人で全部完結するものもあれば、会社とか社会が動くとなると、関わる人が膨大になってきますよね。

社会を変えるために必要な「横串集団」の存在

石川:例えば「日本国政府」という観点でいくと、アイデアを考えるのは「有識者」だったりするし、意思決定するのは「政治家」ですよね。実行していくのは「官僚」になってくるわけなんですけど。

みんなが「それは自分が考えたんだ」と勘違いしないと、人が考えたアイデアを意思決定するのは、ちょっとイヤですよね。あるいは人が考えたことを実行するのは、ちょっとやる気にならないじゃないですか。

という意味で、「アイデアを考える人」と「意思決定する人」と「実行する人」たち。社会を本当に変えようと思った時には、これをうまく横串でさしていける集団の存在が大事なのかなとは、最近すごく思いますね。

人はどうしても弱いので、「自分のことを理解してほしい」とか自我が出てくる。やっぱり「俺が考えたんだ!」とか「私が意思決定したんだ!」と言いたがるんです。そうすると、「アンタが考えたこと、私はやらないよ」「民主党政権でやったことは、自民党政権ではやりません」みたいな(笑)。

こうなるので、うまくみんなを乗せる、「横串集団」の存在が大事なのではないですかね。

「SDGs」の起点は、日本政府の「問い」だった

出川:いきなり問いの話をしてしまうんですけど。以前、石川善樹さんが対談していたのを拝見した時に、「問い」は帰属していないから、「俺の問いだ」みたいなものがあまりなく、みんなで考えられる、というお話があったように記憶しています。違っていたらすみません。そういったところもやっぱりあるんですかね?

石川:そういう意味でいうと、「問い」はみんなを団結させる側面はあるかもしれないですね......。

1982年、40年前のことなんですけど、当時の日本政府が、すごい「問い」を出したんですよ。「21世紀の理想的な地球環境とは何だろう?」と。「その理想を実現するための戦略はなんだろう?」という問いを立てたんですね。それが後々、「SDGs」になったんですよ。「SDGs」の最初の起点を作ったのが日本政府であることは、ほとんど知られていない歴史的事実です。

出川:初めて知りました。

石川:21世紀までまだ20年もあるのに、1982年時点において、「21世紀の地球環境の理想とは何ぞや?」と。その問いは、アイデアを考える人も、意思決定する人も、実行する人も、国際社会を団結させたと思うんですよね。

だからそういう意味で、大切なのは「横串集団」の存在と「問い」ですよね。みんなが横串で関心を持てるような問いが、必要だということでしょうね。

「問われたら答える」ことは習熟している学生たち

出川:ありがとうございます。では、安斎先生からもお願いできますか?

安斎:今のお話、すごく興味深いなと思ってうかがっていました。ちょうどこの間、全国からすごく優秀な大学生たちが100人集まるところで、ワークショップをしてほしいという依頼があって、行ったんですよね。

大学1年生だったんですけど、みんな本当にものすごく優秀でした。これだけいろいろな大学生がいるからおもしろいなと思って、集まった場で、「今、この世の中で何が一番問題だと思うか?」と聞いてみたんですね。

ちょっとミスリーディングな問いかけだったなと自分でも思っているんですけど、9割以上が「新型コロナウイルス」と言ったんですよね。一部、「SNSの誹謗中傷」と言った人もいたんですけど、だいたいその2つだったんですよね。これを見て、「あー、なるほどなぁ」と思ったんです。

それで僕が聞いたのが、「じゃあ、センター試験で『新型コロナウイルス』と言われたら、何て答えるの?」と。そうしたら、「それは問題じゃないですね」となったんです。

要するに「問われたら答える」ことにはものすごく習熟しているんですけど、「今、何が問題だと思うか?」と言うと、「新型コロナウイルス」とか「SNSの誹謗中傷」みたいなキーワードしか出てこないんですよね。

だれかがどこかで言っていた。新聞に書いてあった。だれかが名前をつけた、「ラベリングされた問題」が問題だと思っている状態。それを実際にテストで出されても、自分の脳は働かない状態になっている。

「問う」とは、他人が名前をつけた問題を、自分で名前をつけなおすこと

安斎:それを経て最近「問うとは何だろうなぁ」と思った時に、ちゃんと問うことは、「他人が名前をつけた問題を、自分で名前をつけなおす」ことなんだよなぁと考えたんです。

そう思った時に、さっきの「政府の大きい問い」みたいなのが、今SDGsにかたちが変わっているのも、すごくおもしろいと思いました。それに真剣に取り組んで、主体的に答えを出そうと考えている方は、自分なりの問題にラベリングしなおして、自分の中で答えを考えようと思える「問い」が立っている。

だから答えを出そうと思えているのであって、他人が名前をつけたままだと、「横串」が起こらないんだろうなぁと思いました。

そういう取り組みというかムーブメントが必要なのかなと。「いい問い」が必要というより、「みんなが1回名前をつけなおす」みたいなことが足りていないのかもなぁと、あらためて思いましたね。

出川:ありがとうございます。お二方とも「自分自身に落とし込んで、問いを考えることがすごく大事だ」とか、「横串で考える」ところが大切なのかなとおっしゃっていますね。

「センター試験に出たらどう回答するか?」とか、そもそも問いになっているかどうかもきちんと考えないといけないのかなと、すごく感じました。ありがとうございます。