シェアライフの提唱者・石山アンジュ氏が登壇

林篤志氏(以下、林):まずはキックオフ、DAY1ということで、3名のスピーカーの方に来ていただいて、民主主義について話していこうと思っています。

資本主義と民主主義は二人三脚だ、みたいなことを言われます。資本主義もそろそろ限界だよね、オワコンだよねと言われているんだけど、というか民主主義もけっこうヤバくないか。機能不全を起こしていないか、みたいなことは、いろんな角度でいろんな方が言っていると思うんです。

そもそも民主主義とは何だろうという話と、それが僕たちにとって本当に必要なものなのであれば、どうアップデートしていけばいいのかとか。このWEを進めるにあたって、そこのエッセンスみたいなものをどのように取り入れていくかを、広範囲な話になるんですけど、今日は1本軸を通してお話しできればと思っています。

スピーカーのみなさんには今から自己紹介をしていただきつつ、みなさんが考える・捉えている民主主義の現状と今後みたいなものも、付け加えてお話しいただければと思います。

まずお一人目。僕が活動を始めてからよくいろんなところでご一緒する友人であり、仲間という意識があります。石山アンジュさんにお越しいただいています。石山アンジュさん、自己紹介をよろしくお願いします。

石山アンジュ氏(以下、石山):みなさん、こんばんは。ものすごく簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。私は自分のことを社会活動家と言っているんですけれども、3つの社団法人の代表理事をしています。1つはこのシェアリングエコノミー協会という団体です。立ち上げから関わっていて今、丸6年です。

企業が約340社、個人が約5,000人、自治体が約100加盟をしている団体で、いわゆるシェアリングエコノミーやコモンズの世界を広げるために、ルール形成であったり、社会アジェンダに政策として関わっていく団体です。

もう1つがPublic Meets Innovationという、ミレニアル世代のルールメイカーを育てる事業とシンクタンクをやっています。

弁護士と官僚の、いわゆる「正解のない時代」の中で教養を作っていくルールメイカーを育てる事業。そして、これからの正解のない時代のアジェンダを、世の中に広く、一緒に共創して描きながらペーパーを作っていくシンクタンクをやっています。

「人類の良心を諦めない」

石山:もう1つが社団法人Ciftという、血のつながらない、血縁関係によらない間柄で家族面談をし、「家族になりましょう」と合意をして一緒に暮らす、シェアハウスを運営しています。今は渋谷と京都にありまして、始めた時は38人だったんですけど、今は約110人、私には家族がいます。

WEと少し近いのかなと思うところが、協同組合型的なプラットフォームになっていて。この110人は家族口座を1つ持っているんですけど、そこにみんなが好きな金額を入れていきます。例えば誰かの入院費や食費といったものを、みんなの家族会議の中で決めて金額を分配するという仕組みになっています。

もう1つは今、シェアを追求する中で、本当のコモンズはどうなんだっけというのを知りたくなって、月の半分は大分にいます。

この豊後大野市という所はまだ共有地、いわゆる入会地が残っている地域です。部落と言っているんですけど、部落に入会をして、この集落の山や水資源は14世帯で一緒に共同所有権を持っています。

みんな70代、80代なので、あと20年ぐらいしたら最後、私に残っちゃうけどどうなるんだろうと、ちょっと今ドキドキしているんですけど(笑)。いわゆる水道も、湧き水から、みんなで共同タンクを洗って水を引いていたりとか。そんな本当のコモンズが残るような地域で、月の半分を暮らしています。

あとはパブリックスピーカーとして、いろいろメディアの活動をしています。今は4つの報道番組でレギュラーのコメンテーターをしています。

このようにいろいろやっているんですけれども、「人類の良心を諦めない」を、ずっと小さい時から自分の人生のスローガンにしています。政治も社会システムも、ビジネスもコミュニティも、すべては「人が世界をどう捉えるのか」が原点だと思っていて。私はその垣根、イデオロギーや正義を超えられるのは、人類の良心だと思って活動しています。

何でも「仕組み」に頼って解決しようとするワケ

石山:今回、「民主主義について思うこと」ということで、3つ挙げさせていただいています。

1つは「『個人』の再定義」。民主主義は個人の自由と平等に基づくシステムだと考えていますけれども、そもそも「個人」とは何だっけ、と。今は個人主義の弊害がけっこう出てきているのではないかと思っています。

個人主義がすごく西洋的であるということ。もともと、日本の思想としてある、「私」と「あなた」はあんまり境界線がなく、「個人とは捉えようがない」という考え方も一理あると思うんです。

そういった中で個人主義と言いながら、自分たちは個人を捉えられているのか。また私の感情も日々変わる中で、個人にどこまで責任をもって、意思表示をして社会に参画できるのかが、非常に難しいのではないかと思っているところです。

2つ目が「意識の修行」。今、本当に社会がよくわからない混乱の時代にある中で、どちらかというと「自分さえ良ければ」「自分をまず守ろう」と、境界線を狭く引きがちな社会になっているのではと思っています。その弊害は、わかり合えないものと境界線を引いて、わかり合うのを諦めること。そして、全部仕組みで解決しようとすること。

例えば私たちの超身近な問題で言うと、「誰々がすごい夫婦喧嘩をしているんだよね」といったら「すぐ弁護士に相談しよう」とか「すぐ警察に言おう」という社会になっていると思うんですね。こういった対話することを放棄し仕組みに依存しすぎるマインドを見直し、いかに私たち個人が意識として、人間としてアップデートできるかが、2つ目に気になっていることです。

3つ目が「科学至上主義の限界」です。近代は、もともとは宗教の物語があって、神がすべてを作っていた。その次に権威主義があって、独裁的なリーダーがすべてを決めていた。その合意形成のあり方としてデータが用いられるようになっていった。

ただ、コロナを見てみてください。お医者さんでも専門家でもぜんぜん違う見解で何を信じれば良いのか、データそのものがフェイクが出回ったりという時代になっていると思うんですね。このデータ至上主義が機能不全を起こす中で、どうやって民主主義の中で合意形成を作っていけるかが、本当に難しいなと思っています。

「拡張家族」の家族会議の特徴

石山:最後です。これは民主主義というよりは、今回のWEに対しての期待と、今日話したいところということで。DAO的な世界は結局「コモンズの悲劇を本当に乗り越えられるのか」という問いがあると思っている。

もう1つは、さっき言ったように自分たちの境界線を引いてコミュニティが分散化していくことによって、そのコミュニティでは幸せだけど、じゃあ大きな地球という枠組みの「環境問題」は誰がどうやって解決するのか。これが、よりDAO的になっていくと難しくなるのではないかな……という意味で。

「地球の救世主なのか、破壊者なのか」と、ちょっとラディカルな文言にしましたけど(笑)。今日話をしたいと思っています。すいません、4分過ぎてしまいました。ありがとうございます。

:いや、もうすでにけっこうおもしろい。余談的に聞くんですけど、Ciftって「拡張家族」をキーワードに長年やっていらっしゃると思うんですけど。家族会議は血縁の家族でも揉めるじゃないですか。Ciftの家族会議は、いい感じに進むものなんですか?

石山:いや、ぜんぜん進まないです。むしろ決まらないことばっかりで、ずっと対話を続けているような状況です。暫定解をもって前に進んでいるのが近いと思います。なぜなら家族だから、会社ではないので「1人1票、平等」という考え方ではないんですね。お母さん的な気持ちの人もいれば弟的な気持ちの人もいる。だから多数決は取らない方針です。

そうするとやっぱり、何か決め切る時に本当に難しくて。その時は決められない難しさがすごく残ってしまうんだけど、でも半年くらい経つと「結果ここに導かれたよね」という。家族という長い時間軸で一緒にいるという合意をしているからこその、可能性は感じています。

:なるほど、ありがとうございます。熟議か多数決か、みたいなのはけっこうおもしろい論点かなと思います。本編でいろいろ聞きたいなと思います。

次の起業家を応援するエコシステムづくり

:じゃあお二人目ですね。田口さん、お願いします。

田口一成氏(以下、田口):ありがとうございます。石山さんの話がすごく勉強になりました。このあと話したいことは盛りだくさんですが、簡単に僕の自己紹介をすると、ボーダレス・ジャパンという会社をやっています。

ソーシャルビジネスって聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。ある一定分野の社会課題に対して、ビジネスという、経済活動を伴ったかたちで解決できるんじゃないか。ビジネスを手段として解決してみようというのがソーシャルビジネスです。

今のビジネスの世界は、すごく有能で、プレゼンも上手で人を集められる、いわゆるマッチョな人たちですね。こういう人たちを応援するエコシステムはあるんですけれども、そうでない人たちはなかなか簡単に事業を立ち上げられないという状況です。

思いはあるんだけど、そこに至らず終わっていく。社会全体としてはとてももったいないなという思いがあって。そういう社会課題を解決したいという起業家たち、社会のために挑戦しようという人たちが、個人的リスクがなく社会起業にチャレンジできる環境を作りたいという思いで、ボーダレス・ジャパンという会社をやってます。

今、世界16ヶ国で47社あって、みんなさまざまな社会課題にトライをしています。簡単に、こんな感じで(スライドに図解が示され)運営しています。47社それぞれ自立したかたちでそれぞれの社長がいて、自分たちの事業をやっているんですね。

もちろん事業で上がった利益は、自分たちの事業の社会的インパクトを出すために再投資していくんですけど。それでも余る利益に関しては、共通のポケットに入れようね、というのが僕らの集まりです。その余剰利益を、社会起業家が新たな社会課題に挑戦する資金にしていこうというものになっています。

こうやっていろんな人たちにサポートしてもらって、お金だけではなくてマーケティングとか、いろんなものも無料でサポートする仕組みになっています。そうやってうまくいった起業家たちは「恩返ししたいな」と思うんですけれども、みんな余剰利益が出ている人たちなので、今度は自分がお金を出す側に回ろうということで。そうやって次の人が、また自分と同じようにチャレンジする環境を作っていく。

恩を送っていくエコシステムですね。そうやって次の起業家をどんどん応援するものを作ってみようというのが、一応僕らがやっているトライ。そういうかたちをとっています。

社会全体が良くなるためには、ただ強い人だけがやるんじゃなくて、いろんな人たち、できるだけ多くの人たちが参加できるように。チャレンジできる機会を作りたいというのが、僕らがやっていることです。

多数決で決まることへの違和感

田口:民主主義について思うことは、1つはやっぱり「多数決で決まってしまう」ところがどうしても残念だなというか、違和感がある感じですね。

代議制というか、僕らが選んだ政治家が決める仕組みになっているので、彼らが決める。それはしょうがないんだけど、一方で知らないところで、知らない理由で、何か納得できない理由で決まっていくところも、個別案件では多々あるかなと思います。そういう意思決定の不透明さは、今の社会の中で非常に大きな課題だし、僕らが違和感として「そこは耐えたくないよね」と思い始めているところかなと思います。

もう1つは民主主義なので当然「民」というか、僕らが「主」なんだけど。じゃあ、僕らがどれだけ社会に対して主体的な意思を持っているかという。これはもしかしたら「民度」と言われるのかもしれないんだけれども、そういう意思をしっかり持ってる人が少ないから、多数決みたいに決まっていく社会があるのも、理由の1つかなと思います。

そういった意味で、「自分たちはこういう社会を作りたい」という意思を持っている人たちが、新たなかたちを作っていくこのWEという共同体が、どういうものになっていくのかはとても楽しみというか、ワクワクしているし、ある意味、大いなる社会実験だなと感じて参加しているところはあります。みんなと議論しながら、いろんなかたちを目指していければいいかなと思っています。以上です、ありがとうございました。

:ありがとうございます。ちなみにボーダレスの恩送りの仕組みは、けっこう有名だと思うんです。社会を良くしたい、という気持ちを持っている起業家はたくさんいると思うんですけど、その人たちがボーダレスに集まってきて、みんなで恩送りをし合う、その真ん中にあるものは何でしょう。

田口:僕らの共通項があるとすれば、それは「自分の関心のある社会課題だけ良くなれば、社会が良くなるわけではないよね」だと思うんですね。本当に多層、いろんなレイヤーでいろんな課題が起こっていて、それらがまとまって全部解決していくようにならないといけない。「これをやったのでOKです」と言えないよねという、基本的にそういう思想を持っている。

なので自分は役割としてこの分野を……教育の分野、とかいろいろ解決していくんだけれども、ほかの分野に対してもコミットしたらいいし。それが経営のノウハウだったり、いろんなことを共有していくことをもって貢献できたらいいなと。

なので僕らは、経営も一人ひとりがやるのではなく、4人で1組になったり、ほかの事業に対してもコミットするかたちでやっている。だから関心がすごく広い。良い社会を作ることに対して、1人でやるよりかは、みんなでやることがすごく大切だなと感じている人たちが、集まってきてるかなと思います。

:なるほど、ありがとうございます。