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iU客員教員 人材研究所 曽和氏講演「今後、企業に必要な人材とは」(全3記事)

「自責性が強い人」は、会社にとって本当に優秀な人なのか 人を見る目を曇らせる 「社会的望ましさ」のレッテル

2020年4月に開学し、2024年3月に第一期生が卒業を迎える学校法人電子学園 iU 情報経営イノベーション専門職大学は、変化を楽しみ、世の中にイノベーションを起こす人材を育成する大学です。本記事では、iU主催で行われたキャリアイベント「iU careerpunks 2022」より、客員教授で株式会社人材研究所代表の曽和利光氏による講演の模様をお届けします。人事のスペシャリストとして、「優秀さ」にまつわる誤解を解説しました。

人事のプロが語る「今後、企業に必要な人材とは」

曽和利光氏:みなさん、こんにちは。私はこのiU(情報経営イノベーション専門職大学)で、本当に末席ではございますが、客員教員を担当させていただいております。株式会社人材研究所という、20人ぐらいの小さい人事コンサルティング会社の代表をしている曽和と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

このあと学生さんに実際に出てきていただきまして、このiUの学生さんたちが一体どんな人なのかと、いろいろ(話を聞いてみます)。たぶんこれがみなさんに一番興味を持っていただける(セッションかなと思います)。

私も先ほど楽屋で学生さんにいろいろ聞いていたんですけど、すごくおもしろい話があると思います。そこがメインだと思いますが、ちょっとまず前座の情報提供としまして。

私が百戦錬磨のみなさんに対して「今後、企業に必要な人材とは」という、大上段から構えたテーマでお話しするのも本当に僭越な話ではあるんですけれども。

人事コンサルタントとしていろんな企業で活躍している人、あるいはいろんな仕事でのハイパフォーマーと呼ばれるような人が、どのような要件を持っているかというのを日々見ています。そのあたり、最大公約数的ではありますけれども、私が感じていることを、1つの話題提供としてお話しさせていただければと思います。

私自身は現在、先ほど言いましたような人事コンサルティング会社をやってるんですけども、もともとはリクルートに15年ぐらいいまして、最後の6年間ほどは最終面接官とか、採用のマネージャーをやってました。もう今年で51歳なので、30年前ぐらいの話です。

「こんな学生だった人がこうなった」というのをけっこう見てきているつもりです。ざっくりなんですが、数えたら今まで2万人ぐらいは面接していますし、1,000人以上は人を採っていると思います。

「優秀さ」は時代によって移り変わる

そのあとライフネット生命というインターネット生保の先駆けのところに、開業して1年目ぐらいの時にジョインして、上場までの組織作りをやったりしました。あとオープンハウスという、ぜんぜん文化が違う会社なんですけども、すごく営業の強い会社の上場前の組織作りの責任者をしまして、今ではこのような人事コンサルティングの仕事をしております。

今日のテーマは「企業に必要な人材とは」ということで、要は「みなさんの企業にとって」という意味です。「優秀な人を採りたい」という言葉はよく聞くんですけども、「優秀」って一体どんなことなんだろうということを、みなさんと一緒に考えていければと思っております。

最初に「優秀である」ということは、字を読み解くと「なにかよりも優れている」「秀でている」、これが合わさって「優秀」ということなので、他者との比較で相対的なものです。だから何かの軸を定めると「この面ではこの人よりも優秀」「この面で違う」みたいな感じで、どんどん移り変わっていくものではないかなと思っております。

優秀な人は「どんな場面」でも優秀か、優秀な人は「どんな時代」でも優秀かと考えた時に、おそらく基準が変わってくると、優秀さは当然ながら変わっていくものであると感じているわけなんですね。

特に、これはもうみなさんが日々ビジネスをするにあたって感じていると思うんですけど、おそらくその優秀さを見分ける「軸」が、どんどん変わってきていると思われませんでしょうか。どう変わってきてるのか見ていきたいと思います。

場面によって能力が発揮できる・できないも変わってくる

そもそも能力というのは、心理学の世界で「領域固有性」、domain specificityって言います。例えば論理的思考能力1つとっても、何をするかによってその論理的思考能力が発揮できるかどうかが変わってくる。

普遍的な論理的思考能力を持っていて、例えば将棋においても、経営戦略を立てるにおいても、プログラミングをする上においても、どこでも発揮できる。こういう人も中にはいるかもしれませんけれども、けっこう「何をやるか」によって発揮できたりしなかったりする。これがよくわかっている事実です。

これは子どもの研究なんですけど、「恐竜についての知識と推論の研究」。恐竜って子どもが好きなものですよね。恐竜についての問題と、そうではない、子どもがぜんぜん興味なさそうな、論理構造は同じだけれどももっと抽象的なテーマに対する問題を解かせると、恐竜についての問題だとやたら論理性が高いようなんです。こういうことも起こる。

これは人一般にあるようなことだと言われているので、つまり「場面によって能力が発揮できる・できないも変わってくる」というお話ですね。

「知的好奇心が強い」「明るい性格」は本当に「長所」なのか?

私は、もともと人には特徴しかないと思っております。よく採用面接で「あなたの長所と短所は何ですか」っていう聞き方をすることが多いと思います。もちろん普通の質問なのでそれがダメということはないんですけども、厳密に言うと実はちょっと難しいかなと思ってまして。

ある特徴というのが、どんな場面でも長所になるとか短所になるっていうことはないと思うんですね。例えば「知的好奇心が強い」。みなさんどうでしょうね。今の世の中的に言うとなんとなく長所だって思われている方が多いと思うんですけれども。これ、悪く言うとどうなりますでしょうか。

「知的好奇心が強い」「いろんなものを見ていたい」という考えは、悪く言うと「飽き性」「1つのものに耐えられない」みたいなことだったりする。その性格は、場合や仕事によってはマイナスになることもあるんじゃないかなと思います。

私が昔やってた生命保険の仕事とかは、ルーチンワークとかも含めて、1つのことを深くやっていかなきゃいけない。そういう時にあまり知的好奇心旺盛すぎる人がくると、たぶん長く続かないだろうなと思って、そんなに高い評価にならなかったことを思い出します。

この「知的好奇心が強い」という、一般にはすばらしいことと思われるようなことでも、長所でない場合だってあり得ます。

例えば「明るい性格」っていうのも、なんとなくいいことではないかと思われるかもしれないんですけども。例えば高級レストランとか高級ホテルとかで、やたらテンション高い人がいて、居酒屋さんと同じように、ホテルに入ってきた人に「へいらっしゃい!」とか(笑)。「はい喜んでー!」みたいなことを言われたら、雰囲気が台無しですよね。

別に「明るい性格」を1つとっても、常にすばらしいと言えるわけではない。

なぜリクルートでは「自責性が低い人」を採用するのか

例えば「自責性が強い」ようなこと。採用基準とかで作られている方も多いんじゃないかと思うんですけど、これはいかがでしょう。なにかものごとが起こった時に、その原因を自分のせいとして帰属させるということですけれども。

なんとなく「それはそっちのほうがいいんじゃない?」と思われるかもしれませんが、実は私のいたリクルートという会社は......ここにリクルートの先輩もいらっしゃるので、言いにくいところもあるんですけど(笑)。

SPIという適性テストがありまして、その中に「自責性」の項目があるんですね。私も裏でずっと見てたのでわかるんですけども、リクルートという会社は今や時価総額が日本企業で10本の指に入るような成長をしているんですけども、(そこで採用する人が)自責性が低い人が主流なんですね。

そう聞くとみなさん「えっ?」と思われるかもしれませんが、なぜかと考えると、こんなふうに考えるわけですね。「責任」という言葉は、どのような定義でしょうか。

「責任」の4象限

例えば何かものごとが起こって「これは誰の責任か」って言った時に、その「責任」の意味は大きく分けると(2つあります)。「この問題が起こったのは何が原因なんだ」という縦軸、つまり原因の所在が自分にあるのか他人にあるのか。もう1個は「誰の責任なんだ」とか「採用の責任者」とか、それは原因がある人というよりは「その問題の解決の主体者」という意味で使われているわけです。

そうなると実は「自責・他責」ってさらっと言ってますけれども、(この2軸も合わせた)4象限に分かれるわけですね。

で、多くの場合は自分に原因があると思うと、自分で解決しなきゃいけないと思う「自責」と、「他人に原因がある」と思って、「だから他人に解決は任せればいいじゃん」という「他責」です。これが一番多いから、自責がなんとなく良くて他責はダメだとなってると思うんです。

でも実はもう2つありますね。最悪なのは「自分に原因があるんだけれども他人に助けてほしい」と。別に助けてもらうこと自体がダメじゃないんですけれども、「他人が解決して」っていう、赤ちゃんみたいな人はバツかもしれません。

残りの一番右下ですね、これは他人に原因があると思っても、解決する主体者は自分であると思う人。こういうのもあるわけです。別に自責・他責の定義はどっちでもいいんだけれども、SPIで言う「自責性」は「なにか問題が起こった時に問題の原因をどこに考えるか」ということなので、縦軸の「原因の所在」のことを指してるわけですね。

そうすると右下、二重丸がついてるところは「他責」なんですよね。例えば、部長が変なことを言っている。「だから部長を説得してなんとかしよう」って考えの人は、他責になるわけですね。あるいはルールがおかしい。だったら「こんなルールなら変えてしまってもいいんじゃないか」って思う人は、実は他責なんです。

自責の人はそうはしません。「こういう方針の中でやるんだったら、自分の範囲の中でこうやらなければ」。一所懸命、自分の役割をしっかり果たさなきゃいけないと思うわけですね。あるいはルールとかも、悪法も法なりで「全部守らなきゃいけない」みたいに思う。

「社会的望ましさ」は、人を見る目を曇らせる

さてみなさん、ここまでで言うと自責・他責って、どちらがみなさんの会社の中で必要と思われますでしょうか。こういうことを考えていただきたくて、ちょっとややこしいことを言ってみたわけなんですが。

ちなみに右下のところは、良く言うと「当事者意識」です。当事者じゃないにも関わらず、当事者のつもりでコトに取り組む。こう言うとすごくいい感じですよね。

優秀さとかこれから必要な人を考える時に、この「社会的望ましさ」を一度頭の中から取ることがすごく大事なんじゃないかと思います。我々は人間ですから、毎日人間の評価をしながら生きてるわけですね。「あいつはどうだ」「この人はすばらしい」とか「あいつはダメだ」とか。なので人を表現する言葉をバンバン使っています。

いろんな人と、人を表現する言葉を使って会話をするのが私の日常なわけなんですけども。やっぱり人を表現する言葉は、それぞれで定義がぜんぜん違うわけですね。手垢がついてると言いますか。

今言った自責・他責のように、「自責=絶対良い」「他責=絶対ダメ」みたいな、社会的望ましさにもう一定の評価がついてしまってることもいっぱいあるわけです。さっきの「明るい・暗い」もそうですし、「知的好奇心旺盛」の話も同じだと思います。

ここらへんから抜け出さないと、実は今目の前に現れている人が本当に自社に合う人なのか、これから活躍できる人なのかを見る目を曇らせるんじゃないかと、私は思っております。

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